Phase.29 "Decisive Battle"
まずはちょっと、状況の整理をしたい。
絶人は先ほど、スマートフォンからマルウェアバスターを起動した。
普通ならスマートフォンの中を描写したサイバー空間に立っているはずが、そこには大きな穴がポッカリ空いていた。父曰くそれは「バックドア」と呼ばれる代物で、内部犯罪者などがよく、IDやパスワードを使わずに不正に通信するための「裏口」のようなものなのだそうだ。そんなものを、自社のサーバーとはいえこっそり作っていた父の功罪はこの際問わないとして、ともかく絶人は真っ逆さまにそこへ落ちていく羽目になった。
では次に、現状の観察だ。自分がいるのは、赤黒く脈打つ空間の中。いつかテレビで見た、「胃カメラ」の映像が、ちょうどこんなこんな感じだった気がする。
「あ、あなた……どうして……?」
声のした左方を見ると、見覚えのある少女が、まがまがしい肉壁に捕らえられている。目標その一、発見である。次に前方を見る。絶人の斜め上には、恐ろしい形相でこちらをにらみつけるピエロの顔面があった。十字に描かれた目元の化粧が、ギラリとこちらを見据える。
「……チッ」
小さく舌打ちまでされた。これが第二の目標に違いない。
さて、もう一人。
「うう……ん」
自分がまたがっている、仰向けに横たわったこの中年男性はいったい誰なのだろうと、絶人は自問した。シワはけっこう刻まれているし、髪もロマンスグレーではあるが、なかなかハンサムな男性である。しかもどこかで見たことがあるような、ないような。
「ゼット!」
左から、目標その一が久々に彼を呼ぶ。
「その人と、そのカギを持って早くこちらへ!」
それが、つい先日まで耳元で聞いていたナビゲートのように感じられて、絶人は思わず嬉しくなって、「了解!」と勢いよく返した。
「えっと、鍵と、おじさん!」
そばに転がっていた妙に大きい鍵を抱え、さらに中年男性の腕をとると、絶人は一目散にキララの方へと走りだす。さすがに男性を抱えることは適わないが、マルウェアバスターとなった今なら、引きずって移動させることくらいはわけなかった。
男性と鍵をキララの下へ届けると、次に絶人は、彼女を頑なに拘束する肉壁に目を付けた。
「く、硬いな……えい!」
それが手ではとてもどうにもなるようなものでないということがわかると、迷わずフォトンレーザーで肉壁を撃つ。ぎゅい、とどこかで聞いたような苦しそうな声を出しながら、肉壁が活動を緩める。そして、柳の木が揺れるように、はらりと解けてキララを解放した。
「キララ、大丈夫?」
「え、ええ……ありがとうございますわ」
キララの反応は、思っていたより歯切れが悪い。それは本当はあまりに手際のよい絶人の仕事ぶりに驚いてのことだったのだが、絶人自身はそれが、ブルレスカにさらわれたショックなのだと勝手に結論づけて、ようやくブルレスカの方へ向き直った。
「形勢逆転だな、ブルレスカ!」
そして、今日一番の声を上げて、勝利を宣言した。
「キララ、彼は一体……?」
ここまで引きずられて来た男性がようやく起き上がり、絶人の後ろで戸惑いながらキララに尋ねる。キララはそれを受けて、
「彼こそ、私たちが望んでいた存在……『マルウェアバスター』ですわ」
と答えた。その声は、先ほどの呆けたそれではない。確信と、希望に満ちたもののように、絶人には感じられた。
一方で、ブルレスカの反応は絶人が期待していたそれとは違っていた。
「……ん?」
呼ばれてようやく気づいたように、ブルレスカはこちらへ振り返る。その手には、テニスボール大の玉がいくつも握られている。まるで、お手玉の練習でもしていたかのように。
「あ、やっとその茶番終わったの? あんまりツマンナイからお手玉練習してたわ」
「本当にお手玉練習してたのかよ! お前、今の状況わかってんのか!?」
「状況?」
ギロリ、とそれまで細められていた目が見開かれ、絶人を捉える。その凄みに、一瞬だけ絶人はたじろいだが、ブルレスカはすぐにその目を元に戻し、
「一体どういう状況だって言うんだい?」
逆に絶人に尋ねた。
「え?」
答えに窮するのは絶人の方だった。
「今どういう状況になってるのか、アンタはわかってるのかって聞いてんだ。まさか、何もわからずここへ来てんじゃないだろネ」
ブルレスカの尋ねる顔は、恐ろしくつまらなそうなものだった。その平静さに不気味なものを感じながら、絶人は恐る恐る、答える。
「全部わかってるさ」
まず絶人は中央に鎮座する肉塊を指差す。
「そこに浮かんでるヤツが、お前が作ってたインバースを世界中にばらまくプログラム、なんだろうなきっと。それから、このおじさんは……教科書で見たの、やっと思い出したよ。キララのお父さん――寺嶋陸男博士だよな? 死んじゃったんじゃなかったのか?」
落ち着いた様子で絶人が尋ねると、キララは少しだけ驚いたようだが、すぐに「ええ……ここにいる父は、容姿や記憶をコピーしたAIデータです」
それだけの説明と、キララの隣でうなずく男性を見て、絶人はすべてを悟っていた。
「そうか、キララのお父さんは、自分の体を張ってあれを封印してくれてたんですね。そしてお前は、キララをさらって、脅して封印を解かせようとしていた……!」
「ごめーとぉー!」
それまでのつまらなそうな態度とは打って変わって、ブルレスカは少しだけ嬉しそうに拍手で絶人を称えた。
「なんだよ、ずいぶんカンが良くなったじゃないか。顔は昨日会った時のアホ面のままなのに」
「なんだと!?」
絶人は一瞬食って掛かりかけたが、すぐに冷静さをとりもどして「もう止めたんだ」落ち着いて、諭すように言う。
「僕は今まで、何も知らなかった。いや……何も知ろうとしなかったんだ。どうしてスマートフォンの画面で動画が見られるのか? どうしてパソコンでメールが送れるのか? 考えたこともなかった。まあ、今だってそんなのわからないんだけど」
「クハハ、典型的な大衆の考えだねぇ。自分は何も考えず、ただただ恩恵だけを受ける……あのセミナールームで教えたとおりの、アタシのだいっきらいな人間だネ」
「ああ。だから僕は、何も知らないまま戦い始めてた。自分が何のために戦っているのか、戦ってどうしたいのか。そんなこともわかってなかったことに気づいたんだ」
「現代っ子ヒーローここに極まれりって感じかな? 知ってるかい? そういうの、昔は『ゆとり』って呼ばれてたんだぜ」
「ヒーローだって? そういえば、キララもそんな風に僕のことを呼んだっけ」その形容に寒気を感じて、絶人はかぶりを振った。
「やめてよ、そんな言い方。僕はそんなんじゃない。僕はただ……責任を果たすだけだよ」
「……責任?」
その二文字に、ピクリとブルレスカが反応する。
「僕は今まで、この世界にたくさん恩を受けてきた。この世界に守られていたんだ。だから、今度は僕がこの世界を守る。そして、僕を育ててくれた人を、僕と友だちでいてくれた人を、僕を愛してくれた人を、僕の手で守る」
絶人は右腕に力を込めた。
「それが僕の戦う理由だ!」
まるで出番を待ちわびていたかのようにフォトンレーザーが現れ、手のひらにぴたりと吸い付く。それをゆっくりと構え、ブルレスカの方に突き立てて、絶人は叫んだ。
「ブルレスカ……お前に世界をひっくり返させなんかしない! 父さんと母さんが、ナナミちゃんが、みんなが、そしてキララのいる世界を守る! 誰も死なせやしない!」
叫び声が一つの合図であるように、絶人がレーザーの引き金を引くと、直線状の赤い光が、ブルレスカに向かって一目散に飛び出した。
「……それがアンタの『覚悟』ってわけか」気怠げにつぶやいて、ブルレスカはレーザーをひょいと避ける。そして、至極つまらなそうにつぶやいた。
「ま、いいか。『どうせ暇だったし』」
まるでタバコの吸い殻をもみ消すように、右の手のひらを動かすと、ブルレスカは自分の背丈ほどもある大鎌をどこからともなく構えた。
「五分だ。それ以上は遊んでやれないネ」
「……上等!」
絶人が続けて五回、引き金を引くと、一直線の熱線がブルレスカに向かって放たれた。
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