第7話 エスパー

 

 僕は今、委員長と一緒に廊下を走っている。いや正確には、僕が委員長を抱えながら疾走している。


 廊下へ出られる唯一のドアが開かないというアクシデントがあったが、下にある通気口代わりの小さいドアを開け、スライディングの要領で抜け出すことができた。他のみんなはベランダから脱出したようだ。一番漁火さんから近くてパニックに陥っていた委員長を助け出し、今に至る。


「廊下を走っているのを注意しないんだね?」

「緊急事態だもの。大目に見てあげるわ」


 彼女を緊急事態だと言わしめるほどの、恐怖を植えつけた漁火さんの存在は計り知れない。部室を辛うじて抜け出し、恐る恐る背後を振り返ると、黒い髪の毛のような物体が足首を捉えようと伸びてきたのだ!


 僕は絶叫しながらも反射的に飛び上がって回避したが、委員長が捕まってしまい、僕が火事場の馬鹿力で腕を引っ張り、なんとか命からがら生き延びたのだった。漁火辻は呪われた化物だ。


 その後委員長は腰が抜けて走れないとか言い、僕は見捨てるわけにもいかず、委員長をお姫様抱っこしながら走っている。委員長もなんやかんやで女の子なのだ。金髪から黒髪に戻ったこともあり、それを一層実感させる。


 目指すは保健室……じゃなかった。いやでも、間違ってはいないだろう。怪我をしているかもしれない女の子を保健室に運ぶのは普通だし、なにしろ僕には大義名分があるのだ。……よし、保健室に行こう!


「ここでいいわ」

「えっ⁉」


 クソ、感づかれたか……。


 煩悩を顔に出すわけにもいかず、急ブレーキ。第一校舎の渡り廊下で委員長を降ろす。奇しくもここは、霙先輩が僕と変身した委員長を間違えて撮影した場所だ。委員長はゆっくり足をつけると、校舎と廊下の間にある段差に座り込んだ。そして眼鏡を掛けると、隣に座るよう指示してきたので、僕も腰を落ち着かせた。


「どうして私を助けてくれたの?」

「あそこで助けなかったら外道でしょ」

「そういうことじゃないわ。私はあなたに嫌がらせをしたのよ?」

「信号や自動販売機に細工してね」

「う…………」


 委員長は顔をしかめ、何も言葉を発せられなくなる。少し意地悪だったかな。でもこのくらいは許されるよね。


「でも大したことじゃないからいいよ。トラックを止めて助けてくれたのは委員長でしょ?なら水に流してあげるよ。……ジュースは後で奢ってもらうけどね」

「七海君……」


 やっと僕にも委員長を慰められる言葉をかけてあげることができた。安っぽい励ましでも、同情でもなく、心からの僕の本心だ。


「一体、何のこと?」


 はぁああぁぁあぁああぁぁぁあああぁっ⁉


「昨日の夜、信号機の赤を青にして僕を事故らせようとしたけど、良心がそれに耐えられなかったからトラックを止めて助けてくれたんじゃないの⁉」

「尾行をしたついでに助けたのは事実だけれど、信号に細工はしてないわ」

「え、じゃあ、自動販売機は⁉」

「私は公共物に能力を使わないっていうルールを自ら決めてるの。あなたの姿は見ていて滑稽だったわ」

「それじゃ、どんな悪戯をしたっていうんだ⁉」

「そうね。あなたの腕時計を一分狂わせたり、携帯の電波を悪くしたりよ」


 腕時計と学校の廊下に吊るされている時計とを見比べる。確かに一分遅い。続いて携帯を開くと、アンテナが一本しか立っていない。


「……ショボイ、ショボすぎるぞ!」

「何よ、腕時計は破壊して、携帯はデータを丸ごと消去した方がよかったのかしら?」

「いえ滅相もない」


 地味に、いや凄く嫌だ。特に積み重ねてきた秘蔵の写真データを消された日には、死にたくなる。


「じゃあ、あの停電は?」

「あれは私が逃げるために引き起こしたことよ」


 そうだよ。委員長が逃げるから、あのような惨劇が起こったのだ。トラックを止めてくれたお礼もしたかったし、今日の放課後に会う二度手間にはならなかった。


「どうして逃げたのさ」

「この頭を見られたくなかったから」

「う、なんかその……ごめん」


 今の滑らかな黒いショートカットからは想像もできない、バリバリに逆立っていた金髪を思い出す。理由はさっき聞いたくせに、地雷を踏んだ罪悪感で謝ってしまった。


「なら、私に言われようの無い疑いをしたお詫びとして、私を今後委員長と呼ぶのは禁止よ。下の名前で呼ぶこと」

「え、そんなんでいいの?」

 てっきりもっと非人道的な処罰かと思った。

「何よ、不満?」

「いえ滅相もない!」

「なら言って」

「え?」

「言って」


 眼鏡の奥にある、澄んだ瞳で見上げられては断れない。少し照れながら名前を呼ぶ。


「ま、祭……でいい?」

「ふぅ、及第点といったところね。それより、来たわよ」


 正面を見やると、向こう側の第二校舎から蓮美が出て来た。漁火さんの魔の手から逃れたらしい。幼馴染と無事に合流できたことを嬉しく思う。


「おーい蓮美! 大丈夫だったか?」

「…………」


 あれ? 様子がおかしい。いつもの元気が無いみたいだ。


「どうした? 返事しろよー」

「………かゆ……うま……」

「お前のことは忘れるまで忘れない!」


 この世界はオワタ。漁火さんによる感染爆発のせいで、ハイスクール・オブ・ザ・デッドになってしまったのだ。


 ゾンビ化した幼馴染を見捨て、急いで後ろに逃げようとするが、突然ドアがピシャリと閉まった。危うく指を挟むところだ。無駄な抵抗と知りつつも、ドアを開けようとする。


「ホーリーシット! ビクともしねぇ!」


 いくら力を込めても扉は開かない。廊下は一方通行。目の前にはゾンビの蓮美。二階なので窓から飛び降りるのも危険。だが、諦めたらそこで試合終了だ!


「こうなったら僕が先陣を切って注意を引きつける! その隙に祭は逃げるんだ!」

「了解したわ」


 腹を切った僕は雄叫びを上げ、前へ突進する。


「おおおっ! ライライライライライライライライライライッ!」


 両手を上げ、威嚇しながらダッシュで突っ込んだ。


 そのまま蓮美に体当たりするかのようにみせ、直前で横っ飛び。壁を蹴っての三角ジャンプで蓮美を飛び越えたのだ。バスケで鍛えたフットワークとフェイントがあって実現できる技である。


 自信満々で華麗に着地したところで、何者かに摑まれた。蓮美しかいない。なん……だと……? 完璧に出し抜いたはずなのに、反応できるはずがないのに。考えている余裕も無く、そのままうつ伏せに押し倒された。噛まれる。


「ひゃあああああああっ…………って、ああっ⁉」


 蓮美に噛まれたのは耳たぶだった。とてもくすぐったい。


「ぬぁに、いふぇんちょと、ぬかふぁくしてりゅの?」

「噛むなって! 離れろ!」


 ようやく耳たぶへの甘噛みをやめてくれた。僕の幼馴染は正常だったらしい。正常で異常な行為をしていたことの方が心配だが……。


「なに委員長と仲良くイチャイチャしてるのさっ!」

「してないよ! 殺伐としてたよ!」

「嘘だ! だって、委員長の名前を呼び捨てにして呼んでたじゃん!」

「私から見れば、あなた達の方がイチャイチャしてるように思えるのだけれど?」

「ううっ……お、幼馴染だから普通だもんっ!」


 なにやら只ならぬ雰囲気だったので、思わず口を挟んでしまった。場を取り直すため、軽い口調で言葉を発する。


「まぁ、無事だったんならいいじゃん?」


 口喧嘩している状況ではない。今こそ協力して、あのモンスターを打破すべきなのだ。全員集まれば可能だろう。


「いいえ、蓮美さんは自分の協力者っす」


 モンスターの声。変な口調。固く閉ざされていたドアが簡単に開く。


 異様に長すぎる黒髪。でもそれは被り物で呪われているホラーアイテムだ。なのに漁火さんが身に付けることで、儚い美しさを演出するから不思議だ。綺麗な妖しさであって、艶かしさは無い。絶妙なバランスで成り立っている。僕はその小さい口から、ゲームオーバーを告げられた。


× ×


 裏切った蓮美のせいで捕まった僕と祭は、漁火さんに部室へと連行された。もしかして、食べられてしまうのだろうか……? とりあえず正座して待つ。


 蓮美と祭はさっきから一言も会話をしていない。気まずいのでキョロキョロしていると、床に横たわっている巨大な物体を見つけた。布のような物でグルグル巻きにされているようだ。好奇心で訊いてみる。


「あの巨大な物体は何?」

「榊枝先輩っす」


 訊かなきゃよかった……。凄く後悔している。数分後には、僕もああなってしまうのだろうか? 脱糞するぞ! とか叫んで見逃してもらえないかな……。


「後は霙先輩だけっすね」

「ここにいるぞ」

「うわっ! どっから出て来るんですかっ⁉」


 机の下からのそっと這い出てきた。


「別に私がどこから現れようが勝手だろう。それより、驚愕の事実が判明したぞ」

「……やっぱり食べられてしまうのでしょうか?」


 祭は泣きそうになっていた。


「ん? 何を勘違いしているのかは知らんが、今この場にいる全員が超能力者だ」

「いや意味分かんないです」


 榊枝先輩の状態はどうでもいいらしい。この物体の原因は漁火さんじゃないような気がしてきた……。


「私が見たとこによると、祭がエレキネス、蓮美がサイコメトリー、優君が透視能力。で、辻がネクロマンサーってとこか?」


 それはない。祭がエスパーだってとこから口を噤んでいたが、ありえない。現実的じゃない。非科学的だ。


「ついにバレちゃったか……」


 マジで⁉

 蓮美は観念したらしく、照れ臭そうに後ろ頭を掻いている。そして認めた上で、霙先輩に質問をした。


「どうしてみんなが超能力者だって分かったんです?」

「私は鬼ごっこをやっている貴様等を観察していた。蓮美が読心能力で辻に同情し、一緒にいた優君に部室へ戻る話を持ちかけたのだろう。そして優君は残りを探すために透視能力を使い、二人の居場所を洗い出した。蓮美と辻で現場へ向かい、残った優君を部室に潜伏していた私がしばき倒したのだ」

「最後のとこだけ確信犯ですよねっ⁉」


 榊枝先輩も、まさか部室内に霙先輩が残っているとは露とも思わず、灯台下暗しだったのだろう。


「私は貴様等の純潔を守ってやったのだぞ。感謝して欲しいくらいだな」


 大方予想すると、透視能力を知った霙先輩が自己防衛のためにカーテンで榊枝先輩の視界を塞ぎ、能力を封じたのだろう。透視とか、羨ましい能力である。男が人生で一度は望む、エロ能力ベスト3に入る。ちなみに一位は透明人間。


「あなたも私と仲間だったのね……」


 祭も驚いているようだ。二人が彼女にかけた優しい言葉は、半分は自分に言い聞かせたものだったのだろう。蓮美が祭に投げかけた意味深な台詞も、これで辻褄がつく。蓮美は最初から、祭が超能力者だと知っていたのだ。


「確かにあたしは人の心を読むことができて、漁火さんの悩みを知ってしまいました。そして同じく超能力者だと知っていた榊枝先輩に話を持ちかけましたけど、よくそれだけで分かりましたね」

「私も能力者だからな、独自に見分ける方法をみつけたのだ。超能力者は能力を行使すると、鼻にうっすら赤筋が浮かび上がる」

『何っ⁉』


 思わず鼻を触ってしまう四人。


「いや、そういうのいらないですから!」

「というか、喋っていたのを盗み聞きしていただけだしな。二人とも、まさか私がいるとは思わなかったのだろ?」


 超能力の効力だけ見れば、二人は探査に秀でている。それなのに見つけられなかった理由を、蓮美は説明してくれた。


「霙先輩だけ何を考えているのか読めないんです。前に読もうとしたら、逆流する思念で激しい頭痛と吐き気を催しまして……。榊枝先輩も気配を感じなかったと言っています」


 つくづく驚かされる人間だ。いや、もはや人間の枠を逸している。超能力者さえも超越してしまう生命体など、この地球上にはいないので宇宙人か何かだろう。


「なんで今まで隠してたんだよ。その、サイコメトリー? ってやつ」


 小学校からの長い腐れ縁なのに、人の心が読めるなんて初耳である。便利そうじゃん。


「色々と理由があんのよ」


 そう言われては返す言葉が無い。深く追求しづらくなるのだ。よくよく考えれば、僕達が謎を解くために話し合いをするとき、蓮美はいつも言葉数が少なかったような気がする。


 ただ単に何もアイデアが浮かばないからだと思っていたが、一人だけ答えを知っていて、言いたいことが言えなかったのではないか? もう少し考えを訂正する必要がある。


「あれ? でもそれだと自分は何故、ネクロマンサーなんすか?」


 一人だけきょとんと、可愛い顔で首を傾げていた……。言わないでも分かるだろうが。あれだけの推理力があって、どうして自分のことだけは無頓着でいられるんだ? 神経おかしいんじゃないの?


「どうやら辻には自覚が無いようだな……」


 霙先輩までもが呆れている。漁火さんはまだ納得していないみたいだけど、説明してあげる気にもなれない。さっさと話を変えよう。


「そういえば全員って言いましたけど、僕と霙先輩の能力ってなんですか?」

「音流の能力はデスラックイーター《不運喰らいの死神》。その不幸体質で周りにも不幸を撒き散らす、ハリケーンボンビーみたいな迷惑極まりない能力だ」

「なんですか、その全く役に立たないクソ能力は⁉ そしてなんで僕だけ、中二病設定の能力なんですかっ⁉」

「カッコイイっすね」


 ほらぁ、中二病真っ盛りの少女が反応しているじゃないか!


「音流。お前、機械音痴だよな?」

「そうですけど、それとなんの関係が?」


 決して苦手なわけではない。アナログ派なだけである。


「音流の不幸体質は、機械と繋がっているような気がするのだ」


 そんなまさかとは思うが、祭がその意見に賛同してくる。


「言われてみれば確かに彼は、電子機器と相性が良くないわ。信号を見間違えて、トラックに轢かれそうになったり」

「自動販売機のボタンを押しても動かなかったりな」


 思い当たる節がいくらでもある……。


「どうして分かるんですか⁉」

「これだけ長く一緒にいればなぁ」

「携帯も滅多に使わないしね」


 幼馴染にまで言われた……。


「自分がお教えしましょうか?」


 漁火さんにまで同情された……。別に携帯は使えるよ。使う機会が無いだけだよ。


「最初にストーカー被害の話を聞いたときは、あぁ、ついにやらかしたかって思ったぞ。面白そうだから話には乗ってやったけどな」

「もう勘弁してください! 僕の能力はデスラックイーターでいいですから!」


 なんだこの羞恥心はっ⁉ これが生き地獄ってやつかっ⁉ 僕が死ねばいいんだろ⁉ 誰か殺してくれよ、もう!


「みんなが特異体質なのは分かりましたけど、霙先輩の超能力ってなんですか? 心が全く読めないし、絶対に何かあるでしょ」


 僕の心を読んでくれたのか、蓮美が話題を僕から避けてくれた。おお、心の友よ! できればフォローしてから逸らしてくれ!


「まぁ、なんだ、その、いつか教えてやる……。貴様ら、前作の映画を観たら今日はもう帰れ! 明日の学校は休みだが、いつも通り登校してこいよ! 映画撮影を本格的に始動するからな! 以上、解散!」


 それだけ言うと、自分はさっさと部室から出て行った。霙先輩らしくもなく、焦っていた様子だった。蓮美なら分かるかな?


「こういうのはプライバシーだから……」


 訊く前に断られてしまった。これも祭のように、蓮美が自分に課したルールなのだろう。文句は言えなかった。


 でも霙先輩は、自身にも特殊な能力が宿っていたからこそ、別の異能者を探そうとしたのかもしれない。その提案には、ちゃんとした裏付けがあったのだ。でなきゃ、あんな恥ずかしいことを公言しようとは思わない。機会はいくらでもあるし、いずれ僕が本人から訊けばいいのだ。


 今は訊けない代わりに、懸念していた不安事項を確認する。祭は映研部に入部するのかどうかだ。霙先輩が帰ってしまって、有耶無耶になっては後で面倒なことになる。


「祭は明日も来てくれるの?」

「映画を撮影するって話は、生徒会の友達から聞いてたわ。私にもお手伝いできるかしら?」

「勿論だよっ!」


 それが聞きたかったのだから。

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