マルウェアバスターZ
鈴木さんご
プロローグ
プロローグ
暗転したあとの視界には、青と黒の入り混じった世界が広がっていた。足元の地面には格子状の白い光が張り巡らされている。彼の立つ広い道路を挟むようにしてそそり立つ薄青色の壁は、まるで彼の進行方向を一つに定めようと強制しているかのようだった。
自身の眼下に見える、まっすぐ地面と平行に伸びたハンドルを握る。馬がのどを震わせるような感覚が体に伝わってきて、彼は思わず唇の端をゆがめた。感度は良好だ。申し分ない。
『ゼット! 今日こそ負けねーからな!』
耳元にあてがわれたヘッドホンから声が聞こえて、彼は右横を見た。自分と同様の、黒色のスーツを着た少年が、バイクのような二輪の機体にまたがってこちらを見ている。それを一瞥してから、彼は正面に視線を戻した。――望むところじゃないか。
≪3≫
≪2≫
視線の先に浮かび上がるカウントに、彼は自分の興奮が高まってくるのを感じる。このバトルで、負けることなんてありえない。
≪1≫
今日も変わらず、蹴散らしてやるだけさ。
≪GO!≫
表示と共に、彼のまたがる機体が勢いよく発車し、視界が後ろへと流れ始めた。
しばらく道なりに進むと、単なる障害物以外のものが現れ始る。
「出たな……お邪魔虫め」
憎まれ口をたたく割には嬉しそうな声で、彼はそれらの位置を把握しようと、目を光らせた。
まるで照る照る坊主に腕の生えたのような形のそれは、頭と胴体を別方向に回転させながら、猛スピードで接近するこちらに突進してくる。そう簡単にやらせてたまるか、と彼はハンドルを握る右手をいったん離し、機体の側面に刺していた黒色の小銃――彼は「フォトンレーザー」と呼んでいた――を取り出す。左手で機体を操りながら、右手でそれを器用に操ると、勢いよく引き金を引いた。
「ロックオン……行けっ!」
一匹、また一匹と正確に撃ち抜かれ、照る照る坊主のような物体はそのたび霧散していく。
『くっそ、ここまでノーミスかよ!』
「はっはー、年季が違うのよ、年季が。さあ、まだまだ……」
耳元から聞こえる悔しそうな声に、彼があざけりを返そうとした瞬間。
≪WARNING! WARNING!≫
視界が赤色のアラートで覆われた。直後、激しい縦揺れが襲い、鋼の岩盤を突き破ってそれは現れる。照る照る坊主のような、雨傘の形をしているのは、ほかと何も変わらないのだが。
「……おいおい、マジか」
ただ、その巨大さだけが群を抜いていて、それを見上げることしかできなかった。
しかし、なおも彼は笑った。唇をアルカイックにゆがめながらも、その巨大な照る照る坊主の一挙手一投足に目を光らせる。こんなボスがいたとは、楽しませてくれるじゃないか。
「ようし、どっちが早く倒せるか、競争だ!」
言いながら、彼は右手のレーザーを巨大なそれに向けて構える。さらにハンドルを強く握り、機体を加速させていく――
「――もう、返事をしなさいぜっくん!」
はずが、体が何かに引っ張られるような感覚に襲われ、目の前に無遠慮な光が差し込んだ。
「いったあ!? な、なんだあ!?」
突然の出来事に、彼、荻久保絶人(おぎくぼぜっと)は慌てて首を振り、周囲を見渡す。照明が煌々と照らすこの部屋は、中学生である彼の自室だ。足元に転がるヘッドマウントディスプレイは悲し気に音を立てて転がり、やがて鈍い爆発音がかすかに響く。
ああ、ゲームオーバーだ。
「今。何時だと思ってるの」
ゆっくりと見上げると、そこには絶人の母、香澄が腕を組んで、仁王立ちをしていた。
「母さん!? 何すんだよ!?」
絶人も立ち上がり、思わず声を荒げる。
「僕が『テレ・トリ』の高ランクプレーヤーなのは知ってるだろ!?」
テレ・トリ――『テレスコープ・トリッパー』とは、絶人たち子どものみならず大人を含めて、全世界中で流行している、VRゲームだった。サイバーパンク風の仮想空間を可変機構付のバイクで縦横無尽に走り回り、現れる敵をレーザーで撃ちぬいていく。
ヘッドマウントディスプレイの没入感と、付属のハンドルやレーザーといったインプット装置のリアリティですぐに人気に火が付いた。そして、絶人はそのオンラインランキングでは必ず上位にランクする実力者だった。
もはや、自分にはこれしかない、と言えば言い過ぎかもしれないが、これが仕事になればいいなどということを考えてしまう程度には熱中していたのだ。
「……ぜっくん」
だが、自分の説明が悪手であったことを、絶人はすぐに悟った。母の表情を見たからだ。
「お母さんのこと、やっぱり嫌いになっちゃったの……?」
母はまるで少女のように顔を強張らせて、洟をすする。ああ、またかと絶人は頭を抱えた。最近、自分への不信感を募らせている母と、その過保護(と彼が感じている)に辟易している絶人の間では、食い違いが生じることが多かった。そんなんだから嫌いなんだよ、と思いながらも絶人が対応に困っていると、部屋の外の階段の方から父・雪和の声が聞こえる。
「なんだあ絶人、また母さんのこと泣かせてんのか? まったく、早く寝ろよ~」
父の軽薄な声は部屋まで届きはするが、そのアフリカの民族を思わせるようなアフロヘアーが絶人の部屋まで現れることはなかった。こうやって口だけは出して、自分で何かをしようとしない父の姿が余計に彼をイラつかせていることに、父は気づいていない。
「もうわかったから! 寝るから! 母さんも父さんも、あっち行っててくれよ!」
絶人はまだ泣きじゃくる母を無理やり部屋の外へと押し出すと、部屋の中央に置かれたゲーム機やらディスプレイやらを乱暴に隅に寄せ、そのままの勢いでタオルケットの中に潜り込む。
IoT時代。あらゆるヒトやモノがネットワークでつながるこの時代に、こんな家族のわずらわしさを感じるなんて、時代錯誤もいいところだ。絶人はそんなことを考えながら、手慰みにスマートフォンを操作し始めた。ここのところ、寝る前にスマートフォンを触ることが常態化していて、これについても母から「眠りが浅くなるからやめなさい」なんて言われていることも、彼にとっては面倒なことの一つだった。
大体、浅いのは自分の知識の方だろう。
「……あれ?」
スマートフォンを弄りながら、絶人はあることに気が付いた。ホーム画面に見慣れないアイコンがあったのだ。
ほかのアプリのアイコンが、キャラクターの顔や企業のロゴマークなど、色とりどりに目立つ工夫をしているのに対して、それは無機質な白で、ロゴも文字も何もない。ただその下に「マルウェアバスター」と小さく名前が書かれているだけだ。
(そういえば、前にREINから変なメッセージが来て、URLにアクセスしちゃったっけ)
REINというのは、メッセージをやりとりするアプリなのだが、知らない人からのメッセージには基本的に相手にしないことがよいとされている。悪意をもってウイルスとかに感染させたり、情報を抜き取ろうという輩は世の中に多くいる、というのを以前学校で聞いたような気がする。
まあ実際被害に遭うことも少ないから、絶人は正直あまり関心がなかった。
(後でアンインストールしとけばいっか)
と、スマートフォンをほっぽり出して、目をつぶってしまった。
――このアプリケーションが、自分の運命を変える代物だったとは。
このとき彼には予想することもできなかっただろう。
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