Phase.13 "Operational System"
「タースーケーテー!」
「……ん?」
まるで、必死に救いの手を求めるように聞こえる機械音声が響く方、それは溶鉱炉が待ち構える目と鼻の先だった。無機質にゴミたちが落ちていくその瀬戸際で、何かが必死にベルトコンベアーを逆走している。
「助ケテー! 誰カー!」
それは、ドラム缶のような円柱状の体で這い周り、向かいからゴミがやってくると、時折、飛び跳ねて避けたりしている。どうみてもそれはあの清掃ロボットだった。現実世界のものと違って、カラーリングは壁と同じ黒に青白い線が入ったものだったが。
「なんで、サイバー空間にも清掃ロボットが……!? いけない!」
絶人はとっさに、溶鉱炉に向かって走り出していた。彼自身も理由がよくわからない、本当に衝動的な行動だった。わざわざ溶鉱炉に突っ込んでく人間なんて、そうそういないだろう。しかも、目的は、妙な清掃ロボット一体助けるためというなら、なおさらだ。
「掴まって!」
僕はベルトコンベアーの岸辺に積まれていた冷蔵庫のような物体に跨りながら、必死にその清掃ロボットに向かって手を伸ばす。だが、それがまったく無意味だということに気づくのに、数秒くらい掛かってしまった。
「ツ、掴マレナイヨー」
ひょろひょろと不思議な機械音を出しながら、清掃ロボットは戸惑った声を出す。そりゃそうだ、と絶人は思った。このロボットには腕がないのだから、掴まりようがない。
『……何をなさってらっしゃるんですか、ゼット?』
戸惑うような声が絶人の耳に入る。声色は落ち着いているが、明らかに困惑している。
『あなたの目的は制御システムに異常をもたらしているインバースを倒し、お友だちを助けることだったのでは……何をなさるおつもりなのですか?』
「そんなの……僕だってわかんないよ!」
叫んだ勢いで、絶人はさらに手を伸ばす。もう少しで、清掃ロボットの体に手を触れられそうだった。たとえ相手に手がなくても、自分が掴みさえすれば、自力ではい上がれるかもしれないと思ったのだ。
「……あとちょっと!」
さらに手を伸ばした瞬間、グラリと体が宙に浮く感覚があった。跨っていた冷蔵庫が、重さに耐えかねてゆっくりとベルトコンベアー側に倒れていっていた。
「うわ、たったた!!」
絶人はとっさに冷蔵庫から飛び退いた。何か、せめてベルトコンベアーに流れているものに掴まらなくては。そう思って彼が体を預けたのは、
「あっ」
「エッ?」
必死で逃げまどっていたその清掃ロボットだった。
「エエエエエエーー!?」
絶人と、絶人が急に横っ腹に抱き着いた清掃ロボットは、そのままひっくり返るようにして溶鉱炉の中に真っ逆さまに落ちて行くことになった。
「うわあああああああ!!!!」
「ギャアアアアアアアア!!!!」
二つの異質な叫び声が、狭い筒の中に何度も跳ね返る。
『な、なにをなさってるんですかゼット!? このままではあなたのデータは根こそぎ溶かされてしまいます! それは死を意味するのですよ!?』
「わかってるよ! 今、どうしようか考えてて」
『わかってるなら早く脱出してください!」
残念ながら、絶人の頭には何も良いアイデアは浮かんでこなかった。せめてもと、清掃ロボットの側面をしっかりと抱える。
ポチリ、と何かを押した感触が右手にしたのは、そのときだった。
「――ジェット噴射モード発動。水圧デ汚レヲ取リ除キマス」
清掃ロボットがそう宣言するのと同時に、その体の下側が激しく回転し始めたのだ。激しい振動が清掃ロボットの体と、彼にしがみつく絶人を襲う。
「ファイア!」
掛け声とともに、ロボットの底面から、高圧の水が勢いよく噴射した。
「うひゃあー!」
絶人が情けない声を出している間に、ロボットは高度をどんどん増していく。
そしていつの間にか溶鉱炉の口を出て、ベルトコンベアーの川岸に派手に不時着することとなった。なぜか、絶人を下敷きにして。
「うべっ」
体が圧迫され、空気が漏れて変な声が出る。
「いたたたたたた……君、大丈夫?」
のしかかっていた清掃ロボットの体を起こしてあげたあとで、絶人は尋ねた。清掃ロボットはキュルキュルと側面を回している。どうも、嬉しさを表しているようだった。
「危ナイトコロヲアリガトウ。僕ノジェット噴射機能ヲ起動シテクレテ助カッタヨ」
「……あ、うん、よかった」
素直に感謝の意を表明してくれた清掃ロボットに、絶人は一瞬戸惑った。というのも、正直に振り返ると、絶人がいなければ彼はなにも溶鉱炉に落ちる必要はなかったからである。絶人がいたから例のジェット噴射とやらを起動できたのは確かかもしれないが、手放しで喜ばれることには少しばかりの罪悪感が残った。
まあ、ここは「素直な良い子だ」という感想で済ませておくのが無難だろう。
「その。君は、何なの?」
絶人は思わずストレートにそう尋ねていた。というのも、彼はこのサイバー空間で意志を持った何かに会うとは思っていなかったのだ。実際、絶人のスマートフォンの中や、温度制御装置にはそういった存在はいなかった。なお、赤黒いブヨブヨは除く。
「僕ハ『バムゥ』。コノ清掃システムヲ制御シテルプログラムナンダ」
「えっ!? 君がこの清掃システムを制御してるの!?」
絶人は思わず聞き返してしまう。こんな小さなロボット、もといプログラムが、この大きなシステムを制御しているなんて。
「ウン。本当ハオ母サント二人デ制御シテルンダケドネ。トコロデ」
バムゥが何か言い掛けたとき、
『ゼット!?』
耳元にキンキンとした声が飛び込んできた。
『無事だったんですのね!? 心配したんですのよ!? よかった、あなたがいなくなったら、私はどうしたら良いのか……!!』
「ご、ごめん……でも、この子を見たら、なんか助けなきゃって思ったんだ。本当、なんでだかはわからないけど」
絶人はなるべくキララの神経を逆撫でしないように言葉を選んだが、それでも次には彼女の怒鳴り声が聞こえてくるのではないかと、ビクビクしながらそれを待った。だが、果たして次に聞こえてきたのは、
『……本当に、あなたは不思議な方ですね』
意外にも、穏やかな声だった。
『はっきり言って、あなたの行動は理解不能です。あなたの目的はお友だちを助けること。それ以外のことはすべて些末なことと割り切るのが、マルウェアバスターとして本来あるべき姿……私は今まで、父のそばでマルウェアバスターになり実際にマルウェアと戦うまで至った人を何人も見ましたが、自分以外の環境、それもプログラムを助けようなどと考える人は初めて見ました』
「…………」
絶人はひざを着き、目の前のドラム缶のようなプログラムに目線を合わせる。確かに言われてみればそうなのかもしれない。今回はたまたまバムゥはこの清掃システムを制御している存在、いわば重要参考人だが、そうでない方が圧倒的に多いはずだ。いや、例え制御プログラムだとしても、人間の命を守るためには、と切り捨ててしまう人の方が大多数だろう。
では、自分がなぜこの不思議なドラム缶を助けたのかと言われれば、やはり自然と体が動いてしまったとしか言いようがなかった。
『ネエネエ。オ兄チャン、『ゼット』ッテイウノ?』
「ああ、うん、そうなんだ」
『ゼットハ、僕ノオ母サンヲ助ケニ来テクレタノ?』
「お母さん?」
絶人はまたも新しい発見をして、その言葉を聞き返していた。
「……ねえキララ、制御プログラムにも、親子の関係があるの?」
『あまり聞いたことはありませんが、こうした規模の大きいシステムならあり得るかもしれません。論理的な親子関係がこの仮想空間上では家族の親子として描写されているのでしょう』
それにしても気になるのは、とキララは続ける。
『お母さんを助ける、というのはどういうことでしょうか? お母さんに何かあったのなら、それが今回の事件の原因かもしれません』
「あ、そっか。……えーっとバムゥ、お母さんに何かあったの?」
「ウン。オ母サン、変ナ奴ガ来テカラオカシクナッチャッタ」
「変なやつ!? それって、ひょっとして赤くてドロドロした気持ち悪いやつ!?」
ひょっとしなくてもインバースのことだろうと絶人は思ったが、どうもその返事は歯切れの良いものではなかった。
「合ッテルケド、チガウ。最初ニ、ゼットミタイナ人間サンガ来タ。ソノ人間サンガ、ドロドロシタ奴ヲタクサン出シタノ」
「人間が!? それって、ひょっとして――!?」
『おそらく……ブルレスカでしょう』
キララが震える声でその名を口にすると、絶人も全身の毛が逆立つような緊張を覚えた。
「バムゥ、そいつどこ行ったかわかる!?」
「エット。コノ奥ノコントロールルームニ入ッテッタヨ。コントロールルームニハ、オ母サンガイタカラ」
「そうか、それでお母さんを助けて欲しいって言ってたのか」
「ウン。オ母サン、キットアイツニイジメラレテル」
奴はまだここにいるのか。絶人の目が、この通路の奥の方をとらえると、心臓が血液をキツく絞り取る。
それと同時に、一つの疑問が絶人の頭に浮かんだ。
「あれ? なんでブルレスカとかっていうやつが、サイバー空間にいるんだ?」
絶人はてっきり、奴はただの人間なのだとばかり思っていた。サイバー空間を訪れられるということは、バムゥのようにプログラムか、絶人のように肉体をデータに変換することができるということになる。
「ねえ。ブルレスカってのは、人間なんでしょ? マルウェアバスター以外でも、人間がサイバー空間に来る方法があるの?」
絶人が尋ねるが、キララからの応答はなかった。
『た……お…さま……やっと、この……』
代わりに耳元から、うわごとのような声が漏れ聞こえるばかりだ、
「……キララ? おい、キララ!?」
『えっ!? な、何でございますかゼット!?』
キララはずいぶん動揺して、素っ頓狂な声を上げた。
「いや、別にいいんだけど……とにかく、コントロールルームってところに、例のブルレスカってやつがいるみたいだから、ナビゲートしてくれよ」
『も、もちろんです! お任せくださいですわ! ……コントロールルームは、このベルトコンベアーの流れのおおもとにあるようですね』
「そうか、この流れを上っていけばいいのね。了解」
無機質に移動し続ける粗大ごみたちを眺めていた絶人は、その視線をバムゥの方に戻した。そして、
「君のお母さんは、必ず僕が助けるから。だから、安心して……」
「きゅきゅきゅい!」
待っててくれ、という言葉は言わせてもらえなかった。
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