第6話 脛こすり
犀川の「小市の渡し」から深沢、小田切まで切り開く準備を進めていた、山間部では尾根に馬と人が通れる山道が有るのみである、平林には荷車が通れるお先の崖への
材木を運搬できる林道があった。権現沢は深沢まで断層が走っていて、沢も常に
暴れていたが、沢沿いに小田切まで車を通したかったのだ
今は道が有っても過疎の一途だが当時は車の走れる道路が山間部の生命線だ
金、人足が相当必要らしく、皇居から帰って来ると、何度も一日がかりで長野に出かけていた。犀川沿いに松本、長野を繋ぐ福島長野線の完成で、この後車社会がやってくる。長野に行った時は、夜遅くになると御先の崖に提灯の明かりがゆっくりこちらに向かってくる、半時もたてば、父の「帰ったぞ~」の声が聞こえてくる。
村の会合も毎週夜遅くまでやっていた、小田切集会所は小学校の敷地にあり作蔵も御茶の用意や、御酒のつまみを準備する為、毎回父と一緒に小学校まででかけていた。村は荷車の走る道路に御金、人足をかけるなら、自分の仕事を優先したいと大反対だったらしいが、きよこの父は「自動車無しには村は発展しない」「みな若者は長野市街に行ってしまうぞ」と説得していた。
その日は夕刻、作蔵を連れ、近隣の村長と小田切集会所に出かけていった。
きよこは菜種油の明かりで勝手の奥で夜更かしの本読みをしていた。父は作蔵に後片付けをまかせ帰って来た。「きよこ灯を消して早く寝なさい」と言って早々に寝間にいってしまった、父は酒を飲むとすぐに寝てしまう、普段はお酒は飲まない、酒は付き合いの道具だった。きよこの遊び道具は教科書だ、その後一時間程で明かりの油がきれ、土間の木戸が勢いよく「ガタン!」と開く音がした、いつもなら、作蔵は「ただいま」といっていつも会合の余りの食材や酒壺を、勝手場で片づけをするのだが、今夜は挨拶もせず、提灯も持たず、荷物も持たず、木戸も閉めず、土間の縁にしばらくへたりこんでいた
しばらくすると勝手で水を飲み、木戸を閉め内縁を渡り寝間に入っていった。
朝
「提灯はどうした!」 父が作蔵をしかっている声で目が覚めた
提灯は土間の木戸の脇に、三灯いつもかけて有るので、一つ足りないと直ぐに誰か出かけているのが解る、「会合の片づけはできたのか!」作蔵は何も言わずに父の前にうつむき、母も作蔵の後について立っていた、父は背が大きい方ではなく5尺半そこそこ 作蔵は6尺半、どう見ても父が叱られている様にしか見えなかった、作蔵は父に言いわけを始めた、作蔵は言いわけやごまかしをしたことが無いので父も少し怪訝な顔をしたが、作蔵は真面目に父に対していた。
作蔵は昨日の夜 集会所から帰る道のり、お宮の杉林の中を提灯を掲げて、参道を社殿に向かい登っていた、風呂敷、酒壺、残った御揚げを腰に付けていた
参道の石路の上に枯れた杉の葉が乗って、滑り易い山道が続いていた、石段に上げた足が滑り、手をついたとき提灯が消えてしまったらしい、立ち上がると「トン」と脛を押され、また登り道に倒れてしまったらしい、立ち上がるとまた「スルスル」とふくらはぎから脛に纏わりつくものが有り、参道にへばり付いてしまった、何度も立ち上がったが 何度も倒され 何が何だか解らないまま家にたどり着いたらしい、腰に付けた荷物は全部無くなっていた。
母は「すねこすりが出たな・・・」とこそっと言った
その朝 作蔵は提灯と酒壺だけ見つけて来た、風呂敷き包みは何処にもなかったようだ、月の無い夜、何も見えない山道・・・、それは恐ろしい体験だったに違いない
作蔵は父と一緒に家に帰る様になっていた。
後で母に聞くと貉が腰の油揚げを狙って作蔵と遊んだろうと言っていたが、父も一人で夜道を帰る事はなくなっていた。
貉は狸か狐か猪かはっきり判らない・・・・・・・
狐は油揚げが大好物の様だ
そんな父も私が4年生に上がる頃には軍隊が忙しく
年に2,3度帰って来るだけになった。
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