Phase.10 "Precision Ratio"
「うーん! おいしいですわね、このカフェのパフェ! 特に、コーンに乗ったアイスクリームがそのまま刺さっているなんて、斬新すぎます!」
キララはとろけそうな顔で片頬に手を添えると、もう片方の手に持ったスプーンで、胸焼けしそうなほどの量の生クリームを掬い、迷いなく口へ運んでいく。その様子を頬杖ついて眺めながら、絶人が、
「僕をだましておごらせるパフェはおいしい?」
と尋ねると、皮肉が通じなかったのかキララは、
「はい! とってもおいしいですわ!」
と心からの言葉を返した。
そのあとで、
「あら。だましたなんてとんでもない。きちんと言いましたわよ私。『これからの私たちについてとっても大事なお話』だって」
キララはまるで指揮棒のように振っていたスプーンを、いったんパフェの山肌に差し込むと、彼女の目線ほどあるパフェの塔の向こう側から顔をのぞかせて、
「ゼットさん、子どもは何人ほしいですか? 私はやっぱり、一人っ子だと寂しいかなと思って、一姫二太郎がいいかなあと思ってるんですが」
などと嬉しそうに話し始めた。
「大事な話って、そういう意味だったのね……」
絶人は大きなため息をつきながら、テーブルの隅に目線を移した。
三善駅の南口すぐにある「ルーメンみよし」は、市内最大級のショッピングセンターだ。総合スーパーである「ブライトライト三善店」を核店舗に、ファッションブランド、雑貨、書店、アミューズメント施設、果てはスポーツジムまで、150以上の商業施設で構成されている。三善町では貴重な娯楽が集まる場所ということで、それこそ休日ともなれば3,000台近く収容できるはずの駐車場が満車になってしまうほどの人の出入りが発生する。
数年前にオープンして以来、荻久保家では家電や家具などの大きな買い物は必ずここでするし、絶人自身、放課後に間宮たちとここへたむろして、とりとめもない会話をしたこともある。実感として、この町の住民たちの中の大きな部分を占めている場所だと、絶人も考えていた。
だから、キララに「家以外でゆっくりと話ができる場所へ行きたい」と言われたとき、迷わず、このショッピングセンターの中のカフェへとやってきたのだ。
角の、こげ茶色のソファ席に座っての第一声が、
「ここが初めてのデートの場所として、記憶に残るんですのね!」
だったので、嫌な予感はしていたのだが。
「別にそんな話だったら家でもできるじゃん。いや別に家でもしたくないけどさ……インバースが見つかったとか、そういう話だと思ってたんだけど」
両親に聞かれるとまずい話、というと、てっきりインバースやマルウェアバスターに関する話だと思ったのだが、絶人はすっかりがっかりしてしまっていた。
「うふふ。そんなに仰るということは、もうすっかりマルウェアバスターとして戦うことを決意していただけたんですね?」
キララは、パフェの中腹のプリンをぺろりと口に運びながら、楽しそうにうそぶく。
「別にそうじゃない! ただ僕は、また誰かが被害に遭ったりしたら嫌だなって思って。っていうかキミも、もっとまじめに僕のこと説得しなくていいの? いざって時に僕が役に立たなくたって、知らないよ?」
絶人は逆にこちらが優位に立とうと、少し脅すような言い方をした。
そう、考えてみれば立場は逆なのだ。マルウェアバスターとしてインバースやブルレスカとやらと戦うのも、キル・スイッチを破壊するというのも、すべては絶人の意思次第なのである。なら、もっとこの目の前の少女は自分を敬い、下手に出てもよさそうなものなのだが、現実には絶人は振り回されっぱなしだ。これでは面白くない。
だが、キララはと言えば、絶人の発言にはまったく顔色を変える様子はなかった。
「そんな必要はありませんわ」
細い棒状のチョコ菓子をポキリと折って、キララは絶人の方をまっすぐ見据える。
「あなたは必ずブルレスカを打倒し、インバースの脅威から世界を救う。私はそう確信していますわ」
「…………」
彼女の見せる、ミステリアスな笑顔に吸い込まれそうになって、絶人はまたしても何も言えなくなっていた。根拠がないわけでも、「なぜならあなたは私のヒーローだからですわ」みたいなお花畑な理由でもない、何かしらの確信を持った口ぶり。
「まあ、私の張り巡らせたネットワーク監視ツールに特に反応がないうちは、インバースは活動をしていないということですし。以前、温度制御装置を襲ったインバースの解析も今ツールにやらせているところですから……今のところ特にできることはないんですけどね」
言いながら、キララは「そういえば」と思い出したように言って、通学鞄の中から分厚い冊子を取り出した。
「これ、時間があるときに読んでおいていただけます?」
「なんだよこれ、『マルウェアバスター 取り扱い説明書』……!? うげー、今時、紙か。っていうかマニュアルなんてあるんだ、あれ……」
絶人はテーブルの上に置かれた、辞書ほどの大きさのそれをパラパラとめくる。しかし、小さな文字がびっしりと書き連ねられている様子を見て、すぐにそれを閉じてしまった。
「父とゆかりのあったテクニカル・ライターに作らせたものです。600ページ長の大作で、アプリ使用時の注意点から、実際の武器使用についての説明、必殺技までトータルにカバー。あ、もちろん電子版もありますからご安心を」
いったい何に安心してよいのかよくわからなかったが、無言で絶人はマニュアルを鞄の中に放り込んで、ため息をついた。そして、カフェの店内と通路を隔てるガラス越しにショッピングセンターの中を眺めながら、
「どれもこれも、時代錯誤なものばっかり」
とつぶやいた。
「はて、時代錯誤ですか?」
キララは不思議そうに絶人の方を見る。
「だってそうでしょ。今時、わざわざ店頭で物を買わなくたって、ネットショッピングがあるし。フードコートでだべらなくったって、チャットツールを使えばいい。わざわざこんなところに来るってのが、そもそも時代錯誤、必要ないものなんだよ」
紙のマニュアルなんてものもそうだ、とは絶人は言わなかったが、「家族なんてのもそうだよ」と続けた。
「昭和の時代ならいざ知らず、誰かと一緒にいなくちゃ生きていけないなんてこと、今はないだろ? お金さえあればご飯だって、家だって、何だっていくらでも自分で用意できる。それを、昔からの慣習だからって『家族』だなんていう括りでしばっているだけなんだよ。僕だって別に、父さんも母さんもいなくたって独りで生きていける」
だからさ、と絶人は一旦置いて、
「僕はキミと付き合うとか結婚するとか、ましてや子どもを作るなんて絶対ありえないからね。これだけは言っておくよ」
「必要ない……そうですか。確かにゼットさんの仰ることも一理あるかもしれませんね」
「えっ?」
キララの意外な反応に、絶人は肩透かしを食らったような気分になった。彼女の方を見ると、その表情は、切ないような、悲しいような、怒っているような、複雑だ。
「お金さえあればというのもその通りです。実際そうして生きている子どももいましたから」
キララはまるで見てきたかのような確信をもって語る。そのあとに、ですが、と続けて、
「誰かと一緒にいるのは、何も必要だからだけでしょうか?」
「ど、どういうこと?」
「昨晩、ゼットさんがお帰りになる前に、ゼットさんのご両親とお話させていただきましたが……お二人とも、とてもゼットさんのことに興味をもって、そしてとても心配されているようでしたわ。私がゼットさんの恋人だと言うと、二人ともそれはそれはお喜び遊ばせて。『あいつは一生独身かもしれないと思ってたから、安心した』なんてお父さまはおっしゃってて。ふふ、ちょっと目元も赤くなってましたわ」
父がそんなことを言っていたとは、絶人は夢にも思わなかった。まあ、父の心配はあながち間違ってはなかったのだが。
「ゼットさんにとってご両親が必要かどうかはわかりませんが……ご両親は、ゼットさんと一緒にいたいと思ってらっしゃるようですよ?」
「……だから、僕には必要じゃないんだ」
絶人は小さな声で、なるべくキララに直接言葉を向けないようにして言った。
「キミもだよ、キララ。僕の人生には必要ないんだよ」
「ですが、私にはゼットさんが必要ですわ」
絶人がなるべく彼女から目を逸らしているのに、キララな無遠慮な視線を向けてくる。
「世界で唯一マルウェアバスターを扱える人間として。私のヒーローとして。そして、未来のパートナーとして……ゼットさんは私のこれからになくてはならない存在ですもの」
ダメだこれは、と絶人は思った。相手が必要ないと言う自分と、自分が必要だと熱弁する相手。これでは議論はいつまでも平行線をたどるばかりだろう。
そこで絶人は、少しだけ話を逸らすことにした。
「その、マルウェアバスターを扱える人間ってのは、本当に僕だけなのか?」
「本当に、と仰いますと?」
「いや、だってたまたま今回僕のスマホにあれがインストールされて、それをたまたま僕が起動したってだけだろ? 別に他の人でもいいんじゃないのか?」
「……そうでした、まだご説明していませんでしたね」
キララは持っていたスプーンを、パフェグラスの右横に置く。気づけばあれだけの高さがあったパフェは、もうグラスのかさ以下までに減っていた。
「インバースの脅威に気がつき、マルウェアバスターの開発を急いだ父ですが……その開発は難航しました。人体とマルウェアバスターの適合率を高くすることができなかったのです」
「……適合率?」
「はい。マルウェアバスターは人体をデータ形式に変換し、仮想空間に描写するものと説明しましたが、正確に言えばもう一つ過程が挟まります。すなわち、人間というデータに武器やスーツや、通信のための制御情報などを付加する……『適合』と呼ばれるものです」
なるほど、と絶人は心の中でひとりごちた。確かに自分の体を正確に仮想空間に再現したら、すっぽんぽんでインバースに戦う羽目になってしまう。
「この適合が上手くいく度合い――適合率が高くないと、人間はデータ形式を保つことができず、自然と現実世界に戻されてしまいます。父が研究する間にさまざまな人がその実験台を買ってでて、マルウェアバスターを使用しましたが、人によってその適合率には差がありました。しかもその値は最大でも50パーセント……ものの数分もしないうちに現実世界に戻されてしまうことばかりでした」
「数分!? それじゃ、インバースと戦ってる暇なんてないじゃないか」
「おっしゃるとおりです。父はさまざまな条件下で適合率を高めるための実験を行いましたが、わかったのは適合率はほかの条件によらず、人によってほぼ一定であるということだけでした。そして、父は適合率を高める研究をついに諦めることになりました」
「……え? 諦めちゃったの!?」
キララが特に残念そうな様子もなく、さらりと言ってのけるので、絶人の方が信じられないような気持ちになっていた。そしたら、何の問題もなく長いことあの場に留まっていられた自分は一体なんだったんだ?
「念のため申しておきますが。父はマルウェアバスターの実現まで諦めたのではありません。発想を転換したのです。適合率を高めることができないなら、適合率の高い人間だけが使えるようにして、大規模な検証を行えばよいのだ、と」
例えば、と言葉を切って、キララの瞳が怪しく光る。
「適合率100パーセントの人間のみが起動できる、スマートフォンアプリの形式にしたマルウェアバスターを、不特定多数の人間のスマートフォンに送信する……などですわ」
「……!」
絶人は自分のスマートフォンをまじまじと見つめた。未だに、というか当たり前だが、「マルウェアバスター」の文字はホーム画面にでかでかと鎮座している。
「これ、今までに何人送って、何人起動できたの……?」
絶人は恐る恐る、回答の分かり切っている質問をしてみる。
「総勢、1万人ほどのスマートフォンに送信して、起動できたのは……もうわかりますわよね? ゼットさん、あなた一人です」
その衝撃かつ重苦しい事実は、絶人の肩にずしりとのしかかった。
「ま、なにも焦ることはありませんわ。ゼットさんにはこれからみっちりとマルウェアバスターを扱うための練習はしていただきますし。今は、私とのデートを楽しみませんこと?」
気づけば、キララの目の前の巨大なグラスの中身は、わずかにこびり付いた生クリームを残してきれいさっぱりなくなってしまっていた。一体いつの間に食べたんだ。
「で、でも……ふつうはあんな怪しいの、インストールしないだろ!? セキュリティの意識低かったと思うよ自分でも。そんなやつがマルウェアバスターだなんて……」
まるで誰かに言い訳するように言う絶人を、キララは大げさに笑った。
「それがいいんですのよ」
「はあ?」
「あなたは情報技術について何も知らない、セキュリティ意識も低い、でも科学の恩恵を一身に受けている。そんな人こそマルウェアバスターにふさわしいと、父は考えていましたから」
「な、なんで……? ふつう逆じゃないの?」
「さあ、何ででしょうかね……あら?」
何かに気づいたように、キララはガラスの方を横目に見た。
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