第2話 馬屋

 小学校に入るまできよこは毎日、母と馬と藁籠にいれられた妹や弟と一緒に

畑に出かけていた。

使用人は、陽が上がる前に出かけていた、きよこたちは田植え、稲刈りぐらいしか、善光寺平におりる事は無かった、馬屋は藁を敷き詰め、毎日敷替え畑の堆肥にする、この山間では牛馬が居ないと生活は出来ない。

馬は古墳時代よりずっと長野には居たらしい、平林から見下ろし川中島を挟んで向かいの山合いには大室古墳群が有る、大室古墳群は、およそ3世紀から5世紀ごろまで

寺尾から大室にいたる松代東側山地に作られた、総数約500基のお墓が有る、

高々数百年の間に古墳が500には理由が有る、此処には馬を牧畜し飼育できる民族が

住んでいたらしい、馬による財であれほどの古墳を作れたんだそうだ。


食事は皆揃って御膳で食べていた、白い米、味噌汁、つけもので時々しょっぱい魚

お腹に一杯の塩が詰まった烏賊、においのきついイノシシが御馳走だ、鳥が食べられる時は嬉しかったが、鳥の時は朝に首の無い鶏が軒下につるされる、夕刻には熱湯をかけて羽を毟る、それが生臭く匂いが土間一杯になった、きよこの藁部屋にも充満して、大人になってからは鶏が大っ嫌いになってしまった。もつには未だ卵になる前のだんだん小さくなる黄味がいくつも連なっていて、それが熱湯をかけた羽の匂いと同じ匂いだった。ネギとむかご、漬物と白い米が、いつも有ったのがなによりの救いだった。

尋常小学校は家から沢を下り、向かいの山を半時程登った山の上にありました。

学校へは遊びながら通っていた通学は唯一遊べる時間だった。帰りは畑の間の、抜け溝(雨で崩れた150mのがけの沢)を滑って帰ると10分程早く帰れた

弟は山道をゆっくり帰り、「遅い!」といつも母に叱られていた、冬で大雪の時は腰以上の雪を高学年の生徒が路作りをしてくれていた。綿入れ半纏のお古の袖を切って

頭巾を作り、手元に紐を移植した手袋が冬の必需品だ、秋には柿の落ち葉を煮出して手がふやける程つけると、あかぎれが出来ない。

小学校は新しい事ばかり、知らない村の友達がいっぱいできた、楽しかった、力仕事は作蔵がしてくれていた、学校に行くまでは、足が少し不自由だったとくと一緒に 飯炊き 馬の世話 土間掃除 鶏の餌やり、蚕の時期になると蚕の糞を集める仕事をしなくてはならない、きよこが少しでも遊んでいると 母は壊れた竹の四寸物差しで尻や頭をたたくので、いつも何処かが青あざになっていた。おおにい(弟)は頭の良い弟だった、読み書きそろばんは学校一だったのだが、反面要領が悪く正義感が強く母の物差しの最大の餌食だ、きよこには何より学校は母と一緒に居なくてすむので、幸せだった。

馬の面倒をみるうち馬屋の横にある藁部屋で冬も寝る様になっていた、布団は藁を芯にした敷布団と真綿の掛け布団だった、藁の上に数枚の畳表を敷き、掛け布団で十分温かく、冬の間は掛布団の上に秋に山上げした藁を乗せていた、夏は土間が一番涼しかった、きよこのベットは毎日高さが変わる。

毎日馬屋が一番安らげる場所だった。

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