第3話 枕もとの口ひげと公園の格闘士

第六章 リップル・カフェ

 

 駅の西側にあるリップル・カフェに我々3人と1匹はやってきた、でもアイツは他の人たちには見えないので、はた目にはこの高そうな毛並みの良い犬を抱いた上品なレディと無精ひげはやしたジャージの兄ちゃん(またはおっさん)はどう映るのだろうか。Rippleって確か波紋とか小波とかって意味だったよな、今ここで話した後に起こるのは、小波か、大波か、はたまた・・・。個室というわけでもないが、階段の下のちょっと他の席とは離れたテーブルが空いていたのはありがたい、話す内容と妙な鉛筆の筆記はあまり周りの人たちには知られない方がいいだろうからな。

 公園レディは慣れた感じで手提げバッグから小さなお菓子のパッケージを取り出して、中にある「おやつ」を掌の上に乗せてリリーちゃんに食べさせている。「豆乳クッキー」と印刷されているそのおやつのパッケージには犬のイラストもあるので、一目で犬用のおやつだとわかる。ふ~ん、今どきのいいとこのワンちゃん用にはこんなものも売られているわけか、自分にはまったく縁のない遠い世界を少し垣間見た気もするな。

「わたくしが何者か、ということをお話しする前に、さっきわたくしが申し上げたこと、お気にならなくって?」

「あ、はあ、コイツが疲れてるって・・・それは具体的にはどういうことなんでしょう?」

 豆乳クッキーを平らげたリリーちゃんは小皿に注いでもらったミルクをなめている、至れり尽くせりでいいご身分だな、こいつ。

「この子が気になるかしら、主人を亡くして子供もいないからこの子だけが今はわたくしの家族なの、ちょっと過保護にみえるかもしれないけど、ご容赦くださいね。」

「あ、いえいえ全然そんな・・・」

やっぱり考えてることは全部お見通しみたいだな・・・

「それで、あなたのお友達、どうやらとっても難しい状況に陥ってしまってるみたいなのね。人は亡くなるとね、そう、あなたがお友達から聞いた通りよ、わたくしたちのいるこの世から離れて別の霊達の世界、この世の人たちが霊界と呼んでるところに行くわけなの。人も動物も、、この子、リリーちゃんも死んだらみんな霊界に行くの。例外はないのよ。」

「でもコイツとか、未練を残して死んだ人とかは幽霊になってこの世に残るんじゃないんですか?」

「それは間違いね、あなたはこの世と霊界がどれくらい離れてるとお考えかしら?」

「どのくらいって、ちょっとやっぱり想像もつかないようなところ、その、よく言う異次元みたいな・・・」

「そう、確かにそのとおり、次元が違うのよ。この世の物理的法則とはまったく根本的に違う法則の空間なの、そういう意味ではとてつもなく遠いところにあるとも言えるわね。でも同時にこの世と霊界は重なって存在もしてるのよ。あなたは今これにちょうど近い体験をしてるじゃない、あなたとお友達は、今同じTシャツの中に一緒に存在してるわけでしょ? この世と霊界も同じように実は重なって一緒に存在してるのよ。」

「じゃあ、幽霊を見たとか取りつかれたとか、そういうのって全部同じ場所に存在してるように思えるけど実は・・・」

「そうゆうことよ、実は重なった2つの世界の間で、異常なエネルギーが発せられた時に見えちゃったり干渉しあっちゃったりしてる現象ってこと。もう一度言うけど、例外なく人や動物はこの世にしか存在できないし、霊も肉体が無くなったら霊界でしか存在できないのよ、なぜだかわかる?」

「えーと・・・」

 話の展開に徹夜明けの頭ではついて行けてない・・・

「これはとっても単純明快なこと、霊界には人の食べるものがなくて、この世には霊の栄養となるものがないからよ。一時的に肉体を持ったまま霊界に迷い込む人もたまにはいるみたいだけど、食べ物がなければ肉体を維持できないから当然長くとどまって生きられないのはわかるわよね。霊も同じ、この世で肉体があるときには肉体の持つエネルギーの一部をもらってるから存在できてるけど、肉体がなければ、わかるわね、同じよ、肉体が餓死するように霊も消えて無くなっちゃうってわけ、だから霊は例外なく霊界に行くの」

 例外なく霊界・・・シャレかな~とか感心してる場合じゃない。

「じゃあ、あの、霊媒師・・・たとえば恐山のイタコとか、霊に取りつかれたとかっていうのって、こういうのは全部ウソなんでしょうか?」

「ウソも確かに多いと思いますが、偶然何かのはずみで、あるいはそう、あなたが例にあげた恐山のイタコの人たちのように、訓練をして自分自身の中に現世と霊界の出入り口を開いて霊界の霊を呼び込む、そういうことはあります。イタコの方たちはよく訓練されてますので、イタコさんたちの体から先には出てこないように霊を留めて、要件が済んだら速やかに霊達を霊界に戻してあげてます。でも訓練してなくて、たまたま霊界の霊を呼び込んでしまった人たちの中で、運悪く悪質な霊を体に入れてしまった場合には、その悪霊に体を乗っ取られてしまうというケースも少なくありません。『コックリさん』とかもその一種で、霊界との通路を開けてしまうものなので、実はとても危険なことなのよ。霊界に帰りたくない悪霊を呼び入れてしまった場合には悪霊がその人の霊体を押さえ込んで体を乗っ取ってしまったとしても、それはある程度仕方がないと言えます、霊たちも生きるためにはそうせざるを得ないのですから。悪魔にとりつかれたとか、狐憑きとかいうのはそういうケースのことを言いますのよ。」

「あの、ボクはあなたがどういう立場の方かはまだわかりませんけど、いきなりこんな大事な秘密をボクに話しちゃって大丈夫なんですか?」

「え、秘密ってなに? 霊とか霊界のこと? オホホホホ! こんなもの秘密でもなんでもないでしょ? 証拠をお見せできなければだれも信じないわよね、こんな話。とはいっても、この世で誰にでもわかるような証拠を用意するなんてことはまず無理でしょ? あなたのような経験をなさった方にはご理解いただけるでしょうけれどね、あ、そうだわ、漫画にでもお描きになられたらいかがかしら。誰もそれが本当だと信じたりしない、でもありえそうで面白いものがウケる、それが漫画でしょ?」

 むうう、よくわかってるじゃないか、このレディ。現実離れしたことをどれだけ現実にありえそーに描くか、というのがある意味漫画の醍醐味だってことを。

「あ、ちょっと待ってください、じゃあ『コイツ』はどうなってんですか?」

さっきレディが言ってた、『コイツ』が疲れてるってこと、その意味がわずかながらわかってきた。

「すべての霊は『例外なく霊界に行く』っていいましたよね、じゃあコイツは? こいつもここにいるように感じますけど実は霊界にいるわけですか?」

「そこなのよ、それが問題なのよね。お友達の場合は『例外の霊』になっちゃってるみたいなのね、霊界に行けずにまだここに留まっちゃってるのよ、だから霊の栄養補給ができずにかなり疲れてきてるわけね。」

「そんな・・・コイツはどうしてその霊界に行けなくなってるんでしょうか、何回も生まれ変わりすぎたとか、これまでの転生の記憶がごちゃ混ぜになっちゃってることが原因なんでしょうか?」

「その逆よ、霊界に行けずにこんなところに留まってるから、霊体が十分な栄養補給をできていない、その結果、普段は整理されて収まってる長い長い転生の記憶が抑えきれずにあふれ出して混ざり合って、自分で自分が誰だかわからなくなってしまってるのよ。このお友達は特に多くの転生の経験がありすぎるから記憶の抑えがきかなくなっちゃって大変みたいなのね。」

「お・・・おい、アンタ、さっきから黙ってるけど、なんか心当たりないわけ? なんでアンタだけ霊界に行けないの?」

《いえ、それがノーアイデアだもんで、相談できそうな人を物色してて、やっとアナタが網にかかったっちゅうこっちゃ。》

「おいおい? また文章が微妙におかしくなってきたぞ、これもその、霊の疲れが原因ってことなのかな?」

「もう何日もこういう状態なんじゃないのかしら、今朝公園ではぐれちゃったのも気が遠くなったからでしょ? 危ないわね、早くなんとかして霊界に行かないと消滅しちゃうかもしれないわ」

「ど・・・どうしたら・・・何か方法はないんですか?」

「考えられる可能性がひとつあります・・・」

 レディはそこでなぜかちょっとため息をついたような気がした、同時にポメラニアンのリリーちゃんをなでなでする手も止まったので、リリーちゃんが鼻をレディの手にこすりつけて、なでなでのおねだりを始めた。レディがそれに応えて再びリリーちゃんをなでなでし始めながらとんでもないことを口にした。

「お友達の体はまだ生きてるんですわ・・・」

「まだ生きてる・・・?」

 Tシャツがあきらかに動揺してるのを感じる。

「恐らくこういうことだと思うの、仮死状態、あるいは植物人間状態になると肉体と霊の結びつきが弱まって、肉体から霊が離れてしまうのよ。そうなると厄介よね、肉体がまだ機能を停止していないから肉体のエネルギーが霊をこの世につなぎとめて霊界に行けないようにしてしまうわけ。霊能力者がこれを自分の意思で短期間だけ行うのがいわゆる『幽体離脱』と呼ばれるものね。」

「そうか! じゃあ植物状態になってるコイツの肉体を見つけて・・・あ・・・でどうすんのかな? え~・・・とどめを刺してあげるとか?」

 Tシャツが大きく揺さぶられた。

「お、落ち着け、落ち着け、冗談だよ、冗談!」

「そうね、肉体が見つけられれば、そこにお友達を連れて行ってあげて、肉体に再度入ってもらうことね、それで植物状態から解放されて生き返ればよし、もし残念ながら肉体のダメージが大きくて回復できなくって結局亡くなったとしても、亡くなった後は今度は普通に霊界に行けるはずよ。」

「よし! わかった! じゃあアンタになんとか思い出してもらって体のありかを探そう、早速・・・」

 あ、ここでボクの携帯に着信だ。そうだった、最終回のマンガの原稿、担当さんが取りに来る頃だった。

「ちょっとごめんなさい、電話がかかってきてるみたいなんで、ちょっとだけ、2,3分で戻りますから」


 カフェの外に出て着信に応答する。

「どーも、桐木です、今どこですか? 原稿はあがってますけど今アパートから3分くらいのところにいるんで・・・あれ・・・もしもし・・・もしもし・・・」

てっきり編集部の担当さんだと思って出たけど、、よく見ると番号非通知じゃん。

「あの、失礼しました、どちら様でしょう?」

【・・・・・・】

 間違い電話かな・・・

【あの方をお世話していただいて感謝する、世話をかける・・・ Pi 】

 低い男の声が聞こえて切れた。ただのイタズラ電話なのか、それとも・・・タイミングから察するとやっぱり『コイツ』の関係であることにほぼ間違いなさそうだけど、どうなんだろうか。Tシャツは・・・動きがない、というか、なんとなくだが、電話の声の主についてコイツも考えているみたいだ、もっともコイツには声は聞こえてないだろうけど。


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 カフェの中に戻ってまたびっくりだ! 彼女と犬が、レディとリリーちゃんがいつの間にか消えている。

「あ、あの、ここに座ってた・・・」

「お連れの方ですか? 先ほど反対側の入り口の方からお帰りになりました、お勘定は全て済まされて・・・」

 ウエイトレスさんの言葉の最後の方は聞こえてなかった。なんだかとんでもないことに巻き込まれてるんじゃないだろうか、でもなんでだ・・・なんでボクなんだよ・・・

 リップル・カフェで起こった波紋はもしかすると、とんでもない大波まで膨れ上がることになるのかもしれない。


第七章 アイドル親衛隊長を探せ


 アパートに戻って一気に5階まで駆けあがって、部屋の中に入るが早いかドアを閉めてカギをかけた。カーテンも全部閉めて、Tシャツを脱ぎ捨てる。アイツは、というと、上手にそのコットン100%のTシャツを脱ぐと、そのTシャツをバタバタさせてボクの作業机まで移動した。そこでTシャツを放棄して、いつもの2枚の葉っぱに持ち換えると部屋の中を飛び回り始めた。自分の力で移動するのにはTシャツはやはり重たいので、いつもの葉っぱくらいがやっぱりちょうど適しているみたいだな

 眠気は最高潮に達しているが、横になったとしても眠れっこないことはよくわかってるので、とりあえずやっぱりアレだ、バニラの香り入りの紅茶だ。あれだけ動揺しながらもカフェからの帰りにちゃんと紅茶のティーバッグを買ってから帰ってきた自分を褒めてやりたいとちょっと思ったりした。

 公園のレディからとんでもない情報をもらうことはできたのは良かったが、結局彼女が何者なのかは分からずじまいだったな。

 でも今もっと大きな問題は、あの電話だ。どこのだれかわからないが


【あの方をお世話していただいて感謝する、世話をかける・・・】


 これだけ、しかもなぜあのタイミングで、コイツの体を探し出そう、と言ってる最中に丁度かかってくるなんて・・・・

 ただ、なんていうのか、コイツと一緒にいるうちにやはりボクにも霊感がついてきてしまったのかもしれないが、あの電話の主からは悪い感情は感じられなかった。そうだ、コイツにも聞いてみよう。

「お~い、部屋の中なに改めて物色してんだよ、それよりちょっと聞きたいことがあるんだけど、こっちにこいよ~」

 作業机の上のスケッチブック、新しいページを開いてあげて葉っぱたちの到着を待つ間に紅茶を一口いただく、いつもと同じ味、ようやくちょっと落ち着いた気がする。

「さっきの電話だけど、アンタはもちろん聞こえなかっただろうけど、なんか感じた?」

《ウイ》

「フランス語か? フランスにも居たことがあるのかよ、何してたんだ?」

《あ、いえ、ワッチにフランスの記憶はござんせんが、ちょっとおしゃれに言いたい時もありんす》

「芸者遊び付き合ってる暇はない、それで、さっきの電話で『世話をかける』って言われたけど、アンタ何か感じたことはないの? っていうか、電話通して何か感じることができるかどうかってのmpわかんないけど・・・」

《もちろん声は聞こえないですが、ちょっと妙な感じを受けました、たぶん知ってる人物です。なんというか、ちょっと相応しい言葉が見つからなくて、どういいましょうか・・・》

 コイツも混乱してるのかな、そうだ、スケッチブックにボクもちょっとこれまでのことをまとめさせてもらうか。

「ちょっとスケッチブック借りるよ。」

《いいだろう、許す。》

 いつからオマエの所有物になったんだ、このスケッチブックはもともとはボクの物だろぉ、まあこの際いいけど。


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今日知り合った人たちを並べてみると、


(1) 公園のレディ

(2) 宅急便ガール

(3) ボクのファンのイケメン2人組

(4) 自転車の美少女

(5) 電話の男


 さて、これがどういう因果関係なんだろうな、まあ(4)自転車の美少女は何の関係もないと思うけど。ん、鉛筆が持ち上がったぞ、

「お、何か気づいたのか?」

《はい、ちょっと・・・柿咥えてもいいですか?》

「いいよいいよ、好きに書き加えてくれ。」

どんなことに気が付いたのか、普段ぼけてても大事なところはきっちり抑えることができる奴みたいだからな、『コイツ』は。


(1) 公園のレディ

(2) 宅急便スーパープリティーキュートカワイイモエモエガール

(3) ボクのファンを装って近づいてきたイケメン2人組

(4) 自転車の美少女


 こ・・・この野郎! 葉っぱを窓から投げ捨ててやろうか! という衝動をかろうじて抑えられたのは最後のこれを見たからだった。


(5) 電話の男(ワシを守ってくれる家来)


 若干の勘違いした表現はあるかもしれないが、コイツは決してウソは書かないやつだ。暗闇の中でアガいてたボクたちに初めて見えた光明のように感じられる。

「あのさあ、一応聞くけど、この(5)の電話してきた男の人だけど、どんな人なの? 強いの?」

《昔は強かった、ような気がする。でも今はどうだかノーアイデア。》

やっぱり、あんまり細かいことは聞くだけ無駄か・・・

《でも絶対に、何があってもこの男だけはワシらの味方じゃ、安心せい。》

しゃーない、もうここまできたらやるしかないだろぉ、探すぞ、コイツの体!


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「もう1回思い出してみてくれよ、アンタが今の状態になる前にどこにいたのか。そうだ、それが難しければなんでもいい、アンタの情報ならなんでも、例えば、名前、家族、出身地、勤務先・・・」

 反応なし・・・

「好きな食べ物、行きつけのレストラン、恋人の名前、愛車、ペット・・・」

 反応なし・・・

「初恋の人、好きな映画、好きなアイドル・・・」

 ピクっと鉛筆が動いた!? まさか・・・いや、そういえば、やたらとアイドル顔の宅急便ガールにご執心だったようだけど、う~ん、でも好きなアイドルがわかったからってそれが何の役に立つのか、って・・・えっ!!? ええ~~~っ! ってまさか! マジで!!!


《元木結衣花ファンクラブ会員番号000007 親衛隊初代隊長》

 すげーっ! こんなんありか! もし本当だとしたら、ここまで一途に思い続けられるそのピュアなハートは尊敬にも値するぞ!!!

《なぜだかわからんが、今一瞬昔に戻ってた気がする、結衣花ちゃんと共に柔術してたあああああああっ》

「うん、いいボケだ!『柔術』じゃなくてたぶん『充実』だろ! アイドルと柔術してどうすんだよ。」

 急いでパソコンの電源を入れた。遅い遅い、立ち上がるのがこれほど待ち遠しいと思ったことはなかった。


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 まさかこんな風に急展開で進んじゃうとは、それもこれも、今は引退してしまったけど30年くらい前のトップアイドルのおかげだった。意外にも「元木結衣花」「親衛隊」「隊長」これだけのキーワードで「スーパーアイドル元木結衣花・親衛隊歴代隊長」なんていうホームページが今も残っているとは夢にも思わなかった。

 さらに、そのリストに載っていた初代隊長の名前、「三田村弘道」でググってみたら、なんと出てきたのが、


 「北陽大学 生物学部教授 三田村弘道」


 おいおい、生物学部って、目を疑った。こりゃもう間違いない。

「ねえ、アンタ、三田村弘道教授ってうのかい? やっぱり生物学の教授だったんじゃないか。凄いじゃない。」

《う~ん、すんまへん、そう言われたかて、わてにはようわかりまへんなぁ。》

 どうも名前聞いただけではまだダメなようだ。この後は直接大学に問い合わせて教授のことを聞くしかなさそうだ。

 漫画の最終回原稿も無事少年ジャンボ編集部に渡すことができたから、もうこれでしばらくはボクも暇だ。連載終了の最後の原稿なんだから、何かやはりねぎらいの言葉とか、やっぱりちょっとは期待はしてたんだけど、「はい、どうもお疲れ様でした~」の一言だけだった。まあ世の中こんなもんだ。あ、そうだ、三田村教授にほぼ間違いないとわかった以上は、もうコイツとかアイツとか呼ぶのはやめないとな、代わりになんて呼ぼうか・・・そうか、普通に三田村教授でいいんだよな、たぶん。

 ああ、いつの間にか夜になったし、睡眠不足も限界に来てるのでちょっと寝ることにしよう。でもぐっすりと眠るには無理がありそうかな。それほど今日はいろんなことが起こりすぎだったからなぁ。

 とりあえずパジャマ代わりにいつも着ているTシャツと短パンに着替えて、シングルベッドに横になる。不安やら期待やらがベッドに入ってからも頭の中をぐるぐる回っていたが、恐らく普段の半分以下に働きが鈍くなっている頭で、原点に戻って何でこんなことになったのかということをちょっと考えてみた。

 3日前にたまたま画材屋に鉛筆を買いに行って、エレベータなしの安アパートの5階にたまたま済んでいて、微妙な条件が重なってできたおかしな縁で知り合ったコイツ・・・じゃなかった、三田村教授をなんとか無事に彼がいるべきところに返してあげたいという強い気持ちに今は動かされてるわけだよな、意外にボクもいいとこあるよな、な~んて誰も言ってくれないから、こうやって自分で自分を褒めてたりして。

 あ、そうだ、

「え~と、教授・・・三田村教授、アンタは寝たりはしないの?」

 そうだった、再び鉛筆が持ち上がって何か書いているけど、このベッドの上からでは見えないんで、結局ボクももう一度起きて机のスケッチブックのところまで行かないといけないんだった。

《今ワタシには肉体がないので、肉体を休めるための睡眠という行為は必要ないようですが、時々ほんの一瞬ながら気が遠くなることはあります。恐らくそれは、あくまでワタシの推測ではありますが、睡眠中に脳が記憶の整理を行うのと同じようなことを肉体を無くした霊もおこなっているのではないかと考えられます。それ以外の時はワタシの意識は常にはっきりとしています。》

 さすが生物学の教授、こういう話になるとどんな状態でもきっちりと学術的に締めなければ気が済まないようだ。

「そうか、じゃあボクは失礼してしばらく眠らせてもらうね、また明日、おやすみ。」

 まあとにかく一眠りして、明日の朝早くに出発して大学へ乗り込むとしよう・・・


第八章 枕もとの口髭と公園の格闘王


 前の日にあれだけとんでもない経験をして、かなり物事には動じないようになったと思ってたんだけど、次の日の朝が、まさかまたこんな始まり方をするとは・・・


 2晩徹夜の後とあって、けっこうぐっすりと眠れたような気もするし、横になってからも頭の中が整理しきれなくて深くは眠れなかったような気もするなあ、あれ、変だな、バニラの香りがする、まだ今朝は紅茶を入れてないのに・・・え~と、何時だろう今は、時計はウチにはないから携帯を探して頭の上を見ると・・・え・・・? 手入れの良さそうな口髭を生やした見知らぬ男の顔とボクのマグカップが!!!

「どうも、お初にお目にかかる、この紅茶変わってござるな、バニラの香りがする紅茶とは、拙者初めて頂き申した、なかなかおいしいですなぁ、あ、そうだ、貴殿にも一杯いれてさしあげようか?」

「あ・・・な・・・」

 にこやかに自然に挨拶されてしまって、驚くとか怒るとか、そういうタイミングを見事に外されてしまった。おっと、ワンテンポ遅れたが、明らかにこれは不法侵入なわけだから、まずは咎めなければ! 疲れでちょっと節々が痛くなってる体をゆっくり起こしながら、

「ちょ・・・ちょっと、なんですか、あんた・・・」

 言いかけて再び固まった。ボクの寝ていたシングルベッドの横に、男がもう一人、手足をきつく縛られて、顔がミイラ男のような状態で転がっていた。テレビや映画なんかだと口や目にはガムテープを貼るところだろうが、どうやら持ち合わせがなかったようで、ボクの商売道具のマスキングテープを使いやがったなぁ、あ、そうか、マスキング用で粘着力がやさしかったために頭を何回も巻いた結果がこのミイラ男か・・・鼻の所には息ができるように切込みが入ってる、たぶんこれもボクのデザインカッターを使ったわけか・・・まあ息はできてるんだろうけど、実に哀れさを感じる。

 再びボクのマグカップを持ってくつろいでいる口髭男の方を見た。にこやかに微笑んではいるものの、なんというか眼光がただものではないことが伺える。教授・・・三田村教授はどこにいるんだろう、無事なんだろうか? この「ミイラ男もどき」のこともあわせて、ボクは今何をどうしたらいいんだろうか???

 「心配ご無用、もう危険は去り申した。それにしても冷蔵庫の中にあんまりいい物がござらんな、牛乳も賞味期限とっくに過ぎておるようですし・・・」

 なんでボクの部屋に勝手に入って来る奴らはどいつもこいつも牛乳の賞味期限を気にするのかわからないが、今最も大事なことは、この眼光鋭い口髭男とこのまま話をすべきか、それとも逃げるべきか、そして、おそらくこの思考も読まれているという可能性が高い以上、判断は一瞬でしなければならない。そう、その一瞬で、まさかこのボクにこんな判断と行動ができるなんて自分でもはっきり言って驚いた。

 口髭男の目がさらに鋭さを増したのが見えた、やはりボクの考えがわかるようだ、

「お待ちあれ!」

 そう叫ぶ口髭男が動くよりも先に、後先考えず動いたのは正解だ、普通に逃げて彼から逃げおおせるとは到底思えない、彼が部屋の入り口を背にしているので、最初から入り口から逃げるという選択肢は捨てていた、ボクが動いたのはその反対側、ボクの後ろにある窓だった。さすがにここから逃げることはありえないと彼も思っていたのだろう。そう、ここはアパートの5階だ。いつも寝る時には窓を開け放っていたのも幸いだった、その空いている窓から迷いなく飛び出したボクを見て、

「あっ!」

 と叫ぶ口髭。だが実はこの窓の下約3メートルのところには隣の雑居ビルの屋上があり、さらにそのビルの造りも非常階段も古いタイプなんで、屋上にドアとか鍵とかもついていないから、あとはひたすら駆け下りれば外へ逃げることができるわけだ。ここでまたもう一つの幸運は、最近はちょっと運動不足であるのは否めないが、中学・高校と器械体操部だったボクなので、3メートルくらい飛び降りて着地するくらいのことはわけのないことだった。

 1階までたどり着くと同時に50メートルほど駅とは反対側に走り、不動産屋の角を曲がって一息つく。その後、不動産屋の看板の陰から様子を窺うが、どうやら追ってきている気配はない。やはり彼にとっての一番の標的(ターゲット)はボクではなく三田村教授の霊の方なんだ。教授を置いて一人逃げてきたことに罪悪感を感じないわけではないが、たとえボクが変な正義感出してあのまま留まっていても何かできるというわけでもない。

 あの口髭男、そして床に転がるミイラ男もどき・・・あきらかに何か2つ以上の勢力が三田村教授の霊をめぐって争っているのは明らかだ。この場合、口髭が味方であれば、あそこで三田村教授の霊を守ってくれてるだろうからなにも問題ない、でも彼が敵だった場合のことを考えると、ボクにできることはただ一つ、ここはイチかバチか、100%味方だと確証があるわけではないが、あの公園のレディを探し出してこの状況を知ってもらう、というのが今考えられる限り最善の策だろう! というのがボクのたどり着いた答えだった。

 でも脱出することだけに夢中で、携帯も財布も持たずに、しかも裸足で来てしまってるのはちょっとイタいな。携帯もないので正確な時間はわからないが、まだ日が昇っていないながらもさっき新聞配達の兄ちゃんを見たので、おそらくは4時半か5時ころってところか。こんな時間にこんな服装と裸足で駅とかコンビニに行ったら不審者と思われて警察呼ばれそうだ・・・あ、いや、待てよ、いっそ警察呼んでもらった方がいいかもしれないな~ う~ん、でも三田村教授の霊とか部屋に転がるミイラもどきの説明ができないと、ボクが誘拐&監禁犯とかにされるかもしれないしな・・・やっぱ警察はダメだな・・・

 というわけで、結局はここに来るしかなかったんだよな。薄暗い公園ってのはやっぱり不気味で怖かったりするもんだなぁ。でもまあしょうがない、ここでベンチに腰かけて明るくなるのを待ってあのレディの手がかりになるものを探すとしよう。


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 それから20分くらい経っただろうか、東の方がちょっと明るくなってきたように思われたころに、足音が聞こえて来た

「桐木・・・先生・・・桐木先生じゃありませんか?」

「え・・・あっ・・・」

 あたりがパッと明るくなったような錯覚にも陥りそうな美貌を持つ美少年、ボクのファンだと言っていたあの美少年2人組の一人、ジャニーズのタッキーの若い頃によく似てる方の子だ、彼がこちらに向かって歩いてくる。

「あ・・・あの・・・どうされたんです? こんな時間にそんな・・・あの・・・ちょっとユニークなファッションというか、なんというか・・・」

 う~ん、明らかにこのおかしな格好したおっさんに言葉を選んで聞いてくれるあたり、やはりいい子だ。容姿と同様に今どき珍しいキレイな心を持つ少年なんじゃないか・・・

「もしかして奥さんと喧嘩して・・・あ、結婚とかまだですか? そうか、もしかすると新しい漫画のアイデア考えるための気分転換・・・とか・・・ですか・・・?」

「う・・・うん・・・まあそんなところだね・・・いや、ところでキミこそどうしたの、こんな時間に?」

「僕はいつもと同じです。毎朝新聞配達のアルバイトしてて、これから家に帰ってご飯食べて着替えて学校です。ボクの家、両親が離婚しちゃってお母さんと僕と妹の3人暮らしなんで僕もアルバイトしないと生活苦しいんですよ、あはは・・・」

 うわっ、こんな逆境にもめげずに、でもこんな爽やかな、ぜひとも一生懸命勉強してもらって将来は立派な仕事について欲しいよなあ・・・

「桐木先生、よかったら・・・どうですか、これから僕の家で朝ごはんとか、一緒にいかがでしょうか? もしご迷惑でなかったらですけど・・・」

 それもいいかもしれないな、ここにこうしていても、またおかしな連中に狙われるかもしれないから、日が昇るまでお邪魔するのもいいかも・・・いや待て、でもそうだった、彼を本当に信じていいものか・・・とかまだ迷っていたのだが、彼の次の一言でボクも心が決まった。

「桐木先生が・・・漫画家の先生が家に来て下さったら母も妹も大喜びして元気になると思いますから、ね、どうですか、先生?」

「いやいや、そんな風に言われちゃうと恥ずかしいけど、お母さんや妹さんが喜んでくれるなら、ちょっとだけお邪魔させてもらおうかな」

 そう言ってベンチから立ち上がって、久しぶりに家庭の味の朝ごはん、何年ぶりだろうか、とか想像して少しうれしくなった。

「たいした朝ごはんじゃないですけど、たぶん卵焼きか納豆と母の味噌汁、そんなもんですけど。」

「いやいや、実はもうずっと長いこと普通の人間らしい朝ごはんなんて食べてなかった気がして・・・え・・・」

 突然タッキーの表情が鋭く変化した。彼の見る方向に目をやると、大柄な、身長180センチをたぶん超えてる、服の上からでもはっきり見て取れる筋骨隆々とはまさにこれ、という感じの男が歩いてくる。この体格で、かつ、けっこうなスピードだと思うんだけど足音はまったく聞こえない。そしてまた特筆すべきは彼の顔、明らかに日本人ではないギリシャの彫刻のような彫りの深さに金髪碧眼、それがこんな時間にこんな場所に来る、というのは一般市民ではありえない。

「桐木先生・・・気を付けてください、怖い人が来ます。」

 さっきまでの朗らかな美少年から、なんというか、これは、寒い・・・このまま一緒に居たら凍り付きそうな寒さ、冷気のようなものを感じる。

「大丈夫です、ご安心ください。先生を驚かせないようにと配慮して黙ってましたが、僕は実は先生をお守(まも)りするために来た者なんです。先生はあの特別な霊と関わったことで霊界の悪いグループから狙われるようになってしまいました。でも安心してください、僕があの怖い人を倒して先生を必ず守りますから、少し離れていてください。」

 ど、どういうことなんだか、わけがわからんが、いずれにしてもボクにできることは今のところ何もないしどこにも行けないんで、ここでおとなしく見ているしかないわけだ。

 ボクたちに向かって来ていた大柄の西洋人はボクと美少年の5メートルくらい手前でピタリと止まった。このマッチョの外人さん、日本語はできるのかな~とか考えてたら、流暢な日本語で、

「桐木さん、私はその者の様に言葉巧みではありません、でもあなたにはわかるはずですね・・・」

 あ・・・この声、どこかで・・・あ、そうだ! 昨日リップルカフェに居る時にかかってきた、あの電話!

『世話をかける・・・』

 あの声! 間違いない! そしてその声の主こそは三田村教授の霊がボクに伝えた唯一絶対の希望、

『絶対に、何があってもこの男だけはワシらの味方じゃ、安心せい』

 それがこの人・・・まさか外国人でこんな・・・なんていうか、もう見るからに格闘王みたいな人だったとは!

 美少年がボクをチラッと見た・・・わかるぞ・・・ボクの心を読んだんだ。

「どうやらバレたようですね、そうです、本当は僕は【あの霊】・・・今のこの世では三田村弘道教授という男の霊を捉えるために来ました。そして桐木先生、どうやらあなたも・・・このマッチョマンを倒した後で力ずくでお連れすることになっちゃったようですね・・・」

 と、言葉が終わらないうちに美少年がマッチョマンめがけて飛んだ。実際には走ったのだろうが、飛んだとしか見えないほどの速さだった。

「桐木さん、もう少し下がっていた方がいい、思ったより手ごわそうだ。」

 え・・・ええっ! 何っ? いつの間に!!! ボクの隣にギリシャ彫刻が! ボクシングのファイティングポーズに似てるが、ちょっと腕の出し方が微妙に異なる構えで立っている。これは確か、フットワークを重視する近代ボクシングに対して足を止めて打ち合う古代のボクシングの構え方では・・・? そして一方の美少年は、さっきこの彫刻さんがいた場所に腰を低く落としたレスリングのスタイルで構えている・・・全然見えなかった! 一瞬で交錯して位置を変わってた!?  あ、美少年の頬に赤い跡が見える・・・と思ったら、それが段々と青い痣に変化していってる・・・このマッチョマンのパンチか何かが当たったのかな、それにしても普通はダメージを受けて赤く腫れたところが青い痣になるまでには、しばらく時間がかかると思うんだけど・・・ええっ! と思ってたら今度は青痣がだんだん薄れて・・・消えた・・・なんだこれ???

 それを静かに見ていたギリシャ彫刻が低い声でつぶやく、

「なるほど、闇の力で罪悪感など心の制御を外されると同時に、体を労わり守るためのリミッターも外された哀れな操り人形ということか。普通の人間の10倍? 20倍? いやもっとかもな・・・ 異常な身体能力を引き出されておるようだが、その驚異的な治癒力もそのせいか・・・だが、わかっているのか、所詮は不自然に体を酷使するまがい物の力、その分だけ体も疲弊して早死にするぞ。」

「フフン、さすがは【アイツ】を守るために遣わされてるだけある、凄まじい速さと威力のパンチだ、まともにくらったら一発でお陀仏だったよ。しかし後悔するがいい、さっきのでパンチで僕を完全に仕留めるべきだったな。僕は桐木先生の部屋でサムライに不覚を取った相棒とは一味違うぞ。オマエが打撃系の戦士だということがはっきりした以上、僕はそれに応じた戦い方でオマエを確実に仕留めることができる。」

 あ、ってことはボクの部屋の『ミイラ男もどき』がもう一人の美少年だったということか・・・それも驚きだが、このタッキー似の美少年の言ってる内容と、かわいい顔と声のギャップがまたなんとも魅力的で・・・いかんいかん、めまいがしそうなくらいにヤバい。

 次の攻撃も、先に仕掛けたのはやはり身軽な美少年の方だった。さっきも凄いスピードだったが、それをさらにまた上回るようなスピードで突っ込む美少年にギリシャ彫刻男がこれもまた当たったらどんな岩でも砕くようなカウンターパンチを放つが、美少年はそれを鮮やかに体を回転させてかわしながら一瞬で背後に回り込んで彫刻をフルネルソン! 羽交い絞めに固めて後ろに投げる構え、これはドラゴンスープレックスだ! しかしギリシャ彫刻の素早い反応と体格から無理と判断したのか、その体制からこれまたありえない跳躍力で垂直に飛び上がり肩車? いや、いつの間にかギリシャ彫刻の左腕を捉えて真直ぐ上に伸ばして両手で固定、そして両足で首を絞めつける・・・これは! 締め技の中でも最も高度と言われる三角締めじゃないか! しかもそれを直立状態の相手に決めるなんて初めて見た! しかしギリシャ彫刻は三角締めで絞められながらも足に根が張ったかのように直立したまま少しもフラついたりしてない、どっちも凄い!

 さすがに美少年の顔にも焦りの色が見えた、と、その瞬間、空いている彫刻男の右腕が、いや右人差し指が美少年の脇腹に吸い込まれるように入った、

「ウグッ!」

 と美少年の苦しそうな呻きが聞こえると同時に、ギリシャ彫刻男は、肩と肘の関節を限界まで伸ばされてて動かせるはずのない左腕で美少年を頭から地面に叩きつける! それをまたありえない反射神経で美少年はギリシャ彫刻の股の下に頭を突っ込むように体を丸めたので、さすがの彫像男も自分のパワーで自分が投げられた形になり、前のめりに転がった。

 世界最高レベルをさらに超えるほどの高度な技の応酬が、まさかこんな明け方の人気のない公園で繰り広げられていると誰が想像するだろうか。こんなスゴイものを間近で見られるなんて、ボクのような格闘オタクにとってはもう涙が出るほどの感激だ、自分がなんとなく危ない立場にいて、ここは逃げた方がいいのかも、と考えることも忘れてただただその勝負を見つめていた。

 これは長期戦もありえるか、と思っていたら、意外にも勝負はあっさりついた、というか既についていた。静かに立ち上がったギリシャ彫刻男とは対照的に、美少年は地面でのたうち回っている、どうも立てないようなんだけど、動きがタコのようでちょっと気味が悪くも感じるが、何が起こったのか、と、よく見なおしてみて驚いた! 両肩・両ひざの関節がはずされてる! まさかそんな! 2人が地面にもつれ合って転がったほんのわずかな間にこれをやったということなのか!?

「くそっ! あ、ありえない! あれほどのパンチを持ちながら本質は打撃系ではなく組技系だなんて! インターハイで入賞して『レスリングの貴公子』と呼ばれたこの僕が・・・しかも今の僕は【あの方】のエネルギーを分けてもらって少なく見積もっても10倍以上にパワーアップがされているはずなのに、そのボクが寝技で完敗、しかもこんな・・・こんなみじめな・・・」

 顔がきれいなだけにタコの様にうごめく姿がなんとも痛々しく違和感を感じるなあ、あれ、まてよ、こんなに関節はずされまくってるっていうのに、痛みを感じてるようにはまったく見えない、痛くないはずはないよなぁ・・・

 そのボクの考えを読んだからか、ギリシャ彫刻さんがつぶやく、

「あわれな若者よ・・・だがこれも何といったかな日本語では・・・そうだ、『自業自得』だったかな。欲に目がくらんで闇の力と契約した時点で恐れや罪悪感などの感情も無くし、眠っている力を解放されるとともに痛覚も無くして痛みすら感じられない・・・残念だがもはや人とは呼べぬ生き物に成り下がったお前たちに手加減はなしだ、この世と霊界をお前たちの好き勝手にさせるわけにはいかぬのでな。」

 ギリシャ彫刻さん、恐ろしいことを淡々と言ってるけど、美少年を見下ろす彼の眼は哀れみに満ちているようにボクには感じられる・・・それに、もし本当に「手加減なし」ならばご丁寧に一つずつ関節をはずすよりも、手足をへし折るとか息の根を止めるとかの方がこのギリシャ彫刻さんには手っ取り早かったはずじゃないのかな・・・

 いつの間にかギリシャ彫刻さんの目がボクの方を見ていた、やっぱりこの人もボクの心の中が読めてるんだな・・・


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「私のことを信じていただけたようで嬉しく思います、桐木さん。」

「あ、いや、三田村教授の霊がさぁ、他の人たちのことは何にもわからないくせに、なぜかあなたのことだけは『守ってくれる家来』とか『何があっても味方』とか自信もって言って・・・いや、書いてたんで・・・」

 あれ・・・マジ・・・ちょっと、マジで泣いちゃってる・・・?

 よほどの信頼関係で結ばれてる主従なんだな、なんかボクまでもらい泣きしちゃいそうだけど、そうだ、その前に、人が来る前にこの美少年ダコの方をとりあえずなんとかしなければいけなかった。

「大丈夫よ、ご心配なさらないで、ひとまずここに入れて運びましょう。」

 おお! またしてもだ、いつもいいところで現れるな、この『レディ』は。しかもなんて準備の良い人だろう、右手に今回はリリーちゃんではなく大きなボストンバッグを持っている、確かにこれなら人ひとり入れるのにも充分な大きさだ。

「桐木さん、なるべくあなたを巻き込みたくないと思っていましたので、わたくしも中途半端なお話しかできなくてごめんなさいね。でも状況が変わってしまったようで、どうやら『あの人』・・・あなたのお友達だけではなく、あなたも狙われる対象になってしまったみたいだわ。こうなってしまったからには、仕方がないのであなたにもすべてをお話しいたしますわね。その上であなたにも協力をお願いしたいことがあります、この世と霊界の未来に関わるとても大事なことよ・・・」

 レディが話してる間にギリシャ彫刻さんはテキパキと美少年ダコの口に布を咥えさせて、いわゆる猿ぐつわ施してバッグに詰め込み、一気にファスナーを閉めると肩にかついだ。

「外でお話しすると目立っちゃいますから、桐木先生、あなたのお部屋お借りしたいのだけど、よろしいわよね? 今あなたのお部屋にいる『あの人の霊』と、もう一人の我々の味方、それと、そのバッグの中身の相方も、みんな揃ったところでお話しするのがいちばん早いですしね」

 はあ、そらまあ、現状ではそれしか選択肢がないでしょうから異論はないですが・・・やっぱりなぜかボクも何者かに狙われるようになってしまってるみたいだな・・・ひどいことになった、とは思うのだが、なぜか落ち着いてる自分にちょっとびっくりだ。いろいろありすぎて感覚がマヒしてきちゃってるのかなあ・・・

ひとまずボクたち3人は・・・あ、いや、バッグの中にもう一人いるから4人かな、まあともかく人通りがないうちに急いでボクの部屋へとみんなで向かった。


(第三話 終了)

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