Phase.25 "Truth and Apologize"

 SALTサーバーでインバースに取り込まれたはずの絶人が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。


「ぜっくん……! よかった、目を覚まして!」


 香澄が臆面もなく、仰向けで寝たままの抱き着いてきたので、ようやく絶人は自分が生きていることを悟った。


「か、母さん?」


 ほとんど泣きべそをかいている母親をなんとかなだめ、絶人は上体を起こす。母の顔は喜びか悲しみかくしゃくしゃになっていて、目も当てられないくらいだった。だが、そんな様子の母を見たのは、あの帰りが遅くなった時以来で、なんとなく嫌な気分だった。


「あれ……? 僕、あの時インバースに……」


 絶人は自分の両の掌を何度か開いたり閉じたりして、その感触を確かめる。そうだ。確かに自分はあの赤褐色に体を取り込まれて、栄養分にされてしまうところだったはずなのだが。

 絶人が不思議そうな顔をしていると、未だに絶人の横で泣きべそをかいている母に代わって、父の雪和が「俺がお前をサインアウトさせたんだ」と重苦しい声で言った。


「あなた……!」


 その発言に驚いたのか、母は一瞬、諫めるように父の方を見るが、彼が「いいんだ。君は黙っていてくれ」とぶっきらぼうに言うので、押し黙ってしまった。

 だが、その言葉に黙っていられないのは、絶人の方だった。


「父さんがって……どういうことだよ?」


「セミナールームに置き去りになっていたキララちゃんの荷物の中に、ノートPCがあるのを見てな、もしやと思ったんだ。マルウェアバスターのインターフェースはどうやら父さんが昔研究していたやつを参考に作られていたみたいだから、操作も直感的にわかったよ」


 雪和は絶人の目を見ないまま、ベッドの上の一転を見つめて言う。

 違う。絶人が知りたいのは、そんな情報じゃない。その言葉が口から絞り出せないでいる間に、雪和は続ける。


「父さんと母さん、同じ大学で知り合ったって話したよな? 父さんも母さんも、昔、キララちゃんのお父さん……寺嶋先生の研究室に所属していたんだ。尾形玉彦――ブルレスカと名乗っていたあいつは、そのときの後輩だ。もっとも、俺や母さんからしてみればずいぶん年下の後輩だったから、ほとんど顔も知らなかったんだが」


「ちょ、ちょっと待てよ!」


 自分のことを無視してとうとうと語りだす父に、絶人はたまらず割って入った。


「それじゃ、父さんも、母さんも……」


「すまん。絶人」父が、大きく開いた膝の上に手を乗せ、頭を垂れる。母もこくりとうなずくと「お母さんも、お父さんもね。全部知ってたの」と絶人から目を逸らした。


「キララちゃんは俺たちが学生だったころには当然まだ生まれてなかったが……OB会とかで何度か会ったことがあって、知っていてな。寺嶋先生が病気でもう長くないというとき、あとに残されるキララちゃんのことを気にかけてやってほしい、とは話をされていたんだ。とはいえ、同居までする予定じゃあ、最初はなかった」


 そこまで言って、雪和はやっと絶人の顔を見た。久々に見る父の表情は、安らいでいるような、暖かいような、複雑なものだった。


「まさか、お前がマルウェアバスターになるなんてな……あの日、キララちゃんが俺の仕事場へ訪ねてきて、その話をするから……その場で母さんと決めたよ。あの子を保護するって」


「キララちゃん、寺嶋先生のお葬式であったときは、感情も何もない、人形さんみたいで正直怖いと思ったわ。でも、あの日訪ねてきたキララちゃんは、復讐に燃えていたけど、それ以上に、マルウェアバスターになった絶人への純粋な興味でいっぱいで、とても生き生きしていた……だから、私たちはしばらくあなたに任せることにしたの。正直、私たちに協力できることはほとんどない。なら、あなたたちのことを信頼して、やらせてみようって」


「だが、俺はひとつ過ちを犯した。まさか、あの研究員が尾形だったなんて。俺が気付いていれば、こんなことにはならなかったかもしれない……すまない、絶人」


「…………」


 絶人は、ここまできて、父が自分に謝っている理由がやっとわかった。父は、キララの存在を自分に黙っていたことを謝っているのではない。ブルレスカ――尾形玉彦とやらがあんなことをしでかした一助になったのは自分だと、そのことを謝っているのだ。


「……僕、何にもわかってなかった」


 だが、絶人にとっては今やそんなことはどうでもよかった。絶人は両親の方を見ないまま、宙の中の一転を見つめる。


「ずっと僕、自分はなんでもわかってるって思ってた。最新のガジェットも、ゲームも、パソコンも持っていて。なんでもできるって、そう思ってた」


 思わず布団を握る手に力を籠める。


「でも、初めてキララの助けなしでサイバー空間に行ったとき、何にもわからなかった。ただあいつが導くままに動いてただけだったんだ」


 視線を落とすと、ひしゃげた純白の掛け布団が、苦しそうにあえいでいた。


「ブルレスカの言うとおりだった。僕には何の覚悟もない。誰かに助けてもらわなければ何もできない。ただ与えられた技術の恩恵を受けているだけ……事の重大さもわからず、ただ何となくヒーローになろうだなんていう、甘ったれたガキでしかなかったんだ!」


 絶人は叫んだ。


「そんな僕が、どうやったらあいつに勝てるの!? どうやったらキララを、皆を助けられるの!? 僕、嫌だよ……皆が傷つくなんて! あいつの思いどおりの世界にさせるなんて! でもどうしたらいいかわからないんだ! ……教えてよ! 父さん! 母さん!」


「ぜっくん……」


 その悲痛な叫びに、母も言葉を失っている。いや、母も、絶人から目を逸らす父も、その問いに対する答えを持っていないのかもしれなかった。


「尾形の、いやブルレスカのことはすでに会社には報告している。会社としてもどれだけ動けるかはわからないが……絶人、何もお前が無理に戦う必要はないんだ」


 雪和はそう言って立ち上がった。やはり、絶人に目を合わせないままだ。


「ごめんね……ぜっくんはまだ中学生なんだから。危険なことさせて、本当にごめんなさい」


「父さん、母さん……?」


 そういって優しく微笑む母と、窓辺から見える中庭の木々に目をやったままの父を交互に見ながら、絶人は戸惑った声を出すことしかできなかった。

 違うんだよ。


「お医者さんが言うには、打撲はあるけど長く入院するほどじゃないって。今晩はゆっくり休んで、明日おうちへ帰りましょう」


 僕が言ってほしいのは、そんな言葉じゃないんだ。

 その一言が言えず、絶人は母に促されるまま目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る