第1話 僕と彼女のサイバー戦争 

Phase.1 "Internet of Things"

《問8. 「IoT」という略語の正式名称と、その意味するところを次の語群から選びなさい》


1. Internet of Things:身の回りのあらゆるモノがインターネットにつながる仕組みのこと。

2. Interaction over Two:二者間を超えた多対多間のコミュニケーションのこと。

3. Insanity of The human race:人類という存在は狂っているのか、狂っているのか人類なのか。哲学が擁する永遠の命題のこと。


(……何言ってんだか、さっぱりわからない!)


 絶人は乱雑に頭をかきむしりながら、机上に埋め込まれるように顔をのぞかせる液晶パネルとにらめっこする。そしてついに、


「はい、おしまいー」


 という中年男性のけだるい声と共に画面は一瞬にしてホワイトアウトしてしまった。残っているのは、「回答時間は終了しました」という無情な表示のみ。絶対さっきの問題、二番だったと思うんだけどなあ。


 市立三善中学校二年三組の教室は、小テストの終わった開放感と絶望感が入り交じり、独特の高揚感に満たされていた。


 ――「IoT」というのは、とにかくいろんなものがインターネットにつながって制御されることだ、というくらいには絶人も理解している。例えば、身近なところではスマートフォン。今や幼稚園児からお年寄りまで誰もが持ってるスマートフォンがあれば、外にいながらインターネットを通じて、家の中に設置したカメラにアクセスして映像を見たり、エアコンにアクセスして冷房を聞かせて置いたりとか、いろいろなことが可能になる。

 そういえば、今、自分の座っているこの机もそうだった。一見何の変哲もない、化粧板とスチールの骨組みを合わせただけのものなのだが、これも実はインターネットにつながっている。今日みたいな小テストの時には、タッチパネルで入力した情報が、インターネットを介してサーバーに集められて、採点や集計を自動でしてくれるんだそうだ。まあ、絶人たち生徒にはあまり関係ないことなのだけど、昔から働いている先生たちは「いい時代になったもんだ」なんて顔をほころばせている。


 2021年。「IoT元年」と呼ばれるこの年は、絶人が生まれた年だ。この年に寺嶋なんとかという偉い日本の学者さんが作ったネットワーク基盤のおかげで、IoTは瞬く間に世界中で進展したのだという。「という」というのは、絶人にとってはそれが当たり前である時代を生きているわけだから、今一つピンとこないというのが正直なところだった。昔はこのネットワークがなかった、と言われても、にわかには信じられない。絶人にとっては歴史の教科書に載っている「江戸時代の生活」と同じくらい未知の領域と言っても過言ではなかった。

 だから、もはや絶人の興味はIoTの成り立ちや技術などにはなかった。


「おい、ゼット」


 不意に後ろから肩を叩かれて、絶人が振り返ると、そこには見慣れた坊主頭と糸のような釣り目の男が不機嫌そうに座っていた。 クラスメイトの間宮――昨晩テレ・トリをプレイしているときにボイスチャットをしていた相手――である。

 そう、絶人の興味はIoTによってもたらされる恩恵、わかりやすく言えばゲームにばかり目が言っていた。学校が終わればすぐに「テレスコープ・トリッパー」を仲間たちとプレイすることだけが、絶人の生きる理由だったと言ってもあながち間違ってはいない。

 それをよく知っているはずなので、間宮は不思議そうに


「昨日、どうしたんだ? なんで何にも言わないでログアウトしたんだよ」


 と尋ねた。

 間宮から見れば、昨日は急に絶人が何も反応しなくなって、活動を停止してしまったかのように見えたのだろう。だが、絶人は絶人で昨日の両親との嫌な思い出を思い出してしまい、


「……別に。ちょっと寝落ちしただけだよ」


 と歯切れの悪い返事をしてしまった。


「おいおい、寝落ちとか大丈夫か? 今度のイベントではてっぺんとるんだろ? あ、まさか今日の小テストの勉強を……ってそれはねーか、万年赤点ギリギリのゼットだもんな」


「うるさいな。間宮にだけは言われたくないよ」


 いかにも頭の悪そうにゲラゲラ笑う彼にそう言い返した後で、絶人は言う。


「っていうか、いい加減名前で呼のやめてよ」


 絶人は自分のこの名前が好きではなかった。必ず一度では正しく読んでもらえないし、字面も何を絶つんだかさっぱり意味がわからない。父の雪和に聞いても


 「なんだよ。カッコイイじゃん」

 

 とまったく参考にならない回答しか得られなかった。子どもの名前にかっこいいかかっこよくないかという価値基準しか持たない両親を持つ苦悩が、彼らにはわかるだろうか。


「いいじゃんゼットって。なんかヒーローっぽくてかっこいいし」


 間宮は絶人の苦悩など素知らぬ顔でケタケタと笑っている。どうもこいつも父と同類らしい。


「とにかく今日は寝落ちすんなよな。小テストなんてどうでもいいから、今は目の前のイベントのことだけをだな……」


「ほう。小テストはどうでもいいのか、荻久保、間宮」


 ヌッと影をまとって、絶人たちのそばに現れたのは、担任の奥田先生だった。


「げっ」


 絶人は露骨に嫌な声を出してしまう。

 奥田先生は、たぶん50歳くらいであろう男の先生だ。サッカー部の顧問だからいつもジャージ姿なのだが、一番特徴的なのはその見事なまでのスキンヘッドだ。絶人たちは「薄くなっているのをごまかしている」と予想しているけど、本当のところはさだかではない。


「そーやってテストを馬鹿にしてると、痛い目見るのはお前らなんぞ~」


 と奥田先生は鋭い目を絶人たちの方に向ける。


 「IoT機器がネットワークにつながると問題になることがあるよなあ? なんだっけ? 荻久保、答えてみ」


「ええ~!? 僕!?」


「あーそうだ。ほら、いいから立てって」


 奥田先生はくいくいと手を下から上に振り、絶人を促す。絶人は精一杯嫌そうな顔をしていたのだが、こう命令されてしまっては一介の生徒に抵抗できるはずがなかった。


「……えっと」


 奥田先生からまっすぐ視線を送られても、絶人はもごもごと口元を動かすことしかできなかった。少し遅れて、周りのクラスメイトたちの視線も、一気に送られる。針のムシロっていうのは、きっとこういうののことを言うんだろう。


「……くひひ」


 自分は網に引っかからなかったことをいいことに、間宮は後ろでせせら笑っている。

 絶人が、やっと苦し紛れに出せた言葉は、


「い、いいじゃないですか。今、すごく便利な時代なんですし。問題になることとか、別にないですよ! あったとしてもきっと誰かが何とかしてくれて……いてっ!」


 奥田先生の教科書が、スパンと絶人の頭を叩いて、最後まで言わせてくれなかった。


「これからの社会を担っていくやつらがそんなんでどうする!?」


「あー! 先生、体罰ですよそれ」


 間宮がのんきな声で指摘するが、


「バカもんが。人類の未来を真面目に考えないやつへの愛のムチだ」


 奥田先生は荒い鼻息を一つ出し、踵を返して教卓の方へと戻ってしまった。

 みんながクスクスと笑っているが、絶人をまだ立たせたままだ。

 そして、先生は続けて「じゃあ木下」と絶人の右隣の席に座る少女を指名した。


「はい」


 名指しされた少女、木下ナナミは高いところで結んだポニーテールをふわりとさせながら立ち上がる。

 身長は、165センチの絶人より頭一つ低いのだが、ピンと伸びた背筋と、きちんとアイロンされたブラウスが、その自信の具合を象徴している。


「サイバー攻撃です。いろいろなものがインターネットにつながるということは、その分マルウェアや不正なアクセスの危険性が増します」


 小さな声ながら、ナナミははっきりと答えた。


「ま、マルウェア……なんだっけそれ?」


 彼女の回答があまりに高度すぎて、絶人は思わず呆けた声を出してしまう。すると、そんな絶人を見かねたのか、ナナミは小声で、


 「……さっきの小テストにも出てきたよ、これ。『不正で有害な動作をさせるために作られた悪意のあるソフトウェア』のこと!」


 と耳打ちしてくれる。こんな劣等生の絶人にもきさくに話してくれる、学級委員「ナナミちゃん」は絶人にとってもあこがれの存在だった。


「なーそれ、ウイルスとは違うの?」


 あほ丸出しの声で、間宮が尋ねる。


「ウイルスはマルウェアの一種。他にもいっぱい、悪いことするためのものはあるんだから」


「さすがは木下! よく勉強しているな。座っていいぞ」


 先生が促すと、ナナミはお行儀よくスカートのお尻のあたりを押さえて椅子に座る。そうすると、プリーツが曲がらずきれいに座れると聞いたことがある。よくある豆知識だが、絶人にとっては先ほどのマルウェアとやらの話はそれと同じくらいどうでもいいことのように思えた。


「……ってあれ? 先生、僕は?」


「アホゥ、お前はもう少し立っとけ」


「ええ~!?」


 絶人は周りからの視線を気にしながら、少しだけ肩を小さくすぼめる。


「サイバー攻撃は、会社や政府なんかが狙われることが多いが、個人が持ってるパソコンやスマホなんかの情報も狙われることもあるからな、注意が必要だぞ。とにかく、知らない人からのメールを開いたり、怪しいアプリとかをやたらとダウンロードしないように」


 ぎくっ。絶人は、奥田先生のその言葉に耳が痛いところがあった。何しろつい昨日、謎のアプリ「マルウェアバスター」が勝手にインストールされてしまったばかりだったのだから。そういえば、アプリの名前に「マルウェア」って付いてたな。あれってまずい?

 そんな風に考えていたとき、


「おい、荻久保!」


「はい!?」


 急に奥田先生に呼ばれて、絶人は思わず背筋を伸ばした。


「なーにぼーっとしてんだよ。お前こそ変なアプリとかスマホに入れてたりしないよな?」


 うう。奥田先生、こういう変な時に鋭いんだよなあ。


「ア、アハハハ。まさかそんな僕でもそのくらい気を付けてますよ~」


 絶人は精いっぱい引きつった笑顔を作って、先生と皆に悟られないよう取りつくろった。


「ふーん……まあいいや。だが特に最近は、知らない人からいきなりアプリのダウンロードURLが送られてきたりするからな。インストールすると、アドレス帳の情報が抜き取られたり、最悪スマホがぶっ壊れたりなんてこともある。絶対ダウンロードするんじゃないぞ!」


 ははは。そのセリフ、もう少し早く言ってほしかった。絶人がガクリとうなだれたとき、終業のチャイムが鳴った。


「じゃあ今日はここまでな。ほれ学級委員、あいさつ」


「起立!」学級委員もやっている真面目なナナミが言うと、皆が一斉に立ち上がる。


「あ、言い忘れてた」とぼけた声で、先生がつぶやく。


「荻久保と木下、今日は水やり係だったな。帰る前に一仕事、頼むぞ」


「はい!」


 ナナミが嬉しそうに返事がする。学級委員としては、先生からのお願いというだけで嬉しいのだろう。絶人としてはそんなことに時間を使わされるのはまっぴらごめんだったが、やはり抵抗しても仕方がないというのと、ナナミと二人きりになれるというワクワクの両方が入り混じって、「はあい」とだけ返事をしておいた。

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