Phase.3 "Malware Buster"
絶人が目を覚ましたのは、ひんやりとして冷たい空間だった。さながら、宇宙空間。真黒の背景に包まれた中に、ぼうっと光る生白い立方体が無数に浮かんでいる。絶人はその中の一つに仰向けに横たわっていたようだった。
「なんだ、ここ……?」
絶人は立ち上がり、その場所の異常さを改めて確かめる。ひょっとしてこれが死後の世界とでもいうのだろうか。そんなことを考えながら、彼が辺りをキョロキョロと見渡していると、背後から声が聞こえた。
『あなたが……"マルウェアバスター"、なのですね……』
「誰!?」
ナナミのそれよりも低く、落ち着いた、その耳慣れない声に絶人は振り返る。
『私の姿が見えますか?』
果たしてそこにいたのは、何もかもが変な、半透明の人影だった。まず半透明というところが変だし、絶人の立っている立方体の上ではない、何もない空間の上に浮かぶように立っているし、ノイズが走るようにときどき身体が震えるし――
――何よりそれは、絶人と同い年くらいの女の子だった。
『……? 聞こえていないのですか?』
「え? あ、いや、聞こえてますよ」
慌てて答えるから、つい敬語になった。ぼうっと見とれてしまったことを、絶人は心の中で反省する。でも仕方がないだろう。なぜなら少女は絶人が今まで見てきた中でもかなり上位に食い込むほどの、かわいい女の子だった。
長い黒髪が、サラサラと脇の辺りまで垂れて揺れている。身に着けているのは、真っ白なブラウスに、深赤色のスカート。コルセットというのだろうか、腰のあたりがきゅっとくびれて、その線の細さがこれでもかと強調されている。何よりも、小さな鼻と唇に乗った大きなクリクリの目が、絶人を吸い込むようにうるんでいて、「まるでお人形さんみたい」という表現は、彼女のためにあるとすら思えた。
あまり大きな声では言えないが、絶人の思う美少女ランキングを独走しているナナミにも、勝るとも劣らないかもしれない。
『……ゼット。話をしてもいいですかしら』
何も言わない絶人の様子を怪訝に思ったのか、少女は我慢しきれなくなったかのように口を開く。一瞬、「なんで僕の名前を」と思ったが、これが夢であるのならそれは不思議なことではないと思い、
「あ、はいどうぞ」
とだけ絶人は慌てて返した。
『あまり時間がなさそうなので、単刀直入に申しますと』
そう言って、女の子は言葉を切る。次に言い放たれた言葉は、衝撃的なものだった。
『あなたはこれから"マルウェアバスター"となり、このサイバー空間に巣くうマルウェアたちと戦うのですわ』
「……はい?」
時間が停止した。
絶人の思考も一瞬のうちに止まる。
彼が次に考えられたのは、
「何言ってるんだろう、この子?」
という考えにもなっていないセリフだけだった。
『そういうわけですので。これからナビゲートしますから、ここから温度調節装置まで……』
「ちょ、ちょっと待ってよ! そういうわけでってなに!? 全然わかんないよ!」
絶人は思わず叫んでいた。
だって、いくらなんでも情報が不足しすぎている。
マルウェアバスター?
サイバー空間?
戦う?
――僕が?
さっぱり意味がわからなかった。
『受け入れがたいお気持ちは重々理解していますわ。ただ偶然適合しただけのあなたにこの大役を押し付けることの、理不尽さも』
絶人の慌てぶりをよそに、少女はひどく落ち着き払った様子で続ける。
『しかし、懇切丁寧に説明して差し上げる時間はありませんさもなければ、ゼット。あなた、死にますわよ』
「へっ?」
変な声が出た。だが絶人がそれを恥ずかしく思う隙も与えず、少女は続ける。
『ご自分の置かれていた状況をお忘れですの? あなたのいる場所、正確に言えばこのスマートフォンのある場所の外気温は"摂氏95度"。このまま温度が上昇し続ければ、あなたは間違いなく死に至りますわ』
「……っ!」
ごくり、とのどが鳴った。忘れていた。自分たちが絶体絶命の状況にあったということを。
「ん? ちょっと待って! 今、『このスマートフォン』って言った……?」
『言いましたわ』
少女はこともなげに言ってのける。
なんとなく、スムーズに会話ができないな、と思いながら、絶人はようやく今の状況を冷静に鑑みられるようになっていた。この場所に来る前、自分はスマートフォンから溢れる光に包まれて、意識を失った。そしてこの場所へ来てから、絶人の手元にはスマートフォンはない。
というか、よく自分の姿を眺めてみると、白地に赤のラインが入った、まるでサイボーグか何かのようなスーツを自分は身に着けてもいるようだ。となると、考えられる結論は。
「ひょっとして、ここ……僕のスマホの中、とか言っちゃう……?」
『ご推察のとおりです』
少女はぺこり、と頭を一つ下げた。細い黒髪が、さらりと揺れる。
『ここはあなたのスマートフォンの中。あなたは"マルウェアバスター"によって肉体をデータに変換(サイバライズ)され、IoTネットワークを仮想的な空間として具現化したこの世界……サイバー空間に存在しているのですわ』
「……??」
少女の説明を聞いて、絶人が「全然わかりません」という顔をしたのを察したのか、少女は一つため息をついて『あまり時間はありませんが……足元を覗いてみてください』と促した。
「うーんと……?」
その言葉のとおりに、絶人はしゃがみ込んで、足元の立方体を側面から覗き込む。よく見ると、薄い黄緑色の立方体の中ではさまざまなメッセージが飛び交っていた。
≪ぜってー今日はテレトリ寝落ちすんなよ!≫
≪奥田先生、今日めっちゃ機嫌よかったな……いいことあったのかな≫
≪アンケートに答えてくれた人全員に、スタンプをプレゼント!≫
そのメッセージたちには見覚えがあった。絶人のスマートフォンのメッセージアプリに着信していたが、まだ既読にしていないメッセージたちだった。
「これ、REIN? ……じゃあ、この立方体のひとつひとつが」
『はい。あなたがスマートフォンにインストールしているアプリケーションたちです』
絶人はしゃがみ込んでいた姿勢を元に戻し、改めて、この世界に浮かぶ立方体たちを眺める。よくよく観察してみればそれらはうっすらとそれぞれの色が付いている。 おそらく、アプリごとのアイコンが表現されているのだろう。
「僕のスマホの中が、こんなきれいな場所だったなんて」
『これで理解していただけましたか? あなたが、今どういった状況でいらっしゃるのか』
「う……うん」
絶人は少女の方を見ないまま、あいまいに返事を返した。正直完全に理解して、信じられたかと言えばそんなことはないが、もはや信じないではいられなかった。実際に、絶人はこの空間に存在しているのだから。
「あれ? ちょっと待ってくれ!? ナナミちゃんは……ナナミちゃんはどうしたの!?」
『ナナミちゃん? お連れさまがいたのですか? でしたら、ここにはいません。いるとすれば、現実世界……異常に気温と湿度が上昇し続けている場所に今も囚われているのでしょう』
少女は淡々と、だが残酷な言葉を続けた。
『持ってあと15分程度といったところですわね』
「そんな……!?」
冗談じゃない。このままじゃナナミちゃんが死ぬ?
「……どうしたらいいの」
『はい?』
「どうしたらナナミちゃんを助けられるの!? 早く教えてよ!」
絶人は少女にすがるように尋ねていた。一刻も早くナナミを救わなければならない、そう考えるだけで、この空間の不可解さとか、自分がこれから何をさせられるのかとか、そんなことへの疑問は一切吹き飛んでしまっていた。
『……私がナビゲートします。まずはあの立方体まで移動してください』
少女はゆっくりと遠くの方を指さす。ここよりやや斜め上に浮かぶ立方体は、うっすらと水色を呈していた。あれはきっと、「水やり」のアプリに違いない。
『あのアプリケーションからサイバー空間を伝って、温度制御装置にアクセスします。そこに恐らく、装置に異常をもたらしている元凶がいるはずです。あなたの役目は、やつらを駆除(デリート)すること……できますか?』
「わかった!」
絶人は返事をするが早いが飛び出し、上方にある立方体へと飛び移った。ナナミを助けるのに、できるもできないもあるか。ただやるしかないだろう。その思いだけで、絶人は一心に水色の立方体を目指していた。
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