Phase.21 "The Crown of Clown"
相変わらず、絶人のスマホの中は散らかっていた。透明な立方体がたくさん集まって、広い空間の中にいくつも浮かんでいる。その中の一つの立方体に立って、彼は頭を抱えていた。
「……それで、この後、どうしたらいいんだ!?」
なんだってこう、自分は後先考えないのだろうか、と絶人は自分の頭をぽかぽかと叩く。突然のことに、慌ててサイバー空間に飛び込んだはいいが、自分がいつもキララというナビゲーターに従っていたのだということを思い出し、地団太を踏んだ。
スマートフォンの中に来たはいいが、その後どこへ行けば、ソルトの中へ消えていったキララを追うことができるのか?
「僕、何も知らないんだな……」
うつむいた絶人の口から、思わず泣きごとがこぼれる。
あの研究員の話のとおりかもしれなかった。
いや、もはや絶人は「使う側」ですらない。いかにバーチャル・ゲームで高得点を取ろうとも。いかに最新のガジェットを揃えようとも。それはただこの発展した文明の恩恵を、さながら鯉が降ってくる餌を口を開けて待っているように、ただ「使わされている」だけに過ぎないのかもしれない。
そこで実際に何が行われているのかがわからなければ、少女の後一つ追うこともできないのだ。
(いや、弱音を吐いてる場合じゃない。こうなったら、片っ端からアプリを当たって、ソルトくんに通信できるものを探すんだ!)
絶人がそう決意して、顔を上げた瞬間、
『こんにちは』
と声を掛けられて、絶人は思わずひっくり返ってしまった。
「だ、誰!?」
まさかスマートフォンの中で気さくに話しかけられるとは思わず、絶人は身構える。だが、すぐにその声の主に気が付いた。
『こんにちは! ワタクシはソルトです!』
白銀色のアルカイックスマイルが、立方体の中から顔をのぞかせていたのだ。
「なんだよ、ソルトくんか。……ってこれ、さっき展示場でダウンロードしたアプリじゃん!」
絶人が慌ててその立方体に駆け寄ると、それを見ていたかのように、側面に映し出されたソルトも嬉しそうな顔で笑う。
『どんどんコミュニケーションして、仲良くなりましょう! 何の操作をしますか?』
面上にメニューが出てくる代わりに、ソルトが実に嬉しそうに問いかけた。なるほど、このアプリはサイバー空間上でもコミュニケーション・インターフェースを貫き通しているらしい。
「えっと、僕を君の中まで連れてってくれればそれでいいんだけど、できる?」
絶人が恐る恐る尋ねると、ソルトは少し思案したのか、それとも単に定められた秒数の間を取ったのか、目を動かした後、
『SALTサーバーへのアクセスですね。フィードバックデータと合わせて送信することは可能ですが。よろしいですか?』
「なんかよくわかんないけど……とにかくよろしく!」
『では参ります。このアプリケーションに手を触れてください』
絶人がゆっくり上面に手を添えると、真っ白い立方体が、次第に光に包まれる。そして、一瞬の光ののちに、絶人の視界が反転した。
目を開くと、そこは別の空間だった。エメラルドグリーンの朝焼けが背景に広がり、ぼうっと光る六角形のパネルがタイルのように連なっている。
まず絶人の目に入ったのは、床に転がる少女の姿だった。
「ナナミちゃん!?」
絶人が慌てて駆け寄り、物言わぬ彼女の上体を起こす。だが、ナナミは目をつぶったまま、まったく反応がない。
「ナナミちゃん! ナナミちゃん、しっかりして!」
「本当、うるさいガキだね。そいつは眠ってるだけ。……まったく、こんなのが『マルウェアバスター』だなんて、お前たちの命運もその程度だったってこと、か」
前方から甲高い声が聞こえて、絶人はその方向を睨んだ。
「で。アンタ。何しに来たの?」
ピエロは、別に面白くもなんともない、というような表情でこちらを眺めていた。むしろ「やっぱり来ちゃったのか」とでも言いたげに片方の手で耳をほじくり、ふんぞり返っている。
「…………」
そして、その後ろには、目をつぶってうつむき、耐えるような顔で立ち尽くすキララがいた。
「決まってるだろ! お前をやっつけて、キララとナナミちゃんを助けににきたんだ! さあ、キララをこっちに渡せ!」
絶人はこれまで同様、手元に力を籠める。そして現れたフォトンレーザーの銃口を、ブルレスカに向けて突き立てた。
「く、くくく……ギャーハッハッハ!」
だが、ブルレスカはおかしくてたまらない、という風に、下卑た笑い声を上げる。
「な、なんだよ! 何がおかしいんだよ!」
「撃ってみろよ」
「……え?」
ブルレスカは、まるで自ら的になるかのように、ゆっくりと身体を開く。
「ほらほら、撃ってみなよ。本当に撃てるならね」
「何言ってんだよ! 本当に撃つぞ!」
「だから撃ちなってば。殺人犯になっても、いいんならね」
ブルレスカの口にしたそのワードに、絶人の思考は一瞬にして固まった。
僕が――殺人犯?
「そう、殺人犯。人殺し。マーダー。シリアルキラー」
ブルレスカは聞き覚えのあるようなないような単語を並べていく。そして、少しだけ間を取った後で、
「こう見えてもアタシ、一応人間だから。人間を殺しちゃったら、殺人犯だよね? ケーサツ呼ばれちゃうよ? あ、学校で習わなかった!?」
畳みかけてきて、絶人に考えさせる暇をまったく与えてくれなかった。
「それからさらーに、こうすると?」
ブルレスカはその細長い腕で後ろに立つキララを引き寄せ、絶人の銃口の前に突き出す。
「撃てるかなあ? 当たっちゃうよね、キララちゃんに」
「……人質、ってことか」
「アハハ、別にそんな大袈裟なことじゃないよ。別にアタシ、人質なんかなくてもアンタに負けないし。ただ状況を教えて上げてるだけ。キララちゃん、死んじゃってもいいなら撃てばいいけど……そうじゃないなら脅しになってないんじゃないのかなーってね、ウフフ」
ブルレスカは嫌らしい笑いを浮かべたまま、「た・と・え・ば」とゆっくり言って、どこからともなく小さなナイフを取り出す。
「こーんなふうにされちゃったら、どうするのかなあ?」
そしてそれをキララの喉元にあてがった。
「!! ひ、卑怯者!」
「ザンネン、道化ってのは皆そうなんだよ。ちょっとばかし人生経験が足りなかったね、ボク? ほらほらいいの? その銃、下ろさないならキララちゃんどうなるか知らないよ?」
「くっ……わかった」
絶人は諦めて、足元にフォトンレーザーを転がす。
「良くできました」
その瞬間を、ブルレスカは見逃さなかった。床から目線を前に戻すと、すでに目の前まで、ピエロの衣装が迫っていたのだ。
「なっ……!」
避けなきゃ、そう思った時にはもう頭に鈍い衝撃が走っていた。そのまま、体が地に伏されて、身動きが取れなくなる。うつ伏せに寝た背中を、ブルレスカが足で踏みつけていたからだ。
「ギャハハハハ! ホント、素直でいいねえ子どもって!」
絶人を踏みつける足に、より一層力が入れられる。
「うぐっ……!?」
肺が圧迫されて、くぐもった声が出た。
(こいつ、いつの間に俺の前まで!?)
「まったく、こんな奴がマルウェバスターだなんて。キララちゃんも不幸なもんだね」
グリグリと足に力を込めながら、ブルレスカはため息をついた。
「なんだと……!?」
「だってさ、お前……何の覚悟もしてこなかったんだろ?」
――覚悟?
「アタシを撃ち殺す覚悟。自分がひょっとしたら犯罪者になる覚悟。場合によってはお友だちを見殺しにする覚悟。場合によっては、自分の命と差し違えてでもアタシを殺す覚悟。そして、最悪、何の成果もなく犬死にする覚悟」
ブルレスカはこれまでとは打って変わった、突き刺すような声で投げかけた。
「何か一つでも意識してきたのか?」
「…………」
その問いに、絶人は何も答えられなかった。
ブルレスカの言うとおり、そんなことは一度も考えたことがなかったからだ。
ただなんとなくインバースと戦い、ただなんとなくブルレスカを倒し、その延長線上に、求める平和な世界がある。それだけが絶人の考えていた範囲であり、すべてだった。
「……はあ。アタシさ。お前みたいなクソガキがいっちばん嫌いなんだよ!」
「がっ……!?」
ブルレスカの足が、思い切り絶人の背骨を踏みつけた。
「お前みたいな! 何にも知らねえ何にもわかってねえガキが! 俺たちの作ったものを好き勝手にしやがって! 挙げ句の果てに俺のことを見下しくさりやがって! この、クソが!」
ブルレスカはもはや支離滅裂な呪詛の念をぶつけながら、何度も何度も踏みつけた。そのたび絶人の体が弓なりに震える。こいつ、あの枯木のような身体で、とんでもない馬鹿力だ。
(――く、そ……もう、意識が……)
度重なる責め苦に、絶人の身体はもう限界だった。当然だ。この間まで一介の中学生だった彼に、こんな暴力を受ける経験はない。
少女の叫び声が絶人の耳に飛び込んで来たのは、そのときだった。
「もうやめて! 『玉彦おじさま』!」
「…………っ!」
ぴたり、とふみつける足の動きが止まった。
「テメエ……その名前を呼ぶんじゃねえ!」
ブルレスカの荒々しい言葉の矛先が、キララの方を向く。彼女はそれにまったく動じず、絶人だけに向けて口を開いた。
「申し訳ありませんわ、ゼットさん……私は最初からこの男が何者なのか、知っていました。ただ、認めたくありませんでした。違っていてほしいと、ずっと思っていました」
どういうことだと問いかけたくても、圧迫された身体からは満足に音が出てくれない。
「しかし、驚きました。まさかあなたがビクトリア社にいたなんて……」
ビクトリア社に?
不可解に思ったその時、「なあんだ、やっぱりバレてたのか」と言いながらブルレスカはゆっくりと自分の顔を手で覆ってから離した。すると、一瞬にしてその素顔があらわになる。絶人もつい先ほど見たばかりの、あの研究員のそれへと。
「この男は、私の父、寺嶋陸男の下で助手として勤めていた人間。名を……」
「尾形玉彦」
キララの言葉に口を挟んだ声が、絶人の上の方から降ってくる。大嫌いな人間の名を口にするかのような声だ。
「もう捨てちまった、クソみてえな名前さ」
いつも軽薄な声色だったブルレスカのそれが、暗く沈むのを、絶人は初めて聞いた気がした。
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