第1話 雨、突然の
三月の、天気雨の降る午後だった。
帰ることが出来なかった友人のために、道の脇に咲いていた白い花を摘む。名前は知らないがラグランにもよく咲いている花だ。
根本に付着した泥を拭おうと伸ばした袖口にこびり付いた血が目に入って、手を止めた。花を握っていた手を離す。地面へと落ちていく白い花弁。
ぼんやりと頭に浮かぶのは、生き残ってしまった、という感情だった。一番死んでもいい存在だったはずの、俺が。
「そろそろ行こうか」
ミチダ少尉が立ち上がった。生き残ったのは、俺とこの人、二人だけだ。
「はい」
返事をして俺も立ち上がる。数日前に負傷した右足が少し痛んだ。…このくらい、大した怪我ではない。
「いいのかその花。摘んだんだろ」
地面に落ちた花弁に、少尉は目をとめた。
「死者のための花なら帰れば国がどっさり用意してるでしょうから」
目を伏せたまま俺は言う。
「国のため命を捧げた勇者たちに心からの敬意を!ってか。笑えるな」
彼はにやりと笑って歩き出した。俺もそれに続く。
道端に白い花が咲き並んでいる。風に吹かれて揺れている。…名前はなんだったろうか。
「いくら花を捧げたって死んだ奴らは帰って来ないのに」
小さく呟いた声は、前を行く上司の耳に届いたようだった。彼は少し投げやりな声音でこたえる。
「あのな、セロ。死者に手向ける花ってのは死者のためにあるもんじゃねえんだよ。遺された奴らのためにあんの。死者のために花を捧げるっつー行為そのもの。彼らになにかしてやってるっつー自負。それが気休めになるわけ。」
彼らしいといえば彼らしいような、そうでもないような。…先程の自分もそうだったんだろうか。自身の心を落ち着けようと、花を折っただろうか。
「まあ、にしてもお前さ。生き残ったことは素直に喜ぶべきだ。あの地獄みたいな場所から、生きて帰れること。これからも生きていけること。まったくもって最高だ!勝ったんだよ俺達は」
「停戦ですよ。停戦」
「バーカ、ラグランが勝ったって事じゃない。俺達が勝ったんだ。生き残ったことが勝ちなんだよ、俺にとってはな。まあ戦争の方だってあちらさんの国王が死んだんじゃ、勝ったも同然だろうけど。にしてもいいタイミングだったよな。あと二日遅かったら俺もお前も死んでたし、ラグランは負けてただろ。」
「まあ…それはそうかもしれませんけど」
きっと、世界には崩してはいけないバランスがあって、それが崩れそうになると、なにか見えない力のようなものが人間の動きを止めるようにはたらくのかもしれない、と、そんなことを考える。
「おっせーよ救助がよ」
愚痴を漏らす少尉に、車から降りてきた男性が答えた。
「ごめんなぁ、こっちも事後処理でよう手ェ回らんくて。」
手を合わせて、締りのない笑顔を見せる。随分と背が高い。
「にしてもノア、お前よう生きてたな。往く前のフラグの建てっぷりからして、さすがにもう今度こそ死んだんやないかとおもっとったし。…ていうか死ねばよかったのに」
「あ?なんだって」
少尉は男性を睨みつける。
「冗談じゃー、そう怒るなって。今まで途切れてた通信が繋がった言うから本部じゃ大騒ぎ。おどろいたのなんのって」
「あのな、ハルマ。フラグは折るもんなんだよ」
ハルマと呼ばれた男性は、出された少尉の手に煙草の箱をのせて笑った。
「まあ元気そうでなによりやわ。お前の小隊、ペイジー村の方まで行ってたのやろ?最前線も最前線でよくもまあ」
「生き残ったのは俺とこいつだけだよ。ほかは死んだ。死なせちまった。ああ、でも、もう少しお迎えが早かったら助かったかも」
少尉は煙草に火をつけた。煙が、空へのぼっていく。
ハルマさんはごめんなぁ、と呟いて俯く。少尉は、分かっていて、言っているのだ。救助の優先順位は限りなく低いだろうということ…俺だって予想がつく。末端の末端、俺達の部隊の仕事は、共倒れになってでも、一人でも多く敵を殺すことだったということ。それが今代の、この国の軍隊の方針であること。分かっていても、この人は言わずにはいられないのだ。
「それで少年、名前は?」
ハルマさんがこちらを振り向いて尋ねた。もう少年、という歳でもないのだが。童顔なのは前からで、実年齢より年少に見られるのには慣れていた。
「セロ…セロ=オルセンと申します。階級は一等兵。ミチダ少尉にはお世話になっております」
オルセン、という名を聞いて相手は眉をあげる。
「あぁほな君が。僕はハルマ。ハルマ=イオラス。階級は中尉。こいつとは訓練校の同期でな。腐れ縁ってやつやわ」
ぽん、と少尉の背を叩いて、彼は言った。
「ほんとにな…ってお前いつ昇進したんだよ」
「つい先日。敬えよミチダ」
と、ニヤニヤと笑う。少尉はため息をついた。仲がいいのだろう。
「あー、ところでハルマ中尉どの。この車は一体どこに向かってんだ」
「あれ、聞いてないんか」
驚いた顔で中尉は言う。
「当たり前だ。俺らがどこにいたと思ってる」
少尉は不機嫌な声を出した。
「あー、せやったせやった。いやな、メラニアの生き残りが西部の軍の火薬庫を襲撃したんは覚えてるやろ。あの混乱に乗じる形でシンアの方から宣戦布告が入って、今に至るわけやけども」
「ああ、あの…リードベルグだったか」
リードベルグ。俺の故郷だ。
あの日、故郷は燃えて、姉一家の安否も確認出来ないままに作戦は始まって、俺は敵地に放り込まれてしまった。
そのあとはもう、生きるのに精一杯で、彼らのことをあんじている暇も、彼らがどうしているのか知る術もなかった。
大丈夫、と自分に言い聞かせる。姉ならばきっと。
俺の家、オルセン家は、術師の家系だ。この世界が神秘に満ちていた頃の名残。血筋によって受け継がれる力。ただ、その血は長い年月を経て薄まってしまっているから、今では数代に一度突然変異的に力を持ったものが現れるくらいで、他は普通の人間とさほど変わらない。
そして、そう、俺の姉は、まさしくその「突然変異」だったのだ。
だから、姉のもつ力と、リードベルグの術脈を利用すれば、きっとどうにかなったはずなのだ。彼らは無事だ。手を固く握りしめる。
「そう、それでな、リードベルグの復興作業に派遣する人手が足りないんよ。戻ってきたばっかで悪いけど、検診して問題が無ければ明日の朝出発するから、今夜は西部基地で適当に休息とって準備しとけ、ってのが上からのお達し。」
「了解」
休む暇もない。いや、その方がいいのかもしれない。時間があると、考えてしまう。思い出してしまう。思い出したくもないことも。
冷たい鉄の感触。飛び散る赤の色。それで汚れた袖口と、もう動かない友達の前で揺れる白い花。
揺れる花は、燃える火に重なってゆく。故郷の風景、積み重なるのはかつて人だったもの。それが口を開いた。丸く空いた眼窩。
「セロ」
その声は、そうー
「姉ちゃん」
目を覚ますと、外は雨が降っていた。一気に上がった心拍数を抑えるように、胸に手を当てる。なんだ、今の夢は。
彼女はひとりじゃない。夫がいて…子供が生まれて喜んでいた。きっと俺の帰りを待っている。俺が生きていることを知れば喜ぶだろう。そうだ。あの土地は術脈が流れているのだから、姉にはそれが扱えるのだから大丈夫だと、昨日もそう思ったはずなのに。
大丈夫、だと。
「セロ、起きたか」
ノックの音と、少尉の声で、パニックを起こしかけていたことに気づいた。
「はい!起きてます!」
返事をしつつシャツに袖を通す。
あんなのはきっと、悪い夢だ。
悪い夢を、見ただけだ。
鏡の前で自分に言い聞かせる。
悪夢を追い払うように頬を手で打って、俺はドアを開けた。
二年ぶりに、故郷に帰るのだ。
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