妖怪がいた時代             1945-8.15 母聞録

じ~じ

第1話 平林

 世界が激動し、渦に巻き込まれ、巻き込みながら、日本のある時代が終息していく十数年間の話である。

ここでの主人公きよこは筆者の母親だ

生家は昔侍達が善光寺参りで宿泊したり、松代城下への前宿として糸魚川から武家や関西方面の要人が宿泊していた、いわいる本陣とか旅籠だった家だ。

小田切平林地区は 善光寺平の西 犀川から権現沢を沢沿いに数キロメートルほど入った富士の塔南斜面にあり、十数件の小さな村だ。

村上氏の家臣、小田切駿河守(小田切七騎)平林内蔵允はこの地名を名前に使っていた。今は過疎が進み、数軒の家と藪の中の土蔵が 山道脇にひっそり建っている

江戸以前、土手の無い犀川沿いには道がなく、こんな山合いに古道と言われる街道が有ったのだと言う、田んぼは山を下り、川中島の犀川を隔てた萱野原の間に、開墾した自家の田んぼが点在していた。善光寺地震で耕作地は四半分に成ったとは言え、春から秋の間は作小僧が数人いて、蚕、田んぼ、畑、山仕事をしていた。

村の道から母屋に登る左斜面に厠が有り、家の玄関と向い合っていた

坂を利用した厠の下には溜めが見える様に作ってあった。

土蔵の石垣の下には、沢から水が引かれ、生活用水、防火用水に使われていた四畳程の水場が作られていた、夏は近所の子供達と水浴びが出来る、母屋は木戸をくぐると土間が有り、左側に奥まで帯戸が続いている、帯戸に沿って広い内縁がついている

土間の右側には、奥から藁部屋、馬具農具置き場、手前には馬屋が有った、藁部屋のむかいは釜戸が有り、座敷 奥座敷、土間の奥の板の間が座敷につながっていて奥の板の間は勝手になっていた。奥座敷の先は畳の客間、客間からは中二階へ登れるようになっていた、中二階は客間を守る刀持ちが密んでいたらしい、今は物置きに使われ、暗く、真っ黒に煙でくすんだ萱ぶき屋根が、むき出しになっていた、階段箪笥の裏は抜け穴になっていて外に出る廊下が有った、板戸の先には奥の厠が有り、裏庭、沢沿いの山道に続いていた、武士たちが鬼無里方面に逃げ出せるようになっていた。

母屋の隣は元杉林だった。杉を切り、作蔵と源さんがつくった蚕室が有る、床は切り株をつかにし、蚕が措かれる棚の下だけ板が張ってあった、柱は杉の丸太、壁はトタンと半割の間伐杉で天井も無く、たる木にトタン板で屋根ができている、蚕籠と蚕網を両方から持てる様、通路が五本、蚕棚が竹で数段、広い蚕小屋だ。

父は妹が生まれた頃近衛で宮城に入り、覚えてる限り、正月とお盆位しか父を見ることはなかった。きよこ、にい(弟)、ちい(弟)、さと(妹)末っ子(弟)がいた

ばあちゃんはもう食べて寝るだけで、夏でも火の無いこたつから離れなかった

こたつ掛けをお皿代わりに使っては、母に叱られていた。

家族以外は使用人の作蔵と源さん、とくが居た、作蔵はもみ俵を前から後ろに、襷掛けして荷車に載せる程力持ちだ、作蔵は茶の間の端に寝間を作った、父の居ないときは源さんは奥の茶の間に寝、とく、弟、妹、ばあちゃん、母は奥座敷の裏の部屋に寝間が有った、きよこは別の寝間を作っていた。血の繋がった家族より使用人の方が大好きだった。


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