第3話
「なんなのよ!!一体何が起こってるっていうの!?」
朝凪蓮華は焦っていた。突然黒雲に覆われた町、海辺に浮かぶ巨城、どこにもつながらない電話。
二人と別れてからすでに八時間ほど経過している。
「恭弥君やクロエだけでなく、篠崎さんや教団はおろか、公機関にすら通じないなんて……」
「だめだよ姉ちゃん!警察もでない!」
「蓮華さん、これっていったい…」
居候中の姫川加恋と由理も、この異常事態をいち早く察し、様々な人脈に連絡を取ろうと試みていたのだろうが、すべて無駄だったようだ。
蓮華自身も理解が追い付かず、まだわかっていないことだらけだが、二人を心配させるわけにもいかない。
「大丈夫!大丈夫だから!だからあなたたちは焦ったりしなくてもいい」
慌てる二人をなだめ、外へ出る準備をする。
アンダーの礼装、仕込みの武装と術式、それから霊符。
確認しているさなか、霊符のケースの中にいつかクロエからもらったお守りが入っていた。
なぜかそれを見た瞬間、嫌な予感が蓮華の中を駆け巡った。
言葉に表しがたい、えも知れないそんな予感だったが、今の彼女を突き動かすには十分すぎる不安になった。
「孤児院は大丈夫でしょうか…?」
加恋は自身が元居た孤児院の友人を心配しているようだった。
「平気よ、孤児院には恭弥君もいるし、教団の管理下だから危険はないわ!それじゃあ二人とも、絶対に家から出ないでね、由理、加恋になにかあったらあんたが姉ちゃんを守るのよ」
嫌な予感を感じた蓮華ははじけるように外に飛び出した。
「待って!蓮華さんは!?」
「アタシはほら、解決しなくちゃなんないから」
不安がる二人にぐっと親指を立てる。
「でも、俺……」
この異常な空気を感じ取ったのだろう。由理が泣きそうになって手を伸ばしてきた。
「ったく、仕方ないわね」
蓮華は上に着ていた白衣を脱ぐと、着ていたパーカーを由理にかぶせてやった。
「アタシのパーカー貸したげる、絶対取りに来るから、あんまり汚したりしないでよ?」
そういって、強く笑った。なんとか不安を振り切ったのか、怯える体を推して、泣き目半分でむりやりにっと笑顔を作って親指を立てて見せた。
由理が中に入るのを確認すると、蓮華は白衣から霊符を何枚か取り出し、敷地内に結界を張って回った。
「術式展開-霊気開放・真名無き者、不定の泥、煙霧満ちる降灰の砂漠を一人歩き、始まりの黎明をみることはない。かの姿は見えざることなく、また見えず。常に焼けただれ、再生し、不浄なる永久の輪廻を辿る。開け人理心冥の盾」
詠唱が終わるのと同時に、霊符がひとりでに浮かび上がり、敷地全体を結界が包んだ。
「これでここは大丈夫………。向かうなら…あそこよね」
巨大ビルの合間を縫うようにいつの間にか浮遊していた大きな城に目を移す。
ついさっきまではこんなものはなかったし、異変の中核があるとしたら間違いなくこれだろう。
「あの子たちのこともあるし、始めから本気で行くわよ」
ヘアピンを外し、普段隠している右の目を開く。
凪家の紋章が浮かび上がった瞳が、夕闇誘う日向町の中にぼんやりと一筋の光をともす。
少し体を慣らすように、準備運動をすると、クラウチングの姿勢を取り、宙に魔術式を浮かび上がらせた。
「トリプルアクセル……ッ!!」
地を割くように飛び出した蓮華の姿は闇の瘴気が漂う日向町の街並みを掛けていく。
外なる虚空の闇に住まいしものよ、今ひとたび大地にあらわれることを、我は汝に願い奉る。
時空の彼方にとどまりしものよ、我が嘆願を聞き入れたまえ。
門にして道なるものよ、現れいでたまえ。汝の僕が呼びたれば。
ベナティル、カラルカウ、デドス、ヨグ=ソトース、あらわれよ、あらわれいでよ。
聞きたまえ、我は汝の縛め(いましめ)を破り、印を投げ捨てたり。我が汝の強力な印を結ぶ世界へと、関門を抜けて入りたまえ。
ザイウェソ、うぇかと・けおそ、クスネウェ=ルロム・クセウェラトル。
メンハトイ、ザイウェトロスト・ずい、ズルロゴス、ヨグ=ソトース。
オラリ・イスゲウォト、ほもる・あたなとす・ないうぇ・ずむくろす、イセキロロセト、クソネオゼベトオス、アザトース。
クソノ、ズウェゼト、クイヘト・けそす・いすげぼと・ナイアーラトテップ。
ずい・るもい・くあの・どぅずい・クセイエラトル、イシェト、ティイム、くぁおうぇ・くせえらとる・ふぉえ・なごお、ハスター。
ハガトウォス・やきろす・ガバ・シュブ=ニグラス。
めうぇと、くそそい・ウゼウォス。
ダルブシ、アドゥラ、ウル、バアクル。
あらわれたまえ、ヨグ=ソトースよ。あらわれいでたまえ。
花宮クロエは儀式の最中だった。外なる神を呼ぶための。
天蓋から望む暗雲が覆う大空に松明の炎が燃えて上がる。
「クロエちゃん、よく魔力持つわねー。ちょっとお姉さん嫉妬しちゃうわ」
金髪の女性がクロエの後ろから話しかける。
「気安く私の名を呼ぶな。殺すぞ」
精神の集中から汗が頬を伝っていく、クロエの目は恐ろしいほどに鋭く今にでも食って掛からんばかりだ。
魔力を門に注ぎ続けるのは、想像を絶する苦痛と疲労が来るのだろう。彼女を支えるのはいったい何だろうか。
息が徐々に切れ始め、呼吸が荒くなる。
「ダメよ、そんなに力を入れちゃ、もっとリラックスしなきゃ」
クロエには彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
今から目の前に自身を、地球を亡ぼしかねない神が現れるというのに、なぜこうも落ち着いていられるのか。
わからなかったがわかっていた。
これから自分の身に何が起こるのかも、救いようもない世界の末路も。
これは確か、27回目の失敗。
街には混乱と恐怖があふれていた。
異常な状態だ。
こんな大々的に警官やエージェントが市民を避難させるなんてことはありえない。
避難の範囲はA区のすべてが範囲なのか、スラム街からもできるだけ多くの人を呼び寄せようとしているようだった。
焦りが加速する。
見上げる城の上には門が開いていた。
おぞましいものがそこに現れるのに時間は費やさないだろう、とだけ予測を建てることができる。
そんな門が、すでに開いてしまっていた。
あの規模の門を開くとなると難易の話ではなくなる。
間違いなく故意によるものであり、上位の、それもかなり特別な魔術師の仕業である。
考えを巡らせていると、電話に着信があった。驚いて画面を見ると、先ほどまで電話にでなかった篠崎響呼からだった。
「お前どこにいる!」
電話に出ると、一発目から怒声のような大声が飛んでくる。
それでも安否がわかったのは大きなことで、孤独の不安が溶けていく。
彼女、篠崎響呼はA区きっての魔術師で非常に高い実力を持っている。
彼女との連絡が取れれば、他の魔術師たちとの連携も取れる。
一安心だ。
「ちょっと、うるさいわよ。そんなに大きい声を出さなくても聞こえるっちゅーの」
「お前のもとに恭弥もいるだろう?すぐにあれを止めるように言え!」
焦る声で響呼が叫ぶが、蓮華は冷めた様子で返してやった。
「残念だけど、恭弥君とは一緒じゃないの。あんくらい私が止めてやるっつーの」
そこまで聞くと、携帯を落としたかのような雑音が入り、一切の返事がなくなった。
「えっ…!?ちょ、ちょっと、響呼!?どうしたの?ねぇってば!!」
返事がなく焦りから少し取り乱してしまうが、少しの沈黙の後、響呼の声が再び聞こえた。
「………いいか、おそらく今生き残っているこの街を守護できる魔術師は私たちを除いてほとんどいない。」
とても冷静な言葉とは思えなかった。多少の差はあっても同じ人間で同じ魔術師だ。
実力のある魔術師たちはどこへ行ってしまったというのだろう。
「嘘じゃないぞ。私は今、その死体の山の前でお前に電話をかけているのだからな……!!」
「なっ!?」
正気じゃない。なんて言葉すら出てこなかった。まさに絶句というにふさわしい。
震える声も、罵声も、苛立ちでも焦りでもなかった。混乱以外何でもない。
しかし、町の魔術師をひとまとめにして殺害するなんてとんでもない事だ。
不可能だ。
「恭弥もいないとなると…、とうとうに終わりかもしれないな」
震えた声が電話口を通して聞こえてくる。
私も息をのんだ。だって、あり得る話ではない。
「と、とにかく、この城の調査を始めるわ。響呼、気を付けてね」
それだけ言って蓮華は一方的に通話を切った。彼女の沈黙に蓮華が耐えられそうになかったからだ。
このあり得ない状況で、彼女が殺されてしまったら、唯一私に連絡を取った彼女が死んだことが確認できてしまったら、蓮華は本当に恐怖に飲まれてしまうだろう。
そしてこの異常な状況を少し楽しんでいる自分が本当に嫌になった。
不安を思ううちに海岸沿いまで出た。すでに城は目の前だ。
800m程先に大きな鎖が見える。反対側にもぼんやりとだが同じ形のものが見えるということは、その鎖がこの街の地面と、あの城をつなぎとめているのは間違いない。
周囲を警戒しながら鎖に近づいてみると、人が渡れるだけ大きい鎖でこれを伝って、宙に浮かぶ城をまで渡ることができそうだ。
………ただ、改めて鎖の伸びる方向を見上げると、それは思いもよらぬほど途方もない距離であり、いくら蹴り上がれるとしても、正直めんどくさい。目測350mほどだろうか。
そしてさらに厄介なことにこの鎖、魔力を吸い取るらしい。瞳から漏れ出す魔力の光が少しずつではあるが、鎖に吸い込まれていく。
以上のことを踏まえても、この鎖には近づかないほうがいいだろう。
それに、縦の350mは並行方向の350mとはわけが違う。条件として直立不動のビルなどの建造物とは異なり、鎖は不安定で弛む。それが余計に弊害となっている。
さすがに垂直に重力に逆らって一歩で350mを飛ぶというのも、できなくはないが体にかかる負担を考えると、あと後に響くだろう。
なにしろ城を登り切るのはゴールではない。
解決すべき異変の中核が、その奥にいるのだ。
二つの鎖からちょうど同じくらい離れた場所、城の中点までやってきた。彼女がとる手段は一つ。
「引き釣り落としちゃえ!」
片手で結んだ印を水平に引くと、閉じられたジッパーが開くように、空間にぽっかりと穴が開いた。
蓮華はそこに不用心に腕をつっこむと、あれでもこれでもないと穴の中をまさぐり始める。
そうして少しすると見つけたといわんばかりにニヤリとすると、大きく振りかぶって穴からそれを引っ張り出した。
「さぁて、コレクションのお披露目といきましょうか!天網恢恢!」
引き出された鎖はとどまることを知らないかのごとく伸びていく。それはすぐに城全体を覆いつくすと、まるで確認したかのように張っていた鎖が音を立てて弛み落ちた。
城がガクンと揺れる。相当の重さのようだ。
「これで少しは楽になってくれるといいんだけどね」
手を払うように叩くと、身体の三倍ほどの厚さの鎖の輪に手をかける。
大きく息を吐き、大きく息を吸い、叫ぶと同時に術式を展開し、その鎖を思いっきり引っ張り始めた。
「トリプルアクセルッッ!!
周囲には凄まじい衝撃と砂塵が吹き荒れる。歯を食いしばり、その弛んだ鎖を力いっぱい振り翳した。
弛みは波となって城を直撃する。宙に浮く城はその波にのまれ、不安定に上下に揺れる。
その揺れは大きくなっていき、ついには城が耐えきれず、勢いよく浜辺に落ちる。
もちろん地震のような衝撃と大量の海水が街の沿岸に叩きつけられた。
引く波の中、水を切って水面に飛び出した蓮華。
天蓋に浮かぶ門を人にらみし、城の巨門をこじ開ける。
白衣は水滴一つなく、彼女の足跡だけが乾いたアプローチに水を滴らせた。
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