第6話 追い駆けっこ

 

 夏よりも早い夕方の訪れに、秋の到来を予感させた。


 今は九月だが、下旬になればもっと日暮れは早いのだろう。僕は小学生みたいに新しい発見に驚嘆することもできないし、反抗期ばりに逆らおうとも考えない。ただ川に沿って流れるだけ。これは僕の性格を如実に表している。


 窓枠に切り取られた、透き通る日光が廊下に差し込む。殆どの生徒は下校したか部活中なので、僕以外には誰もいない。暖色系のせいか、僕しかいないことに不安さえも、寂しくも感じなかった。むしろ落ち着いて優しい気分になれる。そういう魔法のような効力が、自然現象で発生する時があるのだ。


 このまま時間が止まってくれるのなら、いつまでも窓を開けて夕陽を眺めていたい。だがそれでは、この儚くも美しい光景を満喫できない。外国人は派手な動に魅力を感じるようだが、日本人は地味な静にこそ情緒を感じるらしい。


 僕は傷心しているのではない、一度に楽しんでは飽きてしまう。時が経ち、もったいつけてまた合間見えることができるから、特別だと感じるのだ。今日はいい日だと思える。それはとても幸運なことだ。


 だから僕は感慨に耽らず、すたすたと足音を無人の通路に響かせながら、自分の主な学び舎である三階の一―八教室へ赴く。忘れ物を取りに行くのではなく、必要な物を揃えるために行くのだ。ややこしいが、僕は忘れていたわけじゃない。準備の過程で急遽必要になったから取りに行くのだ。


 教室のドアに手を掛け、隙間から中の様子を窺う。そこには期待していたとおりの委員長、小岩井祭が一人で居残っていた。茜色に染まる空間の中、自分の席に座ってせっせと作業をしている姿は健気だ。


 まるで元からあったオブジェのように違和感が無い。そのまま絵画になりそうである。影のせいで表情は読めないが、僕の客観的な立場で言わせてもらうと、プリントの仕分けという事務的な仕事が楽しいはずがない。きっと退屈で、物憂げな顔なのだろう。


 僕は何故だかいてもたってもいられなくなり、余った力を手に込める。ガラガラと景気良く音を鳴らし、扉を全開にした。

小岩井さんと目が合う。


「あら、どうかしたのかしら七海君?」


 今まで世間話をするほど親しい仲でもなかったが、いつも通りの喋り方に僕は安堵した。霙先輩の猫被りというワードが頭に引っ掛かっていたのだ。僕の知らない委員長だったらどうしようという緊張。でもこれなら気兼ね無く接することができる。


「手伝うよ委員長」

「七海君は先輩や幼馴染では飽き足らず、委員長キャラである私まで攻略しようとするのかしら? 可愛い顔に似合わず、まるで野獣ね」

「人を勝手に、ハーレムエンドを目指すギャルゲーの主人公みたいに言わないでくれ」

「違うの?」

「違うよ!」


 僕はそんなにモテないし、理由も無しに主人公が好きになるヒロイン達による、ご都合主義なギャルゲーも好きではない。内容が薄いからだ。


「そう。私なりにピッタリの表現だと思ったのだけれど、お気に召さないのなら謝るわ」

「僕の親切心をなんだと思っている⁉」

「ありがた迷惑?」

「ジーザスっ!」


 男子高校生が女子高校生に、一番言われたくない台詞トップテンに入りそうなことを言われた。男子的には女子には嫌われたくない。でもアプローチしないと仲良くなれない。といった二律背反による禅問答の末、勇気を出して身の丈に合わない行いをしたら気味悪がられる。分不相応。とてもショックだ。


「他人から恩着せがましくされても、鬱陶しいだけだわ」

「勘違いしないでくれ。僕は委員長のために手伝おうとしているんじゃない。これは自分のためだ!」


 僕は無駄に胸を張って偉そうに宣言する。それはそれで大いに鬱陶しいのだが、溜息混じりにやんわりと断られるだけだった。


「別にいいわよ。部活があるんでしょう?」

「その部活のことで委員長に用があるんだ」

「私に? どういうこと?」


 これは些細な変化なのだが、あの鉄火面委員長が珍しく取り乱している気がする。まぁ、いきなり他の部に連れて行かれそうになったら何をされるのか分かったもんじゃない。警戒されるのも仕方が無いだろう。


「部長が昨日のことで委員長に訊きたいことがあるんだってさ」


 昨日の夜、僕が悲惨な目に遭ったこと。それには金髪の少女が絡んでいること。唯一の証言者が委員長だということ。それら全てを説明した。僕の願いが届いたのか、委員長はあっさりと理解してくれる。


「……そう」

「だから半分貸してよ。早く終わらせて僕と一緒に来てくれ……って、委員長っ⁉」


 伏し目がちに席を立った委員長がスクールバッグを持って、あろうことか全速力で教室から抜け出した。その所作、わずか二秒。意味が分からない。何故逃げる⁉ そんなに僕と同じ空気を吸うのが嫌だったのかな?


 落ち込んでいる場合ではない。僕も急いで委員長を追いかけないと、霙先輩に殺される。だが、昨日本気で走ったせいで下半身が筋肉痛なのだ。足首に鉛が付いているんじゃないかと疑うくらい、体が重すぎて思うように動かない。踏み出すたびに激痛が迸る。


 というか、どうして我らが委員長、小岩井祭は走っているんだ? しかも中々速い。それほどまでにして変態が集う映画研究部に行くのが嫌なのか?


 身内である僕ならそれだけでも十分な理由にはなるが、今年の主な活動は怪しいポスターで募った面接くらいなものだし、一般生徒にはあまり噂は浸透していないはずだ。でもポスター貼るのに許可は必要だったから、委員長は知っていてもおかしくないかも。


 それとも漁火さんのクラスで起きたテロか? あの事件は教師陣が学園の風紀を守るため、原因を有耶無耶にして揉み消したはずだ。情報が流布するなどありえない。


 いや、委員長なら教師の弱みを握って話を聞き出すことも可能かもしれない。けれどクールで胸なる内には熱いコスモを秘めている委員長が、そんなことをするビジョンがどうしても浮かんでこないのだ。あ、やっぱ嘘。容易に想像できるわ。


 残るもう一つの考えとしては、僕が始めて映画を撮影し、日も浅くない黒歴史をご存知なのでは? 協力してくれた先輩達のクラスと、校庭でのコブラツイストを目の当たりにした僕の男子クラスメイトならいざ知らず、体育館で授業をしていた女子が知っているわけがない。


 だが、それも教室で蔓延した噂を小耳にした委員長が男子から訊けばいいだけであり、撮影という単語だけで自ずと映画研究部だと分かることである……。あ、やべ。心当たりがありすぎて困った。


 その間にも委員長は体の中心に芯が通るほど正しいフォームで廊下を駆け抜けている。でもなんでだろう、凄いデジャヴだ。昨夜もこんな感じで追いかけっこをしたような気がする。


 似ても似つかない委員長と金髪が重なって見える。あの時は無我夢中で、意地でも追いつかんと必死だったが、今は体力も気力も無い。ヘロヘロだ。


 筋肉の繊維がぶちぶちと千切れ、出せない悲鳴を上げる。一階の下駄箱に差し掛かったあたりで、もう駄目だと諦めかけていたまさにその時、委員長の進路上に霙先輩が仁王立ちで待ち構えていたのだ。


「ここから先へは行かせん!」


 ただ言ってみたかっただけだろうが、流石霙先輩と感心する。元よりこうなることを予測し、僕に内緒で待ち伏せてくれたのだ。都合が良い。後は任せました。


「ロデオドライブ!」


 なにぃぃイイイイっ⁉ 一瞬で抜き去っただとっ⁉


 膝を曲げない大股ステップで乗馬をするように上体を揺らし、超人的なスピードの緩急をつけるチェンジ・オブ・ペース走法。それがロデオドライブだ。女子高校生が生半可な努力で身に付けられるような技術じゃない! そんな高等テクニックで霙先輩をあっさりと抜くなんて、委員長は一体何者なんだ⁉


「小癪なっ! 神速のインパルス!」


 えええええぇぇぇぇぇぇ―――――――――っ!?


 我ら映画研究部が誇る部長、汐氷霙も常人ではなかった。目から脳へ、脳から筋肉に電気信号が伝わる時間。人間であるリアクションタイムの限界値。神経伝達速度0.10秒。その反応速度の極限で、彼女は独走する委員長に後ろから回り込んで摑まえたのだ。


 女子高生という設定、もとい範疇のラインをあっさりと踏み超えている。いや、女子高生だからこそ許されるのか。


 とにかく、あの全戦全勝最強無敵常勝無敗である霙先輩が負けるわけがない。あの人は人間ではなく、どっかにドンキーコングが三親等内にいるような家系図の持ち主なのだ。人類では敵わないであろうタックルを背に受けて、そのまま倒れ込む委員長かと思いきや……。


「シーザーズチャージ!」


 いちいち大袈裟な驚き方をするのにも疲れた……。


 シーザーズチャージとはもはや、努力が結晶化した技術でも、神に愛された才能でもない。パワー、スピード、メンタルの三つが揃って初めて叶えられる小手先無用、問答無用の最強ランである。走り出したら最後、如何なる細工を施しようが、誰にも止めることはできない。


 つまり、委員長はしがみ付く霙先輩を引き摺りながら走っているのである。力こそが全てだと言わんばかりに。


 これまでの解説をもっと詳しく知りたいのなら、ジャンプコミックスのアイシールド21をご覧ください。


 腰にしがみつく筋力はゴリラ並みでも、霙先輩は一応乙女なのだ。体重が僕よりも軽いであろう女性を振り落とすことなく、床を音鳴らし強く蹴り上げ、ひたすら真っ直ぐに突き進む委員長。怒涛の勢いで前へ進もうとする意識の高さに、ただならぬ信念と燃える闘志を感じた。


 髪もバリバリ逆立っているし、冷静沈着だった彼女がキャラ崩壊するほどまでに衝動をかきたてる物とは? ………ん? というか、バリバリってどういうことだ?


「ふんぬらばっ!」


 乙女らしからぬパワフルな掛け声で気合を入れた霙先輩はなんと、委員長の腰から足にしがみ付く箇所を移動させた。何度も言うように、霙先輩の握力は僕をアイアンクローで持ち上げられるほど規格外であり、がっちりと摑んでいる。


 今までにないやり方で足をかけられ、バランスを失った委員長は今度こそ前のめりに倒れ込む。……まるでロケットのように下駄箱へと。


「きゃっぁ!」


 巨大なタライを複数の人の頭に落とそうとして、一個も当たらず雹のように砕けたようなビブラートの高い盛大な音を学校中に響かせた。金属同士の不協和音が鼓膜を刺激し、耳鳴りが治まらない。


 学年別の下駄箱がドミノ倒しになったわけではなく、ボーリングを思い浮かべていただきたい。委員長と霙先輩がボーリング玉だとすれば、レーンに立ち並ぶ一ダースピンのように下駄箱が吹っ飛んだのだ。見事なストライクである。


 きっと僕は悪い夢を見ているのだろう。だとしたらどこからが夢なんだ? 多分最初からだ……。そうであってくれ。


 駄目だ駄目だ。目を逸らすな。現実を見ろ。この惨状が、リアルに行われた教育現場である。被害は甚大だが、奇跡的に怪我人はいない。放課後ということもあって、大概の生徒は下校していたのが幸いだった。まぁ、当然の如く生還している人物もいるわけだけど……。


「痛タタ………。まったく手間かけさせ………は?」


 ひしゃげた下駄箱を贅沢にベッドとして使用している彼女は、紛れもなく昨夜の金髪少女だった。


× ×


「貴様、宇宙人だな?」


 再び部室にて、映研部の面子で委員長を中心に囲んでいる。


「違うわ」


 気絶していた委員長を二人で運び込み、目覚めたところで単刀直入にぶっちゃけたことを訊いている所だ。


「さっさとゲロっちまえよ。楽になれるぜぇ」

「チンピラみたいな取調べは止めてください」


 下級生にカツアゲする上級生よろしく言い寄っている霙先輩を嗜め、なおかつ困惑気味の委員長にも助け舟を出した。


「なんだ音流。お前が憎むべき相手を捕まてやったというのに、肩の荷を持つなど見損なったぞ。親の仇じゃなかったのかっ⁉」

「そこまでの怨念は無いですよ! ただ、昨日の少女だっていう証拠が不十分ですし、宇宙人設定は無理があるかと……」

「この金髪が何よりの証拠だろう」

「しかし部長。同一人物による犯行だとすると、停電を引き起こすのは無理っす」


 漁火さんの言う通りだ。最初から共犯がいるという推測の元で話がついたのに、容疑者は一人だけ。これでは振り出しに戻っただけだ。謎は残る。


「そこが問題なのだ。……もう拷問するしか手段は残されていない」

「早計すぎですよ! もっと人権を尊重すべきです!」

「じゃあ、貴様が訊き出してみろ!」

「ええっ! ……えーと、うん。待ってください。今、今考えていますから!」


 弱ったな……。僕は常に美少女の味方だが、何もいい案が思いつかないぞ。なんとか生爪を剥ぐのを回避するにはどうしたらいい? 駄目だ、頭を絞り切っても駄目だ。もう委員長を真っ先に疑っていいんじゃね?


「それにしても、まさか委員長がスーパーサイヤ人だったなんて……。テンション上がっちゃう!」


 …………気が逸れるな。回転式の柔らかい椅子に、逆向きで座っている蓮美が興奮冷め止まぬ様子で飛び跳ねていた。


「伊織さん。勘違いしないで欲しいのだけれど、私は戦闘民族の末裔ではないわ」


 そう、肩の辺りで切り揃えられていた綺麗な黒髪が、今は見るも無残なギルガメッシュ状態になっているのだ。髪はツンツンと束になって逆立ち、ウルフヘアーになっている。


 チャームポイントだった眼鏡も掛けてないし、普段のクールキャラが売りの美少女からは全く想像できない別人と化したのだ。これはこれでありです。


「そうだぞ蓮美君。彼女には尻尾が無いじゃないか」


 満月なんぞ見えなくても、一年中発情期みたいな男がフォローにもならない的外れのことを言っている。


「これ本物っすか? ちょっと触ってもいいっすか?」


 許可を取る前から無遠慮に触り放題の漁火さん。純粋に珍しがっていて、楽しそうだった。死んだ魚のような目もキラキラしていて、普段見慣れない仕草に少しときめいたのは内緒だ。


「気安く触らないで」


 ついに怒った委員長が漁火さんの手を跳ね除ける。漁火さんは少しガッカリしていたが、霙先輩が励ますように見当違いのことを言い出した。


「そうだぞ辻。未確認生物はみんなで愛でようじゃないか」


 すると、どこから持ち出したのか不明の犬用首輪を、目にも留まらぬ速さでガチャリと委員長に嵌めた。あっという間の出来事である。抵抗する暇も無い。


「ちょ、何っ⁉」

「首輪だ。下手に外そうとすると爆発する仕組みになっている」

「リアルバトルロイヤルだ!」


 また始まったよ……。霙先輩と蓮美コンビの独壇場に巻き込まれれば、鉄火面の異名をとる委員長でさえ、ひとたまりもない。


 唯一この悪ふざけを打開できるのは、長い付き合いの僕しかいないだろう。最近いいことないし、僕がやるときはやる男だという所を見せてやろうではないか。


「霙先輩。それはやりすぎですよ」

「いいんすか? 七海君の首にも装着されてますけど?」


 漁火さんが僕に鏡を見せる。


「なんてこったぁ―――――――――――っ!」


 いつの間にか僕の首にもガッチリと鉄製の屈強な首輪が嵌められてあった。すぐに外そうとしてもビクともしない。どのくらい頑丈かというと、三秒で諦めた程だ。何これ、お約束?


 霙先輩が横柄に言う。


「笑っていられるのも今の内だぞ」

「笑ってませんよ! 一体、どういうルートでこんな危険物を入手したんですかっ⁉」

「私の知り合いに、マッドサイエンティストがいてだな……」

「もう聞きたくない!」


 親戚はドンキーコングで、友人関係には中二病の引き篭もりがいるときた。この分だと兄は古代兵器で、両親は勇者と魔法使いになりそうだ。自分で言っていて意味が分からない。なんかもう、支離滅裂である。


「何故こんなことをするの⁉」


 奴隷まがいの屈辱を受けている委員長が、ごもっともな悲痛の叫びを訴える。僕の気持ちを代弁してくれたと言ってもいい。


「お前のポテンシャルを引き出すためだ」


 すいません霙先輩。理由になってないっす……。


「委員長なら外せるよね? その首輪」

「伊織さん……? かっ、鍵も無いのに、私が開けられるはずがないでしょう?」


 こんな首輪に、ちゃんとした鍵があるのかどうかも悩みどころである。倒置法を用いる蓮美の発言も、意味深なのかよく分からん。中二病か?


「映画研究部の悲願のためだ。貴様らにはその礎になってもらう」


 合掌をしながら霙先輩が言う。洒落になっていない。


「どうして僕まで⁉」

「なんとなくだから気にするな」

「とばっちりかっ!」


 自分の首輪は目視できないが、委員長の首輪なら見える。なんというか、ただの安っぽい金属ではないのだ。もっと分かりやすく説明すれば、オリハルコンで作ったんじゃねぇのかって思うほどの煌びやかさで、それっぽい機械の首輪なのである。


 おもしれぇよ……。面白いよっ! 僕は売れない若手芸人かよ! 今どきいないよっ⁉ 笑いとるために、こんなに体張ってボケる奴! 芸人の鑑だよ! って僕、芸人じゃねぇよ! しがない高校生だよ! やってらんねぇよ!


 そうやって虚しく一人ボケツッコミをしているのもお構い無しに、同じ境遇に立たされた委員長がニヤリと表情を変えた。


「悲願というと、廊下に張ってあったあのポスターのこと? あれには思わず失笑したわ。あんなもので集まる人は、相当な変人なのでしょうね」

「……………………」


 あんなもので釣れた榊枝先輩が、無言で寂しそうに俯いていた。辛うじて三点リーダーで自己表現をする姿は、か弱い哀愁が漂っている。そうだ、銀のスプーンを指先で折り曲げられるこの人なら、僕の首輪をドーナツのように引き千切れるかもしれない。


「榊枝先輩! 先輩の馬鹿力でこの首輪を何とかしてください!」

「ん? ……あ、ああ。俺の筋肉は優秀だよな? よし、任せろ!」


 言うが速いか、その筋骨隆々とした猛々しい両腕が首輪を摑んでくる。なんというか、おぞましいオーラを感じ取った僕は失敗を悟った。


「あ、あの、先輩?」

「おい、やめとけ……」

「ぬううおりゃあああああああああああああああっ!!」


 霙先輩が静止する声を雄叫びで振り払い、鬼のような形相で渾身の力を首輪に込めてくる。何が彼をこうさせたのだ!


「顔が怖いっ! そして近い!」

「俺の筋肉はまだまだこんなもんじゃない!」

「イヤ―――――――っ!」

「やめるんだ優! 無理に外そうとすれば爆発するぞ!」


 霙先輩が止めに入ってくれる。しかしそれは僕を少しでも安心させる保障にはなりえない。いつもおちゃらけている彼女がマジになるときは、本気でヤバイ時だけだ。つまり、霙先輩にとっても得体の知れない何かが起こりうる危険性があるのだ。


「男には譲れないものがある! 止めたければ、猛獣用の麻酔銃で俺を仕留めろ!」


 ピッ、ピッ、ピッ、と死のカウントダウンが始まった。刻一刻を争うのに、この筋肉馬鹿は止まる気配を一向に見せない。オワタ。僕はこの筋肉によって殺されるんだ。


「誰カたすてけ!」

「変換ミスってるぞ音流!」


 あまりの恐怖に我を忘れていた。ピピピピと電子音が激しくなる。警戒の黄色とか警告の赤とかを通り過ぎて、これはもう爆発オチの決定事項だ。漫画ならギャグだが、ここは三次元であり、リアルに死ぬ。今以上に二次元へ逃避したいと願ったことはない!


「ふぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

「僕、帰ったら結婚するんです……」

「死亡フラグを立てるな! 人生を締め括るにはまだ早いぞ!」

「死なばもろとも! 死して拾う屍無し!」


 ビビビビビッ! 電子音がスペシウム光線みたいな勢いで鳴り響いている。自爆するなら一人で勝手に自滅してほしい。僕の首輪だけど……。地球が滅亡すればいいのに……。


 生まれたことを後悔していた突如、プシューっと、気の抜けた音が鳴った。あれだけ頑丈だった首輪が外れたのだ。落ちた首輪は、鈍い音をたてて床を転がる。


 どうして外れたのかなんて、今は気が回らない。ともかく僕は助かったのだ!


「はははっ! どうだ俺の筋肉は!」


 殺人未遂の罪を犯した囚人が高笑いしている。僕、こいつ嫌い。いつか報復してやるからな……。


「正気ですかあなた達はっ!」


 肩で息をしている金髪の委員長が、普段からは想像もできない怒声を放ってきた。その鬼気迫る態度に、場の空気は静まる。


「怒られた……」


 まぁ、後輩にガチで叱られたらショックだわな。図体はデカイくせに、心はナイーブらしい。あれだけムキムキだった榊枝先輩の筋肉が、今は見る影も無い。シュンと縮こまり、部屋の片隅へと移動していった。できることなら、ずっとそうしていてくれ。

 経緯を見守っていた霙先輩が一歩前へ出る。


「正気だ。正気でいるのは狂気なのだ」

「常識ではない倫理で誤魔化さないで!」


 屁理屈、理不尽という必殺技を封じられた霙先輩は黙り込む。委員長はヒステリックになっているようだ。あまり刺激してやらないほうがいいだろう。


 僕の足元に落ちていた首輪を漁火さんが拾うと、裸眼の片目でじっくりと観察をする。暫くして納得がいったらしく、首輪が取れた判定を下した。


「これはエレキネスっすね」

「エレキネス?」


 訊き慣れない単語に首を傾げる。何それ食えんの? なんかのポケモン?


「エレキネスとは、あらゆる電子機器に干渉して操作するサイコキネシスの一種です」


 はっと、一連の関係性に気づく。最初の信号機に、不自然な止まり方をした車。商品もお釣りも返って来ない自動販売機。それに街の停電。


 どれもこれも心当たりがある物は電子機器に精通している。確かに、エレキネスとかいう電子機器を操れる能力があれば可能かもしれないが、それをいきなり信じろと言われても信じられるわけがない。


「恐らく委員長さんは、七海君に追われている際、持てる力を総動員してエレキネスを発動し、辺り一帯を停電させたのでしょう。この首輪の爆破装置を解除したのも、小岩井さんすね?」


 やはり全てを憶測に近い推測で、推し測って推理してしまうのは危険だ。いやむしろこれは予想というよりかは願望だろう。いくら辻褄を合わせるためとはいえ、些か無理があるのではないか?


「そうよ、私よ。全部正解。私には超能力がある。それは認めるわ」


 えっ、それ認めちゃうの⁉


「それは七海君に嫌がらせをしたことを認めると、同義でいいんすね?」

「構わないわ。事実だもの」


 おかしい……。映画研究部、いや、誰だって一度は存在を確認したいと願って止まないエスパーが目の前にいるというのに、僕以外の誰も、霙先輩も榊枝先輩も蓮美も超能力について、一切触れようとしない。


 ここには感性の狂った奴しかいないのか! もしくは価値観の相違なのか? いずれにせよ、僕も空気を読んであまり突っ込まない方が身のためだと判断した。


 委員長は足場が無いとみると、すぐに諦め、素直に犯行を認めた。そうなると、やはり行き着く先は動機である。僕が委員長に狙われた理由が今、明らかになる。


「ずばり、ホテル街で援交していたのを、音流に目撃されたからだろう!」


 台無しだ……。また霙先輩は見境無くオッサンみたいなことを言って、堂々と女性をビッチと決め付ける。エロ親父に免疫の少ない委員長は慌てふためいた。


「そ、そそそそんなわけがないでしょうっ! さ、さっきからどれだけ私を馬鹿にすれば気が済むのっ!」


 うん、それが女子高生らしい反応だ。初々しくもあり、見ていて微笑ましくすらある。デリカシーの欠片も無い、映研部の女性陣にも見習って欲しいものだ。変態しかいない事実に、僕は恐怖すら覚える。同時に神を呪おう。


「霙先輩。悪ふざけも大概に……」

「だって私はまだヴァ――」

「その口を閉ざせ!」


 言わせない。言わせはしない。委員長が言い終わる前に、僕は業界を揺るがす爆弾発言を阻止する。委員長も禁断のワードに気づいたのか両手で口を塞ぎ、動きを止めた。


「落ち着くんだ委員長。最初から簡潔に喋って」

「処女だったのか……」

「スリーアウトチェンジ! 退場してください!」

「むしろホームランだろう!」

「いえゲッツーです!」


 その後も変ないざこざがあり、物語のペースが大いに乱れた。とりあえず霙先輩には話が終わるまで黙ってもらうこととなる。人の苦労を無下にするなんて最低だ。


「……どうぞ続けて」


 続けるも何も、始まってすらいない。こちらの意図を察してくれたのか、委員長は単刀直入に切り出してくれた。


「私の目的は、私が映ったビデオを回収することよ」


 それではやはり僕らの映画に映っていた、あの金髪少女は委員長だったのか。


「どうして回収する必要があるんすか?」


 事情を知らない人からすれば、疑問に思ってしまうのは仕方ない。しかしあれは、こっち側からしてもハプニングだったのだ。委員長は霙先輩の天然という、アドリブに巻き込まれた可哀想な被害者であり、事実を揉み消したい気持ちは痛いほど解る。僕としては同情するしかない。


「愚問ね。私は真面目な委員長として生徒の模範となるよう、心がけているわ。そんな私が金色に髪を染めているなんて誤解されたら、後々面倒でしょ? 本当はこんなことになる前に、七海君を脅迫して映像を消させるつもりだったのだけれど」


 建前とはいえ、そんなことのために僕は危険な目に遭ったのか! 多分、三人の中でボクが一番与しやすいと判断したのかもしれないが、それはワーストセレクションだ。


 何を隠そう、僕は日々霙先輩に鍛えられたおかげで、脅しには屈しない精神と体力を養えたのだ。ヤンキーに絡まれたら即逃げる! 逃げるのも勇気!


「ふん。ただ単に外面だけ気前のいい、仮面野郎ではないか」


 ……等とどうでもいいことを考えていたら、さっき追放してやった霙先輩がもう復活して暴言を吐いていた。ここの部員はみなリスボーンが速い。


「あら、それの何がいけないのかしら。誰だって世間の目を気にして、体裁を取り繕うものでしょう。あなたは違うのかしら?」


 違う、とは言い切れない。だけど僕は、霙先輩がなんて答えるか分かっていて、自然と顔が緩んでしまう。それこそ、馬鹿馬鹿しくなってくるほどに。


「違うな。私は自分の好きなように生きている」


 残念ながら、非常に残念ながら、僕みたいな下々の不平や不満の訴えなど、霙先輩には通用しない。委員長が容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能の泣く子も黙る三冠王ならば、彼女は唯我独尊、弱肉強食、有言実行、鬼をも震え上がらせる覇王なのだ。いつも真っ直ぐな瞳で弱音を突っ撥ねる。稀有で眩しい存在だ。


「……あなたに私の気持ちなんて分からないわ」


 眩しすぎて、直視できない。手を伸ばせば、身も心も焼かれてしまいそうだ。自己嫌悪に耐えられない委員長は、床に膝をついてがっくりとうな垂れている。降参らしい。僕が入部したての自分を見ているようだった。


「そんなことないよ。あたしには分かるよ」

「そうだぞ。俺にだって、思い通りにいかないことが沢山ある」


 口数の少なかった蓮美と、部屋の片隅にいたはずの榊枝先輩が、酷く言い負かされた委員長を励ます。特に榊枝先輩の言葉は説得力が強い。フォローしようとして、傷口に塩を塗りたくっているような気もするが……。


「気休めは止めて。自分が惨めになるだけよ……」


 安っぽい励ましでは、プライドの高い委員長は篭絡されない。


 しかし、蓮美達が同情ではなく、本心からの心配だというのは分かる。僕にも、分からなくもないのだ。


 委員長は自分の能力を隠すため、学園生活では一般人を装って生きてきた。今までクラスでも孤高を保ってきた。他人と仲良くなれたのに、一定の距離を開けて接しなければいけない。それは想像を絶する寂しさだろう。友達のいない僕の比ではない。


 だからこそ僕も、元気の出る青臭い言葉を掛けてやりたい。でも、何を言っても偽善のようになってしまう気がして、何も言えなくなる。情けない。


 永遠に凍りつくような重い沈黙。それを破壊できるのは、漁火さんしかいなかった。


「髪の色を気にしているというのなら、自分、少しは共感できるっす」

「え? 綺麗な黒髪だと思うけど……」


 艶やかで、サラサラな髪質。長さに拘りがあるのか、その黒髪は膝下を超えている。だが本人は、その黒髪がコンプレックスらしい。アニメのヒロインにだってそれくらいの長さはいるし、同姓から嫉妬されてしまうほどに美しいだろう。染めてしまうのは惜しい。逆に何が不満なんだ?


「実はコレ、カツラなんすよ」


 そう言うと、片手でポイっと、頭に乗っていた物が取れた。

 水色。

 特徴を一言で表すなら、それが適切だった。


『えええええええええええええええ―――――――――っ!!??』


 無表情の漁火さんを除く、全員が驚愕する。


 妖艶でいて、幻想的な髪の色。その髪色は限りなく白に近い水色であり、サファイアとダイヤを掛け合わせたような輝きがある。ファンタジーの世界に出てくる妖精のイメージ。掛け値のない、絶世の美少女がそこにいた。


 嫌がおうにも目が惹きつけられる。意志は望んでいるのに、強制させられているかのように呆然する。瞬きを忘れるほど目が離せず、ただひたすらに呆けることしかできない。腰が抜け、口が開きっぱなしである。


 さらに注視すれば、所々跳ねているショートカットを、シンプルなヘアピンで留めている。そこだけが漁火さんらしくて、妙に親近感が湧く。もっとファンシーな髪飾りの方が似合いそうだ。というか、さっきまで黒髪を褒めていた僕の表現力を返せ。


「みんなこの色の髪を見ると、大体そんな反応をします……。自分でも、この色が珍しいってことぐらいは分かってるっす。でも、気にしてなんかいられない。だから小岩井さん、涙を拭いてください。自分はあなたの仲間っすよ」

「漁火さん……」


 クラスの異なる二人が垣根を越え、友情が芽生えた瞬間だった。しかし、色々と無視できないことがある。


「水を差すようで申し訳ないんだけど、漁火さんはいつ頃からカツラを被るようになったのかな?」


 エスパーとか水色とか、訊きたいことは山ほどあったが、どうしても一つだけ、気になることがあった。でも気づかないフリをするのもできた。普段なら過ぎ去る些細な疑問に、引っ掛かりを感じたのだ。


「最初は中三の時期に、受験を意識してからっすね。面接とかだと、やっぱり印象悪いと思ったんで……」


 この高校は受験者数の倍率が非常に高い。僕だって受験対策に、この赤毛を黒染めしようか迷ったくらいだ。そんな心配は杞憂に終わったが、当時は未来のことを想像するのが不安で真剣に考えていた。


「だったら、何でそんなに長いカツラをチョイスしたの? 前髪が目に掛かっていても、それは駄目だと思うけど……」


 長すぎては面接官に好印象は得られないだろう。それでは黒いカツラを選んだ意味が無いのだけど……?


「いや、最初は肩口に切り揃えてたんすけどね。取るタイミングを見計らっていたら、段々伸びてきまして。気づいたときにはこの長さになってたんすよ…………ちょ、みなさん? どこに行くんすか? 小岩井さんまで、なんで離れるんすか? なんで逃げるんすか! ちょっと待ってくださいよ! わああああぁぁぁんっ!!」


 危険を察知したみんなは、部室から全力ダッシュで抜け出した。少し泣きそうな漁火さんだった……。

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