黒木田さんとクリスマス
その日
クリスマスだというのに風情もなにもないこの店では、尚の事客足が遠のく。二階の害獣駆除を営む男も、今日はさぞ暇だっただろう。家賃を平気で滞納するろくでなしが比較対象となるのは、礼蔵にとっては遺憾な事態である。
とは言ってみても、売り物は全て海外旅行帰りの祖父が買い込んできた、国々の土産物ばかりだ。というか悪く言えば転売屋と言い換えてもいいような、ろくでもない店である。歯軋りしつつも礼蔵にできることは何もなかった。
特に忙しくもないのにどっと疲れた気分を抱え、礼蔵はシャッターを閉め始めた。そんな時、三階の住人である黒木田さんが入っていくところに遭遇した。
「あー、礼蔵さんこんばんわー」
「どうも。今日、お店休みだったんですか?」
一階と二階の業績は散々な一方、三階の喫茶店だけはなかなか盛況している。相変わらず三階に客が入っていく場面にほぼ遭遇できない礼蔵だが、いざ様子を見に行くといつも盛況なのだ。
「いいえー、常連さんにちょっとだけお留守番を頼んでいましてー、お買い物して帰ってきたんですー」
「へぇ、で、それはなんです?」
「礼蔵さんったらわかってるくせにー」
予想外の返事に呆けた顔をした礼蔵に、黒木田さんは少し興奮気味に頬を赤らめながら答えた。
「サンタさんのためのー、靴下に決まっているじゃないですかー」
「さ、サンタさん?」
「はいー、プレゼントを貰うためにはー、大きな靴下を買っておかないといけないんですよー」
と、猫ならすっぽり収まりそうな大きさの靴下を取り出した。
「で、去年は貰えたんですか?」
「勿論ですよー、私はお婆ちゃんの言いつけをちゃーんと守ってー、毎日いい子であるように心がけてますからー」
と、子供のようなことを言い残して、黒木田さんは早く準備をしないと間に合わないと言って、階段を駆け上がっていった。
春の陽気のような女性が突如吹かせた突風に困惑していた礼蔵に、買い物帰りの
「大丈夫か冷蔵庫くん、鳩が豆鉄砲どころか砲丸を食らったみたいな顔してるけど」
「お前さ、サンタクロースって今でも信じてるか?」
「……お大事に」
何か壮大な勘違いをした羽村は、住処である二階へそそくさと逃げてしまった。
一人取り残されて、若き青年は自身の常識と正気をもう一度見つめ直しながら、
店のシャッターを降ろした。
その夜、勉強を終えた礼蔵が再びベッドに入ろうとした時のことだった。
誰かが、ビルの階段を上がっていく音がした。こんな時間にこのビルに用事がある人間はまずいない。
このビルに入っている店は、一階から三階まで、全てが終業時間のはずである。何かがおかしいと、流石の礼蔵も気になってきた。
大家としての責務、というより何かあった後で祖父にあれこれ言われたくないと、仕方なく礼蔵は状況を確認することにした。お古の半纏を着用すると、身を縮こませながら玄関からそのままビルの中を見回る。
やはり、二階に続く階段に人の気配がする。あまりの寒気に来訪者も相当参っているらしく、声に出てしまっている。かくいう礼蔵も、ポケットに手を入れていないと、震えが止まらなくなるくらいだ。
そっと下から階段の上を覗き、誰が来ているのかをそっと礼蔵は確認しようとする。ちらっと見えたのは、真っ赤な衣装だった。
その肩を、ふと誰かが掴んだ。
「お前、何者だ」
振り返ると、サングラスに黒服、そしてオールバックの男が睨んでいた。怪しい人のテンプレートを前にして、礼蔵の喉が悲鳴をあげようとする。
「い、ぎゃあ……」
「お、おい、静かにしろ……! まったくツイてないな。おい、ちょっと降りてこい!」
呼ばれて駆け下りてきたのは、大きな袋を背負い、サンタのコスチュームを身に纏った恰幅のいい男性だった。状況が読めない礼蔵に、黒服はより顔を近づけて問い質してきた。
「もう一度聞く、お前は誰だ」
「ぼっ、僕はこのビルの大家だ。き、きき君達こそ、不法侵入じゃないか。警察を呼ぶぞ!」
「静かにしろと言っている。今何時だと思っているんだ」
「アンタラに言われたく……」
と、また叫ぼうとした瞬間、礼蔵の口はガムテープで塞がれてしまった。
「これ以上、我々も手荒な真似は望んでいない。大家さんだと言ったね、せっかくだ、ご同行願おうか」
と、首で合図をすると、サンタの格好をした男も頷いて、二人で礼蔵の退路を塞ぎながら階段を登っていった。そして着いたのはなんと、三階の
「ここからは、うるさくしたら殴ってでも黙らせる。痛い思いをしたくなけりゃ、変な気は起こさないことだ」
耳元でわざわざ物騒な台詞を刷り込まれた哀れな大家は、ガチガチと震えて何もできなくなっていた。怯んでいる隙に、サンタは黒木田さんの部屋の壁に耳を当て、慎重に様子を伺っていた。その後、何故か持っていた鍵を使って、黒木田さんの家へまんまと侵入する。
間違いない、この二人は泥棒だと礼蔵は確信した。サンタクロースの格好をシて盗みを働くなんて、かなり狡猾な手口だ。ゴールデンタイムのドラマにありそうな話だが、それとは違い何をしでかすかわからない恐怖がある。
「さあて、さっさと仕事を済ませて帰ろう。ぬかるなよ」
「わかりました。そいつ、どうするんですか?」
「そうだな、事情を話して理解して頂けないなら、相応の対処をするまでだ」
口が塞がれているが、口元が震えて歯がガチガチと鳴ってしまう。
一体、この二人は黒木田さんの家の何を狙っているのか? そして自分はこれからどんなことをされるのだろう? いや、そもそも黒木田さんは無事なのか?
グラサン男のしかめっ面を眺めながらも、礼蔵は震える自分の身体を制御するのに精一杯だった。
数分後、礼蔵は自宅の応接間に緑茶を運んでいた。コタツを囲んで正座しているのは、さっきの男達だ。
「いろいろと無礼なことをして申し訳ありません。だというのにお茶まで用意して頂きまして」
「なんとお礼とお詫びを言えばいいやら、本当にお騒がせしやした」
と、二人揃って土下座をしてきたので、礼蔵もそれに習って同じように床へ伏せてみせた。
あのあと、サンタは空になった袋を持って帰ってくると、さっさと黒木田さんの家から出ていき、黒服の指示で丁寧に鍵まで閉めた。泥棒かと思っていた相手が何も盗った様子がないのを見て、礼蔵はますます状況が理解できなくなったが、階段を降りる途中で黒服に「お手数ですが、大家さんのご自宅でお話できませんでしょうか」と言われ、断れず招き入れることとなった。
一体何をされるのかと思えば、家に上げた瞬間真っ先にされたのは、深いお辞儀と土下座であった。
「実は私達のボスが、昔黒木田さんに命を救われまして、これはその恩返しなのです」
「は、はあ……」
「数年前、ボスが開店したばかりの黒木田さんの店にお祝いをかねて訪れた時、黒木田さんは最近サンタがプレゼントをくれないと嘆いたそうです。この情報化社会において、大人になってもサンタクロースを信じているなんて、なんと健気ではないかと」
拳を震わせながら語る黒服に、礼蔵は少し気圧されたが、さっきのような威圧感はなかった。
「以来、クリスマスになると、我々部下がサンタに扮して、毎年黒木田さんのお店にプレゼントを贈るようになったのです。真実味をもたせるために靴下に入れろという命令もあり、彼女のお宅に入らざるを得なくて……」
と、殻になった袋を撫でながら俯く黒服は、さっきと同一人物とは思えないくらい、優しい声音をしていた。
「ですから、勝手なお願いではございますが、どうか警察沙汰だけはご勘弁願いたい!」
と、二人は改めて応接間の畳に頭を押し付けた。そんなこと言われても、黒木田さんに何かしらの被害を及ぼしていないという保証はない以上、とてもうんとは言い難いところだ。
しかし、状況的にここで応じなければ、ろくな結果にならないのも事実だった。必死に頭を捻り、礼蔵はなんとか結論を出した。
「……ひとまず今夜は信じます。ですけどね、来年からはもうちょっと穏便な方法を考えてはくれませんか。ポストに入れておくとか」
「二年前にそれをやったら、酔っぱらいの入れ間違いと勘違いされ、落とし物扱いになってボスは大層お怒りに……あなたに許可を取るとかではいけませんか?」
相手には相手の深い事情があるようだった。それからしばしの押し問答の末、礼蔵の立ち会いの元、黒木田さんがサンタの入室を許可した時に限るという条件をつけた。すると相手はそれで十分ですと改めて深々と頭を下げた。
流石に夜も遅かったので、今日のところは解散ということになった。そして少しでも信頼してもらえるようにと帰り際に渡された名刺には、
「あの、一体どんなご商売を?」
「礼蔵さん、あなたはまだ若い。知らない方がいいこともあるんですよ」
と、黒服はサングラスを取りながら笑顔を見せた。その額に小さいが目立つ傷があることに気づいた礼蔵は、何も言わずにひたすら頷いた。
「礼蔵さーん、今年もサンタさんからプレゼントを貰えたんですよー」
クリスマスの翌日、黒木田さんは必ずといっていい程、プレゼントを見せびらかしにくる。今年は高級そうなセーターかと、礼蔵はげっそりした顔で苦笑いした。
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