第10話
恭弥は”Hy”についての情報を集めているらしかった。
なぜそんなものに興味を示したのか聞いてみると、そろそろ実害をこうむりそうだったからというよくわからない返答が帰ってきた。
魔術師に影響を与えるもの?そこまで出回っているのか?と彼に疑問を投げかけると、曖昧な回答が返ってくる。
「それって区からの仕事なの?」
「いいえ、魔術師の仕事は区にとって有害な存在を排斥すること、別に依頼がなくても証拠と事例、それから解決さえすれば報酬が出ます」
書類かくのが面倒ですが、と笑う。
噂は散々調べたから知っている。
”Hy”は夢をみるための麻薬。
一体それが今回の事件にどう関係しているのか。
全く予想もつかなかった。
今日はまず初めに流通の中心となっているスラム街を歩くことにする。
日向町に密接するスラム街は、区の整備が完了しておらず、また法の届かない地であるため、危険がそこら中を歩いている。
たとえば今探しにいく麻薬だってそうだし、適性検査を受けていない銃剣がごろごろある。
だが、スラム街に暮らしている人全てがその危険側であるかと問われれば答えはNOだ。
当然、住みたくて住んでいるわけではない人たちだっている。
麻薬や銃器はそんな彼らにとって、かなり大きな影響を与える。
それにしても本当にどこにいっても、“Hy”は無題製薬ひいてはトライアドが流通させているという噂が絶えない。
本当にトライアドが関与しているのか、それとも近年目覚ましい成長を遂げるトライアドへの嫌がらせとして対抗企業が行なっている情報工作なのか。
真実を確かめるにはやはりトライアドへ直接向かうしかないのだろうか?
それにマルタもトライアドに入り浸っているというし、一体トライアドは何を企んでいるのだろうか。
夢……夢ではないがデジャヴならよく見る。
まさかこれが“Hy”の効果だとでもいうのだろうか?
だが、そんなものを摂取した記憶はない。
どんどんと情報が頭に流れ込んでくるというのに、思い出したいことは思い出せない。
煩わしく思う。
今もまだ、残滓が頭に流れ込んでくる感覚がする。
というよりも、頭の中に入っている情報の何かに引っかかっているが、それにどうしても気づくことができない。
クロエのことだろうか。
彼女とは、10年くらいの付き合いになる。
怪我した足をずっとほっといてて、診察した時にはもう歩けなかった。
でも、今はもうああして歩けるようになった、心の底から安心できる。
…………歩ける?
どうして歩ける。
蓮華の思考が停止する。
これは必要な停止だ。
これを看過して次へと移ることができない。
「恭弥くん、クロエっていつから歩けるんだっけ?」
「何いってるんですか。クロエさんは歩けますよ」
恭弥の視線がまるで別人のもののように感じられて、飛びのいてしまう。
「…どうしました?」
だが彼はいつものひょうきんさを崩すことはしない。
正体不明の違和感が彼からするのに、それが何か全くわからない。
姿形やくせや仕草、すべて狂宮恭弥という人物そのものであるはずなのだが、何かが根本的に違う。
警戒心を解こうにも、体が固まって動けない。
その時また、酷いデジャヴが蓮華の頭を襲った。
それは推測するに、今日7月29日の記憶。
今日はクロエと2人でショッピングへ出かける予定だった。
痛みのノイズに混ざってクロエの声がはっきり聞こえるところがある。
『今日は偉い魔術師の集まりがあるんだってー』
それは、何故恭弥がその日参加できなかったか聞いた時の返答だ。
ではなぜ、恭弥は今その集会に参加せずに目の前にいる?
デジャヴと現状が噛み合わない。
デジャブがいつもその時正しいものでないのは、斉田那与の時にわかっていたが、必ずその事象は後々に現れるはずだ。
たとえ今でない明日にこの現状にぶち当たったとしてもおかしくない。
「きょ、今日は魔術師の集まりがあったんじゃないの?」
恭弥はため息をついて、真面目な目つきになる。
その目で見つめられると心臓が締め付けられるような感じがする。
その目に怒られてきたし、その目に助けられてきた。
「蓮華さん、私はあなたに尋ねたいことがいくつかあります」
そう言ってファミレスを指差した。
続きは座って、とでもいうように返事も聞かずに入っていく。
まるで逃げも隠れもしないと言わんばかりの態度に、自分の記憶を疑いたくなるが、そんなことは気にしてられない。
何が何でも、真実を暴かなければならない。
そうしないと、世界は終わってしまうのだから。
吐き出しそうな息を飲み込んで、彼の後を追う。
彼は何事もなかったかのように案内された席に座ると、ドリンクバーと自分用にホットケーキを頼んだ。
蓮華がファミレスで、ご飯以外注文しないことを知っている、というさも当然の様子だった。
恭弥が2人分のドリンクバーを汲んで席に着く。
いつも通りのハーブティーとアイスコーヒー。
「私から質問させてもらいます。あなたはなぜ集まりの事を知っていたんですか?」
信じてもらえるだろうか、実はこれは繰り返されたループの時間の中で、デジャヴとして別のループの記憶が蘇るだなんて。
思い返してみればとんでもないが馬鹿げた話だ。
「あ、嘘ついてもわかりますよ?」
彼は少し笑ってみせる。
きっと大丈夫。
彼なら私を信じてくれる。
蓮華は彼に今まで自分が体験したすべてを話して聞かせた。
ループのこと、デジャヴのこと、違和感のこと、マルタのこと、世界の終わりのこと、そして…クロエのこと。
彼は驚くほど素直にそれを受け入れてくれた。
むしろ納得がいったという方が正しいような顔つきで、蓮華の話を聞いた。
「それで、今度は私から質問なんだけど、あなたは誰?」
たしかに彼は狂宮恭弥だ。
間違いない。
加恋の言葉から、ループ中の異変に気づくことができているのは私だけでないことは確認できる。
そう、なにせ狂宮恭弥は泳ぐのが大の苦手で、唯一の弱点だったはずだった。
彼が泳げるようになったのは、間違いなく今回からなのだ。
だとすれば、この目の前に座っている狂宮恭弥は一体誰なのだろうか。
「なんとなく、あなたの瞳の能力がわかってきました」
そう言ってハチミツがたっぷりかかったホットケーキを口の中に放り込んだ。
「ご存知の通り、私は狂宮恭弥。ですが、あなたたちの知る狂宮恭弥ではありません。そして、私から見てもあなたたちは私の知る朝凪蓮華でも、花宮クロエでも無いようです」
「それってどういう…?」
「私は7月26日にこの椅子に座り……いえ、座らせられました。あまり詳しく話せないのですが、ここは僕がいた世界とは別の分岐をした並行世界のようです」
とんでもない話だ。
私の方が彼を疑いそうになる。
しかし、彼が嘘をついていないのはわかっていた。
だからこそ、彼は信頼できる。
「もちろん協力してくれるんだよね?」
「もちろん、クロエさんも蓮華さんも私の大切な友人ですから、世界が変わってもそれは変わらないようで安心です」
他の世界でも一緒なのかよ、と少し苦笑気味になる蓮華だが、悪い気はしない。
でも、より一層クロエの嘘が膨らんでいく。
だからこそ、もっと知りたくなった。
彼女が私たちの手を離して歩いていこうとする理由が。
「まだいくつか質問したいんだけど、いいかな?」
「ええ、もちろんです。構いませんよ」
やはりいつもの恭弥だ。
並行世界だがなんだか知らないけど何にも変わらない。
「恭弥くんの中にいた2つの神様、今もいるの?」
彼の瞳には旧支配者であるイグと旧神であるバーストの2柱が宿っていた。
彼らは時には力を貸してくれ、時にはからの体を乗っ取って好き放題暴れたりしていた。
たまに暴走するが、見方であれば力強い事この上なしだ。
「期待されているところ申し訳ありませんが、そのような力はありませんね。それにしてもこっちの僕すごいですね、なんでそんな反発する存在を同一個体内に収めてるんだ…」
「じゃあ、もう一個、私の瞳の能力ってなんなの?」
凪の瞳には様々な能力が宿る。
噂される覚醒者のような特殊な能力を、生まれながらに持っているのだ。
世間では認知されていないが、凪の一族は特別な存在で、太古の昔から存続する一族だ。
その誰もがみな特別な力を持っていた。
その瞳に発現する紋章と共に。
だが、彼女自身は瞳の紋章は浮かび上がったままなのにもかかわらず、その能力は父にも母にも祖父母にも、誰にもわからずじまいだった。
蓮華自身、自分の能力を知りたかった。
恭弥が導き出した蓮華の能力とは果たしてなんなのだろうか。
「あなたはループが開始される前の自分の実力を覚えていますか?」
「え?うん、魔力量240万で得意なのはソバットとガンカタ」
「魔力量240万かぁ、一体何回ループしたんでしょうね」
「え?」
「ではアクセルはいくつまで?」
「え?いや、クアトロまで行けますよバカにしないでくださ……あれ?ダブルがいいところって…あれ?」
「そのズレこそがあなたの能力そのもの。名付けるのならば『因果累積』とでも呼ぶべきでしょうか?あなたと言う存在そのものが絶対の数値を持っているようですね。そしてそのエントロピーがヨグソトースのもたらす偏在性を超越した結果、ループの中に意識が少しずつ溢れてきているのではないでしょうか」
「じゃあ、つまり繰り返せば繰り返すほど、この記憶は鮮明になるってわけ?」
「おおまかには。ただループの特性上、常識は上書きされてしまっているのでしょう。ループの外側から入ってきた僕のように、違いがはっきりとわかる存在は僕以外に2人いた。あなたとクロエさんだ」
恭弥はハーブティーを一気に飲みくだし、おかわりを取りに行く。
戻ってくると話を続けた。
「あなたはループによってそれらの事象を認識するに至った特異点です。よってあなたはループの起点ではない」
じゃあ残るは…。
「クロエさんは本当は歩けなかったはずで、車椅子に乗っていた。しかし、記憶とは裏腹に写真や記録を見ても彼女が車椅子に乗っているものは何1つありません。これはヨグソトースの偏在性が及ぼすパラレルの分岐点による修正が働いたことによるものだと思います。」
「つまりクロエが起点だと?」
「現状、それが最も合理的な答えです。彼女は知っていました。僕が今日の予定を語る前から、僕の予定を、まるでさも当然のごとく言い当てました」
蓮華もそれはよくわかっていた。
彼女が言い淀んだあの電話、それも全てクロエが起点だったから、記憶を引き継いで知っていたと考えれば合点は打てる。
打ちたくない合点だ。
「彼女はきっと、僕らのために世界をループさせているんですよ」
「え?」
耳を疑う言葉。
自分がクロエを信じることを許された、そんなふうにも受け取れた。
「彼女は僕らの予定を無意識に言えるくらい、僕らとの時間をやり直した。自身も世界の終焉を見ていながらに」
そんなこと、考えもできなかった。
だとしたら、そうだとしたら私はなんて残酷なことをしてしまったのだろうか?
罪悪感に飲み込まれ、胸が苦しくなる。
自分が守られていたことを知らずして、あろうことか彼女を疑ってしまった。
「僕らがいますべきことは、世界の終焉をもたらす存在マルタ・アンジェを止め、クロエさんをループから救うことです。それができるのは、僕とあなたの2人だけです」
そう言ってニヤリと笑った。
もちろんうなづいた。
償いがしたかったといえば、きっとクロエは怒ってしまうだろう。
でも、自分が許せなかった。
プラスマイナスの関係じゃ表せないほど、私たちは複雑な関係だ。
だからこそ、自分に嘘ついたことに対して疑ったからプラマイゼロだなんて言いたくない。
苦しみをクロエ1人に背負わせてなどいられるものか。
「さて、疑問が解決したのでいきましょう。今日は29日、あと明日しかない。あなたがループの特異点となった今、彼女の行動は前世の記憶じゃ追いきれなくなるでしょう。」
「そうね、いきましょう。まずはトライアドよね」
会計を済ませ、2人は歩き出す。
スラム街での調査が長引き、もう日が暮れかかっている。
急がなければ、猶予はあと1日しかないのだから。
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