第2話 帰還
「オルセンは術師の家系だろう」
窓の外に垂れる雫を眺めながら、昔から何度も聞いてきた台詞を思い出す。蔑みや、好奇や、憐れみや、それぞれ色々なものが込められたその台詞。
「不老不死」の「王」を信じ、崇めておきながら術師のことは蔑む。この国のかたちはゆがんではいるが、ぎりぎりのところでバランスは保たれている。文句は言う気もなかったし、そもそも言えるはずもなかった。
…ああ、バランス、というものについて、つい重く考えてしまうのは、術師の血のせいかもしれない。
膝の上に置いたノートに視線を戻す。作戦行動中の記録。記録係から預かったものだ。
A小隊の人数は約四十名。指揮官はミチダ少尉。最初の一ヶ月は特に敵と遭遇することもなく、その後三ヶ月で四度の交戦、死者十名。五度目の交戦中に通信が途絶える。その後、ミチダ少尉の言により方針を転換、交戦を避け森の中をラグラン方向に少しずつ戻る。
あの戦場で、彼は生きようと言った。
古参兵の多くは彼に従わず、戦場に残った。彼は、それを止めなかった。
後退が、結果として良いものだったのかは分からない。軍の方針に背いていることは確かだ。ただ、もし前進していたなら、俺や少尉すらも生き残ることはなく、小隊はきっと全滅していた。…このノートを、持ち帰る人間はいなくなっていた。
ノートを閉じて座席に置く。今朝は寝覚めが悪かった。眠気を堪えつつ、窓の外に目をやる。このぶんなら、リードベルグまではあと数十分というところだろうか。
目を閉じて、まぶたの裏に浮かぶ故郷の風景は、水に濡れた窓ガラスを通したように、どうにもぼやけて、焦点が定まらなかった。
*
目的地まで残り数十分という所で、後部座席の部下は眠ってしまったようだった。
あまり褒められた行為ではないが放っておく。昨日の今日だ。こいつの事だからあまり眠れなかったのだろう。
昨晩の検診では、フィジカル、メンタルともに基準値内で、だからこそこうして一緒に車に乗っているのだが。…まあ、その基準も平時より相当緩められてはいるようだし信用できるものでもないな、とため息をつく。
「しっかし普通なぁ 戦場から帰還したばっかの奴をいきなり復興支援に向かわせるって」
「とにかく人手が足りないんやわ」
ぼやいた声に運転席のハルマが応えた。
「今回は死人も多く出たもんやから。リードベルグも最近ようやく身元の照合が終わったくらいでな、西部の訓練校の学生とか、動ける住民も駆り出して大わらわなんよ。復興作業まで手が回っとらん」
…なるほど。あのまま戦闘が続いていたらと思うと肝が冷える。
「ったく… まあ今回に関してはうちの国の運が良かったというかあちらさんが悪かったというか」
「日頃の行いじゃー」
「別にラグランだって良くもねえだろうが」
「あは、そりゃまあ」
ハルマは軽く笑う。その顔だけは昔から変わらない。
座席に置いてあった記録係のノートを取り、広げる。パラパラと砂の粒が落ちた。雨に濡れたのかところどころ文字は滲んでいるが、大体は読める。
「つーかそれ、そのまま上に出せる内容なん?お前の立場的に」
彼はハンドルを握りつつ尋ねる。
「ちょっとまずいかもなあ…今代は特に。俺相性悪いんだよなぁ、死んででも殺せって思考の人だろ、あの方は」
「お前とは逆だわな」
「あー。また昇進が遠のいた」
ニヤリと笑って窓越しに空を仰ぐ。重たい雲から降る雨が、窓ガラスを濡らした。
せいぜいその程度だ。…除隊処分にはならないだろうし、それならばどうということはない。
国境の向こうでは、よく天気雨が降ったなあと、そんなことを思い出す。
「まーま、出世なら僕がお前の分もしといたるわ」
長い前髪をかきあげつつ奴は言った。余計なお世話だっつーの、と呟いて煙草に火をつけた。
後部座席の部下は、眠っている。
「…お前とこの子だけって、言ってたけど」
ハルマが唐突に口を開いた。不意をつかれて驚く。
「何が。生き残りがか」
「そう。…お前はわかるんよ。昔から運と生命力だけは人に負けんもんな。せやけど、この子が生き残った理由がわからん。…正確に言うと、この子が生き残って、ほかの奴らが死んだ理由が」
前を見つめたまま、彼は呟いた。
「そんなん俺にも分からねえよ。巡り合わせの問題だろ。…ああ、まあ、それと」
「それと?」
「四十人だ」
「…何が」
ハルマは訝しげにこちらを見た。もったいぶるな、とでも言いたげな視線を躱して言う。
「ふた月め。敵との交戦は二度。こいつがやった敵兵の数」
ハルマはすこし驚いたようだ。こちらに顔を向ける。
「…この子、いや、僕にはとても」
「そんなふうに見えない、ってか。つーか危ねえから前見て走れ」
まあそうだろう。俺がハルマの立場でも信じられないかもしれない。四十人。今代の総統なら三時間で片付けるだろうが、化物と比べても意味がないし、一般兵が退けた数としてはかなり多い。
「躊躇がないんだよ。殺さなければ自分が死ぬ。一瞬のためらいが命取りになることをよく分かってる。…ついこの間二十になったばっかのガキがな。」
煙草の煙を吐き出す。ハルマは大きく溜息をついた。
「西部出身やったか。そしたらメラニアにも?」
「出てる。訓練生の時に補助で一年、入隊したらいきなり村に突っ込まれたんだと。」
普通は迷うだろう。人を殺せ、と命じられて。たとえ十二の頃から訓練を積んでいようが、実地に出れば迷う。俺や、俺の友人達はそうだった。同じ人間に銃を向ける、ということへの一種の恐怖のようなものは、我々の心や身体に相当深く根をおろしている。
人間は、慣れる生き物だとはいうけれど、それなりの時間はかかるものだ。それに、慣れてしまうほど。恐怖を飼い慣らすことができるようになってしまうほど、この男の二十年の人生の中でこの三年間は、どれだけ多くのものを占めたのだろうか。
「やな時代やわほんまに」
そう言ってハルマはアクセルを強く踏み込んだ。
*
いつの間にか眠ってしまっていたようで、目を覚ました俺は、上司二人に平謝りすることになった。どれだけ神経が太いのか。疲れていたことも否定はできないけれど、家族の安否も分からないのに呑気に朝寝とは。というかそもそも任務中だろう。自分に嫌気がさした。
けれど、余計なことを考えなくて済んだのも事実だった。
「今回は見逃してやんよ」
ミチダ少尉は煙草を咥えたまま、いつものように笑う。
「よう寝る子は育つ言うしなあ」
中尉は相変わらずふにゃふにゃとした笑みを見せた。掴みどころのない人だ。
顔を上げて、辺りを見回す。軍のテントが建てられたその奥には、燃え残った建物の残骸がそのままになっている。瓦礫の山の中に、車両が通れる程度の道が申し訳程度に開いてあった。
ここが本当にリードベルグなのか。
ここにはなにがあっただろうか、と考えて、朧気にしか思い出せないことに愕然とする。
「んーとまあ、とりあえず支援物資運んで貰いたいんやけど…」
中尉の声で現実に引き戻される。
「イオラス。戻ったか」
女性がこちらに歩いて来た。短く切りそろえられた亜麻色の髪。
セレニア・ユーリエ大佐。西部訓練校に、度々指導に来ていたのを思い出す。
「あっ、大佐。お疲れ様です」
「あっ、じゃない。戻ってきたらすぐ報告しろと言っただろうが。」
「すみません」
尚もヘラヘラと笑う中尉を見て、気が抜けたように大佐はため息をついた。
「…まあいい」
彼女はこちらに向き直る。
「ノア・ミチダ少尉。セロ・オルセン一等兵。よく帰還した。セレニア・ユーリエだ。…まあ今更名乗ることもないだろうが。…そう畏まるな。挨拶はいい、時間のロスだ。リードベルグの復興作業は私が受け持っている。」
大佐はひといきに喋ると、一つ息をついた。
「ミチダはイオラスについて支援物資の運搬を頼む。…オルセンは、私と来るように」
「了解」
少尉が無言で俺の肩を叩いた。
雨は、まだ止まない。
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