第5話 金髪
第二章
満天の星空の下、僕は今日の出来事を反芻しながら帰路を歩く。
漁火さんの教室に突撃したのはいいものの、逆にカウンターをくらって自暴自棄になり、ロックしていたら先生に怒られた。自分で言っていて意味不明だが、本当のことなのだから仕方が無い。
ここまでは理解できる。問題はこっからだ。
反省室で真面目に執筆をしていたところ、漁火さんが訪問してきた。しかも入部させろとの要望だ。急な来客に慌てふためく僕らをよそに、彼女は持っていた松葉杖を突きつけながら淡々と告げる。
「あなた達のせいで、自分は周りから奇異の視線で見られるようになりました。責任とってください」
つまり要約すると、自分は静かに本を読んで休み時間を過ごしたいのに、先輩達のことでクラスの人から執拗に答えられない質問攻めに遭い、とてもうんざりしている。でも、できる限りのことは教えたいので、ならいっそ関係者になってしまえばよいと思い至ったらしい。映画研究部だと知るまでに苦労したとも言っていた。
クラスからは元から浮いていただろうと思ったが、本人がそう思ってないのなら僕が口を挟むべきではない。それに拒む理由も無いのだ。とんとん拍子で話が済むと、彼女は嵐のように去っていった。
何もかもが上手くいきすぎると、返って不安になりそうなものだが、僕以外の映研部メンバーは完全に舞い上がり、机の上で器用にランデヴーを踊っていた。人は喜びが頂点に達すると、お立ち台ギャルでバブルを体で表現したくなるのだろうか? 僕には理解できない言動だ。
三人分の重みに耐え切れず、ついに机が大破したところで教師が駆けつけ、四人仲良く正座で説教されたことも忘れてはいけない。なんで僕まで……。
反省室から退出した後、下校時刻を過ぎていたこともあり、結局活動しないでその日は解散した。先輩二人は自転車。僕と蓮美は駅まで徒歩だ。蓮美は親の仕事が終わったついでに車で帰った。送ってくよと誘われたが、面倒をかけたくもないので断った。なので僕はこれから一人で駅前へ行く。
この時間帯になると大体の店舗がしまり、居酒屋などが繁盛する。繁華街もあるにはあるが、人通りの少ない方だ。ヤンキーな兄ちゃんに絡まれたりもしない。交番の警官達が目を光らせて循環し、比較的安全な地域である。
それでも蓮美と一緒だとなるべく避けるように道を選ぶ。少し裏道に入ればホテル街になるからだ。だが今日は僕だけなので構わず進む。
冷たい風が額にぶつかる。九月中旬にもなると温度差が激しい。昼は暑いのに夜は寒い。明日からはカーディガンを持ってこよう。
駅までもう目の前、というところで信号に捕まった。歩行者を示す色は赤だ。溜息をつく。ただでさえここの横断歩道は長い上に、待ち時間も相当長いのだ。駅は目と鼻の先にあるのに、ここで足踏みされるなんて歯痒いな。
いつもだったら点滅している間にダッシュで渡り切るのだが、ボーっとしていて気がつかなかった。周りに誰もいないからって、黄昏ていたわけじゃない。今日は色々大変だっのだ。悩みの種は尽きない。鬱だ……。
僕が鬱状態から覚めると、いつの間にか信号は青になっていた。思っていたより変わるのが早い。点滅する前に急いで渡ろうとした。
丁度真ん中まで行ったところだろうか。耳を劈くようなけたたましいクラクションと、ブレーキ音が共鳴して轟く。目が焼けるほどのフラッシュを瞬けさせながら、大型トラックが僕の目前にまで迫ってきたのだ。
抗いようもない威圧感。為す術が無いと強制的に悟らせるには十分だ。頭の中が真っ白になる。あまりの現実感の無さに、僕は立ち往生するしかなかった。
産んで今まで育ててくれた両親。いろいろ衝突もしたけれど、最後には仲直りできた幼馴染。高校でお世話になった霙先輩にお礼をいうこともできず、死はいきなりやってきた。走馬灯を見ることすら許されない、不可視からの死。絶望する暇も、懺悔する暇も与えられず、無機質で巨大な塊が新たな肉塊を作り出すために疾走し、溜まった運動エネルギーを僕で発散させようとしていた。
轢き殺される二秒前。タイヤが停止しても慣性の法則で止まらないであろうトラックが、間一髪のところで静止した。ドライバーのテクニックでもなく、ましてやトラックのセーフティー機能でもない。不気味なほどに異様で、あまりにも綺麗に納まりすぎた停車であった。まるで僕の眼前には、透明な防波堤があるかのように。
どこ見て歩いてんだ! と、運転手が窓から身を乗り出して、蛸みたいに怒り狂う。悪いのはどっちなんだ?
信号を確認すると、止まれの合図である赤だった。渡る前、歩行者信号は安全の青を示していたはずなのに、警告の赤に変わっていたのだ。そして注意を促す黄色よりも鮮明な色使いをした髪色の人影が、僕に背中を向けて走り出した。
そんな行動をとられたら、誰しもが怪しいと思うだろう。僕以外に周りには人がいなかったのに、僕がいることを予め知っていたような行動。顔も認識できず、逃げられた。僕は運転手に平謝りしながら、とっさに金髪を追いかける。
リュックを背負いながら元来た道を走る。暗い歩道を、落ちる金髪の粒子を辿って行く。広いアーケード街も、すれ違う人々の間を縫って走り抜ける。狭い路地裏は迷路のようだが、それでも見失うわけにはいかない。背の低い僕でも、あのギルガメッシュな金色は目立つのだ。
だが追いつけない。スタート時点からハンデがあったことを差し引いても、背中が遠い。
距離は一向に縮まる気配が無く、早い段階で諦めかけた。追いついては引き離され、追いつかれては引き離すシーソーゲームに、体力と精神が耐えられない。どうすればいい? もうどうしようもないのか? 不安だけが胸をよぎり、孤独を一層根強いものにする。
何であの金髪は僕を一目見て脱兎の如く逃走した?後ろめたいことがあるに違いない。僕が交通事故未遂に遭った唯一の第三者だ。いや、黒幕かもしれない。僕が何故、金髪を追っているのかというと、そういう知的好奇心もある。
だがそれ以上に、直感めいたものが僕の体を動かすのだ。今追わないと絶対後悔するという反射的な恐怖と、得体の知れないものに足を突っ込む恐怖。無謀か勇気かと問われたら、上手く言葉で答えられない。狭間を彷徨っているというか、自分でも制御できないのだ。走り出したら止まれない。
「キャァっ!」
どこからともなく、少女の叫びが夜の街に反響する。気がついたら、治安の悪い繁華街の裏道にまで入り込んでしまった。制服姿では確実に補導されるか、チャラチャラしたヤンキーに絡まれるだけだろう。
どっちも残念ながら、今回は後者だ。金髪の人影は少女だったようで、僕と同じ学校の白と紺のセーラー服を着用していた。そしてまさに今、少女がチャラ男に腕を掴まれ、悲鳴を上げたのだ。何がどうしてそうなったのか経緯は不明だが、むしろ好都合。これで距離を詰められる。
後、五十メートル、四十メートル、三十メートル、そして二十メートルのところで新たな事件は起きた。
「イヤっ!」
少女が拒絶の言葉を発しただけで、僕のいた世界は真っ暗闇になった。頼りなくも暗い道を照らしてくれた街灯だけならいざしらず、これでもかと言わんばかりにイルミネーションを施された建物が、瞬時に停電したのだ。
道行く人達が騒いでいる。携帯電話を開いても、電源が切れているらしい。まるでここだけ世界から切り離されて、ぽっかりと穴が空いたよう。そんな闇に唯一取り残された光、金色の粒子が揺れ動く。僕は闇雲に手探りで疾走しながら、夜目を利かせる。
ついに金髪少女の背中を射程距離に収めた。幸い、金髪は足がそれほど早くない。スプリンクラー種目に定評のある僕なら、捕まえるのにも不可能ではない。
だが、息が荒い。走りながら変な思考を巡らせたせいだ。酸素が足りない。でも乳酸菌は溜まっている。ここにきて運動不足が祟るとは、怠惰な生活に慣れすぎた。
反省するのは後だ、今は走ることに専念しろ。大切なのは速いタイムなどという、数字でしか意味の無い結果ではない。真に価値あるものは最後まで折れずに完走したという、過程で垣間見せた強い心なのだ。
いや、これって長距離ランナーの心得だっけ? まぁ、ラストスパートだとシミュレーションすればいい。命を燃やせ!
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ………っ!」
恥も外聞も捨てて絶叫し、肺に残った空気を全て抜く。極限のランナーズハイを活用しすぎて、心臓がドックンドックン爆発しそうだ。リレーのバトンを繋ぐために手を伸ばしている余裕は無い。僕は全身をバネのように撓らせ、魚雷タックルした。
「ぎゃぼっ!」
手応えあり。自分が下になるようにフォローはしといたが、そのまま硬い地面の上をゴロゴロ転がる。歩道に敷き詰められた石がゴツゴツしていて、かなり痛い。
「捕まえたぞ! って、あれ?」
地面に押し倒したはずの金髪少女の髪が、金色ではなかった。普通のどこにでもいる清楚なお嬢様系の黒髪だったのだ。
「な、七海………君?」
というより、僕のクラスの委員長だった。
「小岩井さん⁉ 何でこんなところに……?」
小岩井祭(こいわい まつり)。
肩口で切り揃えられたショートカットに、インテリ黒ぶち眼鏡。これでハードカバーな本でも両手で胸に抑えるように持っていたら好感度アップだ。クラス委員長よりも図書委員の方が似合う容姿なのだが、性格は結構ツンツンしていたりする。
「私は夜の見回りをしていたのよ」
「しょ、職務を逸脱しているぞ!」
「趣味なのよ」
「こんな夜に遊ぶのがか? とんだアバズレだぜ!」
「落ち着いて七海君」
「これが落ち着いていられるかっ!」
「ふう。あなたは自己主張の少ない、地味な男子生徒だと思っていたけれど、案外アグレッシブなのね。驚いたわ」
「パンツ脱がすぞコノ野郎!」
「ていやっ」
「ふべしっ!」
可愛い掛け声と共に、鈍器のような何かで殴られた衝撃が僕を襲った。
「目が覚めたかしら?」
「あれ………。僕は一体……?」
なんだか悪夢に魘されていたようだ……。寺の坊主が調子に乗り、鐘を連続で鳴らしているかのように響き、ズキズキ頭痛が酷い。
「いい加減、退いてくれるかしら? 重いのだけど……」
「うわわわわっ! ご、ごめん!」
いつの間にか僕が、小岩井さんの上に馬乗りしていた。生きている内に経験することはまず無いであろう、ありえない状態に慌てて飛びずさる。小岩井さんはゆっくり立ち上がると、服に付いた砂埃を払った。
「危うく、パンツを脱がされて犯されてしまうところだったわ」
「気をつけた方がいいよ。ここら辺は危険だから」
「…………」
どうしてだろう? 小岩井さんが僕のことを鋭い目つきで睨んでいるのは? 今度は少し嘆息しながら、呆れ顔になっている。見ていて飽きさせない人だなぁ。
「まぁいいわ。気をつけて帰ってね。知らない人について行っては駄目よ」
「はーい。あ、そうだ小岩井さん。この辺で金髪の女の子見かけなかった?」
「………見なかったわ」
暫しの逡巡の後、そう一言呟くと彼女は僕に背を向けて去ってしまった。家まで送っていくべきだったろうか? でもあんまり親しくも無いしなぁ……。
また今度でいいや。それよりも電車に遅れてしまう。急がないといけない。僕は夜道を一人で競歩して、そのまま帰路につくのだった。
× ×
次の日の放課後。部室で読書をしている霙先輩に、僕は大股で詰め寄った。
「ちょっと聞いてくださいよ先輩!」
「なんだってぇ~!」
「まだ何も話してませんよ!」
「ああ、すまんこすまんこ。んで、どうした?」
さらりと入る人格を疑うような下ネタはこの際置いといて、溜まりに溜まった鬱憤をここで晴らす。
「昨日、家に帰る途中だったんですけどね!」
「うんうん」
「なんか僕、金髪女にストーカーされてるんですよ!」
「被害妄想キター―ッ! 嘘乙」
本に目を落としながら、平坦な声で適当な返事をされた。馬鹿にされているようで、いや実際に馬鹿にされているのだが心外である。
「本当ですって! 信じてください!」
「はいはい。で?」
まだ半信半疑のようだが、聞いてくれる姿勢だけでもよい。昨日起こったことをありのままに述べる。
「車に轢き殺されそうになるわ、停電で電車は止まるわ、疲れたからジュースでも飲もうと思って自動販売機に百円いれたらジュース出てこないし、お金は戻ってこないわで、さんざんでした! しかも運が悪い時に限って、あの金髪女がいるんですよ! 僕って呪われているんですかねっ?」
「イタコに訊いたらどうだ?」
「どうなんですか漁火さんっ!」
今日から正式に映画研究部に所属した漁火辻。力が籠っていない瞳で、虚ろに天井を見上げていた新人に訊く。
「いや、自分、そういうの専門外なんで。お札でも売りましょうか?」
「結構です」
絶対に不良品だからだ。そして幸せになれる壷を押し付けられて、百万単位でぼったくられるのだろう。不幸だ。
「金髪女っていうと、あの映像に映った女子生徒のことか?」
「流石先輩! そうかもしれないんですよ!」
「その映像ってのは、一体何のことなのかな?」
いいところで筋肉馬鹿である榊枝先輩が、スマイルで会話に口を挟んできた。はっきり言って邪魔である。この世はシビアなのだ。笑っている奴から早死にする。
「お前らが入部する前に、私ら三人で撮った自主制作のムービーのことだ」
「ぜひ拝見したい」
「いつかな」
食って掛かる榊枝先輩を、適当にあしらう霙先輩。あんな黒歴史を懐かしむ暇も無し、繰り返すつもりも毛頭無い。横に逸れた話を戻すために、僕は単刀直入に申し出た。
「それでですね先輩! あの女の正体を突き止めましょうよ!」
「えー、あんなやつ顔も見たくない」
「個人的な恨みでしょうが!」
霙先輩の胸倉を掴む。理性などという隔たりは僕にとって、もはや無意味だ。こちとら殺されかかっている身分なわけであり、手段は選ぶべきではない。若者は生き急ぐものなのである。
「黙れェェェェっ!」
「ふべしっ!」
また理不尽に顔を殴られた。いや、胸倉を掴んだ僕が悪いのだけども……。割に合わない大ダメージだ。ジンジンする左頬を押さえる。
「な、何するんですかっ⁉」
「命があるだけマシだと思えっ!」
「えええぇぇっ⁉」
霙先輩を焚きつければ楽勝だと考えていた。でもこの人には一生逆らえないんだ……。涙は呑むが、諦めるつもりは無い。こうなったら単独で行動に移すしかないのか……。
「探そうにしても、金髪の生徒なんてこの学校には存在しないよ」
いつもだったら救いの声、伊織蓮美なのだが、聞き捨てならない言葉が耳に届いた。それは悪魔の痛烈な一言だった。
「な、何故分かる!」
「だって調べたもん」
本職であるストーカーキング、略してストーキングの異名をとる蓮美が知らないだと! 素人の僕が手をつけられるわけがないじゃないか!
「この学園には外国人とかいるから、巨乳の金髪美少女とか、ロシアのブロンド女とかがいるんじゃなかったのっ⁉」
「欲望に塗れているのは理解できたけど、いるとしてもハーフとかクォーターとかだよ? あそこまでの見事な金髪はこの学園にはいないはずなの」
「じゃ、じゃあ、あの女子生徒は?」
「一部で目撃情報はあるけど、今ではハスミン七不思議なのだ~」
くっそ~、ムカつくぅ~。幼馴染の可愛い仕草に、思わず首を絞めたくなったじゃないか。どうしてくれる。
「ぺっ!」
この効果音は霙先輩が床に唾を吐き捨てた音である。掃除するのは僕なのに……。
校内にいたはずなのに、校内には存在しないなんて、
「まるで幽霊みたいじゃないか……」
「待ってください七海さん。もう一度その時の状況を教えてください」
がっくりとうな垂れ、床に手を着き四つん這いになっていると、漁火さんが僕の不思議体験に興味を示したのか質問してきた。
「いやだから、そのストーカー金髪女に命を狙われたんだよ」
「その他には何かなかったんすか?」
眼帯で隠されていない右目が、一際強い異彩の輝きを放つ。
「そうだなぁ……。追っかけている間に停電があったくらいかな」
「どこでですか?」
「駅前だよ」
「それは変っすね……」
顎に手を当てて、なにやら思案顔をしている。
「何が変なのだ、辻」
霙先輩も読書を一旦中止し、ソファーから身を乗り出している。次に漁火さんが発した言葉は、僕の主張を根元から覆すものだった。
「駅前で停電なんて、なかったっすから」
「えっ! いや、そんなはずはないよ。電車だって運転見合わせしていたし、僕は停電した街を見たんだ」
「落ち着いてくださいっす。容疑者Aさん」
「まさかの犯人候補として疑われているっ⁉」
「もう一度訊くっす。停電が起きた時、七海君はどこにいたんすか?」
つい昨夜の記憶を掘り起こす。追いかけっこの最中だったから、繁華街の裏道に入った時…………ヤバい。
「……繁華街」
「繁華街のどこっすか?」
「………………………………………………………………」
蓮美が悲しそうな目で見てくる。腐れ縁の関係だけあって、なんとなく予想がつくようだった。罪悪感に耐えられない。汚れた身が焼かれるようだ。
「早く答えてくださいっす」
ヤバイ。夜遅いわけではないけど、あんな時間からホテル街にいたことがバレたら誤解される。漁火さんには杞憂だとしても、霙先輩には絶対にそれをネタに弄られる。
「い、言わなきゃ、だ……駄目?」
「UPSという機能をご存知ですか?停電時に予備バッテリーに切り替わる装置のことっす。小さくても企業を名のる会社のビルなら作動するはずなんすけど、七海君のいた場所はそうではないんで、正確な位置を知りたいんすよ。条件が特定されますから」
ITパスポート試験でも受けるのかお前は! って、あ、危なかった……。危うく突っ込み、墓穴を掘ってしまうとこだった。まだだ、まだ焦るな。表情を顔に出さず、最後までしらばっくれるんだ!
「へ、へぇ……で?」
「くどいぞ音流!」
「繁華街の裏道に入ったホテル街にいました!」
霙先輩のマジでキレる五秒前を察し、何も悪いことしてないのに脊髄反射レベルで土下座をしてしまった。悲しい性である。
「何いやらしいことをしていたのだ⁉」
いきなりヘッドロックで拘束された。痛いけど、その、む、胸がムニムニとしていて……。って、いやらしいことを考えてはいけない!
「誤解です! 金髪を追っていたら、偶然そこで停電が起きただけです!」
「嘘を吐くな! どうせ客引きのブロンド女に引っ掛かったのだろう! これだから男ってやつは信用できないっ!」
霙先輩が僕を信用したことなんて一度でもあったか?もしや、色気に惑わされた男に騙された経験があるのだろうか? いや、この人に限って男性経験が豊富なわけない。きっと調子に乗っているのだろう。スルーするのが優しさってもんさ。
「考えてもみてください! 制服姿でイメクラやらキャバクラやらに行けるわけがないでしょう! 僕は未成年ですよ⁉」
「世迷言を言うな! 貴様は都条例が可決されたのを知らんのかっ⁉」
「あんたこそ世迷言だ!」
怒りに身を任せ、力尽くでヘッドロックから抜け出す。世界の秩序を守るためなら、僕は暴力にだって屈しないし、正当防衛による武力行使も厭わないだろう。二人の間に、一色触発の雰囲気が流れる。
「まぁまぁ、落ち着いてください。確かにホテル街なら、古いから予備バッテリーの機能はありません。これで確信がついたっす」
そんな空気を壊したのは漁火さんだった。
「少し整理しましょう。文化部の下校時刻は七時ジャスト。しかし七海君は居残りで三十分遅く学校を出たはずっす。合ってるっすか?」
咄嗟に言葉を発せず、首の動きで肯定する。口の中に溜まった唾液をゴクリと飲んでしまったせいだ。なんというか、漁火さんの纏うオーラが一変した。これ以上無駄な会話を続けたら殺められる!
「そして七海君の帰宅時間を午後七時半だとすると、八時過ぎの電車になるっす。その時間帯、駅前に停電はありません」
「どうして漁火さんに分かるの?」
「自分も駅前の書店に立ち寄っていましたから。少なくとも自分のいた店舗と駅で停電はありませんが、七海君の言っていることは本当でしょう」
「待て。それでは話が矛盾してないか?」
指摘をしたのは榊枝先輩だ。彼にしては珍しくまともな意見である。
「ですから、一時的に一部分だけが停電したんです。普通なら街全体が停電になるはずですが、自分がいたお店は電気が通ってたっす。駅が停電したのなら、電車の運転見合わせなどせず、運転中止になっていたはずです。見合わせたのは街の一部が停電したという情報を得たJR職員が、念のために点検をしたからでしょう。だから運転再開に時間がかかったんすね」
確かに電車は一時運転を見合わせていただけで、思っていたよりも早く運転を再開していたような気もするし、漁火さんの見解は理屈に合っているような気もする。
「駅が停電してないのはなんとなく分かったけど、一時的に一部分だけ停電だって? そんなことが可能なの?」
「自分の知識にはありませんが、おそらく人為的なものっす。でなければすぐに電力は復旧しませんから」
自然に故障したのなら修理する人が駆けつけるまで放置されるが、人の手によって停電を引き起こしたのならば直すのも人の手。そして原因となった箇所を知っている人間が速やかな復旧作業が可能なのであり、金髪女の共犯なのだろう。
ここで、ある安直な疑問が浮かぶ。質問を躊躇っている僕を見かねたのか、霙先輩が辛抱できなかっただけなのかは分からない。
「人為的なものだとしても、そんなことをする理由がどこにある?」
そう、こればかりは犯人ではない漁火さんに訊いても、完璧な答えが導き出されない。でも、訊かずにはいられなかった。
「二つあるっす。もし、金髪女が七海君をその場所へ誘き寄せるために、悪戯をしたのだとしたら? もし、金髪女が七海君から逃げるために、停電を引き寄せたのだとしたら? どっちにしろ共犯者がいるはずっす」
僕は金髪女を知らないけど、金髪女の方は僕を知っている。なら僕は、金髪女に狙われるようなことをしたのだ。理由は僕の中にある。それだけ分かれば十分だ。
「漁火さんって、もしかして探偵?」
「自分は探偵ではありませんよ。これは推理ではなく、最初から最後まで全てが推測でしかないっすから」
探偵は自分の足で事件の手がかりを探るが、漁火さんは証言者の言葉のみで事件の手順を大方纏めてしまう。推理ではなく推測。消極的でミステリアスな彼女らしい解決の仕方だった。
しかし、推測だけでは犯人を特定できない。それは当然であり、ここから先は当事者である僕の問題だろう。頭を悩ませていると、不意に霙先輩から話しかけられた。
「音流。運が悪かった時、知り合いはいなかったのか?」
「え……。あっ、そういえば一度だけ委員長がいましたね。夜の見回りとかで」
トラックに轢き殺されそうになった時だ。金髪の少女を追っかけていたら、途中で小岩井さんと間違えたのだ。おかげで謎の金髪を見失ってしまった。
その後も金髪はちょくちょく現れたのだが、今思えばあれがラストチャンスだった。後もう少しで捕まえられると確信したのに、惜しかったなぁ……。
「そいつだ」
「え?」
「そいつが怪しい」
「なんで分かるんです?」
反射的に立ち上がる。霙先輩は今、何と仰った? 僕の鼓膜が正常であるなら、小岩井祭が事件解明の鍵を握っているということになる。
「音流の入部届けを代わりに私が出した時のことだ。どうやら担任が不在のようだったのでクラス委員長とかいう、お洒落眼鏡に用紙を渡したのだが、あれは曲者だぞ。猫被りだと一目で見抜いた」
「あのクールな委員長が猫被り? それは第六感というやつでしょう?」
またもや懲りずに根拠の無いことを口走る人である。何度騙されたことか、わずか四ヶ月でも数え切れないだろう。鼻で笑おうとしたら、まるお君みたいな喋り方になった。
「私は音流の被り具合も見破れるぞ」
「逆セクハラはやめてください!」
さっと股間を両手で隠す。いや、別に隠すことも無いのだが、背筋がゾッとしたのだ。僕の顔にはさぞかし青い縦線が入っていることだろう。藤木君みたいに唇も青くなっているかもしれない。
「猫を被るというより壁があるというか、鉄火面だな。合っているか蓮美?」
こめかみを抑えながら記憶を掘り当てようとする霙先輩が、僕と同じクラスメイトである蓮美に同意を求めた。
「どうでしょうか……。容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、泣く子も黙る三冠王ですから、やっぱり近寄りがたいオーラはありますね。でも人に分け隔てなく接することのできる、典型的な委員長キャラですよ」
そうなのか……。僕にだけクーデレなのかと勘違いしていた……。モテない男子高校生は、女子にちょっと優しくされただけで恋に落ちるのだ。
自分でも分かってはいるんだけど、期待せずにはいられないという、苦汁を舐めさせられる被害者は後を絶たない。JKが男達の純情を弄びやがって……。血の涙を流しても許せない。
「だからそれがATフィールドだと指摘している」
理解のある人ならニュアンス的には伝わるだろうが、知らない人にはサッパリだ。分かりやすくしようとして失敗する例である。案の定、そういう知識に疎そうな女子である漁火さんが首を傾げていた。
「どういうことっすか?」
「あの委員長キャラは、わざとミステリアスな女を演じているのではなく、自ら秘密を守るために壁を形成しているのだ。分かるか?何かの事情があって、そうせざるを負えない状況にあるわけだ」
「なるほど。いい観察眼だ」
一言発するたびにポーズを決めて感心する榊枝先輩。本人はカッコイイと思っているのか、絆創膏一つでは足りないほど痛々しい。というかウザイ。
年上としての礼儀を忘れるほどウザイ。でも面白いので、そのままにしておいた。僕はあまり視界に毒物を入れないようにして話を進めた。
「はぁ……。その事情とは?」
「JKが夜の繁華街にいるなど、理由は一目瞭然! 援交しかありえんだろ! 相当なビッチだと推測できる」
それは推測というより憶測だ。この人の脳味噌にある思考回路は、エロ方面にしか直結していないのだろうか? 一度開いて見てみたいものである。呆れてものも言えないが、みなを代表して異を唱えさしてもらおう。
「いくらなんでもそれは……」
「なるほど、一理あるっすね」
えええぇぇっ⁉ 漁火さんが納得しちゃったよ!
「その秘密を金髪の女性が知っていて、弱みを握られた小岩井さんが犯行の手助けをした。ってとこが妥当っすかね?」
「だろうな」
霙先輩も自分の推理にご満悦のようだ。水を差したいわけではないが、犯行の目的なんて二の次だ。聞き込み調査をしてみる価値はあるのだろう。
「判断基準がビッチなのは、どうかと思いますが……。容疑者候補というのなら、蓮美にストーキングしてくれるように頼みます?」
「取材だってば!」
ストーカーがなんか言っている。僕に犯罪者の知り合いはいませんから。
「いや、本人に直接訊いたほうが手っ取り早いだろう。今すぐここに呼び出して来い!」
「もう帰ってますよ」
「そんなのは分からんだろうが! さっさと行け!」
やはり汐氷霙は汐氷霙。人使いの荒さは天下一品だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます