Phase.14 "Like a Prank"

 後ろから聞こえたその鳴き声に嫌な予感を感じて、ゆっくりと振り返る。


「……えっと」


 そこにいたのはインバースではなかった。正確に言うと、以前見たものとはまるで違うインバースだ。確かに、スライム状のブヨブヨした姿は同じだ。色も赤黒くて、共通している。でも、その体の中にたくさんの粗大ごみを取り込んで、まるで石でできた手足を持つ巨人のような姿をしていた。しかも、見上げるほどの背の高さだ。それでいて甲高い鳴き声を上げるのだからたまらない。

 その巨人は、真っ黒のゴミ、おそらく電子レンジでできた拳を振り上げて――


「きゅきゅきゅきゅーい!」


 ――無邪気に、まっすぐ振り下ろした。


「おわわわわ!!」


 絶人は慌ててその場から飛び退く。


「エッ?」


 何故か、バムゥの体も抱えて、だ。


「に、逃げろー!?」


 意外に、バムゥの体はまったく重くなく、絶人の細腕でも楽に抱えられてしまう。ただし、それが、マルウェアバスターになっているからなのか、それとも火事場の馬鹿力というやつなのか、考えている暇はなかった。なぜなら巨人のようなインバースは一体ではなかったのだ。


「きゅきゅきゅきゅ!」


「きゅいきゅいきゅきゅ!」


「きゅきゅきゅーいきゅーい!」


 周り中のゴミを媒体にして、いくつもの巨人が立ち上がり、絶人たちを追いかけて来ていた。


「キ、キララ! なにあれ!? 聞いてないよあんなのいるなんて!」


『おそらくインバースがこの清掃システムに適応して生まれたのでしょう……名付けて“インバース・ゴーレム”といったところでしょうか』


「名付けてる場合かー!」


『……ていうか、あなたこそなんでその子を抱えてるんですか!』


「だ、だって! 放っておいたら、インバースにやられちゃうだろ!? バムゥの足じゃこのゴミだらけのところは走れないし……」


『それはそうかもしれませんが……これからあなたはブルレスカと相対するかもしれないというのに、その子も連れていくつもりなのですか!?』


「しょうがないじゃん! 掴んじゃったんだもん!」


「きゅきゅきゅきゅ!!」


「あーもう、しつこいな!」


 絶人は、まっすぐ抱き上げていたバムゥの身体を横に倒し、側面のボタンを迷わずに押した。

 そして、一瞬の体さばきでその上にまたがる。


「きゅいきゅいきゅきゅ!」


 その間に、インバース・ゴーレム(キララ命名)は、両手を形作っていた電子レンジを、またしても振り上げた。


「そこだ!」


 その瞬間、絶人が放ったレーザーに、電子レンジが弾け飛び、インバースが戸惑ったような声を上げる。それに被せるように、バムゥが高らかに宣言した。


「……ファイア!」


 ゴーレムたちを吹き飛ばすほどのジェット噴射で、バムゥと絶人は一足飛びにコントロールルームを目指し始めた。


「スゴイ……ゼット、強インダネ!」


 まっすぐ宙を滑空しながら、バムゥが嬉しそうに言う。


「へへ、あったり前だろ!」


『ゼット! その先がコントロールルームです! 奥に生体反応あり! ……おそらくブルレスカでしょう!』


「よぉし……このまま突っ込むよ、バムゥ!」


「エヘヘ、マカセロー!」


 威勢のいい掛け声とともに、絶人は扉を突き破り、ベルトコンベアーが始まる奥へと突き進んでいった。

 ぷすん、と何かが切れるような音がしたのはそのときだった。


「……あれ?」


 その影響が、絶人の身に如実に現れる。速度が目に見えて遅くなっていっていたのだ。


「ゴメン、ゼット。ガス欠」


「ウソ!? うあああああああ!!」


 これ以上ないほど情けない声を上げながら、絶人たちは高度をみるみるうちに下げていき、やがてその部屋の床の上に、滑り込むように不時着して、もんどりうって仰向けに倒れた。


「いって、てててて……やっぱり『テレ・トリ』みたいにうまくはいかないか」


 絶人は打った腰や肩をさすりながら立ち上がり、辺りを見回した。


「……あれ。なにもない」


 がらんどうの空間に、声が響く。

 広く、ドーム状に開けたこの部屋には、文字どおりなにもない。先ほどまでイヤというほど積んであったゴミたちが、ここには一つも見あたらなかった。


「バムゥ、ここがコントロールルームなの?」


 絶人は、よっこらしょと彼の体を起きあがらせて、尋ねる。ここなら床もなめらかだし、モップの足でも動きやすいだろう。

 バムゥはちょろちょろと辺りを動き回ってから答えた。


「コントロールルーム、ココダヨ。デモ変。オ母サンイナイヤ」


 絶人も辺りを改めて観察する。しかし、ブルレスカやバムゥの母親はおろか、インバースやゴミの一つもない。潔癖なまでの空間だった。


『ゼット! 後ろです!』


 キララの慌てた声が絶人の耳に響く。その声に、絶人はとっさに首を後ろに曲げ、部屋の奥に目をやる。果たしてそこには、先ほどはいなかったはずの人物が、こちらに背を向けて佇んでいるのが見えた。


「えっ!?」


 絶人は思わず目をこする。見落としてたわけではない。いくら宿題を忘れて怒られてばかりの彼だって、さすがに人がいるかいないかくらいは間違えない。


「……あーん?」


 その人物は、呆けた声を上げながら、ゆっくりと振り返る。


 ――はっきり言って、異様な姿だった。


 たぶん男だと思う、というくらいに、姿からわかる情報が少ない。それは、彼が白塗りの特殊なメイクに、奇抜ないで立ち――いわゆる、「ピエロ」のような姿をしていたからだ。おそらく180センチは優にあるだろう、長身痩躯がその歪なスタイルをより奇妙なものにしている。

 そしてそれが、こんな清掃システムの中にいるのである。どう見ても怪しい。

 絶人は迷わず手に力を込め、


「……お前がブルレスカか!?」


 握ったその銃口をそのピエロに向かって突きつけていた。


「あらあら、出会い頭にずいぶんだねえ。確かにアタシが『ブルレスカ』だよん。……この名前、インバースのコードの中に仕込んでただけなんだけど、有名になったもんだ」


 ピエロはまるで名が売れたことを喜ぶみたいに、口元をゆがませて、軽薄な声で言う。


「そうか……お前がインバースを作ったのか!」


 絶人は両手になおも力を込め、詰問する。この男を目の前にして、絶人には実感と怒りが腹の底から沸き上がるような感覚を覚えていた。しかし、銃口を突きつけられたらブルレスカが見せた表情は、驚くでもおののくでもなく、どちらかと言えば嬉しそうなものだった。


「お前……! まさかお前『マルウェアバスター』か!?」


 先ほどまでの眠そうな表情からは一転、急にブルレスカは楽しそうな表情で絶人に尋ねる。


「そ、そうだ! 僕がマルウェアバスターだ! なんか文句でもあるか!」


 上擦りそうな声を必死に抑えてそう啖呵を切ってから、絶人は奇妙な感覚を覚えていた。これはそう、お盆の間にだけ会う親戚のおじさんが、自分を出迎えてくれる時の表情に似ていた。


「うんうん、そうか、最期の最期にようやく完成したっていうわけか」


 ブルレスカは顎に手を添え、歪に顔をゆがませた表情のまま、納得したように頷く。

 あれ、なんでこいつマルウェアバスターのこと知ってるんだ?


「な、なあ。こいつブルレスカらしいぞ? いいのか? やっつけていいの?」


 絶人は一瞬どうしたらよいのかわからなくなって、キララに助けを求めた。

 自分は相手を知っているのだが、その詳細まではよくわからない。相手もこちらを知っているようなのだが、一体どういう理由なのかはよくわからない。話を聞いた方がよいのか、問答無用で撃ってもいいものかわからず、絶人はキララに判断を求めたのだ。


『…………』


 だが、耳元には期待するような指示は流れてこない。それどころか、単語一つキララの口からは漏れてこなかった。時折荒く息を吐く音が聞こえるので、通信が遮断されたわけではないようなのだが。

 そうしている間に、男は両手を大きく伸ばし、熱いため息をついた。


「今日は最高の1日だ!」


「なんだって?」


 そして、少しずつ絶人の方へと足を踏み出す。恍惚とした表情が上に向き、かすかに口が開くのが見える。


「インバースの実証実験は成功。十分なデータも取れた。特にサイバー空間上のデータを取り込んで破壊に利用するというのは、もはや一つの進化……!」


 ブルレスカは、絶人に語っているのではなく、さながら舞台の上で口上を述べる俳優のようだった。そして、といいながら絶人の方を向き、


「マルウェアバスター。アタシの唯一の敵になりうるやつが、ノコノコ目の前までやってきてくれるなんて!」


「……なっ!?」


 絶人は思わず、一歩後ろへと下がった。ふわりとその体がゆっくりと宙に浮きだしたからだ。天井と床とのちょうど真ん中くらいで制止したブルレスカは、上からこちらを見下ろす。


「悪いけど、お前はここでゲームオーバーだネ」


 煙が一つ弾けると、ピエロの枯れ木のような右腕の先に、鋭利な大鎌が現れた。ブルレスカがそれを構えると、こちらを向いた切っ先がギラリと光り、絶人の心臓を食い破る瞬間を今か今かと待ちかまえているように見えた。


「アタシに直接引導を渡されること、幸せに思いな!」


「やれるもんなら、やってみろ!」


 絶人も、フォトンレーザーを握る手元に一層力を込める。

 その次に、ピエロの満面の笑みが見えて――


「……ブァ~カ!」


 ――絶人の体は、真っ逆さまに下へ落ちて行った。


「ケケケ、ちょっと視線誘導すると、コロッと騙されてくれるからガキは扱いやすくて助かるワ。ま、せいぜい遊んでってくれやー」


 ブルレスカが吐いた、最大限に人の神経を逆なでするセリフを聞くものは誰もいない。彼がその場から溶けるように姿を消すと、床の抜け落ちたコントロールルームには、ただただ静寂だけが残された。

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