Phase.30 "Inverse The World"

 思えば自分に与えられた力についての調査がまったく足りていなかった、と絶人は反省している。一晩掛けて読んだマニュアルには、マルウェアバスターに関するすべてが記載されていた。


『レーザーの連続照射回数は五回。そのあと撃つには、数秒のインターバルが必要』


「直線的なんだよなァ、全部さ」


 ブルレスカはまったく顔色を変えないまま、連続に襲いかかるレーザーを、器用に大鎌を回転させながら裁いていく。他方、絶人はレーザーを撃った直後、


「うああああああ!」


 全速力でブルレスカの方へと駆け出していた。


「だーかーら、それも直線的すぎんだっつの」


 ブルレスカは体勢を低くして、さながらバッティングフォームのように大鎌を構える。そして一瞬の後に、それを思い切り振り回した。鎌が振られる勢いで、サイバー空間内に竜巻のような突風が巻き起こり、絶人の体が後方の肉壁へと吹き飛ばされる。


「ぐっ……!?」


 衝撃を受けて、絶人の肺からくぐもった声が漏れ出る。


「わっかんないねえ、アンタも。昨日と何にも変わってないの」


 壁に寄りかかるようにしてやっと体勢を保っている絶人とは対照的に、ブルレスカは悠然とした様子で一歩、また一歩と彼に近づいていく。


「お前の戦い方はもうよくわかってんの。その小型のレーザー銃を撃つ。それだけ。後はその距離が近いか、遠いか……ただそれだけの違いだろ? それがわかってれば、どう対処すればいいかなんてすぐにわかるんだよ」


 そして元の間合いまで近づくと、再び大鎌を構え、姿勢を低く保った。


「でもお前は何にも知らないでしょ。アタシのこと。この大鎌を使った技には他に何があるのか。大鎌以外に武器は持ってるのか。まあ、大鎌なんてなくてもお前よりよっぽど強いことはよぉく知ってると思うけど」


 ククク、とブルレスカはいやらしく笑う。だが、そこまで聞いて、ようやく体勢を立て直せた絶人は、


「つまり、情報戦なんだって言いたいわけ?」


 と笑い返した。


「……そのとおり。アタシはお前のことをよく知ってる。お前はアタシのことをよく知らない。これだけでもうお前の敗北は決まっちゃってるのさ」


 絶人の物分かりが妙に良いことが引っかかったのか、彼が不敵に笑い出したことが気に入らなかったのか、ブルレスカはやや不機嫌そうに言う。


「それ、一個だけ違うと思うよ」


 絶人は当てつけのようにまた笑って、フォトンレーザーの銃口を再びブルレスカに突きつけた。


「……!?」


 その瞬間、ぽとり、と足下に何かが落ちる音が聞こえて、ブルレスカはゆっくりと目線を下げる。そこには、砕けた大鎌の小さな欠片が無残に転がっていた。絶人の狙いどおりに。


「お前、僕のことなんでもわかってるって言ってたけど……本当にそうかなあ?」


 ――今度は絶人が、ブルレスカのことをあざ笑う番だった。


 絶人がマニュアルを読んで理解したのは、何も連続照射回数についてだけではなかった。一発のレーザーの威力は、さほど高くはない、ということもだ。このレーザーは、普通のインバース程度なら一撃で倒せるのだが、最初に絶人が出会った大型のマルウェアや、強固な外殻を持つような敵が相手では、ダメージを与えてもあまり意味がないか、そもそもダメージが通らない場合がある、とマニュアルには書かれていた。だが、一撃ではダメでも、続けて何度も同じ箇所に照射すればどうか?

 

 その問いへの答えが、にわかに転がった鎌の破片である。至近距離に近づいて、なるべく誤差を無くした上での、連続照射。これこそが、絶人がマルウェアバスターの力を知り尽くした上で編み出した戦法の一つだった。


「この……クソガキがぁっ!」


「ううっ!?」


 ブルレスカの激昂に、一瞬にして辺りの大気が震え出すのを肌が感じる。もはや体の表面に電撃が走っているのではないかと思えるような激しい震撼に、絶人は一歩後ずさろうとしてから、自分が壁を背にしていることを思い出した。

 その一瞬、意識が他に向いた瞬間、


「イラつかせやがって」


「……えっ?」


 絶人の視界が一回転して、背中が鈍い痛みに襲われた。


「がはっ……!?」


 上手く吐息を逃がすことも適わない。首を掴まれ、腹部には膝を突き立てられているからだ。


「ゼット!?」


 キララの悲痛な呼び声が遠くから聞こえる。その時初めて絶人は、疑問に思うことができた。


(離れてたはずなのに……一瞬で近づかれた?)


「まーだわかんねえのか」


 見上げる視線の先に、絶人をつまらなそうに見下ろすブルレスカの顔が現れた。


「知らないことがあるからって、何にも知らねえわけじゃねえの」


 絶人の首と腹を押さえたまま、ブルレスカは口を開く。その語気は、彼の表情に呼応するかのように荒々しいものに変わってきている。


「お前のことは他にもわかってるんだぜ? 例えば……『よそ見が多すぎる』とかな?」


「ぐ……うう、う……うむぅ!」


 絶人は手足をばたつかせて、必死にブルレスカの魔の手から逃れようとするが、その腕と膝はまるで鉄杭を打ちつけたようにビクともしない。


「真剣勝負の最中に敵から目を逸らすなんて御法度……ましてや、そんなド素人との間合いをつめるなんて、目を逸らした一瞬もあれば十分」


 言いながら、ようやくブルレスカは絶人から膝を除ける。しかし、掴んだ首根っこは離さないまま、絶人の体は高く、ブルレスカの頭より上に持ち上げられた。


「はあ、はあ……離せ、離せよ!」


 首に力を込めていく左腕を必死で掴みながら、足を動かして抵抗するのが絶人にはやっとだった。そうしているうちに、ブルレスカはまたしても右手に大鎌を取り出し、構える。


「それからまだアタシは知ってるぜ? お前の武器はそこに転がってるレーザー銃一個っきりなんだろう?」


 ブルレスカは先ほどの宣告どおり、絶人から目を逸らさないまま、いやらしい目つきで顎を斜め下に突き出す。その指し示す先には、確かに絶人が先ほどまで握っていたはずのフォトンレーザーが、主を失って寂しげにくすんでいた。


「いけないよネェ、大事な商売道具を簡単に手放しちゃ……例えばピエロみたいな顔した悪ぅいヤツに首根っこ捕まれても、それだけは握ってなくっちゃ」


 アルカイックな笑みを崩さないまま、ブルレスカは大鎌に力をこめる。その刃の周囲に不気味な波動が集まり、やがて欠けていた刃がみるみるうちに復元していった。


「! そんな……!?」


「そうそう、これは言ってなかったねえ。この鎌、ちょっと気合を入れれば何度でも復活するのさ。なんたって、ここはサイバー空間……リソースはいくらでもあるからねえ」


 クカカ、と不気味な笑い声だけが辺りに響く。その実力差はもはや歴然だった。確かに奴の言うとおり、奴は絶人のことで知らないことがあるとしても、それを補って余りあるほどの情報量を持っている。しかも、絶人にとっては何も得るものがなかった昨日のあの短い戦闘をもってして、だ。この観察眼という意味でも、絶人は大きく水をあけられているようだった。


「時間だ。そろそろ終わらせようか」


 ブルレスカが、絶人の首を握る左腕に力を籠める。このまま投げ飛ばし、宙に浮いた瞬間に大鎌で切り刻むつもりらしかった。


「……バイバイ、『マルウェアバスター』」


 ピエロのメイクがぐにゃりと歪む。

 その瞬間、絶人は目をつぶり、体中に力を籠めた。

 そして、鈍い衝撃音と人が崩れ落ちる音が、順番に鳴り響いた。


「ぐ、うう!?」


 ――次に漏れ出たうめき声は、ブルレスカのそれだった。


「はあ、はあ……危なかった……」


 腹部を押さえて苦しそうに這いつくばるブルレスカを見下ろしながら、絶人は荒く息をつき、右手に握ったそれを見つめた。


「バカな……ぐっ、なぜ持っている……!?」


 ブルレスカは、呼気のかすれる音の混じった声で絶人を睨みつける。正確に言えば、その目線の先にあるのは、絶人の唯一の武器、フォトンレーザーだ。


「これ? ゴホ、実はさ、離れてても、なんかこう、フンってやるとまた出てくるんだよ」


 絶人は、あー苦し、と先ほどまで抑えられていた首もとをさする。そして、精一杯嬉しそうな声で言い放ってやった。


「ひょっとして、知らなかった?」


 改めてその銃口を目の前やや斜め下に向けて構える。


「……これで終わりだ」


 至近距離からのフォトンレーザーの一撃が、腹部に当たったのはかなり幸運だった。正直、狙いを定めている余裕はなかったのだが。才能あるのかもと一瞬錯覚してしまうくらいだった。


「やれやれ……人を撃つのにビビりまくってた昨日と比べりゃ、ずいぶんな変わりようじゃないか。ゴフっ、だからガキは嫌いなんだ」


 事実、目の前のピエロは四つん這い、いや、ほぼうつ伏せの状態で腹を押さえ、苦しそうにうめいている。上から見る絶人の目にも、彼の腹に、おそらく現実世界であれば即死であろうほどの大穴が空いているのが見て取れた。


「確かに……もう終わりだね」


 その状態から、小刻みに震えながらも、ブルレスカはゆっくりと膝を立て、大鎌を杖代わりにし、ようやくという様子で立ち上がった。


「……!?」


 それまで、レーザーを構え続けていた絶人は、彼の不可解な様子に困惑していた。


「もう、五分経ったからね」


 その表情は、彼の見せる今までのどんな表情よりも穏やかで、心からの喜びに満ち溢れていたのだ。ピエロの化粧で見せる作り物のそれとは根本的に違う。


「気を付けてください!」不意にキララの叫びが聞こえて、絶人はそちらを見る。「玉彦おじさまはまだ何かするつもりです!」


「わ、わかってる!」


 やや動揺しながらも絶人が返事を返して、視線を元に戻したとき、「いーや、わかってないねえ」背後から、あざ笑う声が聞こえた。


「なっ……!?」


 すでに戻した視線の先に彼がいないのを確認して、絶人は背後の声を目で追う。


「言ったろ? 勝負の最中に敵から目を離すなってさあ」


 果たしてそこには、ブルレスカが立っていた。土手っ腹に穴を開けた苦しそうな様子は変わっていないが、ある人物の首を掴み、先ほどの絶人をそうしたように高く持ち上げている。


「くっ……離せ、尾形!」それは、先ほどまでキララとともにいたはずの、彼女の父親だった。


「お父さま!」


「お前、まだ人質を取って……!? どうするつもりだ!?」


「人質? 違うねえ。言ったろ? 『五分たった』って」


 言いながら、ブルレスカは首を掴む反対の手のひらを上に向ける。するとそこに、見覚えのある大きな鍵が現れた。それは先ほど、ここに来たばかり絶人が死守したはずのものだ。


「えっ……!? お前、いつの間にかそれを……あれ!?」


 キララに渡しておいたはずのそれがてっきり盗まれたものと思って、絶人は彼女の方に目をやるが、その結果は先ほどまでとなんら変わりなかった。


「そんな、まさか……」


 彼女はひきつった表情ながらも、必死に鍵を抱え続けていた。それなのに、ブルレスカの手にはもう一つ同じものがある。


「あの短い間に、ゼットと戦闘をしながら……秘密鍵を複製していたというんですの!?」


「……名推理。さすが、センセエの娘は利発ですなあ」さすがに腹に大穴があいてはいつもの調子は出せないようだが、それでもブルレスカは嘲る。


「こう見えてもアタシ、天才科学者なの。言ったろ、『五分だけやる』って。五分もあれば戦いながら秘密鍵を複製するなんて簡単なことさ。なにしろサンプルはそこにあるわけだしね」


 ブルレスカは震える手で鍵を掴み、先ほど大鎌でそうしたようにキララの父に向けて構える。


「ゼット! あの人を止めてください! お父さまが施している暗号化を復号されたら、世界はインバースに支配されてしまいますわ!」


「くそっ!」


 キララの声に、絶人は慌てて構えもせずにレーザーの引き金を引く。先ほど同様、直線状のレーザーがまっすぐに放たれるが、着弾する一瞬前、


「遅かった……ネ」


 まるで抵抗なく、極太の鍵が、キララの父の体に突き刺さった。


「お父さま!?」


 瞬間、まず鍵が霧散した。


「キララ――」


 うめくような陸男の声が漏れる傍から、彼の身体は順にその形を崩していく。

 腿、ふくらはぎ、腰、胸、そして――


「――たの、む」


 キララの父親のすべてが空間に溶け終えたとき、地鳴りのような揺れが空間を襲った。

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