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2023年4月18日 01:35
他者が刺した刀をまた他の人が抜くのは一苦労すると聞いたことがありますが、お父さまが刺したそれを作蔵さんは難なく抜いてしまうとの事、作蔵さんも剣術か何か学んだ方だったのでしょうか。驚きです。
作者からの返信
川中島の合戦では地元武士が裏で戦っていた。小田切駿河守の旗下に、青木刑部・朝日右近・長嶺大蔵・久保寺大学・平林内蔵允・布施太左衛門らの勇士がいた。彼らは「小田切7騎」と呼ばれ、いずれの氏は地名である、朝日右近の朝日は旭山、久保寺、布施五明いずれも地名、この「平林内蔵允」の末裔が母の実家だった。叔父に聞いたところ、ほぼ実話。作蔵に苗字は無く小田切氏が葛山で亡くなってから400年後もあまり変わりの無い地元民の生活が信州の里山に有ったんですね。
他者が刺した刀をまた他の人が抜くのは一苦労すると聞いたことがありますが、お父さまが刺したそれを作蔵さんは難なく抜いてしまうとの事、作蔵さんも剣術か何か学んだ方だったのでしょうか。
驚きです。
作者からの返信
川中島の合戦では地元武士が裏で戦っていた。小田切駿河守の旗下に、青木刑部・朝日右近・長嶺大蔵・久保寺大学・平林内蔵允・布施太左衛門らの勇士がいた。彼らは「小田切7騎」と呼ばれ、いずれの氏は地名である、朝日右近の朝日は旭山、久保寺、布施五明いずれも地名、この「平林内蔵允」の末裔が母の実家だった。叔父に聞いたところ、ほぼ実話。作蔵に苗字は無く小田切氏が葛山で亡くなってから400年後もあまり変わりの無い地元民の生活が信州の里山に有ったんですね。