第3話 あるいは希望

雨が、テントの表面で跳ねる音が規則正しく聞こえていた。

「さてと」

大佐は俺の方を振り向き、一つ息をつく。

「状況を説明させてほしい」


パタパタ、と雨の滴る音がする。

心臓が痛いほどに脈を打っている。


「お前の家族についての話だがーーー」


大佐は俺の目を真っ直ぐに見据えている。逃げられない。聞きたくない。ああ、だってこうして、ここにふたりでいる時点で。



聞かずとも、分かってしまう。分かってしまった。


「遺体の身元の照合が先日終わった。…その結果だ。死亡者リストの中に、お前の姉とその夫の名前も入っている」


明瞭に、言葉が流れ込んでくる。

「ふたりの子供…お前の甥だな。リオ・ブレイディで間違いないか」

「はい」

こたえる声が聞こえる。


「彼に関してはバーネットの病院に入院中。火災からこっち、半年間、意識不明のままだそうだ」

大佐は淡々と続ける。


「…はい」


こたえる声が、聞こえる。


「他に身内はいないんだったか」

「はい、そうですね」

「そうか」

大佐の声が少し翳った。この人もこんな声を出すのか、とぼんやり思う。


ひとつ、深呼吸。

「…それで、俺の持ち場は?仕事に戻ります」


大佐は一瞬、目を見開いて俺を見上げた。が、すぐに溜息をついて続ける。

「…炊き出しの方に、回ってくれるか。そろそろ昼食だろう。人手がいる。三番テントの裏だ」

 哀れみか、同情か、両方か。どちらも彼女には似合わない。

彼女もそれはきっと自覚している。

そして、

どちらも俺は欲していないのだ。


きっと。


「分かりました。失礼します」

背を向けて、テントを出る。降りしきる雨の中に走り出す。雨が髪を、服を、頬を、静かに濡らしていく。




 友人が吐き出した煙草の煙が空へ昇っていくのを眺めていた。

朝から降り続いていた雨は止んでいる。

「ここはよく星が見えるな。…障害物もクソもねえからか」

空を見上げてノアは呟く。

「ぜーんぶ燃えてしまったからなあ」

リードベルグは田舎ではあるが、鉄道も通るそれなりに栄えた街だ。この区画は中心部から離れてはいるけれど、農耕地帯というわけでもないので、数ヶ月前なら、建物や、家々の灯に阻まれてこの景色は見えなかっただろう。

うしなわれたことで見えてくるものがある、とはよく聞く言葉だが、この場合それは当てはまるだろうか、と、何となく感傷的になる。


 「つーか」

「ん?」

「なんで俺は野郎と二人っきりで星とか眺めなきゃいけねえんだよ。お前ちょっと離れろ」

シッシッ、と手を振る仕草。

本当に無神経な奴だ。左脚を伸ばして奴の右脚を蹴る。

「ハァ?こっちのセリフじゃボケ。アホが。お前みたいな情緒もクソもない奴と並んで星見んのなんか、僕の方から願い下げじゃ。あーあー、どうせなら大佐と見たかったわ」


「呼んだか」


 背後から聞きなれた、凛とよく通る声がきこえた。背筋が伸びる。

「たっ…大佐…なんでこんな所におるんですか」

思わず声が裏返った。夜風に揺れる彼女の亜麻色の髪。

「たまたま通りかかっただけだが。なにか問題でもあったか」


むしろ大歓迎だ。

…とは思ったけれど、顔には出さないでおこう。

「なんや、暇なんですか?」

努めて普段通りにヘラヘラと笑いながら尋ねると、無言で睨みつけられた。彼女はノアに視線を移す。


「オルセンに奴の身内のことを伝えたんだが」

ノアは咥えていた煙草を足で踏みつけて火を消しつつ、彼女の方に向き直った。

「どうでしたか」


「特に何事も。すぐに仕事に戻っていったよ。腹が立つ…私は、奴を哀れんでしまっていた」


哀れんで「しまって」いたことに腹を立てる姿は、いかにも彼女らしい。



「そうですか」

ノアは俯く。彼は彼で、部下の反応に思うところがあるのだろう。


 例の部下、オルセン家の末裔。この軍内では旧時代の血だ、とそしられて来たのだろうが、そのそしりこそむしろ旧時代的だと、オルセンがまだ訓練生だった頃にノアがさんざん愚痴っていたのを覚えている。

 ため息をついた。

我が心優しき友人や、高潔なる上司は、セロ・オルセンという人間の人生を歪めてしまったのはこの国であり、軍であり、戦争なのだ、と考えているようだが、正直自分には、彼はただ子供なのだとしか思えないのだ。ごく普通の子供。未発達な子供だから躊躇いもなく、自分が生きるためだけに敵を討つ。

そして、彼は一方で、泣き喚いて助けを求めることを知らないのではないだろうか。変わらない表情に、傍目には、なにか悟ったような雰囲気を感じるのだ。

 …まあ、ただの妄想なのだけれど。

そんな子供が戦場に出るなんて、嫌な時代だ、とそこまで考えて、結局は自分も世間のせいにしているじゃないか、と苦笑する。


「おい、イオラス。何をボケッとしてる。眠いなら寝ろ。明日も早いぞ」

「嫌やなー大佐。僕やて考え事くらいするんですよ?というかこんなに星が綺麗やのに…もう寝るなんて勿体ない。…降るような星空!かつての理想を語り合うふたり!未来に向けて決意を固め…そして旅立っていく…」

「ここにいるのは三人だが」

「今度はなんの小説を読んだ?それとも映画か?つーかガキなのかてめぇは」

ノアは呆れ顔だ。

「お前みたいに精神が老けてないの。心は硝子の十代なんですー」

彼の方を向いて舌を出す。

「アラサーが何言ってんだ。心が硝子でできてるような奴がユーリエ大佐の部下でいられるかよ」

我が友人は声をひそめた。それは、うん、確かに。

「何か言ったか」

大佐がこちらを見た。

「いいえ何も」

ノアは真顔で答える。

彼女は、仕方の無い奴らだ、というようにゆるゆると首を振った。


「ミチダ。お前、ちゃんと、オルセンのことを見ていてやれよ…お前が連れて帰って来たんだろ」

静かな声が夜空に響く。彼女の声は、この季節の夜風に良く似合う。


「俺が救えなかった三十八人のぶんも、ですか」

ノアは俯いてこたえた。先程まで軽口を叩いていた声が翳っていく。

なるほど、内心かなりまいっていたのかもしれない。

「…あの時、俺の方についてきたのはセロを入れて四人だけだったんです。古参の奴らははじめから俺をあまり信用していなかった。一度目の交戦で二人、二度目で四人、三度目でひとり、四度目で3人…部下を、死なせてしまった」

唇を噛む横顔。


「結局、セロ以外の三人も。ひとりは崖から落ちて、二人目は五度目の交戦で負傷していて、傷口から感染症を起こしていた。最後は記録係のシャトー、最期までノートと鉛筆を離しませんでした」


ああ、そうだ。我が友人は、こういう人間だった。

奴の一番の目的は生きて帰ることで、仲間が死のうが何をしようが、自分ひとりは必ず生きて帰ってくる。その姿勢は非難の的になることも少なくはなく、けれど奴は非難を浴びるその度に、涼しい顔でかわしていく。そのくせ忘れない。死んでいった仲間のことを、彼らとした会話一つ一つを、忘れずに、すべて覚えていて。そしてその上を、前へ進んでいく。立ち止まることは許されないとでもいうように。


随分燃費の悪い生き方だなあ、と自分はそう思うのだが、まあ、奴らしいといえば奴らしいのだろう。


「こういう言い方をすると気に障るかもしれないが。今回の件に関してはやむを得なかったと思っている。…あまりにも多勢に無勢だ。明らかにお前らは、使い捨てだった」


その見解には同意しよう。敵の多少の足止めにでもなればいいと、その程度だったのだろうと思う。上層部の思想に従わないもの、身分が低く戦果も少ない古参兵、この国の異端者、そういう人間の寄せ集めだった。

上層部にとっては、死んでも構わない素材。使い捨ての小隊。…生贄。


「[[rb:上層部 > うえ]]が考えることはいつもそうだ」

大佐は舌打ちをする。

それを変えられない自分に苛立っているのだろう、この人は。ユーリエ家が名門だから、辛うじて自分は首の皮一枚繋がっていられるのだ、と昔、自嘲気味に話していた横顔を思い出した。


勇敢だ、と思う。


ノアも、大佐も。そしてきっと、あの子供も。

自分はそうではない。上手く動いている自覚はある。でもそれだけだ。

昨日はふざけて敬えよ、なんてノアにいったけれど、実際敬われることなんて何もない。


流れに逆らって進むその姿の、なんと勇敢であることか。


口笛を吹きながら自分は立ち上がる。

冷たい夜風が空を流れていく。

俯いた我が友人の背中を叩いて、我が親愛なる上司に笑いかけた。


「まあ、なんとかなりますって。だってまだ世界は、こんなに綺麗なんだから」




仕事を終えて、空を見上げる。ここは、こんなに星が見える場所だっただろうか、と考えて、障害物になっていた建物や家々の灯がなくなったのだということに気付く。

「セロ!」

呼ばれて振り返ると、懐かしい黄金色の髪が目に入った。

深い紫色の瞳。

「サラ」

「俺もいるぞ」

もうひとり、テントの陰から青年が顔を出す。隣の少女よりは幾分かくすんだ金色の髪に、髪の毛と同じ色の瞳。

「シンも。元気そうでよかった」

思わず笑みが漏れた。十二の春、訓練校で、初めて彼らにあった時のことをぼんやりと思い出す。

「なんでその台詞をあんたが言うのよ…」

サラは少し呆れたように言った。


「でもよかった。また会えて…セロだけ前線に配属されてさ、私達もどうにもできなくて。きっと、必ず帰ってくるよね、って二人で話してたの。ね」

「ああ、ほんとに。サラなんか心配して毎晩泣いててさ」

「はっ…はぁ?!泣いてないわよ別に!いい加減なこと言わないでよ」

「泣いてただろ」

「毎晩は泣いてません!」

「…あはは」

「ちょっともう!何笑ってんの!」

いや、と笑いを堪えながら答える。懐かしくて、あまりにも優しい。

「ちゃんと帰ってきたんだなあと思って」

サラはシンと顔を見合わせると、もう一度こちらを向いて微笑んだ。


「そうだよ、セロ。あんたは帰ってきたんだよ。おかえりなさい」

「おかえり」

少し照れくさそうに、シンも微笑む。

ただいま、と俺は小さく答えた。


「で、お前らはどうしてたの?」

サラが先に答えた。

「私は後方で戦闘支援。停戦のちょっと前くらいからはここに復興支援に呼ばれて」


「俺は衛生兵が足りないっていうんで衛生隊に呼ばれてさ。ここで、怪我人の手当とか…あとは…死体の身元特定、とか」


そこまで言って、シンの顔が曇る。サラも俯いた。少しためらって、彼女は口を開く。

「セロ、あの、お姉さんたちのことは」

「聞いたよ。今朝、ユーリエ教か…大佐から」

大丈夫、というように微笑む。


「無理、してない?」

サラは俺の顔を覗き込んだ。

無理をしていないといえばそれは嘘になる。

けれど。


「悲しむより、姉貴が好きだったこの街を、一日でも早く元に戻せたらいいなって、そう、思ってさ」


うん。この理由なら正しいだろう。

それをきいて、サラは微笑んだ。


そう、大丈夫だ、俺は。彼女に微笑み返す。



雪がようやく雨に変わりきったばかりのこの季節、夜の風はそれでもまだひどく冷たい。


「…そろそろ中に戻ろう、風邪でも引いたらまずいだろ」


シンはそう言って立ち上がる。そうだね、とサラも後に続いた。



俺は、再び空を見上げる。遮るものの、何もない空を。

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