黒木田さんについていこう
仮にも金持ちの令嬢がどうしてこんな使用人めいたことをしているのかと言えば、本人が望んだからである。
やむなく暇潰しに
興が削がれた伊智子は機嫌を損ねて帰ろうとしていたが、そんな時に買い物へ出かける黒木田さんと遭遇したのだ。
これは謎を解くチャンスだと思った。ついでにこれからどう潰すか悩んでいた暇な時間も持て余さずに済むと、黒木田さんの買い物を手伝うと申し出た。すると悪いからいいと渋るので、伊智子は自身も気に入っている黒木田さんのハーブティを対価に要求した。
交換条件があれば問題がないようで、すんなり受け入れてくれた黒木田さんに少し大きな買い物袋を渡された。
「よお、
「どうもー、ご無沙汰してますー」
突然声をかけてきた中年男性は、果物屋の店主だった。野菜も取り扱っているがその名の通り果物をたくさん取り揃えている店だった。外観はやや古めかしいが、店の外に立っているだけで果物の良い香りが鼻をくすぐる。
「おや、可愛いお嬢さんだ。妹さんかい?」
「ただのお友達です、あとワタシ高校生なんで」
むすっとした態度で伊智子が答えると店主は苦笑いしながら平謝りしてきた。
高校生なのに小学生並の背丈しかないので、黒木田さんと並ぶと最悪親子と勘違いされかねない身長差があるのは伊智子も自覚している。自分の背は生まれつきだから仕方ないと承知していても、初対面で無神経に言われて良い気分はしない。
「で、今日はどうするんだい? 今年は雨が続いて大変だったけど、良いのを揃えてるよ」
「うーんとー、そうですねぇー」
これといって堪えていない様子の店主と黒木田さんの会話を見て、伊智子は彼女の趣味趣向を確かめようとじっくり眺めていた。そうこうしている間に、黒木田さんは次々と伊智子の持つ買い物袋に品物を放り込んでいった。
あまりにも自然な動作で気づけなかったが、ふと我に返った伊智子はその重さに負けそうになっていることに気づいた。見れば買い物袋の中は果物のジャムなどの調味料で一杯だった。
「んじゃ、食材はまたお店に届けるから! いつもありがとうね、こんなにたくさん」
「美味しいですから当たり前ですよー、またお願いしますねー」
そんな平和で穏やかな会話が繰り広げられているが、伊智子は想像以上に重たいものを持たされて、歯を食い縛らないと持っていられなくなっていた。
話し終えた黒木田さんが歩き出したので頑張って追走したが、腰にピリピリとした痛みが走り始めた。どうやら身体が先にギブアップを宣言しているようだった。
「黒木田さん、ちょっとストップ」
「はいー? どうしましたー?」
限界が来た伊智子は、黒木田さんを引き止めると携帯を取り出した。
「今買い物袋に入ってるの、お店に届けても問題ないっすよね?」
「その方が嬉しいですけどー、あーちょっと重かったですかねー? 良ければそこのクリーニング屋さんはー、宅配便の受付もやってるから頼んじゃいましょうかー?」
「そんな必要ないっす。ワタシを誰だと思ってんすか」
と、伊智子はしれっとした態度で電話をかけた。それから間もなく、黒木田さんとは別の方向性で笑顔が朗らかな使用人、
荷物を回収し、敬礼をしながら去っていった砂城を見送った後、伊智子は黒木田さんとの買い物を再開した。
「本当にごめんなさいねー、砂城さんのために後で何かご馳走しないとー」
「いいんですよ、アイツは花より団子より車ですから」
ドライブマニアな使用人の話題を適当に切って、二人は次にお茶類を買いに行くことなった。伊智子も黒木田さんの作るハーブティはお気に入りなので、どういうところで仕入れているのかは気になるところだった。
それより気になったのは、意外と黒木田さんが商店街では顔馴染みというところだ。道を歩けば店先に居た人達が声をかけ、簡単な世間話を振って見送る。たまに妹とか娘とか間違えられた伊智子はむすっとしたが、黒木田さんの澄んだ笑顔を見ていると毒気が抜けていくような気持ちだった。
伊智子はこう見えて、金持ちの令嬢である。使用人を抱える大きな家を持つくらいだが、裕福さによって性格が歪んだという自覚がある。だからこういうテレビドラマのワンシーンのような光景は、なんだか居心地が悪かった。
これから行く茶葉の輸入店とはどこにあるのだろうか? またこういうホームドラマのような世界に自分は飛び込むのだろうか。
電車を使うという黒木田さんに、電車賃くらい奢りますよと金持ちの余裕を見せた。伊智子にできる、ほんの小さな抵抗だった。
辛気臭い気持ちになっていた伊智子は、今背筋を正して脂汗を流していた。
見渡す限りゴーストタウンのような寂れた街、そこに蠢く柄の悪い男達、そして城門のような入り口を通った先に居たのは、顔中に傷を負った老人だった。
「サキ、久しいナ。相変わらず気の乱れのない女ダ」
「先生が教えてくれた気功術のおかげですよー。ほーっ、あとーっ」
伊智子目線では盆踊りの出来損ないにしか見えないその動きを見て、先生は満足そうに頷いた。
「はは、先生カ。命を救われたのはこの私ではないカ」
「そんな大袈裟ですよー。私はたまたまお菓子を持っていただけですからー」
話が全く読めない伊智子は、頼むから事情を説明してくれと要求したいところだった。が、カンフースーツを着た男達が後ろに手を組んでずらりと並ぶ光景に、口が開かなかった。
「丁度イイ、今日は珍しい紅茶を仕入れてアル。気に入ったら交渉成立ダ」
「毎回美味しいものをありがとうございますー。先生は本当にお茶に詳しいからー、仕入れながらいつも勉強になるんですよー」
途中から伊智子に話しかけていることに気づいたが、まともな返事ができなかった。老人が首だけで合図して少し経つと、部下らしき男が三人分のお茶を用意してきた。
香りは良いが、何分場所が場所なので本当に飲んでも大丈夫なのか不安になる。下手したら家に帰れなくなるかも……。
「はぁー、まるで温泉から出てきた後みたいにほっとする感じですねー」
ちょっとは戸惑えよ、と黒木田さんをこっそり睨んでいたが、ふと自分が周囲からすごい目で見られていることに気づき、伊智子は慌てて出されたものを飲み干した。
「いかがカ? 連れのお嬢さん」
「ケ、結構ナオ手前デ……」
「ほっほっほっ、それは良かっタ。良ければいくらか差し上げヨウ。お近づきの印ダ」
「アリガトウ、ゴザイマス」
断れず伊智子は愛想笑いを浮かべながら受け取りつつ、さらに買い物袋の中に大量の茶葉やティーパックを詰め込まれた。そしてマフィアのような男達による一糸乱れぬお辞儀に見送られながら、二人でゴーストタウンを後にした。
結局、黒木田さんとあの老人との間に、過去何があったか聞くことはできなかった。
****
チャイナドレスに身を包んだ黒木田さんと伊智子は対峙している。いつの間にか自分もそれっぽい服装に身を包んでいる。
「黒木田さん、アンタ一体何者なんっすか」
「おっほっほーっ。私はただの喫茶店経営者ですよー、ほぉーっ、とあーっ」
彼女が謎ポーズをとった瞬間、台風のような突風が吹き荒れ、周囲の木々が皆吹き飛んでいった。砂城の乗った車が宙を舞い、彼女が店を開いているビルもどこかへ消し飛んでしまう。
これが彼女の学んだ気功術の力ということだろうか。冷や汗を流していると、背後に誰かが居ることに気づく。目を凝らすと、そこには同じくチャイナドレスを着た清子が腕を組んで立っていた。
「き、きよちー、なんで……」
「気安く話しかけないで。私はもう暗黒街の気功武術の伝承者なの。だからもうあなたの友達では居られない」
「ま、待ってよきよちー、何馬鹿なことを言っちゃってんの……」
「……さようなら!」
と、顔を背けながら清子が手をかざすと、同じく突風が吹き荒れた。そして耐えきれなくなった伊智子はついに宙を舞った。
吹き荒れる竜巻の中に取り込まれた伊智子が最後に見たのは、この状況で馬鹿面下げて車のハンドルを握る砂城の顔だった。
****
「そんな馬鹿なことがあっていいのかぁ!」
「あはは、どうしたですかお嬢さん、俺確かに頭良くないですけど、そんなに信じられないくらいヤバい感じですかね?」
目を覚ましたのは、砂城の運転する車の中だった。ようやく自分が黒木田さんの店からの帰りだったことを思い出す。この運転手、ドライビングテクニックだけはピカイチで、乗っている人間が思わず眠ってしまうほど静かで安全な運転をする男なのだ。おかげで、変な夢を見てしまったが。
「……結局、黒木田さんって何者なんだろう」
「とりあえず貰ったクッキー美味いっすよ。お嬢さんもどうっすか?」
と示されたクッキーを見た伊智子は、黒木田さんの顔を思い出して少し引いたが、結局食欲に勝てず手を出した。
「こんちくしょう、美味しい……」
あの老人から貰ったハーブティと一緒に味わおうと、伊智子は心に誓った。
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