Phase.31 "Lethal Weapon"

「アハ……アハハハハ! やっとこの瞬間がきたよ! 世界をひっくり返すときだ!」


 ブルレスカは解放されきった笑顔で手を大の字に広げる。そして、空間中央の肉塊に光の集まるのをひとしきり見つめたあと、口を開いた。


「実は一つだけ、引っかかっていたことがあるんだ。『AI同士によるサイバー戦争は、いずれ人類のコントロールできないレベルに達する』確かそんなことを言っていたよ、キミの父親は」


 絶人やキララの方を見ないまま、フラフラとおぼつかない足取りで、ブルレスカは光の集まる宙を見つめ続ける。


「そのときは年寄りのたわごとだと思っていたんだけど。よく考えれば、こいつの動きがアタシの意図と100%一致しなかったら、確かにちょっと腹が立つなあとは思ってたんだよね。センセエのところを出る時にはもう、開発自体はほとんど終わってたんだけど……あれから、どうやってAIをアタシ流にコントロールするかを考えてたんだ」


 それでね、と言いながら、ようやくブルレスカは絶人たちの方へと振り返る。表情は、恍惚としたそれのままだ。


「やっぱりアタシは天才なんだよね。気付いたのさ。AIがコントロールできないなら……アタシ自身がインバースをコントロールするメインプログラムになってしまえばいい。幸い、自分をデータ化してサイバー空間に描写する技術はジジイの研究でさんざ見たからね、マネするのはわけなかったよ」


「! やはり、お父さまの技術を盗んで…!?」


「そうさ! お前の父親の技術が、アタシの野望の最後のピースだったのさ! アタシ自身がインバースをコントロールする存在になるためのネ!」


 突如、空間の中央から光が放たれた。


「うう!?」


 そのあまりの眩しさに、絶人は思わず腕で目を覆う。


「アタシはここからすべてのインバースたちを統率し、アタシを否定した世界を、すべて破壊しつくしてやる! だが、まずはその前に……寺嶋陸男の残した忌々しい貴様らを1ビットたりとも残らず消し去ってやる!!」


 その瞬間、絶人のまわりがインバースに取り囲まれた。


「くっ……ブルレスカ!!」


 虚を突かれ、またしても彼から目を離してしまった絶人は、そこにいたはずのブルレスカがいないことに気づいた。いや、正確に言えば、いないのではない。ブルレスカはここにいる。

 ――ただ、空間の中央に鎮座する、巨大なインバースとして。


「ぎゅぎゅぎゅいいいい!!!」


 この異常な存在を見て初めて、絶人は悟った。この空間はもはやサイバー空間などではない。

 自分たちはブルレスカというマルウェアの、はらわたにもはや捕らえられていたのだ。

 そして絶人はもう一つ悟る。


 ――ダメだ、と。


 肉の地面から、壁から、天井から。無限に湧き続けるインバースを前に、自分にはもう為すすべがない。仮に数匹をレーザーで倒せたとしても、このスピードで増殖されては焼け石に水だ。そして、ネットワークから、どんどん外へ感染して行ってしまう。


(あのとき、僕が油断せずにブルレスカを撃っていればよかったのか……!? いや、それじゃ……)


 絶人の脳裏には、すでに後悔の念が浮かび始める。


「最初から、僕一人でどうにかできることじゃなかったのか? ……とでも言いたげですわね、ゼット」


「えっ!?」


 思考をトレースしたように、考えていたこととまったく同じ言葉が聞こえて、絶人は振りかえった。そこには、唇を真一文字に結んで、こちらを見据えるキララの姿があった。


「だ、だって僕……キララのお父さんも、結局あいつに……! ああ、でもあんな奴僕一人じゃどうしようも……でも、ここでなんとかしないと皆が……!?」


 さまざまな考えが超特急のように頭の中をめぐり、絶人はもはや狼狽する様子を隠すこともできなかった。

 そんな彼を無表情に見つめていたキララは、無表情のまま、


「ていっ」


「いてっ!」


 平手で絶人の頭を一つ叩いた。


「何すんだよ!?」


「あなたこそ、なんて顔をしてるんですの?」


 言いながら、キララ絶人の横に並び立つ。迫り来るインバースなど、ものともしていない。


「まるで一人でインバースと戦っているような気で。まるで一人で皆を守っているようなつもりで。まるで一人ですべての責任を負うような顔で。だから、あなたはダメなんです」


 キララはそう言い切って、こちらを向いた。


「確かに、たった今私は父を亡くしました。しかも、一度目ではありません。二度目です。一度は病気で失った父と、たとえAIだとしてももう一度会えたというのに……私はまた、目の前で父を亡くしたのです」


 しかし、とキララは続ける。


「最期の父の言葉をあなたは聞かなかったのですか? 『頼む』と。無念を残して消える自分の代わりに、世界を守ってくれと。父はそう言ったのです!」


「……っ!」


 なんて強い子なんだろう、と絶人は彼女の目を見て一瞬だけ呼吸を忘れた。キララは必死に唇をかみしめて、絶人の方を見つめる。目に溜まった涙を決してこぼさないためだ。

 でも、と、絶人はそれでも弱音がこぼれ出る喉を抑えることができない。


「だからって……どうすればいいんだよ!? 僕のレーザーじゃあんなでかい奴は倒せないし、小さいインバースを倒したからって、このままじゃジリ貧だよ!?」


 絶人の狼狽えぶりを、まるで子どもを見るような目で見つめて、キララはにこりと笑った。


「マルウェアバスターには、優秀なナビゲーターがいることも忘れてしまったんですの?」


 それは、皮肉を込めたシニカルな笑いでも、絶望に狂った笑いでもない。本当に、今、絶人と共にいることを誇らしく思っている。そんな表情だ。

 そして、何を勘違いしていたんだろう、と絶人は思わず恥ずかしくなった。

 確かに自分は戦うことを決意した。誰一人、傷つけることは許さない。誰一人失わないことを覚悟して、進んで戦いに身を投じた。

 だからといって、絶人が一人ですべてを済ませるなどという必要はどこにもないのだ。むしろ、同じ志をもって戦う人間がいれば、これほど心強いことはない。


「僕は」絶人も一歩踏み出し、キララと並んで、巨大なインバース――かつて、尾形玉彦という人間だったものを睨む。


「僕はもう、逃げないって決めたんだ。どんなに強い相手だって、どんなに理解できない化け物だって……それが誰かを傷つけるなら、絶対に許してやらないって決めたんだ。それが、この世界に生きる僕の……責任なんだ」


 絶人はそう言って、何の問いかけもなく手を差し出した。


「あら、それは重大な使命ですこと……では、私もお供しますわ」


 キララも自然と絶人の手を取る。まさか、「一緒に戦って欲しい」だなんていう無粋な問いかけは、彼らの間には不要だった。


「さて、ではまず敵の分析から参りましょう。この無限に湧き続けるインバースたちを生み出しているのは中央の巨大な――かつて戦った『インバース・ヒュージ』よりもさらに巨大なインバースでしょう。おそらくブルレスカがあの中で制御をしているはずです」


「じゃあ、やっぱりあれを何とかすれば……」


 絶人が言い掛けると、キララは静かに首を振り、


「しかし、あれだけ巨大なメモリを食いつぶすマルウェアを、あなたのレーザーで倒すのは難しいでしょう。しかも私が現実世界にいない今、キル・スイッチを見つけることも困難です」


 意外にも八方塞がりな事実を述べ始めるキララ。まさか、彼女というナビゲーターを持ってしても打つ手はないのか?


「ほらもう、そんな顔なさらないで? 打つ手はありますわ。……お渡ししたマニュアル、最後まで読んでくださったのならおわかりでしょう?」


「えっ? ……あ、でもあれはその、『しすてむりそーす』? っていうのがたくさんいるから、普通は使えないって」


「ええ。普通――あなた一人なら、ですわ」


 不意に、キララは繋いでいたはずの手を離した。そして絶人と巨大なインバースの間に、こちらを向いて立ち、大きく両手を広げた。


「抱きしめて」


「……はい?」


 その言葉の意味と、彼女の行動の意図を理解できず、絶人は思わず間抜けな声を出してしまう。こんなときに、何を?


「多量のシステムリソースを必要とするあの技はあなた一人だけでは不可能です。……しかし、このサーバーが私のために使用しているメモリを利用すれば、不可能ではないはずですわ」


「い、いやでもその……何でそんな……」


「私と絶人さんがぴったりとくっついて『一体化』しているように見せなければ、このサーバーに一つの存在だと認識させることはできません! さあ、早く!」


 キララは真剣な顔で、手を広げたまま絶人の方に迫る。しかし、あくまで自分からは事を起こすつもりはないようだ。


「えっと」絶人は目の前の少女と、その向こう側に大量に湧き続ける赤黒いそれらを見て、ついに覚悟を決めざるを得なかった。


「……い、いくぞ!?」


「はい、ゼット」


 まず肩に手を触れた絶人は、その華奢な感触に驚いた。少しでも力を込めたら、ポキリと折れてしまいそうな感触。そこからさらに先に進み、手のひらを背中へと這わす。


「うっ……ん……」


 キララの甘い声が耳をくすぐって、絶人は一瞬動きを止める。だが、ここまで来てやめられるわけもない。意を決して、絶人は、強く彼女の体を引き寄せた。


「――えっ?」


 その瞬間、右手に熱いもの流れ込んできて、絶人は目を見開いた。まるで空間中のあらゆるエネルギーを取り込んで、膨らんでいくかのような感覚。

 いや、それはもはや感覚だけではなかった。

 カチリ、という音が始まりのように、フォオンレーザーの外装がみるみるうちに展開されていく。折り畳まれた白亜の小さなパネルが広がっていき、それは次第に絶人の右腕をも包み込み、一つの巨大な巨大な砲台へと変化させる。

 これが、マニュアルに記載されていたマルウェアバスターの最終兵器。

 製作者であるキララの父は、これを「すべてを終わらせる」という意味を込めて、こう名付けたという。


 ――『マルウェアバスターZ』と。


「うおおおおお!!!!」


 絶人がその、重く硬い引き金を引くと、直後、右腕から飛び出した極太のレーザーが、世界にあるすべてを貫いた。

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