第18話死者の復活
教会は、この村では珍しい石造りの建物だ。外から音が入ることはほぼない。僕がいま使っている部屋では、紙が擦れる音しかしない。
代官がいないこの村では、教会がその仕事を受け持っている。戸籍の管理、税の収集、村長との折衝などをしてくれている。
この村は500年前の貴族の日記に登場するほど、歴史が長い。教会にも、かなり昔の記録が残っている。今、僕が読んでいるのは、ここ10年ばかりの戸籍に関する記録だ。
10年前のこの村は、ごく普通の人口を抱える、ごく普通の税収の、ごく普通の村だと記録されている。10年間に、王国内では大貴族の反乱や、小規模な対外戦争が起きているのだけど、この村には影響がない。
人口の急な減少や増加もなく、それがずっと続いている。そして、今年作成された人別帳を開く。
1年前、魔王の侵略によって、大量の人間が殺された。年齢性別など関係なく王国民は減少していった。
人別帳には、住人の名前と生年月日、没年日が記載されている。
ありえない。
あれほど見慣れた文字がこの人別帳にはないだと?
誰も死んでいない?
……いや、おかしいのはここだけじゃない。
僕は、もう一度過去の人別帳を開く。やはり、死別者がここ数年いない。
赤子が一人も死んでいないなどありえない。全員無事に生きていることになっている。どんなに健康な母親からだろうと、死産という危険はついてまわる。出産ほど危険なことはない。
「このまま全員生存しているとなると」
僕は神父に会いにいく。
「なんでしょう査察官殿」
自室で書物を読んでいた神父が僕を見る。平静を装っているが声が固い。
「確かめたいのですが、村での葬式は、全てこの教会が行っていますよね」
この村にはここしか教会はない。村によっては、住民の宗派が複数あり、教会が多数あったりする。
「はい、全ての葬式は私が執り行っています」
「一番最近の葬式はいつですか?」
「そうですね、二週間前にご老人がお亡くなりになったので」
「二週間前ですか。この村はここ三年程、人が死んでいないのですが」
神父は悪魔に心臓を掴まれたような顔になる。
「こちらの人別帳、記入しているのは神父さん、あなたですよね」
「……はい」
文字を読み書きできるものが、この村には神父しかいない。
「なぜ嘘の記載をしたのですか?」
神父は読んでいた書物を閉じ、一度窓のほうに体を向ける。そして覚悟を決める。
「申し訳ありません。私は村人の記載を偽っていました」
「しかし、わからないのですが、なぜ村人を多く記載しているのです?少ない人口で申請して、税を減らそうとするのならわかりますが」
とくに今回のような混乱した時期には、よく起こる手口だ。
「査察官殿、この村の人口の多さには驚いたでしょう」
「ええ、確かに多いと思います」
「去年、魔王の侵攻によって、村人の半数が殺されました」
? だとしたら今の住人は
窓の外から子供たちのかけ声が響いてくる。たとえ石壁でも彼らの声は防ぐことができない。
「生き残ったものたちだけで、どうにか村を再興しようとしました。ですが、働き手を失った家や、孤児の世話は、村にとってあまりにも負担でした」
村の問題は、村の中で解決する。代官や聖職者も、村の自治に関しては、通常は介入をしなかった。
「そんな時でした。彼らが来たのは」
固かった神父の言葉がいつしか優しいものに戻っていた。
「彼らも、魔物によって村を焼かれたものたちでした。私たちは、行き場のない彼らを保護しました」
「それが、増えた村人たちですか」
「はい。彼らはそのまま村の住人として過ごしています」
神父の落ち着いた語り口はまるで説教のようだ。
「まってください! 彼らはどこから来たんです!?」
僕にとってこの話は看過できない。善き行いなのは確かだ。困った人を助けるのは素晴らしい。
「彼らの住んでいた土地が貴族の領土だった場合、かなりの問題ですよ!」
この村は王国の直轄領にある。だからこそ僕が派遣された。貴族の領地には、僕は王と貴族たちとの協定内でしか関わることができない。
国の根幹に税収があるように、貴族も領地内の税収を第一に考えている。住人の多寡は税収に直結する。村人の大量移住など許すはずがない。
「最初に来た彼らは貴族領の住人でした。彼らは耕すものがいなくなった畑に麦をまくようになりました」
「あの神父さん、耕作地を与えってことは、収税の名簿の記述は?……最初に来た!?」
「そうです。流民はこの村にどんどん来ました。我々はかれらに住む場所と仕事を与えました」
流民は元の土地に帰すのが、王と貴族たちとの協定にある。
「彼らはこの村から離れないでしょう」
慌てる僕に、神父は諭すように語りかけてくる。
「彼らの大半が貴族の農奴なのですよ」
勘弁してくれ。
「……貴族が『所有』しているんですよ、彼らを。それを知っててこの村の住人にしたのですか」
この国では、奴隷制は建前上は禁止されている。もちろん抜け穴は多種多様にあり、大貴族などは自領内では奴隷を抱えこんでいる。
「ですので、先の襲撃で死んだものの戸籍を彼らに与えたのです」
この神父は温厚そうな顔をして、凄い無茶をしている。公文書の偽造だぞ。
「今では、人数が増えすぎて、遡って死者の戸籍を与えています」
「どうりで死者がいないはずだ……。ですがね、神父さん。そんな誤魔化しをしたところで、大量の農奴が消えたなら、貴族たちは必ず探しに動き出します。すぐにこの村は見つかりますよ」
「そうでしょうね……。だからといって彼らを元の生活に戻せともいえません」
農奴の生活は過酷なものだ。自由民のような権利もなければ、大半の収穫は貴族のものになってしまう。
「彼らは、初めて自分たちの畑をもつことができたのです。それがこの村の復興につながっているのです」
この神父がいっているこそが正義だ。だが、現実には王と貴族たちの協定があり、奴隷がいなければ成り立たない制度が存在する。そして、僕は査察官なのだ。
「今、僕がこのことを見逃したとしても、貴族が『権利』を訴えれば、彼らを引き渡さなければなりません」
それは国法で定められている。
教会に幾人かの村人が集められた。
「神父様、これはどういうことでしょうか?」
村の代表の男は、どうやら集められた理由に気づいたらしい。
僕の存在にみんな怯えている。
「ここに集まってもらったわけだが、この査察官殿に皆の出自がばれてしまってな」
なぜか明るい調子で神父は告げるが、村人たちの顔が一気に引き攣っていく。
「な、神父様! それではオラたちは、またあの貴族のもとに……」
「いや、すぐにはないです。貴族からあなたたちの『返還』要求はまだ出ていません」
ここに集められたのは、流民たちを率いていたものたちだ。魔王の侵攻当初から、この村には何グループもの流民たちが辿り着いている。
「役人様! どうか俺たちのことは秘密にしといてくれ! あんな生活はもう嫌なんだ!」
村人が僕の足に抱き着き懇願する。
「おいらたちの村は魔物によってボロボロにされたんだ! それなのに領主はいつも通りの収穫分を納めろって! ムリだっていっても聞き入れてくれねえんだ!」
静謐を重んじる教会で彼らの嘆きが響きわたる。それを神父は止めようとはしなかった。
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