Phase.11 "Up to You"

「……! ……!」


 そこには、僕の方をにらみながら、ガラスの壁をどんどんとたたく、細目の男の姿があった。


「間宮!?」


 絶人は驚いて思わず立ち上がり、店の外へ出る。だらしなく制服を着崩して、一人でガラスにへばりつく怪しい男に、絶人の言葉は呆れ気味だった。


「こんなところで何してんだよ、お前」


「そりゃこっちのセリフだよ。木下さんほっぽって、お前はこんなところで優雅にデートかよ。いいご身分だな」


 間宮は怒り気味に言い放つ。いつも飄々としている彼にとっては珍しい表情だ。


「いや、それは悪かったって。いろいろ事情があってさ……って、ひょっとしてお前、そんなこと言いに来たのか?」


「そんなこととはなんだ! だいたい俺が一番許せないのはな……」


 間宮はガラスの向こうのキララを指差した。


「転校生のキララちゃんと俺の知らないうちに仲良くなりやがって! そんで我らが学級委員の木下さんと奪い合いまでされて! こんなところで呑気にお茶してるっつー、その腐った根性が気に入らないんだよ! 俺だってそんなハーレムな世界に生まれたかった!」


 何言ってるんだこいつは、と絶人は本気で思う。時々、間宮がどこまで本気なのかとわからなくなることがあった。


「それ、お前の逆恨みじゃん。詳しくは言えないけど……その、事情があるんだってば」


「そっか。そうだよね……ゼットくん、忙しいもんね」


 不意に、後ろから声がした。


「えっ?」


 最悪だ。振り向いた先に、一番会いたくない顔を見つけて、絶人は思わず唇を噛んだ。


「ごめんね、私。忙しいのに。ゼットくんのこと、変に誘ったりして」


 ナナミは、いつもの元気さが嘘のように、眉をハの字型にして、視線を床に落として小さな声を絞り出していた。黒のポニーテールがしょんぼりと、濡れそぼったように下を向いている。


「な、ナナミちゃん。いや、違くて、これは」


「あら木下さんに……ゼットさんのお友だちですわね。ごきげんよう」


 絶人が何かしら言い訳をする前に、キララは最悪のタイミングでカフェの出入り口から顔をのぞかせた。


「キララちゃん!」


 名前を呼んでもらえなかった間宮が、キララを見つけて嬉しそうにその名を呼ぶ。


「まったく、今日は私とゼットさんにはとてもとても大事なお話があると申したはずでしたが。どうしてこんなところまでいらっしゃったのでしょうか。ひょっとして尾行してきていらしたのかしら」


 嫌味な声でそこまで言うと、キララは横から絶人の手を取った。


「こんな方々と何もお話しすることはありませんわよね、ゼットさん。さあ、私とデートの続きをしましょう」


「いや、僕は」


 絶人はバツが悪くなり、ナナミの方の様子をうかがう。しかし、今度は学校での時のように、絶人のもう一本の腕をとる人間はいなかった。


「そうだよね」


 ナナミがふいに顔を上げた。笑顔だった。


「今日は寺嶋さんのところに行くって、ゼットくんが決めたんだもんね。それを私のわがままでこんなところまできて、嫌なことまで言って」


 絶人は、こんな痛々しい笑顔を初めて見た。


「私、今日はもう帰るから! ほんと、ごめんね」


 それまで見せていた笑顔を急に隠すと、ナナミは向こう側へと走り去り、いつの間にかその姿は見えなくなっていた。


「ナナミちゃん……」


 絶人はその後ろを追いかけることができなかった。決して、キララに片腕を抑えられていたからではない。自分にはその資格がないように思えたからだ。


「あーあ。泣かしちゃった」


 視界の外から、間宮の不真面目な声が聞こえてきた。


「お前……っ!」


 こんな時に茶化しやがって、と絶人は怒ろうとしたが、視界に現れた彼の表情は意外にも真面目なものだった。


「よくわかんねえけど、木下さん、お前に話したいことあったんじゃねーの? 別にお前になんの事情があるのかとか知らねえけどさ。それ、木下さんを悲しませてまですることなの?」


「…………」


 絶人はなにも言い返せない。たかが間宮ごときに悔しいと思いながらも、それは正論かもしれなかった。結果的にキララの与太話に付き合うことにはなってしまったが、マルウェアバスターのこと、ナナミのこと。優先なんて付けれられるはずもない。


「……というわけでだな、キララちゃんとのデートは俺が引き継ぐから、お前は安心して木下さんの下へ行っていいぞ!」


 満面の笑みで親指を立てる間宮に、絶人は心の中で前言撤回した。やっぱりこいつ、ただ本能に従ってるだけだ。


「お前、結局それ言いたいだけだろ!」


「冗談だよ、冗談! んじゃ俺帰っから、木下さんには今度ちゃんとフォローしとけよ!」


 キララちゃん、またねー、なんて言いながら、間宮も後ろを向いて駆け出した。だらしなく鞄から、イヤホンやらシャープペンシルなんかがパタパタと揺れている。


「まったく、なんだったんですかねあの人たちは」


 隣で晴の腕をつかんでいたキララがつぶやく。その声は、恐ろしいほどに冷たかった。


「もういい加減にしてくれ!」


 絶人は思わず彼女に向かって叫んでいた。


「マルウェアバスターのことはわかった! 僕が戦わなくちゃいけないことも、なんとなくわかったよ。でもどなんで僕のプライバシーをひっかきまわすんだよ!」


「……それは」


「きゅきゅきゅいきゅいきゅい!!」


 背後から、耳障りな鳴き声のような音が聞こえて、絶人たちは思わず振り返った。

 果たしてそこには、見事に尻もちをついた間宮と、その眼前にぬっと立つ、一台のロボットがいた。絶人の腰ほどの高さのドラム缶のような姿で這い回るそれは、このショッピングセンター中にたくさん配備されている清掃ロボットだった。

 初めは、間宮が清掃ロボットにぶつかって倒れたのだとばかり思った。だから、今にも「やーいやーい、だっせー」と指をさして彼のことをバカにしてやろうと思った。

 間宮も、「うっせーばか!」と返して立ち上がり、改めて駆け出していく――はずだった。

 次の瞬間、清掃ロボットが間宮のお尻を突き飛ばしたのを見て、絶人の近い将来の予想は完全に崩れてしまうことになる。


「うああ!」


 体勢を崩してよろける間宮。何とか倒れることは避けたが、そのまま清掃ロボットは「大型ゴミ発見。回収シマス」と行って、間宮のことを追いかけ回し始めた。


「な、なんだよこれー! 誰か助けてくれよー!」


 間宮だけを執拗に追いかける清掃ロボットの異常さに気づいたのか、周りの人々も焦ったような表情で彼らを見つめている。だが、遠巻きに眺めているだけで、何もしようとしない。


「くそ! 誰か、係の人を……!」


 そう言って、絶人も駆け出そうとしたとき、誰かが腕をつかんだ。


「どこへ行こうというのですか? ゼットさん」


 キララだった。先ほどまで、自分を運命の人だと言っていた彼女とはまったく違う、氷のような視線をこちらに鋭く突き刺す。


「あの音が聞こえませんでしたか? 空気のこすれるような、あの不快な鳴き声。あれはインバースに感染したIoT機器が出す、特有の音です」


「インバースの……!?」


 絶人は改めて清掃ロボットの方を見やる。モップが床を這いずり回る音、間宮の悲鳴、そして周囲の人々の喧騒に混じって、かすかにあの鳴き声が耳に聞こえる。


「まあ、でもゼットさんには関係ないかもしれませんね」


 ふいに、ぱっとキララはつかんでいた絶人の腕を離した。


「えっ?」


「そうでしょう? インバースと戦うことも、ブルレスカを捕まえることも、すべてはゼットさんの意思次第なのです。ここでマルウェアバスターになることも、アレを無視して木下さんを追いかけることも、そして引き続き何事もないかのように私とデートを続けることも……すべて、あなたの意思次第なのです。わかりますか?」


「…………」


 絶人はぞっとするほど冷たいその目線に、動けないでいた。

 時折キララが見せる、このすべてを見透かしたような表情。絶人はなんとなくそれを見せつけられていることが悔しくて、慌ててポケットから、平板状のデバイスを取り出した。そして、手元で光るそれと、逃げ惑う友人の姿とを交互に見る。

 迷っている余地なんて一つもなかった。アイコンが、意志を持ったかのように点滅する。まるで「さあ俺を起動しろ。力を与えてやる」と問いかけるようだ。


「僕、キミのこと、大っ嫌いだ」


 絶人はそれだけ言って、「マルウェアバスター」のアイコンをタップした。


「私は、そういうゼットさんのことが大好きですよ」


 屈託のない笑顔で見つめられた瞬間、絶人の視界はいつか見たようなまぶしい光に包まれ、そして消えた。

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