第9話
とりあえず、遺留品の方は響呼に任せる事にし病院に戻る。
扉をくぐると、看護師の一人が慌てたように蓮華のもとへ駆け寄ってくる。
その鬼気迫る様子に蓮華は驚くが、看護師はそれを気にする様子もなく、勢いよく話し始める。
「昨日、先生は早番だったのでご存じないかもしれませんが、あの、昨日にも」
「聞くから、ゆっくり話しなさい。昨日どうしたの?」
そう諭すと、看護師は一つ深呼吸をしてぽつりぽつりと話し始めた。
うなづきながら話を聞いていると、蓮華に衝撃の言葉が聞こえてくる。
「昨日運ばれてきた患者さんも、自然死と診断されたんです」
「なんですって!?」
取りつく島が見つかった。
看護師は蓮華に診断書を渡す。
―――――――――――畠山海斗、無題製薬勤務の健康的な男性。
(無題製薬!)
無題製薬は近年力を伸ばしてきた、トライアド参加の製薬会社だ。
まだ契約はつけていないが、評判は悪くなく、ゆくゆくは契約しようかと思っていた。
なぜ契約に踏み切れていなかったかは、無題製薬自体に問題があるわけではなく、トライアドの黒いうわさが絶えなかったからだ。
トライアド自体は以前から存在した会社なのだが、代表が現在の人に変わってから、レジャーや衣料品など様々なジャンルに手を出すようになり、今ではベビー用品から銃器の製造にまで手を出しているといわれている。
その事業の中の一つに麻薬を密売しているという話が合った。
もちろん噂レベルのものだったが、ジャンキーの間で流行り始めた”Hy”という麻薬が、トライアドが密売しているのではないかと裏では有名な話になっている。
”Hy”は夢を見る麻薬だ、スラム街を歩いていた時に、不意に耳に飛んできたのを覚えている。
その時も恭弥とクロエが一緒にいた。
蓮華が様々なことを思案していると、別の看護婦がきて、さらに診断書を数枚持ってきた。
異常なことに、ここ一週間で、死因不明の変死体がすでに6件上がっているという未曽有の事態が起きていた。
なぜもっと早く気付かなかったのか。
原因はいろいろ思い当たるが、今必要なのはそれではない。
いよいよ、考えることが多くなってきたというのに、その思考をつんざくようにサイレンの音が響き渡る。
ストレッチャーに乗せられた女性が、蓮華の目の前を通っていく。
自分に割り当てられた担当ではないようで、他の医者が忙しそうに診断書を書いている。
「またか、今週何回目だよ」
そのつぶやきに、蓮華が飛びついた。
診断書に書かれた名前を見て、蓮華は驚愕した。
斉田………耶与………。
その途端、頭痛が蓮華の頭を揺らす。
また映像が頭の中に流れ込んでくる。
どちらかというと目をつぶって追体験しているといった方が近い。
「みどりの会…………会員…、24歳女性…………」
ズキンと痛む頭を抱えながら、デジャヴから拾うことのできた情報を口走る。
所持品の整理をしていた医者が、驚いて声を上げる。
その医者の声で、蓮華の意識はデジャヴから戻ってくる。
「この女性と面識が?」
医者が遺留品を並べるさなか、財布の中から身分証を取り出した際に落とした、一枚の紙を拾い上げる。
蓮華は笑ってうなづいた。
納得のいきそうなものを見つけたのだ。
「いえ、最近デジャヴに悩まされててね」
適当にごまかして再び病院を出ると、響呼に電話をかけた。
「警察にまだいる?そしたら今から言う人たちの遺留品が残ってないか確認して!」
蓮華の要求はその中から、マルタ・アンジェに関するものを探し出せというものだった。
「どういうことだ蓮華、なぜマルタの名前が出てくるんだ。説明してくれ」
蓮華は聞こえていないふりでもしているのだろうか?
響呼の質問に答えることなく、速足で歩いていく。
保管庫で先ほど分かれた警察官が、待っていた。
いくつかの小さな紙が机の上に載っている。
「名刺よ」
響呼の次の質問よりも早く、蓮華の回答が飛び出す。
「マルタ・アンジェの、ね」
響呼には何が何だかさっぱりだったが、蓮華は確かに見た。
あのデジャヴの中で、斉田耶与と接触するマルタ・アンジェの姿を。
もちろんそれだけが理由ではない。
まさに見つけたのだ。
先の拾った紙、それこそが今目の前に並ぶものと全く同じ、マルタ・アンジェの名刺そのものなのだ。
それを聞いて、響呼は勘弁してくれという顔をした。
なぜならマルタ・アンジェは、AIOのメンバーであり、結果を出していなければすでに監獄行きも免れないような、異端人物だからだ。
切れる頭に、豊富な魔力、あふれる美貌に、響呼にも負けないレベルの肉体戦闘能力を持っている。
まさに天才児、何をやらせても優秀と言える彼女のもつ、たった一つの欠点。
それは世界を崩壊させかねないような爛れた神を信仰していることだった。
そんな人格破綻した女が、大量の魔力を一辺倒に集めてすることなんて一つしかない。
「まさか……呼ぶつもりだとでもいうのか?」
「……それもとびっきりのでっかいやつ」
蓮華の頭にフラッシュバックする、世界終焉を見渡す巨城。
暗雲立ち込める空、名状しがたき光の塊、穢れ煤けた宇宙に秘匿された原初の混沌そのもの。
「マルタを倒さなければ……、世界は終わる……ぐっ…!?」
なんだ?
蓮華の中に今、小さく映ったアレは。
よく知っていて懐かしくもある、アレは。
なんだ。
頭痛にうずくまる蓮華の肩に、不意に響呼の手が添えられる。
それに驚いたのか、取り戻した意識ですぐに立ち上がる。
「大丈夫、くれぐれもばれないようにしましょう」
「?なぜだ?早急に真実を魔術師たちに伝えて彼女を断罪するべきだ!」
「腕利き魔術師マルタ・アンジェさんが簡単につかまると思う?」
蓮華の声はもはやふざけているようにも聞こえる。
「じゃあどうするっていうんだ?」
「気付いていない今がチャンスなの。自分たちの計画を誰も知らないと思い込んでるほうが、スキは大きいんだから」
その日はもう太陽が傾ききっていたため、挨拶もそこそこに切り上げる二人。
帰路につくと、蓮華は先ほどのデジャヴを思い出そうとしていた。
何か大切な事が思い出せそうな気がした。
でもさっぱり出てこなかった。
家に帰ると、由理がご飯を作って待っててくれた。
この食事も、はっきりとした感覚として自分の中にある。
味どころか、話す内容も、加恋が箸を落としてしまったことも、すべて、あらかじめ学習していたかの如く、はっきりと記憶に残っている。
だんだんと、デジャヴが記憶に定着していく中で、明日の出来事を思い出す。
明日は7月28日。
仕事は休みで、クロエの提案を受けて加恋や由理を連れて恭弥君の孤児院に行く。
恭弥の弟子と魔術について話たりする。
そんなことを考えながら食器を洗っていると、クロエから電話がかかってくる。
記憶通りだ。ふと時計を見上げる。
記憶とは時間が少しずれているのを見て思い出した。
「ねえ蓮華?明日はお休みでしょう?」
「私はいつあんたにシフトを教えたんだ?」
現行の記憶に、クロエと28日の予定について話した記憶がまるでない。
かなり長い時間二人の沈黙が続いた。電話口からは読み取れないが、蓮華は考え事をしているうちに時間が過ぎていた。
袋小路になる思考を破るように、しゃわしゃわという爪と髪がこすれ合う音と、質問への返答が聞こえてくる。
「言ってなかったっけ?」
気味の悪い重い沈黙が流れる。
「クロエ、あなた嘘ついてるわね」
電話越しでも、クロエの体がびくっと震えるのがわかる。
怯えるような、驚くような声。動揺をまるで隠しきれていない。
「う、嘘なんてついてないわよ?きっと忘れてるだけで、聞いたはず…」
その間も、髪をかく音は続いている。
蓮華は悲しかった。
彼女が自分に嘘をついてるなんて思いたくなかった。
きっとクロエは気付いていないのだろうが、蓮華にはよくわかる。
(あなた、嘘をつくとき髪に触るの)
本当に心の底から、彼女のことが好きだから、嘘をつかれたのは胸が焼けるほど苦しかった。
きっとどれだけ聞いても、望む答えが返ってくることはないだろう。
だから、のどまで出かかった懐疑の声を、無理やり飲み下して、か細い声でこれだけ伝えた。
「マルタ・アンジェに気を付けて」
それだけ言うと、消え入りそうな声でそれじゃあといい、電話を切った。
電話を切った蓮華は大きく息を吐いた。
まるで長時間息を止めた時みたいな息苦しさに胸が押しつぶされそうだったからだ。
由理が心配した表情で、蓮華の顔をのぞきこむ。
「クロエさんとなにかあったんですか?」
「………ううん、何でもないの。ただちょっと、ね」
蓮華が普段見せない表情を見せた上に、蓮華が無理矢理笑顔を作ったのをみて由理はさらに不安になった。
それに気づかぬふりをして、カラ元気に振舞って今日はもう寝ることにする。
嫌な汗が体を伝う。
アリもしない可能性を模索して、酷く弱気になる。
でも、阻止しなくちゃいけない。
マルタ・アンジェによる世界終焉のシナリオを。
それまでは、立ち止まるわけにはいかない。
今回の事件とデジャヴを重ね合わせて、整理することにした。
自宅のテーブルの上に集めた資料を広げ、少しずつメモ帳に落とし込んでいく。
昨日のクロエとの会話が頭から離れない。
考えないようにしていても、どうしても思い出してしまう。
痛む胸と、重い頭に電話がかかってくる。
名前を見ると、響呼からの電話だった。
「もしもし?」
「蓮華か?」
話を聞くと、マルタの居場所が分かったという。
話によると、トライアビルに入り浸ってるらしい。
本格的にきな臭くなってきたぞトライアド。
蓮華は急いでトライアドに関する情報を集め始める。
インターネットや知り合いたちに片っ端からあたってみる。
やはりインターネットには良い話は流れていない。
ネットじゃアリがちな胡散臭い噂しかない。
色々調べて分かったことは結局、トライアドの現代表が伊藤正光という男だということぐらいだった。
あとは憶測の範囲を出ない。
彼とマルタにいったいどんなつながりがあるのかもわからないままだった。
ただ、彼の顔を見ると、右目に酷い疼きが訪れる。
デジャヴのように、頭全体にイメージがわいてくるのではなく、右目だけが、凪の紋章の浮かび上がったその目だけが、憎悪に似た感情を抱くような感じがする。
前髪につけた真っ赤なヘアピンを外すと、顔半分を覆い隠していた髪の毛がほどけて、美しい空色に金色の光を放つ月のような瞳。
鏡に目を移すと、ひどく疲れたその顔が映し出される。
デジャヴを見るようになってからまだ3日も経ってないくらいなのに、こんなにも疲れが出るとは、相当まいってる証拠だろう。
気を取り直してヘアピンを止めなおす。
立ち上がって一息つくと、白衣を羽織って外出する準備をする。
準備が終わって、家から出ようと扉を開けると、扉の前に恭弥が立っていた。
どうにもいぶかし気な表情で周囲を見回す様子は、なんだかあったばかりの時みたいだ。
「どうかしたの?」
記憶が正しければ、彼も今日は孤児院で魔導書の翻訳作業をしていたはずだった。
蓮華がクロエの誘いを断ったことによって因果が変動したのか?
それとも彼もまた推測される未来の阻止のためにここに現れたとでもいうのだろうか。
「いえ、どうしてるかなって」
どうしてる、とは。
余計な考えが付きまとう。
彼ももしかして、マルタの仲間なんじゃないだろうか、と。
ありえないことだとわかっていても、疑わざるを得ない精神状況なのだ。
「どうもしてないよ」
「これから出かけるんですよね?僕もご一緒してよろしいですか?」
どうにも恭弥らしくない質問にも感じるが、一週回って彼らしくも感じる。
自分の師すらも疑ってしまうなんてのは、ナンセンスな話だ。
「…もちろんですよ、恭弥さん」
「あはっ、ずいぶんと懐かしい呼び方をしてくれるじゃないですか」
少しうれしそうに笑う恭弥を見て、なんとなく、彼は大丈夫だと思えた。
10年も前から、一緒にいたから、クロエと同じで、癖も全部知ってる。
「恭弥君、ところで行く先々で厄介ごとに会うのはあなたのせいだと思う?私のせいだと思う?」
恭弥は質問に対して困ったなと頭を掻いて、大きく息を吸ってこう答えた。
「フィフティフィフティってことで!」
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