Phase.24 "Light Order"

「お父さまが初めてインバースを調査したとき、すぐに気が付きました。ネットワーク上で自律的に稼働しプログラムを喰らっていくマルウェア。これはまさに『ライトオーダー』だと」


 時は再び現代に戻り、SALTサーバーの中のサイバー空間。キララの言葉を聞いて苦々しそうにブルレスカ――本当の名を、尾形玉彦と言うらしい――は言った。


「へえ。あのジジイ、腐ってもIoT研究の第一人者ってワケか。そうさ。ライトオーダーの研究結果……自律思考型AIやプログラムの吸収はすべてインバースに流用されてる」


 いや、とブルレスカは言葉を切った。


「むしろ逆だネ。ライトオーダーの研究はすべてインバースを作るためにあったのさ。ライトオーダーの研究結果をすべて逆転させることでこのマルウェアは生まれた……だから『Inverse』と名付けたのさ。この世界をひっくり返すためのマルウェアとしてね!」


 勢いよく、足元に伏せっていた絶人の身体を蹴とばす。


「うぐっ……!?」


「ゼットさん!」


 その勢いで吹き飛ばされ、もんどりうって仰向けに倒れた絶人は、なんとかゆっくりと上体だけを起こした。先ほどまで踏みつけられ続けた痛みで、体が言うことを聞かない。


「なんでだよ……!?」


 それでも絶人は懸命にのどを震わせて、搾り出すように尋ねた。


「なんで……こんなことするんだよ」


 キララの話を聞いても、絶人には全然納得がいかなかった。


「お前、ずっとセキュリティのこと、研究してたんだろ……!? ネットワークを使う人たちを守りたいって、思ってたんだろ……!? たった一度、キララのお父さんに否定されただけで、何でこんなことするんだよ……!?」


「たった一度、だと?」


 絶人の言葉に、ブルレスカは目を見開いた。瞳の中央に、小さな黒目が光り、それに向かって稲妻のような血の筋が何本も走る。


「あの後、アタシはいくつもの大学、研究所、企業に自分の研究の必要性を訴えた! だが、そのすべてがアタシのことを否定した! お前の研究は早すぎる、お前の研究は危険だ、お前の研究は受け入れられない……ようやくビクトリア社が雇ってくれるときも、『金輪際、ライトオーダーの研究はしない』という誓約書と引き換えだった」


 ブルレスカは自分自身の言葉に反応するように、握ったこぶしを震わせる。


「……だが、ライトオーダーはアタシの技術と哲学がすべて詰まった存在。それを否定されちゃ、自分自身を否定されるのと、結局何も変わらないじゃないか……クソガキ! お前にわかるのか!? 世間のすべてから自分自身を否定された、アタシの気持ちが!?」


「……っ!」


 絶人はその語気の強さに思わずブルレスカから目を逸らしてしまう。


「だから、アタシが否定し返してやるのさ。アタシを否定した世界を! このインバースの力を使って! すべて、消し去ってやるのさ!」


 一転して、ブルレスカは狂ったように笑った。

 そして、絶人はようやく彼の心中を悟る。復讐などというなまやさしいものではない。自分を不幸にした人間に仕返しなどという小さい規模の話でもない。そいつらが反省しようがしまいが、この男にはもはやどうでもいいのだ。「思い知らせてやろう」などという段階はとうに飛び越えて、すべてなくなってしまえばいいと、そう思っているのだ、この男は。

 絶人はもう一つ、先日清掃システムの中で聞いた言葉を思い出す。「ブルレスカは、家族というものに強い恨みを持っている人間かもしれない」。まるで家族のように慕っていた、キララの父に否定されたことが、彼の憎悪をより燃え上がらせていたのかもしれなかった。


「じゃあ、キララのことをさらったのは……キララのお父さんへの復讐か!?」


 絶人が問いただすと、ブルレスカは急に体の力を抜いて、「チ、チ、チ」と指を振った。


「ったくクソガキの浅い推理はイライラさせられる。あのジジイだろうが、その娘だろうが、どうせ全部インバースでぶっ殺しちまうんだ。カンケーねえだろ。まあ最初に俺を否定しやがったあのジジイだけは、できればアタシの手で殺したかったけど。病気でおっちんじまうんじゃ、世話ねえや」


 ブルレスカのぶっきらぼうな物言いに、声を荒げたのはキララだった。


「父はずっとあなたのことを気にしていました! あなたの行方をずっと探させていて、あの日あなたを半ば研究室から追い出したことも、ずっと悔いていて……!」


「黙れクソガキ!」しかし、その説得も、怒れる男の前では無意味だった。


「今更何を言われても関係あるか! 何を言おうと、お前の父親がすべての元凶なのは変わらないんだよォ!」


「くっ……!」


「しかもあのジジイ、死ぬ間際にまで俺のことを邪魔しやがって……! ああ、思い出したらムカムカしてきた!」


 ブルレスカは叫ぶと、再び絶人の視界から姿を消す。

 次に「きゃあっ!?」という叫び声が聞こえて、絶人は、慌ててそちらの方を向くと、ブルレスカはキララの体を片手で軽々と抱え、変わらぬ怒りの表情でこちらを見ていた。


「アタシはこれから、このSALTサーバーから、インバースを全世界のネットワークにばらまく。そうすれば、まもなく世界中のソルトが人間に牙を向き、世界はひっくり返る……!」


「なっ……!? させて、たまるか……うう!」


 絶人はなんとか体を起こそうとするが、激痛に耐えかねて、ついに倒れ込んでしまった。しかし、彼のその様子にも特にもはや興味を示さず、ブルレスカは言う。


「アタシがこいつを攫った目的は、その『カギ』としてさ。……さて、話は終わりだ。アンタにはここから出てって……いや、消えてもらおうかネ」


 ブルレスカが、キララを掴んでいない方の腕を絶人に向かって伸ばす。すると、絶人の周囲を取り囲むように、赤黒いゼリー状の物体がのそりとその体を現した。インバースだ。


「せっかくだし、お前さんにはインバースたちの栄養になってもらおう。光栄だろう? お前はこれから、世界をひっくり返す存在の一部になれるんだ」


(……光栄なわけ、あるか!)


 心の中ではそう思いながらも、絶人にはもはや、なすすべはなかった。

 敵の親玉であるピエロにはまったく手も足も出ず痛めつけられ、攫われたキララとナナミを助けることも叶わない。そして、自身のことすら守れず、あえなく命を奪われようとしている。


(僕は……僕は、何やってんだ……?)


「ギャハハハハ! これで、アタシを邪魔するやつはいない! 世界はInverseになるんだ!」


 ブルレスカの高笑いを聞きながら、絶人はもはや眉一つぴくりとも動かせず、視界が赤色の世界に染められていく。

 そして、いよいよ意識がインバースにゆだねられる、という瞬間。絶人の視界は、一瞬にして白い光に包まれた。同時に、耳元にあるはずのない通信の音声が聞こえてくる。


『……マルウェアバスター・サインアウト』


 それは落ち着いた中年の声で、絶人にとってはよく聞きなれたものだった。

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