Phase.7 "Destiny Hero"

 お風呂から上がった絶人は、引き続き大宴会を続けている両親たちの脇をするりと抜けて階段を上り、自室の扉を乱暴に閉じた。


「……はあ」


 そして、大きなため息を一つ付いて、その場にへたり込む。


 いったいなんだって言うんだ? 僕が何をしたって言うんだ?


 誰へともない疑問を頭に浮かべながらも、絶人は変わりない自室の様子を見て、少しずつ呼吸を落ち着かせて行っていた。

 こう見えて、絶人は自分の部屋にはこだわりがある。カーペットやべッド、カーテンからカラーボックスまで、色は青系で統一している。机上に置いているデスクトップパソコンとか、色を統一できないものは黒や白などのモノトーンにしているし、勉強机の木の色など、どうしても暖色になってしまうものにはミントグリーンのクロスを敷いて隠している。

 狂ったように明るい両親、謎の少女「キララ」の来襲――ペースをおかしくするような出来事ばかりの我が家で、ここだけが絶人が心を落ち着けられる場所だった。


「失礼いたしまーす!」


 だが、そんな絶人のサンクチュアリも、無遠慮な言葉一つで簡単に侵されてしまう。


「うげっ!」


 勢いよく開いた扉に吹き飛ばされ、絶人が三度ほどフローリングの床をゴロリと転がった後で、


「ゼットさん、お夕食まだですよね? お母さまと私の特製オムライス、召し上がってくださいませ」


 その声の主がキララであることに絶人はようやく気づいた。


「さあさ、今テーブルに並べますから。少々待っててくださいね」


 石膏で固めたようにびたりと張り付いた笑顔のまま、少女は手早く、部屋の中央のちゃぶ台にお盆を載せ、平皿やらグラスやらを載せていく。

 絶人は、その甲斐甲斐しく動く背中に、ようやく尋ねた。


「……僕たち、今日、会ったんだよね?」


 少女はしばらくそれには答えなかった。言葉を選んでいたのか、単に料理の準備に集中していたのかはわからないが、それを終えた後でゆっくりと立ち上がって、


「ええ。その節は、どうも。……"マルウェアバスター"」


 そのキーワードは、絶人に、今日の出来事がすべて現実であったと理解させるのには十分だった。


「…………!」


 ゾクリ、と背筋が凍るような感覚に、絶人は身震いするのを感じていた。だが、キララは打って変わって、屈託のない笑顔を向けると、


「さあ、支度ができました。まずはお夕飯をいただきましょう?」


 と、そそくさとちゃぶ台の前に座って、絶人を手招きし始めた。


「あ、ああ……」


 絶人はゆっくりちゃぶ台まで近づきながらも、あのサイバー空間で出会ったのとはまるで違う様子の彼女をいぶかしげに見た。見かけは同じだが、性格はまるで違うようにも思える。


「私の顔に何かついています?」


 少女はくすくすと笑いながら、いただきます、と皿に箸をつける。


「別になにも」


 絶人はむすりと彼女から視線を合わさないまま、オムライスを乱暴に口に入れる。母が作るものとはちがう、ふんわりとした触感は、彼をまるで異世界の入り口に立っているような気分にした。

 結局、かなり空腹だったこともあって、ものの数分で絶人はオムライスを平らげてしまった。


「まあ、きれいさっぱり。ずいぶんお腹が空いてたんですのね。やせ我慢しちゃって」


「う、うるさいな! 中学生はこのくらいふつうだ!」


「いずれにしてもこれだけきれいに食べてもらえれば、作り手冥利に尽きるというものですわ」


 キララはまるで初めて恋人に料理を食べさせたように安堵する。

 その穏やかな表情に一瞬見とれてしまって、絶人は自己嫌悪した。

 そしてすぐに、「もう、いいでしょ」とぶっきらぼうに告げた。


「もういいから説明してくれよ。そのために来たんでしょ?」


 その絶人の一言に、キララは、張り付けたような笑顔のまま止まった。


「キミはいったい、何者なんだ?」


 そして、少しうつむくと、先ほどまでとは打って変わった小さな声を発した。


「……2021年のIoT革命から、今年で十四年。現在、インターネットに接続されているIoTデバイスは、世界で何台あるかご存知ですか?」


 それはぶしつけな質問だった。キララは空になった皿の方を眺めたまま、回答を待っている。


「え、えっと……このあいだ授業で聞いた気がするんだけど、あはは」


「約千億台と言われています」


「せ、せんおく!?」


 絶人は思わず叫んでいた。百万とか二百万とか思っていたのが恥ずかしい。はっきり言って、千億というのもどういう規模なのかよくわからないけど。


「驚くことはないでしょう。数年前と違い、一人当たり複数のIoTデバイスを持っているのが当たり前の世の中ですから。あなただって」


 言いながら、キララは絶人の部屋にあるものをなめ回すように眺めていく。


「スマートフォン、パソコン、音楽プレイヤー、ゲーム機、エアコン、ベッド、学習机。二つ以上のデバイスを持っています。もちろんこれは少ないくらいで、中には一人で十を超えるデバイスを持っている人も珍しくはありませんわよね」


「はあ、確かに……」


「指数関数的に増加し、瞬く間に浸透していくIoTネットワーク網。この発展の裏に、サイバー攻撃の脅威があることは、すでにお伝えしたかと思います」


「……でも、そういうのって、セキュリティソフトとかで防げるんじゃないの?」


 絶人のその言葉に、キララはぴく、と反応した。しかし、表情を変えないまま、


「では逆にうかがいますが」


 と絶人に問い返した。


「警察がいれば、殺人や泥棒などの犯罪はなくなりますか? 警備員がいれば、銀行強盗はなくなりますか?」


「……なくならない、です」


「ええ。現実の犯罪と同じで、いくら対策しても、犯罪者はそれまで思いもよらなかった方法で攻撃をします。我々がそれに対抗しても、今度はまた別の手段で犯罪を犯す」


「それじゃまるで、イタチごっこだ」


 絶人もなんだかやるせない気分になって、床に視線を落とした。


「そして、サイバー犯罪の最たるものが、あなたが今日戦った、IoT機器に誤作動を起こし、現実世界の人々に危害を与えるマルウェア、『インバース』なのです」


「インバース……!」


 絶人は今日自分が戦ったことだけではなく、その脅威までもが現実であったことを思い出し、背筋が凍るのを感じていた。


「実はインバースの存在は最近発見されたものではありません。2027年ごろには最初の被害が起こりました。『FW2号機事件』……ご存知ですか」


 さすがにそれくらいは絶人も知っていた。IoT時代初期の事件として有名になったものだ。


「確か、食器洗い機が誤作動を起こしたとかで、一人おぼれ死んでたよな? ……まさか!」


「ある研究者は、それが現実世界に害をなすために作られたマルウェアによるものであることを察知しました。『インバース』と名付けられた。それに対抗するため、人間の肉体を電子データに変換して、サイバー空間に送り混み、直接原因となるマルウェアを駆除するソフトウェアを開発したのです」


「それが、マルウェアバスター……」


 僕は思わず、ポケットからスマートフォンを取り出した。「マルウェアバスター」は、なんの変哲もないアプリであるかのように、ホーム画面の端に鎮座している。


「でも、キミだってまだ僕と同じ、中学生くらいでしょ? どうしてキミがこんなものを?」


「それは、そしてマルウェアバスターの開発者が、私の父……寺嶋陸男博士だからです」


「て……寺嶋陸男!?」


 絶人はその名前に聞き覚えがあって、思わず輪唱していた。


「それって、あの、『IoT時代の父』って呼ばれてる……!?」


「驚きました。あなたでも、父のことをご存じなんですのね」


 キララは少しだけ目を見開いて、絶人のことをしげしげと眺める。


「父はIoT基盤を確立させるだけではなく、そのあとに起こりうるサイバー攻撃の蔓延を予測して、新しい概念のセキュリティ対策を研究していました。マルウェアバスターはその延長線上にあったものですが……インバースの存在が開発を後押ししたのもまた事実でしょう」


「はあ……」


 絶人は驚きのあまり、二の句が継げずにいた。まさか目の前の少女が、寺嶋博士の娘で、このマルウェアバスターも、彼の発明品だったなんて。


「でも、それならキミのお父さんが研究しているんだろ!? 娘だからってなんでキミが」


 キララは絶人の言葉を切り裂くように言った。


「父は亡くなりました。先月」


「えっ……?」


「数年前から体を悪くしていたのですが、闘病むなしく。病気を押してまでもマルウェアバスターの研究を続けていた心労が祟ったのかもしれません」


「…………」


 その重苦しい事実に、絶人はもはや何も言うセリフがなかった。ややあって、キララがようやく沈黙を解いた。


「ブルレスカ」


 突然に耳慣れない文字列を言う。


「……ぶ、ブル?」


「『ブルレスカ』……父の調査で判明した、インバースを開発した人物の名前です」


「……なにそれ。外国人?」


「ブルレスカとは、イタリア語で『ふざけている』とか『お調子者』とかを意味する言葉です。まあ、暗に愉快犯であると主張するネーミングなのかもしれません」


 なるほど、確かに絶人もインターネット上に名前を書くときは、本名を書くことは少ない。たいていは「名前なし」とか、何か適当なことを書くのだが、インバースの制作者も当然本名などは出さないのだろう。


「私は亡くなった父の研究を引き継ぎ、こうしてマルウェアバスターを扱える方と出会うことができました。次にすることは、一つ。これ以上の被害を出す前に、インバース、そしてブルレスカを止めることですわ。そして、それができるのは……」


 キララは不意に絶人の方をまっすぐ見据えた。やや潤んだ、水晶のような瞳だ。


「ゼットさん。あなたしかいないのです」


 その重苦しい現実を突きつけられては、絶人もなにも返す言葉が見つからなかった。


「インバース自体はもうばらまかれちゃってるんでしょ! 僕が一匹や二匹潰したところで、どうにもならないんじゃ……」


「『キル・スイッチ』の説明をしましたが、あれには実は続きがあります」


「えっ?」


「インバースのキル・スイッチには単体を止める効果があるものもありますが、これはむしろ珍しいことです。逆に、マルウェアであるなら、インバースならすべてのインバースに共通のキルスイッチがあるはずなのです。それを見つけ出し、破壊する……これができれば、インバースの被害は完全に止めることができるはずです」


 そういうことか、と絶人は心の中で納得した。キル・スイッチを破壊するということなら、確かに絶人、いやマルウェアバスターでなければ難しいだろう。


「でも、インバースに共通のキル・スイッチなんて、どこに……?」


「それはわかりません。おそらくブルレスカが握っているはずですが、やつの正体や居所がわからないことには」


 ですが、と置いてから、キララは続ける。


「マルウェアバスターなら、ネットワークを通じて世界中のあらゆるIoT機器にアクセスすることが可能です。それに、またインバースの攻撃があったとき、被害を防げるのも、そこからなにか情報を得られるのも、あなただけなのです」


「…………」


 絶人はもはや言葉を失っていた。世界を脅かしているマルウェアと戦えだなんて。自分しかいないだなんて。いきなり言われても困る、というのが本音だ。

 だが、そんなことよりも、絶人にとってはよっぽど大きな問題があった。


「……って、だからってなんで僕の家にまで来るんだよ! ってかなんだよ彼女って!? そんな嘘つく必要ないだろ!?」


 そう、彼女がこの家にいることがさっぱり理解できなかったのだ。しかもあらぬ誤解を自分から招くようなことをして、何の得があるのかさっぱりわからなかったのだ。それをあっさり信じ込んでいる大人たちも大概なのだが。


「ようやく聞いてくださったのですね!」


 絶人の詰問に、なぜかキララの表情はぱっと明るくなった。ちゃぶ台の向こう側から身を乗り出し、絶人の顔のすぐ目の前まで鼻を近づける。


「あ、ああ……」


 その吸い込まれそうな瞳に、絶人は思わず目を逸らしそうになって、必死で我慢した。どうしてこっちが照れなくちゃいけないんだ。


「はっきり言うと、マルウェアバスターの都合としては、別にここにいる必要はないんです」


「はあ?」


 あまりにあっけらかんと言うので、絶人は思わず怪訝な声を出してしまった。


「だって、サイバー空間に行って活動するのは別にあなた一人でできますし。ナビゲートだって別に世界中どこにいたってできます。なんたってIoT時代ですから」


 キララは鼻息を荒くついて、胸を張る。なぜ彼女が偉そうなのかはよくわからないが、なるほどそう言われてみればそうだ。今時、パソコンやスマートフォンがあれば、離れた人とも簡単に会話することができるわけだし、わざわざそのために長距離を移動したり、ましてや寝食を共にする必要もない。学校の授業ですら、体調のすぐれないときなど向けに自宅から受けることもできるくらいだから、仮に彼女と作戦会議すると言っても直接顔を合わせる必要はまったくなかった。

 ただ、それは絶人からの質問の回答にはなっていないのだが。


「私がわざわざこちらまで来た理由はただ一つ」


 そこまで言って、キララは勢いよく立ち上がった。ワインのような深い赤のスカートがふわりと広がり、その内側の薄いレースの生地が顔をのぞかせたが、絶人はそんなことに顔を赤らめている場合ではなかった。次に続く彼女のセリフを聞いては。


「あなたに運命的なものを感じたからですわ!」


「えっ」


 思わず絶人の肺から空気が漏れ、声帯を震わせた。


「マルウェアバスターへの驚異的な適合率に、適応の速さ……いえ、なんと言っても状況に応じた適切な判断力! 攻撃の通りづらいインバース・ヒュージに対して、直接懐に飛び込んで行く胆力・発想力。知識が欠如していることで、逆に自由な発想が生まれているのでしょう」


 なんだか喜んだらいいのかよくわからない感じのほめ方で、なおもキララは続ける。


「私は確信しました。この方こそIoT時代のセキュリティに革命をもたらす人物なのだと。必ずやインバースの脅威から世界を救ってくれる、ヒーローなのだと」


 キララは胸の前で両手の手を組み、斜め上を見上げながらうっとりとした表情を見せる。


「そんな偉大な人物とこれから戦うにあたって、ただ遠くでお声を聴くだけでは忍びない。ぜひ寝食を共にし、ご家族にもご挨拶して、常にお傍にいてサポートを、と考えたわけです!」


 これが言いたかったのだ、とばかりに目を見開いてこちらを見るキララに、絶人は黙ったまま何も言えていなかった。さっきまでの真面目な雰囲気とは一転して、目をキラキラ、というかもはや血走らせて早口で語る様子に、絶人が言えたのは小さな素朴な疑問だけだった。


「えっ……と……か、彼女、っていうのは?」


「それは……いずれは、と思う気持ちが少し先走って……」


 てへ、と小さく舌を突き出したあと、キララは急にこちらに抱き着いて、


「とにかくこれから頑張りましょう、絶人さん!」


「うわっ! 何すんだよ、ちょ、離して……!」


「大丈夫です! 私たちならきっとインバースからこの世を守ることができるはずです!」


「いや大丈夫とかじゃなくて! 一回、一回離れて本当!」


「もうこのキララの身も心もゼットさんのものですわ! 遠慮なさることはありません!」


「遠慮するよ! いったい何させようとしてんだ!」


 ――とにかく今日は大変な一日だ。

 急に世界の命運をかけて戦うことと、同年代の美少女と同居する、という片方だけでも理解できないのに、大変なことを二つも押し付けられてしまっていた。


「ほら母さん、あんなに仲良さそうにしてヒック」


「最近思春期かと思って心配してたけど、ウィ、外ではちゃんとしててよかったわ~」


 半開きになった扉の向こうから、人の神経をこれでもかと逆なでする両親の声が聞こえる。


「もう、何なんだよ! 出てってくれよみんな!」


 絶人は怒鳴りながら、先ほど思ったセリフをもう一度心の中で叫んだ。


 ――いったい僕が、何したっていうんだ!

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