Phase.5 "Photon Laser"

「うわああああああ!!」


 前方から飛びかかってくるインバースたちを次々に避けながら、猛然と絶人はインバース・ヒュージの方へと近づいていく。この辺りは、「テレ・トリ」でよく鍛えられている反射神経だから、お手の物だ。

 そして、小山の裾野にたどり着くと、


「えいっ!」


 と気合を入れて、その体にへばりつき、頂上を目指して手足を動かし始めた。


『何を……!? インバースは周囲のデータをすべて飲み込んでいくマルウェア! このままでは、あなたも飲み込まれてしまいます!』


 確かに、インバース・ヒュージのぶよぶよとした体表が、自分の体に少しずつ侵食してきているのを絶人は感じていた。それでも彼は捕まらないように素早く体を滑らせ、少しずつ奴の体を登頂していく。


『まさか、直接インバースの体を上って、至近距離からキル・スイッチを……?』


「その、まさかさ!」


 絶人の作戦は、このままインバース・ヒュージの体のてっぺんまで上って、直接キル・スイッチを叩くことだった。

 だが、作戦が上手くいきそうな感じになって、絶人は少しだけ油断をした。こいつの体を強く掴み過ぎたのだ。意外としっかりしているとはいえ、ゼリーはゼリーということを忘れていた。右手に力を込めた瞬間、


「うへぇっ!?」


 掴んだ部分がぼろりと崩れる。そのまますべり、体勢を崩したまま、絶人の体は徐々にインバース・ヒュージに取り込まれ始めていた。


(や、やば、やばい!!)


 その速度は、異常とも言えるほどだった。先ほどまでは絶人が次々に動いていたからゆっくりとした侵食だったように見えたが、止まっている物体に対する侵食がここまで早いとは。あっという間に絶人の体の下半分はインバースに覆われて、残る上半身も、接着している部分は瞬く間に動かせなくなっていた。


『何やってるのですか! 早く抜け出してください!』


 今までの、落ち着き払ったそれとはかけ離れた、少女の声が聞こえる。

 だが、もはや絶人になすすべはなかった。絶人は口をふさがれて声も出せないのだ。


(くそ、ここまで来て! もう少しでキル・スイッチまでたどり着けそうだったのに……!)


 やがて視界も覆われて、半透明の赤だけの世界になってしまう。


『思い出すのですわ! あなただけの武器が、あるはずです!』


(僕だけの、武器……!?)


 そう思ったとき、絶人は自分の右手に熱い感覚がたぎるのを覚えた。全身から集まるエネルギーが次第に固まり、形を成していく。

 ――やがて、絶人の体は完全に赤褐色の中に取り込まれた。


「ぎゅいぎゅいぎゅいいいいいい!!!」


 サイバー空間には、静寂の代わりに、インバース・ヒュージの鳴き声だけが響き渡っていた。


『うそ……』


 行き場をなくした女の子の声が、小さく沈み込む。


『そんな……マルウェアバスターが……父の発明が……!』


 その通信に応答する声はない。


『嘘です! マルウェアバスターがこんなのに負けるはずがありません!』


 爆発音。それとともに赤褐色のブヨブヨから抜け出した彼は、灰色の地面へと降り立った。体中にまとわりつく、ベタベタとしたそれを振り払いながら、後方を振り返る。


「ぎゅ……ぎゅううううううう!!!!」


 そこには、体を震わせて、最後の一鳴きを上げながら消えていく、インバース・ヒュージがあった。同時に、絶人の周りを無数に這いずっていたインバースたちも消えていく。それを確認して、ふう、と一息つきながら、


「なんとかうまくいった」


 とひとりごちた。


『ゼット!? あなた、それは……!?』


 少女が呆けた声で絶人に問いかける。「それ」が指しているものが、自分の右手に握りしめられたものだと気づいて、彼はそれを自分の目線まで持ち上げた。

 それは、絶人にとっては見慣れた小銃――「フォトンレーザー」に違いなかった。


「別に、至近距離からってことは、外側からじゃなくてもいいんだと思って。あいつの体の中から、これでキル・スイッチを撃ったんだ」


『か、体の中から……!?』


「うん。あいつの中柔らかいから、泳いでみたら、意外といけたんだよ。いや、面白いね、ゼリーの中泳ぐって! 現実じゃ中々できないからさ、ちょっと興奮しちゃった」



『あ……っ……』


 ひょうひょうと言ってのける絶人に対して、少女の声は呆気にとられたかのように何も言えないようだった。絶人の行動が、よほど常軌を逸しているように見えたらしい。

 そして、少し遅れて、

 

『……あなたの滅茶苦茶ぶりには、あきれを通り越してなんだか笑えてきますわ』


 と、少しだけ嬉しそうにつぶやいた。なんだ、そんな態度もできるんじゃないか、と絶人はその少女の外見以外を初めてかわいいと思った。


 巨大なアサガオの鉢植えとして描写されていた温度制御装置は、先ほどまでインバースに悪さをされていたからちょっと元気がなさそうだったけど、機能に問題はなさそうだった。実際、操作メニューは問題なく表示されて、絶人は設定を「20℃」にすることができた。


「これで大丈夫なのかな?」


 絶人は横に再び描写されていた、黒髪の美少女の姿を見て尋ねる。


『ええ。お疲れ様でした。これで施設の温度は元どおりになるはずです。さすがは"マルウェアバスター"に選ばれた方……いえ、さすがは"ゼット"と言ったところでしょうか』


「……それ、僕の名前、どうして知っているの? っていうかキミは誰!?」


 矢継ぎ早な絶人からの質問に対して、少女はクスッと上品に笑った。


『……キララ』


「えっ?」


『私の名前は"寺嶋キララ"と申します。……以後、お見知りおきを』


 まるで確かめるように、ゆっくりと告げる彼女の姿を、絶人は思わずまじまじと見てしまう。


「ウフフ。そんなにお見つめになって、私のこと、何かお気づきのことでもあるんですか?」


 少女はまたしてもいたずらっぽく笑う。だが、絶人にはお気づきのことなんて何もなくて、「あ、いや、別に」と口をもごもごさせることしかできなかった。


『では、私の方であなたを現実世界に逆変換いたしますわ。少々お待ちください』


 言うが早いが、少女はぺこりと頭を下げると、その姿をうっすらと透明にしていく。


「ちょ……待ってよキララ! まだ何にもわからないよ!? キミは誰? この、マルウェアバスターって、なんなの!?」


 絶人の問いかけもむなしく、彼女の姿は風に溶けるように消えていく。


『それについては、いずれご説明する機会がきっとあるでしょう』


 すぐに絶人の視界も光に包まれ、意識があいまいになっていく。


『またお会いしましょう、私の"運命のヒーロー"』


 ――そんな言葉が聞こえたことも、今となってはおぼろげな記憶に過ぎない。

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