第9話  狐

 稲刈りが終り、大根の収穫も終わり、秋ごも麻袋にいれ明日出荷する。年越しの準備が慌ただしく始っていた。

秋深く、珍しく温かい晴天の日が続いていた、学校から帰って馬屋の下藁を片づけていると「お~い お~~い」源さんが大きな声をたてて人を呼んでいた。

きよこは手を止め土間から庭へ飛び出した。

水場の下(下のち)から、庭につながる坂道を、下のちの兄(きよこの四つ上、下のちの孫)を先頭に、おじちゃんと嫁さん、少し遅れてとくが水場の方から庭に駆け上がって来た、蚕室の脇道をはみ出しながら、作蔵と源さんが下のちの鬼じいの両側の腕を担いで下って来た、じいはうなだれた状態で、両足は地面を引きずったままだ

庭で合流すると、下のちのおじちゃんの背におんぶさせた。じいはもう腰が立たないようで首も横上に向けて、口は半空きのままだ、目は半開き、まるで死んでいるかの様だった。

その日の夕食の時、作蔵、源さんはどんぶり飯なのにいつも食べ終わるのが早い、勝手縁から流しに食台を運んで、洗物を済ませると源さんは布団部屋に行ってしまう。「源ちょっとまって」と言うと 土間の縁に腰かけて食事が遅いきよこを待っていてくれた。食べ終わった作蔵も土間の煙草盆を持って内縁に座った、勝手の母、とくも集まってきた、私も内縁に座った、源さんは土間の馬小屋に向かって話始めた。

朝、源さんは朝飯前薪運びににでかけた、そのとき下の爺がこやしを畝の間に柄杓で蒔いて、土かけをしていた、源は何気なく遠目でおはようと会釈をして通り過ぎたらしい。秋のうちに畝に藁を入れ、土つくりをするのだ。

一時間程で源さんは帰ってきたのだが、その時も下のじいは天秤棒に肥やし桶をかけ

畝の端まで運んでいたらしい、こびれで通ったときも同じだった、夕刻になり少し足りない薪を取りに蚕室の裏から畑の中道を富士の塔の山道に向った、正面の高い畔の上が大畑だ、じいの畑は大畑の上段に現れる、畑には藁が積んであり、とたんが乗っていた、積んだ藁の向こう側でまだじいはもくもくと肥しを運んでいた、未だ終わらないのかと藁山越しに「せいが出ますね」と言っても返事がない、畑の端まで天秤棒を担いで行くと、畝の端に桶を下ろし、土手に腰を下ろし、汗を手ぬぐいで拭くと、またすぐ立ち上がり柄杓を桶に入れ、天秤棒に桶を掛けると反対の畔まで運んで又桶を下ろし、土手に腰を下ろし、汗を手でぬぐっていた、大畑の脇をじいの畑の先はもう富士の塔への山道だ、良く見ると、じいの畑の畝は一本だけで、夕日に照らされ、

畝の脇は黒く踏み固められていた。

じいは一心不乱だ。

藁山を横から見れるところまで来ると二列目が崩され、切り藁が山に成っているのが見え始めた所で足が止まった。藁山の中腹で何か動いている、よく見ると真っ白な尻尾を体ぐらい膨らませた狐が、藁の上に伏せ、爺のほうをゆうゆうと眺めていた。

後ずさりし藁山越しに狐を見ると、太い尻尾を右にパタンと振ると、じいはゆっくり立ち上がり、肥やし桶を天秤棒に掛け、右の畔まで運ぶ、左にパタンと振ると左に運ぶ。源さんは大畑まで戻り隅に有ったもの干し竿位の長い「はぜん棒」を持って、ゆっくり藁山のうしろから狐に近づいた、狐は平気で尻尾を振っている、じいに声をかけても逃げて行かなかったのだから、藁山の後ろなら気づかないのも不思議ではない・・・

狐も下のちのじいに夢中だ。

源さんは思いっきり棒を振りかぶり「びゅ」と狐を狙って振りおろした。

「びゅ」と「キャキュン・・」の声は同時だった

狐は三寸程跳ね、藁山から転げ落ち、回る様にあぜ道に跳ねた、雑木林の際まで小走りをし、お尻をこちらにむけ座った、茶色になった尻尾は細く、たたんだ後ろ足に巻きつけた、前足の横から後ろ足としっぽを長い顎で撫ぜて、歌舞伎の様に頭を振り、こちらに大見栄を切った、鼻筋と目には白い縁取りがあり、歌舞伎役者がそこにいた。たたんだ後ろ足を伸ばし、のけ反るようにのびをする、とあくびをし、白く長い髭が「フワッ」と膨らまし、反転するとするっと雑木の中に消えていった。叱られた子供が文句を言いながらそそくさと帰っていくようだった。

じいはその場で動かなくなっていた、源さんは大急ぎで引き返した、とくと作蔵を呼んで、運んだんだそうだ。

下のちからさっき帰って来たばかり、二度目の説明だから話は整理されて昔話のようだった。

母は何も驚いた様子もなく、その話を聞いていたが

「明日早いから寝ろ」と寝間に隠れた。

それから何日もじいを見ていなかった。

数週間後、水場で笹舟流しをしていた、水路沿いに下のちの横まで水場の水路がある

笹船を追っていくと、したのち(下の家)の縁側にじいがいた。

「きよこ世話になったな」とじいが話かけて来た「あのまま 助けてもらわなかったら死んでた」「源さんに宜しくせってくれ」

声には張りが無く、怒ってばかりの鬼じいの面影は無かった

復活は来春だった。

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