Phase.4 "Inverse Huge"

「っとと、あぶなっ」


 少しよろけながら、絶人はテンポよく立方体に飛び乗っていく。もう、数個の立方体、絶人がスマートフォンにインストールしているアプリを飛び越えてきたと思うが、それでも水やりのアプリはまだまだはるか上方にあった。

 こんなことなら、ゲームのアプリなんかやたらにインストールすんじゃなかったとさえ思う。とはいえ、息も切れてなければ疲れもない。


「なんか、すごく体が軽い気がする……」


『それはおそらく"マルウェアバスター"の補助機能でしょう』


 頭に直接流れ込むように、声が聞こえてきた。それは、先ほどまで体面で会話していたあの少女の声だ。


「その、"まるうぇあばすたー"ってのはなんなの? っていうか、あのアプリを僕のスマホに送ってきたのって、キミなの?」


 絶人は疑問をどこに向かってぶつけていいかわからず、上の方に視線を向けて尋ねる。


『……IoT、というのはもちろん知っていますわよね』


「ん……まあ、そりゃ」


 ちょうど今日の小テストでやったところだから、とは絶人は言わない。


『"Internet of Things"……日本語では"モノのインターネット"などと言われますが、あらゆる電子機器がネットワークにつながれ、相互に制御しあって現代の社会システムはできていますわ。これにより、飛躍的に便利になった社会ですが、便利なものには必ずトレード・オフで脅威が付きまといます。それこそが……』


「サイバー攻撃!」


 絶人は黄土色の立方体を飛び越えながら、思わず叫んでいた。


『……驚きました。よくご存じですのね』


 少女の声は馬鹿にしているのではなく、本心から驚愕した様子だ。そのことが、少しだけ絶人を傷つけているとは気づいていない。


『IoTの進展と比例するかのように、サイバー攻撃も高度化してきました。IoTネットワーク基盤を開発した寺嶋陸男博士は、少し遅れて、サイバー攻撃への対抗策も開発しました。それこそが、"マルウェアバスター"。データ形式に変換した人間をサイバー空間に送り込み、直接マルウェアを駆除するアプリケーションですわ』


「ちょ、直接駆除するだって!?」


 先ほどの彼女の言葉からなんとなく予想はしていたのだが、そんなことを本当に言われてしまうと、途端に弱気になってしまう。


『問題ありませんわ。"マルウェアバスター"には、そのための力が備わっていますから。私のナビゲートもありますのよ?』


 少女はまったく感情をこめずに言う。だから、絶人はそれを安心してよいのか、不安に思った方がよいのか、今一つよくわからなかった。ただ、今度は二つ飛ばしで上の立方体に飛び移ると、絶人にもその効力は実感でき始めていた。


「どうりで……体がすごく軽い」


 立ち幅跳びでも目算10メートル程度は跳べているし、走る速度もかなり早い。このまま体育祭の徒競走に出たいくらいだ。気づけば絶人は、あっという間にうす水色の立方体の上にまで来ていた。上から立方体の中を覗き込んで、やっぱり、と思う。


「これ、水やりのアプリだね」


 中には、「温度を上げる」「温度を下げる」――見慣れたメニューが顔を覗かせている。


『到達しましたわね。そのアプリケーションから、無線ネットワークを通って、温室の制御装置の内部にアクセスします。操作、できますかしら』


「……やってみる」


 絶人が立方体の上面に手を当てると、スマホの画面そのままの操作画面が、宙にも投影された。


「『温度を下げる』っと」


 今度こそ操作を受け付けてくれ、と祈りを込めながら、絶人はメニューの一つをタップする。


「うわあ!?」


 すると、またしても視界が光に包まれた。まぶしさに耐え切れず、絶人は思わず目を閉じる。


「! これって……!?」


 光が収まって、ゆっくりと目を開くと、そこは細長いトンネルのような道の真ん中だった。ただ、灰色に流れる道筋以外の、トンネルの管の部分は、透明なチューブのようになっている。そこから下の方を覗き込んだ彼は、見知った人が倒れているのを見つけた。


「……ナナミちゃん!?」


 ナナミは苦しそうに目をつぶり、荒く息を着いて暑さに耐えている。


『あの方がお連れさまですか。やはりあそこに取り残されて……時間がありません、急ぎましょう! この無線ネットワークの道の先に、温度制御装置があるはずです!』


「ああ!」声に促されるまでもなく、絶人は道を走り出していた。その道中、ふと気になって、姿の見えない女の子に向かって尋ねた。


「そういえば、もしかして温度制御装置はマルウェアに感染してるの?」


 なんとなく、このまま温度制御装置を手動で操作して一件落着、とはいかないであろうことは絶人にもわかる。少女は少しだけ間を置いた後、


『"ワイパー"と呼ばれる種類のマルウェアをご存知ですか?』


 逆に絶人に質問をしてきた。


「ワイパー? ……えっと。聞いたことあるような、ないような」


 本当はまったくない。そんな高度な話、絶人にわかるわけがなかった。


『マルウェアには、データを暗号化し、復号……つまり暗号化の解除の代わりに身代金を要求する"ランサムウェア"や、ユーザーに気づかれないよう外部からシステムにアクセスできてしまうようにする"バックドア"など、さまざまな種類があります。特にワイパーと呼ばれる種類のマルウェアは、データの破壊を目的としたものです。コンピュータ上のデータをすべてきれいになくしてしまうことから、ワイパーという名前が付きましたわ』


「はあ」


『そして、今回の原因と考えられるのは、ウイルスのように自己増殖しながら無差別に破壊を行っていくマルウェア……そういう意味ではワイパーに近しい存在とも言えるかもしれません。私たちはそのマルウェアを"インバース"と呼んでいますの』


「え、でも……温度制御装置が誤作動するのに、データの破壊とか関係あるの?」


『いえ。インバースの目的は、データの破壊ではありません。……奴らの目的は"現実世界そのもの"の破壊なのですわ』


「……! それって……!?」


 その時、走る絶人の視界に、巨大なオブジェが現れた。


「あれが温度制御装置……?」


 思わず疑問符を付けてつぶやく。それはどう見ても一房のアサガオだった。ただし、絶人が見上げてしまうほどの大きさ。


『ええ、おそらくあれでしょう。このサイバー空間上では巨大なアサガオとして描画されているようですが……調べていただければ、どこかに操作パネルがあるはずですわ』


「わかった、もう少し近づいて……ん?」


 あと数十メートル、というところまで近づいたところで、絶人は異変に気が付き、足を止めた。


「あれ、なんか動いてない……?」


 いや、動いてるだけではない。その全体を、赤黒い色の半透明な何かが覆っている。


「ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅいいいいい!!!!」


 大音量で響き渡る気味の悪い鳴き声。それがすべての元凶であることを雄弁に告げていた。


『メモリ反応確認! ……あれが、インバースですわ!』


「あ、あれが……?」


 なんてことだ。あのイチゴのゼリーのような赤黒いぶよぶよが一つの塊になり、温度制御装置を丸ごと飲み込んでいるのだ。これは、気温が上がってしまうのもむりない。


『やはり……あれが今回の事件の犯人。超大型インバース、"インバース・ヒュージ"のようです。奴が温度制御装置を誤作動させていたようですね』


「いやいやいや! いくらなんでもでかすぎでしょ!」


 ちょっとこれは想像以上だった、と絶人は自分の腰が引けるのを感じる。


『泣き言を言ってる時間はありませんわ! 私も奴の弱点を解析しますから、あなたもなんとかがんばってください!』


「なんとかがんばってったって……」


「――ぎゅ」


 そのとき、ただうごめいているだけだった、インバース・ヒュージとやらが動きを止めた。目はないから実際にはわからないのだが、じと、と絶人の方を注目しているような気がする。


「もしかして、気づかれた……?」


「ぎゅぎゅぎゅ!」


 鳴き声とともに、インバース・ヒュージの体から、ボール状の何かが噴き出してきた。


「わあ!?」


 べちゃ、と汚らしい音を立てて地面に激突したそれは、やがてゆっくりと、あいまいな形を成す。まるで、小さなインバース・ヒュージだ。


「きゅきゅい!」


「こ、こいつら、どんどん増えてく!?」


『いけない! 自己増殖し始めてる……! このままでは通信しているあなたのスマートフォンまでインバースに感染してしまいますわ!』


「いいっ!?」


 それはすごくイヤだな、と絶人は思った。だって、自分のスマホがあのベタベタだらけになって、しまいには現実に害をなす――つまり、なんか爆発したりするわけだ。冗談じゃない。


(っていっても、どうしたらいいんだ!?)


 絶人は心の中で地団太を踏んだ。確かにふだんに比べて身体能力は向上したのかもしれないが、それは結局このマルウェアに対する決定打にはなりえないだろう。多少強くなった腕力でこいつらを殴ったところで、何とかなるとはとても思えない。


『――今、解析が終了しました。データを送ります』


「……えっ?」


 直後、絶人は自分の視界の異変に気づく。インバース・ヒュージの体の一番上、富士山のてっぺんの一点だけが、青白く点滅し始めたのだ。


「なんだ……これ……?」


『"キル・スイッチ"のデータをあなたに転送しました!』


「キル・スイッチ?」


『いいですか。あらゆるマルウェアは必ず、あるドメインにアクセスできるか否かで活動・停止を決めているのです! それがキル・スイッチ。つまり、これを破壊してしまえば……』


「……マルウェアの機能は停止する!?」


 前半の説明ははっきり言ってさっぱりよくわからなかったが、とにかく目的ははっきりした。あの青白い点滅の部分をなんとかして破壊してやればよいのだ。


『ですが、今のあなたにはそれをなすための力がまだ発現していません。これから私の言うことをよく聞いて……』


 そのとき、絶人の耳には、もはや彼女の声は届いていなかった。


「きゅきゅきゅ!」

「きゅいきゅいきゅい!」

「きゅーきゅっきゅきゅーい!」


 気づけば大量に発生したインバースたちは絶人の目の前まで、大群をなして迫ってきていた。やはりかなり気持ち悪い。でも、こいつらを押しのけて、あの親玉に近づかなければどうにもならないことも確かだった。


「……しょーがないか」


 絶人は少しだけ後ろに下がった。そこで、屈伸とアキレス腱のストレッチをする。


『……ちょっと、私の話、聞いていますの!? あなたは今データの存在、筋肉の血行を良くしても意味は』


「いくぞっ!」


 ――言い放つと同時に、絶人は弾丸のようなクラウチングスタートを決めた。

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