Phase.18 "Salt Response"
ビクトリア社中央研究所のショールームは、展示場とセミナールームとに分かれている。今回の見学スケジュールでは、まずは展示場を一時間ほど自由に見学し、そのあとセミナールームで、ビクトリア社研究員の話を聞く、という手はずになっていた。
そして、キララとナナミという両手に持つはずの花になぜか逆に抱えられて、絶人は久しく訪れていなかった展示場に足を一歩踏み入れた。
「へえ……なかなか広いんですのね、この展示場は」
辺りを見回して、キララが感心の声を上げる。
白を基調とした広々とした空間は、学校の教室の十倍以上の面積はあるだろう。そして部屋のぐるりを取り囲むように、さまざまなIoT機器やシステムの展示ブースが陳列されている。その内容も、ディスプレイに映像が流れているものや、パネルに説明が描かれているもの、そして実際に機器を使ったデモを体験ができるものまで、さまざまである。
「でも、なんかあんまり変わり映えしないな」
さすがに日進月歩のIoTの世界と言えど、数年であらゆる製品が変わってしまうということはないようだ。なんなら、絶人がよくここへ来ていた頃とまったく変わっていない展示もあるように見える。
「私も実は、小さいころに来たことあるんだ。ね、あんまり変わってないね、ゼットくん?」
ナナミが絶人の横から顔を出し、なぜか彼ではなくその先にいるキララの方を見てあざけるようにニヤリと笑う。
「あら、それではつまらないでしょう。ゼットさんも、私と一緒なら、新鮮な気持ちで見学できると思いますわよ」
キララも小さな顔を覗かせて、決して譲ろうとしない。本当、どうしてこうなったんだろう。キララがムキになるのはわかるのだが、未だに絶人にはナナミがどうしてこんな行動に出ているのか、さっぱり理解できずにいた。
絶人が二人に捕まったまま、順路に沿って展示の見学を始めようとしたとき、視界の前方から見慣れないものが近づいてきた。ショールームの壁と同じくらい真っ白な体をした人型のそれは、足元についた車輪で器用に彼らの方に歩み寄ると、
「皆さん初めまして。ビクトリア社のショールームへようこそ!」
身振り手振りも交えて、はきはきと挨拶ををした。光沢ある身体は、昔の宇宙SF映画に出てくるロボットのような意匠だ。
「きゃっ、しゃべった!」
その滑らかな動きに驚いたのか、ナナミが小さく悲鳴を上げて、後ずさる。
「ワタクシ、エスコートロボット『ソルト』と申します。以後お見知りおきをー』
甲高い声を上げて、ソルトと名乗るロボットは、クルクルとその場で一回転する。
「な、なんですのこれは……」
キララも、彼の見た目からは想像できない運動性能にか、それとものっぺりとした肌と甲高い声にか、驚いて、彼女にしては困惑したような声を上げていた。そうして、突如現れたロボットに絶人たちが呆然としていると、後ろから父の笑い声が聞こえてきた。
「どうだ三人とも、驚いたか? それが今話題の、感情を持つロボット『ソルトくん』だ! この展示場でも展示説明員として働いてもらっているんだ」
「ドーゾよろしくー」
「へえー、これが……」
絶人はまじまじとソルトの身体を眺めた。テレビなどでは見たことがあったが、生の姿を見るのは初めてだ。身長は自分たちより低く、胸のところに薄いタブレット端末が付いていて、そこからの操作と、音声を使ったコミュニケーションができるらしい。
と、絶人たちがしばらく観察していると、急にソルトはうつむいて、器用にローラーを回転させると、あっという間に背を向けてしまった。
「そんなに見つめないでください、ぼっちゃん。恥ずかしい~」
「……父さん、なにこれ」
「常時、無線でクラウド上のAIと接続してるからな。感情豊かなんだ。展示の情報も常に最新のを取り込んでるから、ひょっとしたら俺より詳しいかもしれないぞ」
「いやそうじゃなくて。こんな性格に設定したの、絶対父さんでしょ……」
「あ、バレた? やっぱさ、せっかくうちの展示場で出すなら普通じゃつまんないと思ってさ。こういうお茶目なのもいいだろ、たまには」
ぼさぼさの頭を掻きむしって笑いながら、雪和はソルトをいとおし気に眺めている。こういう悪ふざけが好きなのも、絶人の嫌いな父の悪い癖だった。
すると、横からくすくすと笑い声が聞こえた。
「私、こういうユニークなの好きですわ」
キララが一歩前に歩み寄り、ソルトに、
「よろしくね」
と語り掛ける。するとソルトはすぐさまこちらに向き直って、
「よろしくです、お客サマ~」
と腕を上に突き出した。
「お、さっすがキララちゃん! 話がわかるねえ」
息子に理解してもらえなかった分、雪和は嬉しそうにしたり顔をする。
「ええ。少なくとも、そこで怖がってらっしゃった誰かさんよりは」
そう言って、今度はキララの方が絶人越しに、横の方を見た。そこには、顔から冷や汗をだらだら流すナナミの姿があった。
「怖がってなんてないよ!? ちょっと気持ち悪くって、近づいてほしくないだけだよ!」
ナナミはどう見ても怯えた様子で必死に首を振るが、いつの間にか半歩以上下がって腰の引けている様子を見るに、どうもこういうロボットとかの類が苦手なようだった。
「それを世間一般では『怖がる』というのですわ」
ふふん、と勝ち誇った顔で笑うキララとは対照的に、ナナミはどんどん顔を青ざめさせていく。だが、途中で意を決したように、その青白い顔を上げて、無理やりこちらに向けさせた。
「ぜんっぜん大丈夫! せ、せっかくだし、ソルトくんにいろいろ案内してもらいましょ!」
ナナミの笑顔は何とも言えずに歪だ。明らかに強がっている。そんな彼女の様子を知ってか知らずか雪和は無情にも言う。
「よし、じゃあ決まりだな。ソルト、三人を案内してやってくれるか?」
「もちろんです、ボス! では皆サマ、ビクトリア社・ショールームの旅、れっつらごー!」
すっかり勢いづいたソルトは、こちらを向いたまま、足元の車輪でスススと後ろへと下がり、順路を進んでいく。ナナミの様子などお構いなしだ。
(本当に大丈夫なのかな、これ……)
絶人はやや不安に想いながらも、ゆっくりと歩くソルトの後ろ姿を、キララとナナミと共に追うことしかできなかった。
予想に反して、ソルトの案内は意外なほどにまともだった。
クラウドを通してあらゆる製品の情報が入っているというのは伊達ではなく、すべての説明が流ちょうかつ正確。どんな質問にも対応できているし、何より語り口が軽妙だ。
「はい、ではキララちゃん! 答えはどれでしょう」
などと、胸のタブレット端末も巧みに使って、時折クイズなども出題するので、聞いている人を飽きさせない。あっという間に絶人たちは展示場の中を周り終わって、気が付けばセミナールームに移動する時間になっていた。
「では、バイバイする前に。ワタクシからお願いがあります」
ふいに改まって、ソルトはこちらを向く。そして、胸に収まったタブレット端末を指さした。
「スマートフォンでこの二次元バーコードを読み込んでください」
「こ、こう?」
ピピピ、という奇妙の音声とともに表示されたそれを、絶人はおそるおそるスマートフォンのカメラに映す。するとすぐさま反応し、スマートフォンのホーム画面には、ソルトの顔をしたアプリが鎮座していた。
「『おしゃべりソルトくん』ダウンロードありがとう!」
「……おしゃべりソルトくん?」
言われて、思わずそのアプリを起動する。すると、スマートフォンの画面の中に、不遜な表情をしたソルトが現れ、
「こんにちは!」
と明朗闊達にあいさつした。それを見て、絶人は思わず「うわ」と声を漏らす。
「『おしゃべりソルトくん』ではいつでもワタクシとおしゃべりできるんですよ。ワタクシが通信しているのと同じサーバーなので、どんな質問にも適切にお答えできるのです!」
「あらかわいい。これからはスマホでもソルトくんに会えるのですわね」
横からスマートフォンを覗き込んだキララがクスクスと笑う。
「それでは、いつでもワタクシを呼んでくださいね。ばいばーい!」
その装甲の重厚さとは裏腹に、最後まで軽いノリでロボットはその場を去っていく。
「ばいばーい、ですわ」
キララは子どものように手を振って、
「うふふ、かわいい子でしたわね。すっかり私、ソルトくんのことが気に入ってしまいましたわ。一台買って、ネットワーク監視用に改造するのもいいですわね」
などと笑った。
「冗談じゃないよ。これ以上家が狭くなっちゃたまんない」
絶人もソルトのことは憎からず思っていたので、軽口を言うに留めていたのだが、
「う……っ、はあ、はあ」
明らかに様子のおかしいナナミの様子を見て、足を止めた。
「だ、大丈夫!? 顔、真っ青だよ!?」
「なんでも……ない……」
苦しそうにそう声を絞り出すナナミは、どこからどう見てもなんでもなくない。ふと、助けを求めてキララの方を見ると、
「……うふふ」
キララはいつも以上にいやらしい目線でにやにや笑っていた。おいおい、また何か企んでるわけじゃないだろうな。絶人がそう思ってけん制しようとすると、
「ゼットさん、行きますわよ」
不意に腕を引っ張られて、絶人は思わず体勢を崩した。
「え、行くって……」
「次は研究員の方のお話でしたでしょう。木下さんはご用事がおありのようですので。先に参りましょう?」
「や、でも……一人じゃ」
絶人がなおも渋ると、キララは、
「いいんです一人で!」
と普段見せないような強い語気になったので、絶人も、
「わ、わかったよ」
と仕方なく彼女に従わざるを得なかった。
「あら、木下さん。そんな顔なさらずともご心配なさらず」
ナナミの方を見ると、彼女は怒るような切ないような表情を真っ青な顔で作って、前かがみになりながらこちらを見ている。時折、思い出したように後方を振り向きながら。
「あなたのいない間に抜け駆けなんてしませんわ。そんなことしなくとも、ゼットさんの隣は私のものですし……それに、今のままではゼットさんに迷惑をかけるかもしれないのはあなたではなくって?」
「ぐぬ……」
ナナミはキララの言葉に、大分揺れている。こんな悔しそうな彼女の表情は、初めて見る。
「とにかく私たちは先に参りますから。それでは、ごきげんよう」
と、キララが強引に腕を引くので、絶人は抵抗もできずに、ナナミを置いてセミナールームの方へと進んでいくことになった。
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