百人一首 第九首 春の歌 および 第二十二首 秋の歌
相田 渚
吹くからに 秋のくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ 1
ざぁぁっと荒い冷風が吹き抜け、小町の豊かな黒髪を乱した。庭先の薄も、ざわざわと風に煽られ激しく靡いている。
この秋風は、重たげに頭を垂れている黄金色の稲穂をも吹き荒らしているのかしら、と小町は宮中の外へ思いを馳せた。
彼岸が過ぎ蝉達が静かになった頃から秋の足音は感じていたが、こうした光景に一層深まった秋、そしてすぐ後ろに忍び寄る冬の微かな気配を感じた小町は、そっと口ずさんだ。
「秋風に あふたのみこそ 悲しけれ わが身むなしく なりぬと思へば」
激しい秋風に吹かれた田の稲の実がこぼれ、空になってしまったら、悲しいことだ。そう、美しい黄金色を纏っていた稲も、たわわな実がなくなってしまえば、後は朽ちるだけ。深く頼みにしていた人に飽きられてしまったこの身が、虚しく朽ち果ててしまうように。
なんて、悲しいのだろう。
小町は自身を哀れんだ。
ここ最近、口さがない人々がする噂は、宮中をまわりめぐって彼女の元にまで届いている。
曰く、あの小野小町も時の流れには逆らえないようで、どうやらその美貌も陰り始めている。
曰く、絶世の美女も既に過去の称号になってきてるとか。
曰く、今まで数々の求愛を袖にした小野小町が、今となっては男性に相手にされなくなったようだ。
あの絶世の美女が落ちぶれている、という噂は小町の心に傷を負わせている。
自身の美しさが謳われていたのは、いつ頃からだっただろうか。
白粉がいらないほどの透き通るような白い肌。
濡れ烏のような艶のあるたっぷりと豊かな髪。
桃色の頬に、唐紅の衣よりもはっきりと赤い小さな唇。
そうした顔貌は、物心ついた頃には、やれ中国の傾城の美姫にも劣らぬ美しさだと周囲の人々に賞賛されていた。
絵師が直視できず姿絵を描いてもらえないほどの美しさだ、といったような小町の美しさに関する噂は多くの男性の関心をひき、心を掴んだ。
宮中の女房たちが夢中になるほどの色男と有名な在原業平や、良岑宗貞と文のやりとりをするほどの美貌と才を持つ小町のもとには、彼ら以外の男性からも求愛の和歌が次々と届けられた。
しかし、彼女は彼らの申し出を片っ端から断っていた。
貴方じゃ私の理想に適わないわ、とすげなく断る彼女だったが、それでも言い寄る男性は後を絶たなかった。
それが今はどうだろう。
いつの間にか月日が流れ、二十の終わり、そろそろ三十を迎えようという小町は、どうやら自身が結婚の適齢期が過ぎたことをやっと、悟った。
尊い身分の帝にも、日々労働に明け暮れる農民にも等しく流れる時は、小町から若さを、そして美貌を奪っていった。
小町が歳を重ねる毎に、白粉は厚みを増していくし衵扇を常に手放せなくなり、自慢の黒髪の艶もだんだんと失われていく。その度に、小町の周りから人がいなくなっていくのだ。
あんなに舞い込んでいた和歌を添えた文が、今となっては懐かしいほどに。
これ以上秋風に当たるのも辛いことだと感じた小町は、部屋へ戻ることにした。
夜の帷が落ちるにはまだ少し早いが、下手に出歩いてもきっとまた女房たちの不躾な井戸端会議に出くわすことになるだろう。
裳、単、衣などの幾層にも重なる装束を自身の後ろに扇のようにゆったりと広げて座る。途端に無機質な床に色とりどりの華が咲くが、小町は後ろを振り返ることもなく脇息に肘を置きもたれかかって、己の過去の栄華へと思いを馳せた。
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