Phase.28 "Encryption Decryption"

「ああ、ぶん殴ることもできないのが本当に腹立たしいね、コイツ。でもこれでわかったかい? コイツはあのジジイの人格を精巧に模倣したAI……そしてアタシの研究の結晶を暗号化して封印しやがった、ランサムウェアそのものさ!」


「お父さまが、ランサムウェア……!?」


 キララがもう一度父の姿をよく見る。


「……すまない、キララ」


 うつむいて謝罪を述べる彼の表情は、キララの良く知る父のそれそのものだ。


「私はずっと悔やんでいたんだ。尾形君のことを、力づくにでも止めるべきだった。いや、そもそも私の教えが間違っていたから彼をこんな風にしてしまったのではないかと……」


「アハハ、そういう意味では感謝してもいいかもねえ。コイツのところで勉強したおかげで、アタシはここまで来れたわけだし。でも、他人に『AIは使うな』なんて言っておいて、自分はAIを思いっきり使ってるとか……コイツ、矛盾しまくりだよねえ。そう思わない?」


 ブルレスカは愉快そうに手を叩く。「面白いこと言ったでしょ」とでも言いたげな表情だ。


「なんとでも言うがいい。私はどんな手を使ってでもお前の目的を達成させはせん! ここで私が直接このプログラムを封印している限り、世界はお前の思いどおりにはならんぞ!」


「そう! そこなのよ!」


 ブルレスカが思い出したように手を打つ。


「今日、アンタらを再会させたのは、そのためなんですよー!」


 おかしくて笑いが止まらない、という表情でブルレスカはキララたちを交互に見る。キララはその意図がまったく読めず戸惑うばかりだったが、陸男はすぐに理解したように「まさか……貴様!?」と声を荒げた。


「そのまさか! どうしてもアタシの説得じゃダメみたいなんでね。自分のガキからの説得ならどうかな、と思うわけ! も~ち~ろ~ん~、こいつの……」


 ブルレスカはいつの間にか、先ほど投げつけたはずの杖を再び手に抱え、ゆっくりとキララの方に近づいてきた。彼が一つ指を鳴らすと、キララを掴んでいたいた肉壁がゆっくりと溶けるが、少しの隙もなく、今度はその体をブルレスカが羽交い絞めにした。そして、持っていた杖の頭の部分が変形し、巨大で鋭利な鎌がキララののど元にあてがわれた。


「悲鳴でね?」


 ひそやかだが、なんとも嬉しそうな声が、異質な空間に響かずに消えた。キララは、この男がなぜ自分をさらってきたのか、その目的をようやく悟った。自分は父を脅す人質としてここへ連れてこられたのだ。だが、それを知ったとき、彼女にすでになすすべはなく、ただただ自分の動脈を掻き切らんとのどを鳴らす大鎌から顔を逸らすことしかできなかった。


「さあて、どうします、センセ? ……十数える間に決断しろよ。自分のガキの命か……テメエの、くっだらないプライドか。どっちが大切か、わかるよなあ?」


「……くっ」


 目の前の父親は苦し気な様子で、自分の後ろに立つピエロを睨みつけている。


「じゅう……きゅーう……はぁちぃ……」


 その様子を知ってか知らずか、ブルレスカはなおさら嬉しそうに、そして少しの情けもなく、カウントを始めた。


「お父さま! 馬鹿なことはお考えにならないでください!」


 キララは思わず叫んだ。


「今ここで私の命と引き換えにインバースを解き放ったら……世界はどうなるのですか!?」


「……!」


「世界中で、サイバー空間どころか、現実世界を巻き込んだ戦争が勃発してしまいます! 私一人の命でそれが止められるなら……むぐ!?」


「少し黙れよお前」


 キララの体を羽交い絞めにしていた手で、ブルレスカはその口元を押さえつける。そして、いったんカウントをするのをやめた。


「まあ確かに、自分の娘の命と世界の命運、どちらを取るのか、悩ましいよねえ。このガキの言うとおり! そいつを復号してくれさえすれば、世界はインバースが支配する……でも」


 ブルレスカは一瞬間を開けた後、変わらずあっけらかんとした様子で、「このガキにはアタシ、何もしないぜ? 傷一つ付けず、現実世界に戻してやってもいい。そしたらインバースに支配された世界でも生き延びられるかもしれませんよネェ?」といやらしく笑った。


(……そんな世界で生き長らえるくらいなら、ここで死んだ方がマシですわ!)


 キララは心底そう叫びたかったが、口元を抑えられては満足に声を出すこともできない。ただ、もがき苦しむだけだ。


「ぐうう……」


 陸男は自分の中の何かと戦うように、下唇を噛み締め、直立の姿勢のままうつむいた。キララも思わずその様子から目を逸らす。到底見ていられるはずがなかった。自分のことで苦しみ、世界までもを天秤に掛けようとする父の姿など。


「さあ、そしたらカウントを再開しましょーかねぇ。なな……ろーく……ごぉ……よん……」


 ブルレスカは無情にも、まったくそのテンポを崩すことなく数字を読み上げていく。


「さん……にぃ……いち……!」


 そしてついに鎌を振り上げ、とびきり嬉しそうな声で、終わりの数字を叫ぶ。


「ゼロォ!」


 さながら中世の処刑のように、地獄の大鎌が自分の首もとに迫り来る、風を切る音がキララの耳に聞こえた気がした。

 だが、途切れるとばかり思っていたキララの意識は、悲痛な叫び声に引き戻された。


「待ってくれ!」


 目をつぶっていてもわかる。父の声だった。


「……おやおやぁ? どうしました? センセェ?」


 ブルレスカが、おかしくてたまらないという様子で聞く。どうしてこの男は、ここまで人の神経を逆なですることができるのだろうか。


「……てくれ」父の消え入りそうな声。


「ええー? よく聞こえませんねぇ~?」


 ブルレスカは、なおもなじる。キララは衝動的にこの男を殴りつけたい思いに駆られたが、それが何の意味も持たないことはよくわかっていた。


「……インバースを、復号する……! だから、娘を……キララを解放してやってくれ……」


 父の絞り出すような声が終わった瞬間、キララの耳に下卑た笑いが響き渡った。


「グヒャーッハッハッハッ! いつの世も親子の愛ほど美しいものはありませんねセンセェ! グヒャ、グヒャヒャヒャヒャヒャ!」


 ブルレスカは止まらない笑いを抑えようともしないまま、一旦、鎌を納め、キララを肉壁の方に突き飛ばす。


「きゃあ!?」


 すると、再び肉壁が伸びてキララの体にまとわりつき、その四肢の自由を瞬く間に奪った。


「よせ尾形! キララを解放しろ!」


「グヒヒ……もちろん解放して差し上げますよ。でーもー、先にすることがあるよなあ?」


 ブルレスカはまだ笑いを押さえられないでいながら、ゆっくりと陸男へと近づいていく。その背中を睨みつけながら、キララは必死で絡む肉壁を引きちぎろうとするが、強固な筋繊維で絡み合ったそれは、非力な彼女でほどけるような代物ではとてもではないがなかった。


「お父さま! ダメです、こんなことでインバースを解放しては……ムグッ!」


「ウルサいなあ」


 ブルレスカが気怠げに指を鳴らすと、呼応して肉壁から触手が伸び、キララの口元を犯す。

 彼はもう、完全にキララからは興味をなくした様子で、「今イイとこなんだから静かにしててよ」と吐き捨て、陸男の方に向き直った。


「さあ、早く復号してくれよ。あ、今更やっぱり待った、はナシだからな?」


「……わかった」


 陸男は完全に肩を落とし、ブルレスカには一度背を向け、中央に浮かぶ肉塊に向き直る。そして、何事が念じると、その右手に巨大なディンプルキーのような物体を呼び出した。


「なーるほど、それがあんたの『秘密鍵』ってわけね」ブルレスカが感心したように言う。

 陸男は、巨大で、自分の上半身ほどもあるその鍵を、自らの首もとに突きつける。そして、そのまま動きを止めて、ゆっくりと目だけを自分の娘の方に向けた。


「……キララ」


 そうつぶやいただけで、陸男はすぐに娘から目を背ける。そして、しわだらけの顔をゆがませて、「すまん!」勢いよくその鍵を自分に向けて突き立てた。

 ――正確に言えば、立てようとした。


「うああああああああ!」


 少年の間抜けな悲鳴が遠くの方から聞こえてくるのを、キララは聞き逃さなかった。


「この声は――!?」


 肉壁に阻まれながらも、キララは必死で首を振り、その主を探す。やがてその声は上から降るように鳴り響き、


「落ちるー!」


「な、なんだあ!?」


 ――鍵を構えたままの父の上に、無様な格好で落下した。

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