Phase.20 "Frivolous Crisis"
「なっ……!」
絶人は思わずその場に立ち上がる。そして、三枚のスクリーンすべてに、白塗りの厚化粧の男が映ってるのを見て、絶人はそれが、先日清掃システムの中で遭遇した、あの男だということを理解した。何でこいつが、こんなところに?
『あははー、皆、そんなに怖い顔しないでよ。アタシは別にそんな、怪しいモンじゃないから……って怪しいか!』
セミナールームの中をどこかのカメラを通して見ているのか、ブルレスカはクヒヒといういやらしい笑い方で表情を歪ませている。その一方で、クラスはちょっとした騒ぎになっていた。
「何このピエロ……ヤバくね?」
「いや、演出でしょ。さすがはビクトリア社だな!」
などと、みんなが半信半疑という感じで、ざわついている。
絶人は絶人で、ここで自ら自分がマルウェアバスターであるなどと公言するのもはばかられて、何も口にできずにいた。
『にしてもアンタ、よくあの大蛇のインバース……"インバース・バイパー"を倒せたもんだ。あれ、結構自信作だったんだから、ガキンチョごときに倒せるはずないと思ってたんだけど……さすがはあのジジイが作った"マルウェアバスター"ってところか』
ブルレスカは相変わらず饒舌に、勝手に好き放題話したあとで、「まーいいんだそんなことは」と思い出したように言った。
『今日アタシが用があるのは、マルウェアバスター……アンタじゃないの』
「……えっ?」
その意外な物言いに、絶人は思わず肩透かしを食らってしまう。てっきり、というか間違いなく、奴がここに現れた理由は、自分への宣戦布告なのだとばかり絶人は思っていたのだ。
ブルレスカにとってみれば、自分の生み出したマルウェアをことごとく駆除していく、憎き存在なはずである。絶人をどこかへ呼び出して、卑怯な作戦で秘密裏にその存在を亡き者にする。きっとそんなところだろうと思っていたのだが。
『"キララちゃん"。見てるんだろ?』
ぞっとするような重たい声で、ピエロはその名前を呼んだ。
「…………っ!」
それまで息を殺して、何も話さなかったキララが立ち上がる。それに合わせて、クラス中の視線――絶人を含む――も彼女に集まった。
『いやさ、前にそこのガキンチョに遭ったとき、通信してる声にどっかで聞き覚えがあるなーって思ってたワケ。で、よくよく考えてみたら、当たり前じゃん! あのジジイがいない今、どうこうできるのアンタしかいないもんね。いや、あの時のこれまたガキンチョが、すっかり大きくなっちまったもんだ。おじさん、もう若い子の成長に涙ちょちょぎれそう』
ブルレスカはどこかからハンカチを取り出して、大げさに眉毛を曲げて、目元をぬぐうふりをする。アイラインを十字に切った黒色の化粧がまったくにじんでいないことから、奴が本当は目元を拭きも、ましてや泣いてすらいないことは明らかだった。
『け・ど・ね。こうなんどもアタシの邪魔されるのも困るし……ちょうどアンタに用があってさ、探してたってワケ。ね、ここまで来てくれるよね?』
ブルレスカは今度は友だちにお願いするかのような人懐っこい笑顔で手を広げる。すると、スクリーンに映っているものが、奴の胸像だけから、だんだんと広範囲になってきていた。
そして、その映像が広域になればなるほど、絶人にもそこがこの世の場所とは思いづらい、奇妙な景色だということに気づけるほどになった。エメラルドグリーンの空間の中に、六角形の透明なパネルが敷き詰められて構成された世界。サイバー空間だ。
『ああ、もちろんタダでとは言わんよ』
意地の悪い笑いを一つ浮かべると、ブルレスカはその場から一歩、横に移動する。
『コレ、なーんだ』
彼の退いた奥に存在するそれを見て、絶人は、いやその場にいた全員が驚愕の声を上げた。
「ナナミちゃん……!?」
絶人も思わずその名を呼ぶ。それは先ほどまで一緒に展示場を眺めていたクラスメイトに違いなかった。ただただ目をつぶり、こちらを向いて吊されるように浮かんでいること以外は。
『はい、さっきゲットした、キララちゃんのクラスメイトちゃんでーす! やーいいよね、素朴な感じのかわいこチャンだよねえ。きっと大きくなったら美人さんになるんだろうなあ』
ブルレスカは今度は親戚のおじさんがそうするような表情で少し斜め上を眺めたあとで、不意にこちらを睨んだ。
『大きく、なれたらね?』
「ブルレスカ……!」
キララが憎悪の固まりになった瞳で、スクリーンを睨み返す。
『お利口さんのアンタなら、わかるよね? どうしたらいいのかさ!?』
もうたまらなくなったと言わんばかりに下品な高笑いを響かせる、スクリーンの向こうのピエロと、まったく状況がわからずざわつく同級生たち。
それらとは対照的に、絶人は黙りこくったままだった。正直言って、絶人も状況まったく掴めていなかった。ブルレスカがここに現れるのはまあわかる。ナナミを、どうやら人質に取ったことも、絶対に許すつもりはないが、動機としてはわからなくはない。
だが、キララにだけ用があって、彼女だけを呼び出すということの意味が、彼にはわからないままだった。用というなら、直接的に奴の邪魔をできる自分の方がよっぽど人質を取られて呼び出されそうに思う。
『ああ、そうそう。あんまりのんびりしてる時間ないよ? もうすぐソルトくん、入れ替えの時間だから。こっちに来るためのアプリ、入ってるやつはどっかに行っちゃうかもね』
「くっ……!」
「お、おい!? キララ!?」
ブルレスカのにたりとした笑いに耐えられなくなったように、キララは突然走りだした。
「ちょっと、待てってば!」
ブルレスカの腹の立つ声を背中に受けながら、絶人も、キララを追おうとして、走り出す。
だが、それに立ちはだかるものがあった。
「ビビ。ここから先は、立ち入り禁止エリアです。ここから先は立ち入り禁止エリアです」
名前のとおりのあっさり顔のロボットがいつの間にかセミナールームに入り込んでいたのだ。それも、一体ではない。ざっと目に付くだけで数十の彼らが、おしなべてアルカイックなスマイルを浮かれながら、部屋中の生徒たちを取り囲んでいた。その光景は、なかなかに不気味である。ナナミでなくても怖がってしまう気持ちがわからなくもない。
だが、怯んでいる暇はない。とにかく自分もキララのあとを追わねば、と、絶人はキララが消えた方の道をふさぐ、ソルトたちをすり抜けようと駆け出した。
「ここから先は立ち入り禁止エリアです!」
「うわあっ!?」
先頭にいた一体が思い切り腕を振り上げたので、絶人は思わずそこから飛び退いた。
(こいつ今、僕を狙ってきた!?)
『言い忘れた。侵入者強制排除モードにしておいたから。下手すっと骨折じゃすまんかもネ』
スクリーンの方から、まだブルレスカの嫌らしい笑い声が聞こえる。そのうち、
『じゃあそろそろおいとましようかナー、バイバーイ』
とこれ以上ないほど人を小馬鹿にしたような声で、スクリーンの映像は途切れた。
絶人は、言いたいことを言うだけ言って去っていくピエロの身勝手さに怒る暇もなく、迫り来る真っ白な軍団に、少しずつ追い詰められていた。
ここがサイバー空間なら、迷わずフォトンレーザーで撃ってしまうところなのに。
そう絶人がほぞを噛んだとき、
「うおおお!」
雄叫びを上げながら飛び出してくる人影があった。
「絶人、早く行け!」
勢いよくソルトたちを蹴り倒し、取っ組み合いを演じながら、そのもじゃもじゃとした頭が振り返る。絶人の父、雪和が中肉中背の体を震わせて、必死の形相でこちらを見ていた。
「と、父さん!? どうして……!?」
突然の父の乱入に要領を得ない絶人は、思わずためらってしまう。
「だー、お前はいつもそうだ! なんのために俺が必死になってんのか、何となくでいいから察しろっつの! ここは俺がなんとかするから、お前は早くキララちゃんを追え!」
「……わかった!」
何故父が出てきたのかはまったく察することはできなかったが、絶人は頷いて、空いた通路へと走り出した。
セミナールームを出た先、展示場の中心にキララの背中を見つけて絶人は慌てて駆け寄った。
「キララ! どういうことなんだよ! なんであいつがキミを……」
そこまで言いかけて、振り返る彼女と目が合った。
「……っ!?」
その瞳に、絶人はおもわずたじろぐ。
キララは不思議なほどに落ち着いていたのだ。この非常事態にあって、慌てた様子はまったく見られない。それどころか、何かを決意した人間特有の凄みまで感じられた。
「ゼットさん……申し訳ありませんわ。あなたと共に戦うのは、ここまでです」
キララはぺこりと頭を下げた。細い束になった黒髪が、はらりと落ちる。そしてそのままソルトの胸にあてがわれたタブレット端末を操作して、アイコンの一つを指さした。
「おそらくこのアプリケーションでしょう」
それは、ただの真っ白なアイコンだった。アイコンの名前も書いていない、簡素なものだ。
「このアプリケーションが、ちょうどマルウェアバスターと同じ作用をして、木下さんをサイバー空間へと引きずり込んだのです。彼女を人質として、私をおびき寄せるために」
「マルウェアバスターと同じだって!?」
「そんなことができる人間は、この世に一人しかいません」
言うが早いが、キララはそのアイコンをタップする。
「ずっと、その人物でなければいいとばかり思っていました。その人物でなければ、マルウェアバスターに……あなたに、戦ってもらえる。でも、ブルレスカが彼だった以上、木下さんを巻き込んでしまった責任は、私が取ります。ゼットさん、あなたのことも……本当は巻き込むべきではなかったのかもしれません」
「何言ってんだよ!? 彼って、いったい……!?」
絶人の問いかけもむなしく、そのまま光に包まれたかと思うと、キララの姿は吸い込まれるように消えて行き、あとには絶人と、物言わぬロボットだけが残された。
「こうなったら僕も……!」
絶人は衝動的に、自分のスマートフォンを取り出して、そのアプリを起動していた。「マルウェアバスター」は、いつもと変わらず、不遜な様子でホーム画面に鎮座していた。
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