サンタ・クローキダの奇跡・1

 狭い寝室で物音がすると、思ったよりも気になるものだ。

 特にそれが普段、あまり触らない窓からの音だったから、俺もついつい反射的に警戒して目が覚めてしまった。

 街頭に照らされた外に目を向けると、ゆらゆらと真っ白な雪が街を白く染めようとしているのが見えた。そういえば、ニュースで久方ぶりのホワイトクリスマスがくるって、清子きよこくんが騒いでたっけな。

 いや、そんなことより、窓で音がした理由は一体なんだろう? 気になって寝付けないのは嫌だ。俺は頭を掻きながら、ベッドに身体は預けたまま、そっと窓に顔を近づけた。

「メリークリスマース!」

 窓越しに、逆さまになった赤い帽子の女性から突然挨拶された。

「どぉっほぉぉっ!」

 俺はベッドの上で奇声をあげてひっくり返った。すると女性は、笑顔で平然と窓を開け放ちながら、ベッドの横に降り立った。

 赤と白のぶかぶかな……サンタの服を着た彼女に驚いて思わずひっくり返ってしまったが、その顔は見間違えるはずもない。

「ちょっと、いきなり何してくれてんですか黒木田くろきださん! てか今はもう夜中! しかもなんでうちの窓に張り付いてたの……」

「ゴホン、君は勘違いしているぞよー、羽村くろきださん。わた、ワシは黒木田さんではなーい」

 今、私って言いそうになりましたよね?

「私の名前は、サンタ・クローキダなのじゃー! まあ、黒木田くんとは良いお付き合いをさせて貰っているがねー」

「へえ、じゃあそのサンタなんちゃらが来たって、上で寝ている黒木田さんにいっちょ教えに行きましょうか」

「こらこら羽村さーん、夜中に女の子の家を訪ねようなんてー、ダメダメなんじゃぞー」

 寝室の扉を塞がれた俺は、諦めてベッドに座り込んだ。これだけ騒いでいるのに、洋服棚の上のケージで暮らすぽんすけは、すやすやと眠っている。

「で、サンタさんが俺に何の用ですか?」

「おっほーん。実はー、羽村さんにはこの私の仕事をー、手伝って貰いたいのでーす!」

「サンタの仕事を?」

 自室の壁にかけた古びた時計に目を向ける。今はもう日付変わって二五日の一時過ぎ。本当なら今ぐらいってプレゼント半分配らないと間に合ってない時間なんじゃ。

「今から世界中の子供にプレゼント配るなんて、二人居ても無理でしょ。てか俺ほら、年齢的にもサンタって柄じゃ」

「ほっほっほー、大丈夫でござりまするよー。私の担当はちょっと遠い異国にいる頑張り屋さんだけなんですよー。でもー、トナカイがちょっと風邪を引いてしまってー、代わりを探しているんですよー」

「あ、サンタって分業制なんだ。って、ちょっと待って。トナカイの代わりって言った?」

 目を剥いて問いただす俺を無視して、サンタ・クローキダは右手を上げて呪文を唱える。

「というわけで行きますよ、クローキダオキガーエトオーツカイー」

「魔法ーって、あれ? なんで」

 気づくと俺はビルの外に居た。何故か出入り口の前にはそれらしいソリが停まっていて、サンタ・クローキダは既に搭乗済だ。

 それにしても、今の俺は寝巻……とは名ばかりの使い古したスーツで寝ていただけに、防寒具など一切持ってきていない。雪降る夜は勿論突き刺すような寒さが支配しているわけで、まだ寝惚けていた頭はその冷気で強制的に覚醒させられた。

 震えながら自分で自分の身体を抱き締めると、何やら手にいつもとは違う感触があった。

 ワイシャツのような滑らかな触感ではない。ちょっとゴワついた、ぬいぐるみでも触っているみたいな……。

「って、いつの間に俺着ぐるみ着てる!」

 反射的に頭を抱えると、頭の左右に角のようなものが付いていた。どうやらトナカイの角を模したヘアバンドを付けられているらしい。

 驚いた勢いで投げ捨てようとしたが、何故かヘアバンドはがっちり俺の頭にハマって取れる気配がない。

「トナカイさーん、子供達が夢の中で待っていますよー。夜中までに周らないとー」

「拒否権を行使しまーす! てか、サンタのトナカイって確かあれでしょ? 羽もないのに空を飛び回って、自分の鼻を灯りにするトンデモな化け物でしょ! 俺そんな不思議能力を持ったモンスターに生まれた覚えはないですからねー!」

 俺は、ちょっと哺乳類とか鳥類と言葉が交わせちゃう以外は、ただのお兄さんですから!

「さあさあトナカイさーん! ソリを引いちゃってくださーい」

「そんなこと言われても、無理なものは無理……」

 しかもよく見るとこのソリ、荷車みたいな取っ手が付いてる。こんな前時代的なものでソリを引いて目的地まで行けとは、なかなかエグい重責を押し付けてくれるもんだ。

 黒木田さんは、恐らくそこまで重い人じゃない。だからって、成人した一人の人間をこんな飾り付けのゴテゴテしたソリを引いて歩けなんて、いくら若々しい俺でも不可能だ。

 しかし、真っ向から断ったら、どんな不幸に巻き込まれるかわからない。ただでさえこうして一緒に行動しているだけでも、いつ神様が彼女を通じて俺に大いなる災いに巻き込みかねないっていうのに。

「ではー、行きましょうー」

「相変わらず黒木田さんは言うことを聞いてくれないなぁ……ってあれ、なんで俺取っ手掴んでるの?」

 俺はいつの間にか、ソリの操舵手として立っていた。そうやって困惑していると、突然足が勝手に歩き出し、ソリを引き始めたではないか。

 抵抗しようとすると、足が着ぐるみとぶつかる感触があった。どうやらこの着ぐるみが、俺の身体を力づくで勝手に動かしているらしい。

「こんな拷問みたいなパーティーグッズどこで買ったの!」

「サンタさんの魔法のアイテムですからー、非売品ですよー」

 ゾッとした気分で呆然としていても、足は俺の意思を無視してどんどんスピードを上げていく。

 誰も居ない商店街を、俺は近所迷惑を顧みず大きな悲鳴を上げながら駆け抜けた。

 すると、俺達は段々と宙を浮き始めたではないか。

「わかりました! 降参します! マジックでも魔法でも信じますから、この足を止めて!」

「そんなー、止めたら墜落して誰かが怪我しちゃいますよー。それに大丈夫ですー、飛ぶのお上手ですよー」

「飛んでるのはこの着ぐるみでしょうに!」

 悲鳴のような抗議は、太陽のような笑顔の前には何一つお目通りを許されることはなかった。

 俺達が凍死しないのが不思議なくらいスピードを上げたソリは、やがて海の上へと特急電車のように飛び出した。

「あ、ライトを点けなくちゃですね」

 着ぐるみの角が輝いて、大海原を少しだけ照らし出した。地球のほとんどは海だと言われていることを漠然と思い出しながら、同じような風景を俺は小一時間見続ける羽目になる。




「ようやく着きましたねー」

 げっそりとソリに寄りかかる俺を尻目に、黒木田さんが異国の空気を取り入れるように深呼吸していた。こっちはそれどころか過呼吸になりそうなんですけどもね。

 それにしても、海を飛び越えた異国なのに、俺はこの場所に見覚えがある。

 どこか薄暗い街並、街灯の届かない闇から漂うピリピリした雰囲気、少なくとも一周して日本に戻ってきた、という気の抜ける展開ではない。

 目の前に佇むのは、コンクリート剥き出しの廃ビルだった。窓はあちこち割られ、人が住んでいる気配はまったくない。

 だが、窓からはちらほらと人影が見えた。俺は思わず黒木田さんの手を引いて物陰に隠れた。ソリが隠れてないので意味がないのではと冷静になって考えたが、何故かビルを歩き回っている人間にソリは見えてないらしい。

「プレゼントをあげる相手はこのビルの中にいるんですよー」

「いるんですよーって、あんな物騒な奴等がうろうろしてる中、どうやって……」

 とか言ってたら、身体がゆっくりと宙を浮き始めた。もう何が起きても驚くまいと思っていたが、やはり身体が浮く感覚はどうも落ち着かない。

 最上階の一つ下にある部屋に、俺達は窓を空けてなんとか入り込んだ。そして部屋の中には一人、蹲っている人間がいた。

 銃身の長いライフルを傍らに置いた彼は、片膝を上げながら眠っているようだ。

こんな状況下でよく寝ていられるなと呆れたが、それは巡り巡って自分に飛んでくるボールだ。

「この子がプレゼントを渡す相手ですよー」

 雰囲気に見合わぬ口調で、黒木田さんがそう告げる。

 へらっとした笑いが漏れる。声をかけられる状況じゃないが、もしコイツに見られたらこのトナカイコスプレの理由をどう説明しようか。

 動揺する俺の横で、黒木田さんはリボンで巻かれた小さな袋を取り出し、渡そうとする。

 それを俺は、思わず手で塞いで止めてしまった。

「サンタさんって、良い子にプレゼントを上げるもんでしょ? コイツはその、たぶん悪い子だと思う。銃持ってるし、追われてるし。貰う資格なんてたぶんないよ」

 今、自分はどんな顔をして目の前の小僧を見ているだろうと、俺は黒木田さんからさりげなく顔を逸した。しかし黒木田さんは、そっと俺の手を掴んで、静かに降ろした。

「サンタクローキダは良い子だけのサンタさんじゃないんですよー、頑張ってる子にもプレゼントを上げるサンタさんなんですー」

「頑張ってる子?」

 敵前だってのに諦めてか格好つけて眠りこけているコイツが?

 と、首を傾げているうちに、サンタさんはとことこと歩み寄って、袋を置いてしまった。

「サンタさんの役目は頑張っている子にちょっと幸せをお届けすることですー。だから大丈夫なんですよー」

 と、笑顔で振り返りながら戻ってくる彼女を見て、俺はまたそっぽを向いて頬を掻いた。

 一体何を置いていったのかは知らないし、彼女がこの子供の正体が誰かを知っているかもわからない。が、それとは関係なく、どうも気恥ずかしい。

「お仕事も終わりましたしー、夜が明ける前に帰りましょー」

「帰りましょー、って、ソリを引っ張っていくのは俺なんだよ?」

「頑張ってくださーい、ね!」

 と、黒木田さんが俺を突き飛ばすと、まるで爆発が起きたように突き飛ばされた。

 まるで弾丸のように虚空へ飛んでいった俺は、心の底からの悲鳴を延々と上げ続けた……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る