礼蔵さんの証言1

 礼蔵れいぞうは、ラッカルトビルの大家代理である。終活中と理由を付けてあちこち旅行で飛び回る祖父の代わりに、この建物を一応管理している。

 管理人と言っても、やることと言えば掃除くらいだ。あとは不審者に気を遣ったり、建物が傷んでいないか定期的に確認したりと、大きなことはしていない。そもそも住人は礼蔵を抜いても二人しかおらず、どちらも店舗兼住居ということで暮らしている。

 同じ建物で暮らしていると、顔を合わせる機会は増える。出不精な二階の住人はさておき、三階で喫茶店を営業している黒木田くろきだとはよく挨拶をする。

 しかし、いざ聞かれてみると、礼蔵は黒木田のことをあまり知らない。いつも穏やかな笑顔を浮かべ、気が抜けた口調で話し、たまにちょっと暴走してしまう年上の女性、というくらいの認識だ。

 では好きなものは何か、嫌いなものは何か、特技は何か、誕生日はいつか、そんな簡単な情報すら知らない。

 そんな礼蔵が唯一気になって探りを入れたのは、喫茶店の客の入り具合である。

 二階で害獣駆除の仕事を営む男の元に客が来ないのは、経営者の商売する気のなさもあって自業自得だと思っている。

 しかし、黒木田はその逆で、これ程美味いものを作りながら何故流行らないのか、不思議で仕方なかった。もし食通が目をつけたら、たちまちテレビの取材が来て良いくらいだと礼蔵は考えている。しかし普段、一階で祖父の店の番をしている間、ビルに人が入っていく気配はまるでない。

 その日も人が入っていく気配がなく、礼蔵は休憩がてら久しぶりに黒木田の店三時のおやつと洒落込むことにした。

 今日初めての客だろうという気分で向かった礼蔵は、口をあんぐりと開けた。

 黒木田の店は一組用のテーブルが四つ、それ以外は四脚しかないカウンター席だけという小さな店だ。ところがペア席は二つ埋まり、カウンターでも一人主婦がショートケーキを楽しんでいるではないか。

 満席ではないにせよ、閑古鳥はどこにも居なかった。

「あー、礼蔵さんこんにちわー」

 驚いて当初の目的を失念していた礼蔵は、店の繁盛に驚いていることを悟られないよう務めて、自然に見えそうに返事をした。

「お、お客さん今日はたくさんですね。タイミング、悪かったかな? なんて!」

「本当にー、いつもありがたいことですよー。あー、ご注文は何にしますかー?」

 いつも、という言葉に引っかかりを覚えながら、礼蔵は一口サンドイッチとコーヒーを頼んで一服してから帰った。気づくとペア席に居た客が別のカップルに入れ替わっていて、いつの間に来店していたのか不思議だった。

 それから店の番に戻ってからは、ちらちらとビルの出入り口を伺いながら観察していたが、人の気配はあまりない。いつまであの客は黒木田さんの家に入り浸るつもりだろう、などと考えながら店を掃除しようと目を逸す。

 すると、背後に気配を感じて礼蔵は振り返った。誰も居なかったので礼蔵はすぐに店から顔だけ出して様子を伺うが、外にもビルに用事がありそうな人間は居なかった。

 おかしいなと思いながらも、隙を見てこっそり黒木田の店を覗きに行って、礼蔵はさらに驚いた。客が全員入れ替わっているうえに、さっきよりも増えているのだ。

 いつの間になんで客が入っているのだろうか。出入り口は一つしかないのに、人が行き来していく気配はまったくないはずなのだけど。

「あらー? どうされましたー?」

「いやぁぁぁぁぁ!」

 思わず叫んだ礼蔵を、店内に居た客が訝しげに睨んできた。店の入り口からエプロン姿で様子を見に来た黒木田だけが、ぼんやりとした顔で礼蔵を見ていた。

「ご、ごごごごめんなさい! 小腹が空いたからサンドイッチを持ち帰りでいただこうかと思いましてっ!」

「まあー、嬉しいですー。礼蔵さんにはいつもお世話になってますからー、一つサービスさせて頂きますねー」

 と、いつもと変わらない調子で受け答えした黒木田さんは、バスケット入りのサンドイッチ盛り合わせを礼蔵に持たせて、店の営業へと戻っていってしまった。

 疑問を抱えながら戻った礼蔵は、また店番をしながら外の様子を伺った。結局閉店時間まで誰も出ていく気配はなく、後でバスケットを返しに行ったら閉店後の店には誰もいなかった。



 以来、礼蔵は黒木田さんの来客事情について調べることをやめた。

 これ以上に詮索すると、開けてはいけないパンドラの箱のようなものに触れてしまいそうだったから……。

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