第5話
暗雲漂う空は未だ明けることなく、闇の門は徐々にその輪郭をはっきりさせていった。
「やられたか?」
正光は多少の焦りを見せていた。
マルタ・アンジェは滅びた海外文明の調査へ派遣されるほど優秀な魔術師だ。
そんな彼女を倒されてしまっては計画に支障がでる可能性がある。
「しかし、一体何者だ?」
心当たりがない。この街で最も魔術にたけているといわれた狂宮恭弥はすでにクロエの手によって葬られている。
そして街の魔術師たちも緊急会合の偽の報せを送り殺害した。100人近く殺したか?
魔術は必修の項目ではあるが、そこから素質を導きだされ魔術師として才能を開花する人間は少ない。
あれだけ殺してまだいるのか。
まさか、他の区からの応援か?馬鹿な、まだそこまで時間はたっていないはずだぞ。
これ以上焦っても仕方ないと思いなおし、来るべき敵のために準備をするのが妥当だとウォーミングアップを始める。
その時、クロエも同様に自身らに迫りくる魔術師の正体に行きつかず、途方に暮れていた。
殺し損ねそうな人物を模索しても篠崎響呼でないことは確かだ。彼女はこうしてのこのこと敵陣に入って戦うタイプではない。
篠崎響呼の戦闘スキルは現状、マルタよりも上かもしれないが、彼女には緊急時の避難指示やその他魔術師としての仕事が割り振られている。
だから、絶対にここには来ない。
過去26回そうだったように。
だとしたら一体誰だ。気配としては一人だけだ。つまりタイマンでマルタを倒すことのできる実力者…。
偵察を行うか?いや、正光に気付かれたときが厄介だ。
あいつは敵じゃないだけで味方ではない。信頼しているかのような顔をしているが腹の底ではそんなことはみじんも思っちゃいない。
今は門の創造に集中するしかないんでしょうね。
「それにしたって広いなぁ」
蓮華は途方に暮れていた。この城、広すぎるのだ。
正直な感想としては外観と内部構造が一致してないんじゃないかと思えるくらいに。
気付けば元居た場所に戻ってきていることもあるし、扉を開ければ次から次へと新しい部屋が見つかる。
一体どうやってこんなところに暮らすんだ。
蓮華は蓮華でこの事件の首謀者が思い当たらなかった。
日向町の魔術師を殺害した上で、門の創造を行うなんてデタラメな強さの奴に違いない。
しかしそんな力を持っている者がまずわからない。
町の魔術師を束でも倒せる実力者なんて、恭弥くらいのものなのだろうが、彼がこんなことをしないのは弟子であり長年付き合った彼女がよく知っている。
「…………あちゃー。また戻ってきちゃった」
あまりにも進展がないので、考え事をしているうちに本筋にたどり着けたりしないかな、なんて甘く考えていたのだが、やはりそれは無理なようだ。
どこにも階段がないとすると、どうやってマルタは私のもとへと来たのだろう。
隠し扉の線はないだろう。そう思ってずっと手を壁について歩いているが一向に当たらない。
天井などが開くのかとも思ったが、装置も見当たらない。
どうしたものか、と上に目を向けるとたたまれた状態の梯子が目についた。
「…………注意散漫ね」
ため息とともにそういうと、右手に銃を生成し梯子の留め具を撃ち抜いた。
金属の擦れる音が聖堂に響き、大きな音を立てて梯子が落ちてくる。
こうして新しい道が見えると、今まで思いつかなかった方法がすぐに浮かんでくる。
なぜ今まで思いつかなかったのか、普通に外から跳べばよかったのではないか?
「こう…テストが終わった瞬間に公式を思い出す感覚によく似ているわ」
誰に言うでもなく独り言をつぶやく。聖堂の二階には裏手へつながる扉があり、先を見ればどうやら上につながっているようだった。
やっとこの迷宮に近い城を抜け出し、本筋にたどり着くことができるのかと思うと心躍った。
早く帰ってあの子たちにご飯を作ってあげないと。
そんなのんきな考えは彼女が最後の間へたどり着いた瞬間にかき消されてしまう。
「…………」
呼吸をはばかられるような重い沈黙。蓮華の視線の先にはついのさっきまでともに卓を囲んでいた花宮クロエの姿があった。
「あ……んた……なんで………」
蓮華の言葉が重い沈黙の底を駆けてゆく。ここに来てから驚きばかりだ。
クロエは蓮華の姿を見るなり顔をうつむかせ、悔しさと悲しさが入り混じったような表情を続けている。
「それはこっちのセリフよ………なんであなたがここに……」
クロエが目の前に立っていることを飲み込めずに、いや、飲み込みたくない一心が思考の邪魔をする。
ただ、蓮華の出現はクロエにとって本当に想定外のことだったようで、蓮華とは比べ物にならないほど狼狽している。
その沈黙を心無く破る拍手が間に響く。
「感動の再開はよきものだねぇ、だが、邪魔をするならご退場願おうか!!」
強い語気とともに鋭い突きが放たれる。蓮華からは遠い位置だったが、その拳は間違いなく蓮華の体の芯をとらえ、蓮華の華奢な体を壁に強く叩きつけた。
「蓮華!!」
クロエが叫ぶ、が、土煙が大きく舞った壁の中からはすぐさま蓮華の反撃が飛び出す。
正光は即座に結界を展開し凄まじい銃撃をいとも簡単に防ぎきる。
銃弾がやむや否やで土煙の中から蓮華が飛び出してくる。
正光も先ほどまでの不安が嘘だったかのように蓮華に対抗して飛び込んでいく。
蓮華の蹴りと正光の拳が交差する。
じりじりと拮抗した互いの力をかみしめる。
「あんた、トライアドの社長に就任したっていう伊藤正光ね!?なぜこんな真似を!!」
「お前に教えてやる義理はない、が、俺はそこまで心狭くないんでね。教えてやるから、死なずにちゃんと聞けよ!!」
互いに数飛び下がり構えを取る。クロエの見守る中、二人の戦闘は開始された。
そして正光の口から彼らの計画が語られ始めた。
正光は戦いを楽しむように、言葉を交わしながら必死に食らいついてくる蓮華の攻撃を受けながしている。
「これは花宮クロエを救うための方法なのだよ。親しいものなら君にも理解してほしいものだ」
やれやれと首を振る正光の隙を縫ってようやっと一撃が入る。その細腕から想像もつかないような重い一撃。その巨体を二歩三歩とよろめかせる。
蒼の瞳が正光をにらみつける。
「お前如きが軽々しく口にしていい名前じゃないぞ!!私の友人は!!」
突き出した拳を起点に構え、更なる追撃を始める。
突きを受けたカ所を抑えうずくまるようにして立っている正光の真下に潜り込み、高く蹴り上げる。
蹴りの勢いに正光の巨躯もあって床に亀裂が走る。あろうことか、正光の巨体が宙へ舞う。
「おおっ!?」
驚いた正光の眼前に銃口が付きつけられる。そして蓮華はその引き金を容赦なく引ききったのだった。
激しい射撃音が間に響いた。ハチの巣となった正光の体からは大量の血液が噴き出していく。
自身に降り注ぐそれを気にする様子もなく、手に持った銃のスライドにストップがかかるまで、容赦なく続けられた。
どちゃり、と音を立てて床に正光だった肉塊が落ちる。床に散らばる薬莢と夥しいほどの血。
「クロエ、ここを出ましょう!話はそれから……」
笑いをこらえるような声が間に響く。それはクロエの声ではなかった。未だ状況が呑み込めないような表情でクロエは蓮華の目を見つめた。
蓮華は肩を落とし、笑い声の方向に顔を向けた。
「胴体が貫通して穴だらけ、心臓もぐちゃぐちゃだってのに、なんで動けるのかしら?」
心底腹立たしそうに蓮華がにらみつける。床に寝そべりながらも引き笑いをつづける正光の笑いは次第に大きくなっていき、地の底から這い出る亡者のごとく立ち上がる。
「神格を取り込んだこの私に、人間の作った鉛玉など痛くもかゆくもないのだよ!!」
傷が内側から広がる黒い何かによって覆い隠されされていく。
やがてそれは全身に広がり、正光の体に完全にまとわれた。
とてつもない邪悪な魔力だ。旧支配者や旧神と同じような力を感じる。
闇の瘴気が間を包む。クロエをかばうように後ろに寄せ、戦う構えを取る。
「彼女の幸福なんだ」
「!?」
気が付けばしっかりと見据えていたはずの正光の姿は眼前になく、背後から声が聞こえてくる。
慌ててて振り返っても、その場所にはもう正光はいない。
「君たちと、ゆっくりとした時間を過ごすのが」
気が付けば今度は柱の陰から姿を現す。正光の姿は言葉から言葉へと移っていく。
「黙れ!惑わされるものか!」
蓮華の叫びに沈黙があたりを包む。そして次は耳元で声がする。子供に絵本を読み聞かせるように、ゆっくりと囁くように。
「だから繰り返すんだよ」
「うわぁぁああああああ!!黙れ!黙れ黙れ!!クロエがそんなことするわけ………!!」
信じられなかった、信じたくなかった。でもマルタがここにいたことを考えると、それも不自然なことじゃないのかもしれなかった。
だからこそ、許せなかった。微塵ほどでも友人を疑った自分の浅ましさが、仲間の苦悩に気付けなかった自分の無常さが。
「そのために邪魔な狂宮恭弥も自分の手で排除したんだもんなぁ!」
悪意に満ちた凶悪な笑みが浮かぶ。
恭弥君を………殺した………?
その言葉が、蓮華の思考をすべてかっさらっていった。
「く……クロエ………?うそよね……?恭弥君を殺した何て嘘よね!嘘、嘘だって言ってよ!!」
我慢ができなかった。心の底から信じてたのに、これからもずっと、一緒に笑っていられると思ったのに。
「ち……、違うのよ蓮華…これには理由が………」
「次は私…?」
「違う!私はあなたを殺したりなんかできない!!」
「でも彼は殺した!」
「それはヨグ=ソトースの時空干渉に彼がどうしても邪魔だったから!私だって殺したくて殺したわけじゃないわよ!!」
息をつく暇もないくらい責め立てられたクロエの目には涙がにじんでいた。
心無き狂人、殺人者だと思われている。今最も大切に思っていたものを壊して、敵意を向けられている。
もっともクロエは恐れていたことだった。
「誰が、誰が好きで恭弥君を殺すもんですか!!」
激しく言い返すと、涙で消え入りそうな声でこう付け足した。
「大好きな、私の友達」
それ以上、二人に言葉は出てこなかった。強い焦燥感と、絶望めいた涙だけが二人の間をとりもった。
「いやぁ、とんだ茶番まで見せていただいて、本当に感謝していますよ」
正光がもういいかと言わんばかりにしゃしゃり出てくる。
「もとはといえばあんたが……!!」
「あーはいはい、もうあなたも用済みですから、どうでもいいんですが。せっかく手伝っていただいたので世界の終わりをこの特等席でご覧いただきましょう。」
正光は心底愉快そうに笑って見せた。
「今日この日!世界は終わりを迎えます、次文明が栄えるのは2000年後かはたまた先か。いでよ、白痴の魔王よ」
蓮華は耳を疑った。
「まって、呼ぶのはヨグ=ソトースじゃないの!?」
クロエが蓮華に告げる。
「はじめからわかっていたことよ」
「あんたなんてことを!!」
「私がヨグ=ソトースを呼び寄せるための門を開き、その上にもう一つ術式を展開し、ヨグ=ソトースの魔力を使って自分たちの計画を進めていることは、ね」
「……え?」
正光がまたしても笑った。
「やれやれ、恐ろしい人だ。とんでもない者を拾ってしまったものだよ。そう、君がヨグ=ソトースを呼ぶために使った魔力を、私たちの悲願のために利用させてもらった」
「アザトースを呼ぶことが悲願?あなた最高に頭がおかしいわ!」
その言葉を正光は鼻で笑った。
「なんとでもいうがいい。世界の終わりを見ることだけが、私の悲願だ。さぁ、ショーの始まりだ!君たちもみるがいい!これが真の終わりというものだよ!!」
暗雲に浮かんでいた門が徐々にその口を広げていく。凄まじい地響きが大地を揺らし、邪悪な風が吹き荒れた。
地獄の底から響く亡者の叫びのような低い太鼓のような音、聞くものに死を直感させるか細いフルートの音色がどこからか響いてくる。それは徐々に大きくなっていき、ついにはその音以外が聞き取れなくなるくらいの爆音となった。
あたまが割れそうだ。
正光は心底楽しそうに笑っている。
街が少しづつはぎとられて門の中に吸い込まれていく。それは竜巻やハリケーンのようにではなく、地球上の重力がマイナスになった感じだった。
おぞましく焼けただれたかのように空虚な空に、世界が吸い込まれていく。二人はどうなっただろうか。
いろんなことが頭の中を通り過ぎていく。思考が全くまとまらない。恐る恐るクロエの方を向くと、ちょうどクロエも私の方を向いた。
理解が追い付いていない頭を腕の中に包み込んでくれた。いい匂い。小さいころにお母さんに抱きしめられたみたいな、そんな愛おしさを感じる。
柔らかい掌が蓮華の髪を撫でた、優しく、ゆっくりと。
そこで蓮華は何も聞こえなくなった。何も見えなくなった。あの精神を逆なでするような不愉快な音も、悪夢みたいな町の崩壊も。何も。
真っ暗で静かになった蓮華の意識が、最後の最後にとらえたのは聞きなれた彼女の声。
「今度こそ、今度こそあなたを、いや、あなたたちを救って見せる、私がどれだけ壊れようと、あなたたちの幸せを終わらせたりしない。」
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