Phase.15 "Pain Gain"

「――ぐへっ!」


 どれだけ落ちたかわからないけど、尻餅をついて、ようやく最下層にまで着いたということに絶人は気づいた。


「あー、お尻痛い。こんなのもう今日三回目だよ……」


 しかし、かなりの時間を落下していたと思う。ここまでの長い時間落ちて、対して怪我もないということは、やはりここは仮想空間なのだということを強く彼に意識させた。そこまでしてくれるなら、まったく痛みを感じないようにしてくれたって良さそうなのに。


「イタイ!」


 しばらくしてから、後ろで、金属どうしがぶつかり合う音と、機械音声の悲鳴が聞こえた。


「バムゥ! 大丈夫……うわっ!」


 絶人は慌てて駆け寄ろうとして、前につんのめる。そして、自分が床だと思っていた場所は、ただ乱雑に粗大ゴミが何層にも重なったところだったとようやく気づいた。


「ウーン……ダイジョウブ……」


 フラフラしながらも、バムゥはなんとか答える。サイバー空間の中で、かつプログラムとはいえ、あんな高さから落ちて、本当に無事なのだろうか。


「あいつ、バカしやがってー!」


 絶人はバムゥの身体を撫でさすりながら、自分たちをこんな目に遭わせたあのピエロのことを思い返していた。抜けた床に落ちていく前に見た奴の笑顔は、これ以上ないほど人のことを馬鹿にしたものだった。


「何が『直接引導を渡してやる』だ。こんなところに落としやがって……!」


 思い出したらどんどん腹が立ってきて、絶人は足元の洗濯機らしきゴミを思いっきり蹴り上げた。鈍い音は鳴るがゴミはビクともせず、それとは対照的に絶人の怒りは増す一方だ。


『……ゼット、無事ですか?』


 その時、キララから通信が入った。おっかなびっくり、というような小さな声である。


「キララ? キミ、何してたんだよ! せっかくブルレスカを捕まえられそうだったのに!」


 絶人はブルレスカへの怒りをそのまま声へとぶつける。捕まえられそうだった、なんていう自然な盛りも加えてだ。


「オ兄チャン、怖イ」


 言いながら、バムゥが不安そうにこちらを見上げるので、絶人はようやく「あ、ああ。ごめん」と溜飲を下げることができた。ちょっと大人げなかったかもしれない。


『先ほどは申し訳ありませんでしたわ。少し取り乱しておりましたの』


「いや別に、いいけど……」


 意外にも素直に謝罪してきたキララに戸惑いながら、絶人は生返事をする。少し感情的になりすぎた、という反省もあった。


『その場所は、どうやらゴミデータ……テンポラリファイルやキャッシュデータが保存されている場所のようですわ。システム中からここへ集められたゴミたちが、いずれは上のベルトコンベアーに乗せられて、溶鉱炉に破棄されるのでしょう』


「はあ、またゴミか……」


 そう言いながら、僕は立ち上がって周囲の様子を見る。壁は今までと同じ青みがかった黒色をしていて、その中に青白い筋が何本も走っている。絶人たちの足元にいっぱいに広がるごみたちも、やはり同様だ。上はいったいどれほど上れば元の場所に戻れるのかというくらい高いし、壁には掴まって登れそうな隆起もない、つるつるの円柱だ。


「まいったな、これ……キララ、なんとかして上に戻る方法は……!?」


 ないの、と言いかけた瞬間、大きな縦揺れと地鳴りが絶人たちがいる場所を襲った。


「な、なななな、なに!」


 絶人は体勢を保てず、そのまま尻餅を着く。クソ、さっき打ったところをまた打った。


『メモリ使用率上昇中! 熱源反応検知! こ、これは……!』


「ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎいいい!!!!!!」


 キララが叫び終わる前に、集積されていたゴミの真ん中から、何かが飛び出してきた。

 細長いその体は、まるで粗大ごみたちが連なった大蛇だ。先頭にはドラムのような形の何かが、顔のようにくっついている。もちろん、粗大ごみたちは、赤黒いブヨブヨに覆われて連結されているということは、忘れてはいけない事実だった。


『――インバース……です!』


 蟒蛇のごとく長大なゴミの塊が、絶人をにらみつけた、ような気がした。


「こ、これもインバース……?」


 そういえば、と絶人は先ほどのブルレスカの言葉を思い出す。「サイバー空間上のデータを取り込んで破壊に利用する」というのは、てっきりベルトコンベアーのフロアで見た巨人のような奴らのことを指しているとばかり思っていた。こんな、絶人を見下ろすほどの長さの大蛇とまで化している奴もいただなんて。

 絶人が呆気に取られていると、足元から何かが飛び出してきた。


「オ母サン!」


 バムゥが叫びながら、大蛇に必死に呼びかける。


「お母さん?」


「僕ダヨ! バムゥダヨ! オ母サン、ドウシチャッタノ!?」


 正確に言えば、その相手は大蛇の頭の部分になっている清掃ロボットのようだった。よくよく見れば、バムゥの身体と同様の作りで、やや大きい型のもの。どうやらあれがバムゥのお母さんだったらしい。


「そうか、お母さんがインバースに操られてたから、システムが誤作動してたのか……!」


 あのインバースを倒せば、現実世界の混乱も収まるはず。そう考えた絶人は、大慌てで再び手元にフォトンレーザーを構成し、銃口をインバースに向ける。しかし、狙いを定めようとした瞬間、


「ぎゅぎゅぎゅぎゅ!」


 大蛇の頭が、こちらに向かって勢いよく突っ込んできた。


「うわあっ!」


 絶人はそれをとっさに横に飛びのいて避ける。そして振り返り、大蛇の頭の行く末を見て、驚いた。大蛇はまるで泥の中に潜るように、ゴミ山の中へとずぶずぶと沈んでいったのだ。そして、また揺れと地鳴りが始まる。

 長いアーチを描きながらゴミの海から飛び出し、再び潜っていくインバースの全長はいつまでとなく続く。やがて、その体を作っていたゴミの最後の一つがゴミの海に沈み込むと、


「ぎゅぎゅぎゅぎゅ!」


 すぐさま絶人の足下から、大蛇の頭が再び飛び出してきた。


「うぐっ……!」


 その勢いに吹き飛ばされ、ゴミの上に叩きつけられる。あのゴミの中を突き進んでいたのにというべきか、突き進んでいたからこそというべきか、とんでもないスピードと力だった。


「ゼット、ダイジョウブ!?」


「駄目だ、バムゥ! 僕は大丈夫だから、すぐに離れて!」


「ぎゅぎゅぎゅぎゅいーー!」


 数十メートルは上ったのだろうか、垂直に天をむいていた大蛇は、突如旋回し、再び絶人の方へ落下するように向かってきていた。


「くっ――!」


 絶人はとっさにバムゥの体を抱えて、横に飛び退いた。先ほどまで絶人が横たわっていた地点を寸分違わず狙って、またしてもインバースは頭からゴミの中へ潜っていく。


「今だ!」


 沈んでいく大蛇の体に狙いを定めて、絶人はフォトンレーザーの引き金を引いた。

 レーザーが、大蛇を構成していた電子レンジに当たると、命中した箇所からはじけて、大蛇の体がちぎれるように分断される。分かれたうち、しっぽの方のゴミたちは、憑き物が取れたようにこぼれ落ち、ただのゴミに戻っていったように見えた。


「よしっ!」


 絶人がガッツポーズを見せると、地面の揺れも嘘のように収まっていた。


「ゼット、スゴイ!」


「へへ、どんなもんだい!」


『……ゼット、油断しないでください!』


「えっ? ……ううっ!」


 キララの声からほどなくして、止まっていたはずの地震が、再び絶人の体を揺さぶり始めた。


「まさか……!」


 絶人がとっさにその場から飛び退くと、


「ぎゅぎゅぎゅぎゅーい!」


 またしても、先ほどまで彼の立っていた場所からインバースが飛び出してきた。しかも、さきほど撃たれたことで短くなるどころか、さらに多くのゴミを従えて、その体長を長くしているように見えた。


『ゼット! 奴の体は、頭の清掃ロボット以外はただのゴミ! ゴミをいくら破壊しても、周りのゴミを集めて復活するだけです!』


「だ、だからそういうことは早く言ってよ!」


 大蛇は再び絶人の方を向き、またしても襲いかかろうとその円柱状の顎をふるわせている。このままでは、いずれは捕まってしまうかもしれない。


『申し訳ありませんわ、解析に時間が掛かってしまって……ただ、今、キル・スイッチの解析が完了しました! そちらにデータを送りますわ!」


 キララ、流石だよ! 絶人がそう口に出す前に、データが彼の視界に送られ、インバースのある一か所が、青白く点滅する。


「えっ……!?」


 それを見て、頭が真っ白になった。破壊するべきポイントは大蛇の頭、清掃ロボットのど真ん中。つまり、バムゥのお母さんだったからだ。


『さあ、奴の頭が出ている今がチャンスです! 狙ってレーザーを……』


「あ、ああ……」


 曖昧な返事に、絶人の手は覚束ない。


「ぎゅぎゅーいぎゅぎゅぎゅ!!」


 そうしている間に、粗大ゴミの大蛇が、こちらに向かって、再度そのキバをむく。


「……だめだ!」


 ぎりぎりまで狙いを定めようとしていたが、耐え切れず、またしても絶人は避けてしまった。


『なにをしているんです!? 今が絶好のチャンスだったのに……』


「絶好のチャンス……そうだよね、キララは僕にあの清掃ロボットごと、キル・スイッチを打てって言ってるんだよね」


『もちろんですわ。メインプログラムを破壊すれば、制御信号も止まり、ロボットたちの動きを止めることもできます。多少損害が出ますが、人命のためにはやむを得ないでしょう』


 キララの説明はあくまでもビジネスライクな、冷静そのものだった。


「やむを得ない、か」


 彼女は意地悪をしているわけでも、悪意があるわけでもない。純粋に現実の人たちを助けたいと思って絶人に指示を出していたのだ。絶人はそれを理解しているからこそ、強い違和感を覚えていた。


 ――本当に、それでいいのか?


 絶人の疑問は、一台の清掃ロボットが眼前に飛び出してきて、確信に変わる。


「オ母サン! 僕ダヨ、バムゥダヨ! 目ヲ覚マシテ!」


 大地から飛び出し、天へと昇っていく大蛇に向かって、バムゥは必死に呼びかけてる。


「バムゥ! 来ちゃだめだ! お母さんはもう……!」


 絶人は慌てて彼に駆け寄る。あれ、今、なんて言おうとした?


「ドウシテ!? オ母サン、確カニ変ダケド、助ケテッテズット言ッテル。僕ワカルンダ!」


「…………」


「オ母サン! オ願イ! ソンナ奴ニ負ケナイデ!」


「ぎゅぎゅぎゅぎゅぎぎぎいいい!!!!」


 バムゥの必死の呼びかけにもかかわらず、大蛇は動きを止めない。むしろ勢いを増してこちらへと向かってくるのが見えた。


「そうだよね」


 気づけば絶人はまっすぐ大蛇に向かい合っていた。


「バムゥが諦めてないのに、僕が諦めるわけにいかないよね」


 その口元には、微笑すら浮かんでいる。


「少し離れてて」


 絶人はバムゥと大蛇の間に割って入り、仁王のごとく立ち尽くす。振り返らないまま、


「大丈夫。お母さんも、皆も。僕が必ず助けるから」


『……ゼット? いったい何をなさるつもりですか? 妙なマネはやめてください!』


 絶人の尋常でない様子を見て、異変に気づいたのか、キララが慌てた声で叫ぶ。


「妙なマネ? 人聞き悪いこと言わないでよ」


 絶人はそれを一蹴して、叫んだ。


「悪いけど、僕は現実世界の人のために、バムゥのお母さんを見殺しにするなんてできない」


「ぎゅぎゅぎゅぎゅぎぎぎいいい!!!」


 大蛇のアギトがもう目前までに迫ってきている。絶人は手元に持っていたフォトンレーザーをその場に投げ捨てた。


「いくぞ!」


 そして、突っ込んでくる清掃ロボットの体にしがみつくように飛びかかった。


「う……ああああああ!」


「ぎゅゆぎゅう……!!」


 絶人が力を込めると、インバースも苦しそうな鳴き声を上げ、地面に向かっていた軌道を少しだけ上に向けた。激しく円柱の壁にぶつかりながら、少しずつ大蛇は上を目指していく。


「ぐぅっ……」


 その度に絶人の体を強い衝撃が襲うが、振り落とされてやるもんか、と半ば意地のようなもので、彼は必死に張り付いていた。


『ゼット! 何のつもりですか!? そんなことをして、いったい……!?』


 キララからの通信に、絶人が応答するつもりは毛頭ない。


「確か、この辺りに……」


 その代わりに、清掃ロボットの体の側面を手探りに調べていく。


「あった!」


 ついにその感覚を見つけて、絶人は迷わずそのボタンを押した。そして、すぐさまその場から飛び退く。空中にまっさかさまになっても構わない。


「ジェット噴射モード発動。水圧デ汚レヲ取リ除キマス」


 しばらくすると、清掃ロボットの体が青白い光に包まれ――


「ファイア!」


 ――勢いよく足元のノズルから、水流が噴射された。

 その勢いのまま、清掃ロボットと、後ろのごみたちが分断されていく。主を失ったごみたちは、バラバラに崩れ、零れ落ちて行った。


「よっしゃ!」


 狙い通りの効果に、絶人は空中でガッツポーズを取る。しかし、彼の狙いというのは、何も清掃ロボットとゴミたちを分断させることだけではない。


「ぎゅぎゅぎゅぎゅ!?」


 戸惑うような鳴き声が聞こえる方を見ると、発射された水流に混ざって、赤褐色のそれが飛び出していた。


「これを待ってたんだ!」


 絶人は空中から落ちながら手元に力を籠め、呼び出したフォトンレーザーを握りしめる。

 そして、空中で苦しそうにもがく、青白い光に照準を合わせ引き金を弾いた。

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