第4話 遠足へGO!
Phase.17 "Slap Stick"
あのあと、キララはブルレスカに関する追跡調査を行ったそうなのだが、結局めぼしい痕跡は見つけられなかったそうだ。
アクセスログのみならず、あらゆるログを(清掃システムをハッキングして)調べても、痕跡は一切なし。まるでインバースに感染したことすらなかったことになっているようだった――というのは彼女の正直な感想であった。
幸か不幸か、絶人はそういったネットワークとかハッキングとかの知識がまったくないから、キララの調査に付き合うことができない。一度「手伝おうか」と声をかけたが、ずいぶんと集中していたようで一言も返してくれなかった。無視しなくってもいいのに。
こうなると絶人にできることはインバースを倒す以外何もないのだが、ルーメンみよしでの事件以降、これといったインバースの被害なども起きていなかった。
絶人は、不思議と、キララが現れるまで毎日のように夜遅くまでやっていた「テレ・トリ」をする気にもなれず、かといって彼女がくれたあの分厚いマニュアルを読むでもなく、なにか釈然としない日々を過ごすことになってしまった。
そして、キララが絶人の目の前に現れてから、一週間。平和な日常そのままに、彼ら市立三善中学校二年三組の面々は、遠足に向かうバスに乗っていた。
遠足の目的地は、日本を代表するIoT機器メーカー、ビクトリア社の中央研究所だ。
「あ、あのさナナミちゃん。お菓子食べない?」
絶人は、隣の窓際の席に座って頬杖を突くナナミに、おそるおそる話しかけてみたが、
「いらない」
と返されただけで、それ以上会話は何も進展しなかった。
とても気まずい。
もうこんな感じのやり取り、何回目だろう。
ナナミとキララが自分を取り合うという騒動から、もう一週間になるわけだけど、そのときナナミとの間に生まれてしまった軋轢はまったくと言っていいほど改善されていなかった。というか、絶人には弁解の余地すら与えられてなかった。まったく口をきいてくれないのだ。
(なあ間宮……この空気なんとかしてくれよ。重くて重くてしょうがないんだよ)
前の席に座っている悪友に、こそこそ話しかけようにも、
(何言ってんだよ。言ったろ、ちゃんとフォローしとけって。だいたい木下さんとキララちゃんに奪われあうとかいう素敵イベントに遭遇するような奴に、なにもしてやる義理はねえよ)
と見事に一蹴されてしまう。
「ねえねえキララちゃん! 今日行くビクトリア社のショールームって『ソルトくん』っていう人型ロボットがいるんだって!」
間宮はこちらを一睨みしたかと思うと、すぐさま表情を変えて、隣席に座る人形のような少女に話しかける。
「……今日も今のところ、インバースの仕業に見える事件はないようですわね……でも、……のあの様子を見るに、このまま手をこまねいているわけにも」
「へっへっへー。なんかね、人間の感情を読み取るだけじゃなくて、ソルトくん自体も感情を持ってて、その時その時に合った受け答えをしてくれるんだって!」
間宮はどれだけ無視されてもまるで気にしないかのように隣に座るキララに話しかけ続けている。無視し続けるキララもだが、鉄の心臓を持つ彼もひょっとしたらすごい奴なのではないかと絶人は少しだけ認識を改めかけた。
ただし、認識を改めると、今まさに隣に座る少女に無視され続けている自分と彼が同じ穴の狢ということになってしまうので、慌ててストップした。
ちなみに、キララはというと、バスの狭い席の中で、自前のスマートフォンやらノートパソコンやらタブレットやらを広げ、SNSを絶えずチェックしているようだった。これは、ネットワーク監視ツールに引っかからないインバースの被害などが、どこかで起こっているかもしれないということで、目を光らせているらしい。もちろん、該当するような投稿があれば自動でピックアップするようなツールも使っているそうなのだが、それだけでは飽き足らず自分でも調べないと落ち着かないとのことだ。
閑話休題、前の席の二人に助けを求めることを諦めた絶人は、一旦は乗り出した身をまた自席に戻し、ちらりと横を見た。
「……………」
やはりナナミは、もうずっと、窓辺に目をやって黙ったままだ。切れ長の目から、ふわりと飛び出る美しいまつ毛が、今日に限っては力なく下に向かって垂れている。
「ね、ねえ。本当、先週のことは謝るからさ」
絶人がそう言うと、初めてナナミの方から反応があった。
「……何のことを?」
「え?」
「ねえ。ゼットくんは、いったい何について謝ってくれようとしてるの? ゼットくんは、私がどうして怒っていると思っているの?」
「そ、それは……」
その質問に、絶人はさっぱり答えることができなかった。
絶人には正直、ナナミがどうして怒っているのか、よくわかっていなかったのである。はじめは彼女の方から誘ってくれていて、それを後から来たキララのために反故にしてしまったことは、明らかに自分の落ち度だとは理解している。だが、それが一週間口をきいてくれないほどのこととは思えない。
「……ごめんね。ゼットくんは気にしないで、本当に」
視線をまったく動かさないままナナミが告げて、この話はもう終わってしまったらしかった。
こうしてインバースのこともナナミのことも何の解決の糸口もつかめないままただ時間だけが過ぎていき、絶人たちを乗せたバスは目的地である研究所へとやってきていた。
「はえー、広い敷地だなー」
バスから降りた間宮が、一瞬だけキララのことを忘れ、辺りを見回してつぶやく。でもそれは間宮だけではなく、ほかのクラスメイトでも同様のようだった。門から少し入ったところに駐車場があるのだが、これがまた大きい。おそらくは社員の駐車スペースなのだろう、ずらりと自家用車が並んでいる様子はまるでモーターショーをしているのかと錯覚してしまうほどだ。
そして、この駐車場のはるか先に、白亜のたたずまいの研究施設が工場と隣接して何棟もそびえているのである。ふだん学校と家の行き来くらいしかすることのない中学生にとって、驚くのは当然かもしれなかった。
とはいえ、実は絶人にとってはよく慣れた場所だ。
「まあ、ビクトリア社はIoTでは日本一の企業だからな」
絶人は特に感動もせず、眉を一文字にしたままに口を開く。
「IoT機器やその制御システム、それを使ったサービスまで、なんでも作ってる。お前の言ってた『ソルトくん』ってのも、この研究所で開発されたやつだし」
もう何度も、紋切り型に聞いた説明を、絶人は思わず口から滑らせるように言っていた。
「意外ですわゼットさん、ずいぶん詳しいんですのね」
絶人たちの後からバスを降り立ったキララが、感心したような、不思議そうな目でこちらを見る。さすがにバスを降りてまでSNSを監視するつもりはないようだった。
「あれ? キララちゃん知らねーの? ゼットのパパ、ここの研究員なんだぜ」
何故か間宮のやつが、鼻息荒く、嬉しそうに説明する。
「へえ……そうでしたのね。お父さまはぜんぜんお仕事のこと仰らないから存じ上げませんでしたわ。それに、ゼットさんはこうした情報技術にはご興味をお持ちでなかったと思ったので」
「父さんはあんまり仕事の話は家ではしないんだよ。あと、研究員じゃないよ。企画側」
「おーい、絶人ー!」
口を開いている最中に軽薄な声がして、絶人は研究所のエントランス、ガラス張りになっている入口に目を向けた。もじゃもじゃとした頭の中年男性が、大きく手を伸ばして振っている。
「げっ」
絶人の肺から思わず声が漏れた。どう見ても、絶人の父、雪和だ。
「あらあらお父さまったら。よほど、ゼットさんが見えたのが嬉しいんですのね」
キララはまるではしゃぐ子どもを見るように、暖かい声で笑う。しかし、絶人にとってはたまったものではなかった。
もともと、今回のビクトリア社中央研究所への遠足が決まったのは、絶人の父の存在が大きい。
「子どものころからIoTの現場に触れさせて、この時代を生きているんだぞということを自覚させたい」
という奥田先生のよくわからない思いにより、奥田先生が父に直接交渉して実現させた遠足である。絶人は決して実現しないでほしいと願っていたのだが、
「そんなに熱い思いがあるのなら」
と父もそれに応えてしまい、ついに今日という日が来てしまった。
「いやあ荻久保さん、本当にご協力ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」
絶人の父の前にはいつの間にか奥田先生が現れ、右手を差し出す。先生のスキンヘッドは今日もツルツルに決まっている。
「こちらこそ。生徒さんたちの教育にご協力できるなら、これほど光栄なことはありません」
先生とは対照的に、科学実験に失敗して爆発したギャグマンガのマッドサイエンティストみたいな頭の父も、ニヤリと笑う。そして、奥田先生の右手をがっちりと掴んだ。
そう言えば、今日は朝から念入りにヒゲとヘアスタイルのチェックをしていたような気がする。そんな姿を見るたび、あのアフロヘア―が自分に遺伝しなくてよかったと、絶人は心の底から思うのだが。
「お父さま、ご機嫌うるわしゅう」
さらに後からやってきて、恭しく頭を下げたのはキララだった。スカートの両端までつまんで、腰から身体を折り曲げている。
「おうキララちゃん! 待ってたよー! 悪いが今日は教育上の都合で絶人と二人っきりにはできないけどよ、今度ちゃんと恋人らしくデー」
「わあああああああああ!!!!!!!!」
口をとんでもなく滑らせようとした父を絶人は慌てて制止して、その顔をこちらに引き寄せた。
(父さん! それ家族以外には内緒だって言ったろ!?)
もうすでに、絶人とキララが結婚を前提にした付き合いだということは両親の間では事実のような扱いになってしまっていた。これ以上ないほどキララの策略にはまってしまった絶人は、この誤解の撤回は諦め、決してそれを口外しないことを両親に頼んでいたのだ。
(ん? あーそういやそうだったか、悪い悪い!)
ただ、当の父親がこの程度の認識なので、絶人の気苦労は推して知ってほしい。
(本当、余計なこといわないでくれよ!)
(わかった、わかったって)
雪和は苦笑いしながら、頬を掻きむしって背筋を整える。そして一つ咳払いをすると、
「あーキララちゃん、今日は楽しんでってな!」
とわざとらしく大声で言った。
キララはと言えば、「ふふ」とか言ってただただ笑っている。
こいつ、絶対今の楽しんでたろう。
一応、噂になると動きづらくなり、本来の目的であるインバースの調査ができなくなるので、キララとも、クラスの皆には「ただの親戚で、たまたまキララが絶人の家に居候しているだけ」と説明することで合意をしていたはずなのだが。この遠足、初っ端から不安である。
そして、彼の不安は即座に的中することになる。
「ゼットくん」
後ろから、ぞっとするような冷たい声が、彼の背筋を突き刺した。
「今の、どういうこと?」
そこには、眉毛を「逆ハの字型」にして、恐ろしいまでのプレッシャーを放つナナミが、まるで仁王像のように立ち尽くしていた。
「ゼットくんのお父さん、初めまして。私、ゼットくんクラスメイトの木下ナナミと言います」
ツカツカと、絶人やキララ、そして雪和の間に割って入ると、ナナミはぺこりと頭を下げる。表情は、先ほどと変わらないままだ。
「お、おう? はじめまし……て……?」
ただならぬものを感じたのか、雪和も疑問符を付けながら返しただけで押し黙る。
まずいことになった。よりによってナナミに聞かれてたなんて。
「ねえゼットくん、今お父さんが言いかけてたの、どういうこと」
「いや、それはその」
絶人は今度こそ答えに窮して、ただ後ずさることしかできなかった。
この期に及んで絶人はナナミが何に怒っているのか、やはりさっぱりわからないのだが、
「いやー実は僕たち付き合ってるんだよねー」
なんて言おうものなら、そのまま一生口をきいてもらえないだろうということくらいはわかる。すでにほとんど口は聞いてもらえてないのだが。
絶人が何も言えないでいる間に、口をはさんだのはほかでもないキララだった。
「まあまあ木下さん。ゼットさんのことをそんなにお睨みになるのはお止めいただけませんこと? 怖がってらっしゃいますわ」
そう言って、なぜかキララは絶人の脇から腕をとり、引き寄せる。
「それにきっと、木下さんのお耳に聞こえたとおりの認識でよいと思いますわよ」
キララはそう言って、アルカイックなスマイルで笑った。
(おい待て! 何言ってんだよお前! クラスの皆には内緒って言い出したのお前だろ!?)
(うふふ、木下さんが最近お元気ないものですから。こうでもすれば元気になるかと思いまして。それに、最近インバースも出ないので、いささか退屈しておりましたから)
絶対、後半が本音だと思うが、絶人がキララを問いただしたころにはもう遅い。不意に、絶人の空いている方の腕も掴まれた。ナナミだ。
「寺嶋さん、ゼットくんを振り回すのはいい加減にして!」
「あら、転校初日から思っていましたけど、振り回しているのはあなたではなくって? 今もゼットさんと、わざとお話ししないようになさってますし。それに、仮にゼットさんが私に振り回されていたとして、恋人でもないあなたには関係のないことではありませんこと?」
「そ、それは……」
キララの屁理屈は詭弁ギリギリなのだが、その堂々たる態度にナナミも自分が不利だと思ってしまったらしい。こうした謎の張ったりも、キララの得意技であった。
しかし、返答に困りながらも、ナナミは腕を握る手を緩めてはいない。
「さあゼットさん。今日はせっかくですから二人きりでいろいろと見て回りましょう。確か……木下さんともう一名、班行動だったかと思いますが、遠慮してくださいまし」
そう言って、キララは無理やりに絶人の手を引っ張る。なお、この「もう一名」というのはやはり間宮のことである。
「冗談じゃないわ」
意外にもナナミは絶人の手を引っ張り戻そうとはしない。その代わり、衝撃的な宣言を放つ。
「こうなったら三人で回るからね!」
「はあ!?」
絶人が状況を理解できず、首を右往左往させている間に、
「構いませんわ。どちらがゼットさんの横にいるのにふさわしいか……今回もやはり、ゼットさんに決めていただくということですね」
キララもその意図を理解して、承知してしまっている。
「では参りましょう」
「ちょ、ちょっと待って、僕はなにも……」
「行くよ、ゼットくん!」
もはや逃げ場のない雰囲気に、絶人はずるずると引っ張られていくだけだ。あとに残るのは、
「あの。俺、どうしたらいいの」
取り残された間宮たちクラスメイトたちと、
「荻久保さん……ああいうことは困りますな」
怒る奥田先生と、
「はあ、本当すみません。とんだご迷惑を」
ひたすら平身低頭する父さん。
つまり、皆だった。
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