吹くからに 秋のくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ 2
小町のもとへ贈られる歌の書き手は、実に多種多様だった。
在原業平のような洒落た紙に優美な字で歌を送る男性もいれば、ただただ実直な想いを吐露するあまり美しくない歌を送る男性もいた。
数多くいた求婚者の中でも一際印象深いあの方は、後者だったわね、と小町は記憶を辿った。
◇◆◇◆◇◆
少将の位であった彼の人は、小町のお眼鏡に適う人物ではなく、一度目の求愛の際にお断りした。しかし、彼は諦めることなく二度、三度と求愛を申し出た。都度断っていたが、それほどまでに小町を求めていたのか、彼が諦める気配は一向になかった。そのうち周囲から、小町への想いが非常に深い、等として深草と呼ばれるほど彼は執念深かった。
途方に暮れた小町は、幾度目かの深草からの求愛の際に一つ提案をした。
「想いが本物と言うのならば、百日間、一日たりとも日を空けず私のもとへ通ってください。そうすれば、貴方様のお心に従いましょう」
何度となく深草から送られてきた文には、彼の情熱的な歌だけではなく身の上話も添えられていた。
その情報によると深草は伏見から小町の住む山科へ通うことになる。すなわち、ゆうに1里を超える距離を毎日通うことになるのだ。
昔語りにある月の姫が出した条件のように無理難題ではないため、決して叶えることができないわけではない。ただ、百日間も離れた場所へ毎晩通うとなると、それも日中多忙の少将の位である彼では、達成の可能性は低くなるだろう。
そもそもこんな提案のまれないのではとさえ思った小町だったが、深草は彼女の提案をあっさり受け入れた。
「百日間、貴女のもとへ訪れた証としてこの榧の実を置いていきます」
一日目は、ちょうど今と同じ季節の、秋の虫の鳴く月が美しい夜だった。
月の光に照らされた深草が差し出したのは、小町の住む屋敷の庭に生えている巨木から落ちた榧の実だった。
「百、貴女にお渡したら…」
「ええ、約束は果たします」
ただし、と小町は条件を追加した。
「牛車は目立ちます。毎晩忍んで来て欲しいのです」
「わかりました。貴女のためならば、明日からは徒歩でこちらに参りましょう。」
それからというもの、深草は月明かりのない闇夜も、冷たい風が吹き荒ぶ夜も通いつめた。雨が降りしきる夜も、嵐の夜でさえも、牛車を使うことなく蓑を纏い竹の杖をついて懸命に歩いてやってきた。日中のお勤めに加え毎晩の長距離の徒歩の往復から、そのうち疲労と睡眠不足に悩まされるようになったが、それは小町を諦める要因にはなり得なかった。
深草は人並みならぬ忍耐をもってして、どんなに過酷な状況でも一日たりとも間を空けずに、くる日もくる日も小町のもとへ足を運び、彼の情熱を込めた恋文と榧の実を置いていった。
そのうち根をあげるでしょう、と小町は多くの恋文の対応の片手間に、榧の実とともに送られる深草からの恋文を読んでいた。
自身が住んでいる伏見の屋敷のこと。
好きな文学、好きな歌、筝の名手である同僚の話。
道中見かける田が見事な黄金色に染まっていて、手元に笛があれば奏でたかったこと。いつか自身の笛の音を小町へ聞かせたいこと。
最近行われた歌合せでは在原業平の歌の技巧が見事だったなどの宮中の話。
渡月橋の先にある山々が赤や黄色に色付いていて、宮中では紅葉狩りでかけた貴族の話がそこかしこでされていること。いつか自身も小町と紅葉を愛でたいこと。
秋雨で木々の葉が散っていよいよ冬が始まること。
冬が始まったので体調に気をつけて欲しいこと。ここ数年の自身の年越しと年初めの様子について。
徒然な深草の日常と、最後に小町への想いを告げるぎこちない歌が書かれた恋文を、小町はいつしか大切に文箱へ仕舞うようになっていた。
榧の実の数が多くなることを、夜がくることを待ち遠しく思うようになっていた。
彼は本当に百夜通いを果たすのではないだろうか。
自身の美貌と才の噂で興味本位に歌を贈る男性達と違い、もしかすると、本物の愛を捧げてくれるのではないだろうか。
榧の実がひとつ、またひとつと増えるたびに小町は期待を含ませた自問を繰り返した。
やがて小町のもとに榧の実が九十九集まり、ついに百揃う日がやってきた。
最後の晩は、横殴りの白い大きな粒が視界を塞ぐ、稀にみない大雪の日だった。
前も見えず風も強く凍えるような寒さでは、たとえ牛車だろうと出かけるのは難しいだろう。
さすがの深草様も今晩は難しいでしょうね。
この天候では、と小町は寒さから逃れようと火鉢で暖をとりながら苦笑した。
あまりの寒さに目が覚めてしまった小町は、手慰みに書物でも読もうと巻物を広げた。火鉢の傍で切燈台のじんわりした橙色の明かりに照らされた文字を目で追ううちに、いつしかうとうとと心地よい睡魔が小町を襲う。
ぶるりと再び目を覚ました小町は、自身があのまま転寝していたことを悟った。まぁ私としたことが、等と思いながら外に目をやると、昨日の荒れた天気と一転し、透き通るような青い空と眩い白銀が一面に広がっていた。
キンとした空気を胸に吸い込み、穢れない白い地面は陽の光に反射してキラキラと輝いていた。
この美しい光景を歌に、と小町が思案していると、慌てた様子の女房が駆け寄ってきて、こう告げた。
深草少将が凍死し道に倒れていた、と。
彼の手には、小町への恋文と榧の実が一つ、握られていたそうだ。
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