『狩野家の居候』後編

 夕飯の支度をしながら、俺達はさっきまでで起こった顛末を怜路りょうじくんに告げた。勿論、彼にだけ隠しておく理由もなかったので、自分の動物と会話できる能力についても、ありのままを伝えた。

「ふーん、羽村はむらサンが白太しろたさんの声を聞けるのもそれが理由かねェ?」

 いやあ、本当なら爬虫類の言葉はチンプンカンプンなはずなんだけど、その理由については今でもよくわかっていない。

「ってことは。あのハムスターの言葉も羽村サンはわかってンのか。ハムスターを連れ歩くなんて酔狂な人だなァとか思ってたけどよ」

「寝ている間に置いていくと後でうるさくて、あと遠出する時は世話もしないといけないんで」

 と、食卓に籠ごと連れてこられた熟睡中のぽんすけを見ながら、俺は深々と頷いた。ちなみにこの籠、近場に住んでいるご老人から無償で譲り受けたインコ用の鳥籠なんだそうだ。

 近頃のスマートフォンには、地元の人間と物の取引ができるすごい機能があるそうで、スマホで見繕ったと聞いた俺は世の中の進歩に目が回りそうだった。

 当のぽんすけは『飯ぃ……』と呑気な寝言を言いながら、幸せそうに寝ている。いいかぽんすけ、お前は今、技術進歩の渦に包まれているんだぞ?

「どっちみち、俺からすれば、アンタがやってるこたァ酔狂でしかねェけどな。イノシシなんて見かけたら、夕飯を牡丹鍋にするかどうか考えるわな」

「次見かけたら、遠慮なくどうぞ。忠告はしたわけだし」

 と、怜路くん相手に雑談していたら、横からもう一人の料理人が横から会話に混ざってきた。

「……話を切るようですけど、羽村さんに一つ言いたいことがあります」

「ん? あ、プリン作り終わった?」

「プリンは、まだネットでレシピ見たり動画見たりしながら、探り探りやっていて……ってそうじゃない! 卵料理なら得意っていうから任せたのに、なんですか! この卵焼きと目玉焼きが交互に並んだテーブルは!」

 指し示されたテーブルには、おっしゃる通り俺が腕によりをかて作った目玉焼きと卵焼きが並んでいた。少し前は目玉焼き一つ作るのにも難儀していた俺が、こんなにも生産効率をあげられるようになっていたなんて、我ながら進歩が目覚ましい。

「ふっ、そりゃもう。世界広しと言えど、卵料理といったらこの二つっしょ。いや、それ以外あろうものか」

「アンタの世界は猫の額規模か! いやちょっと待って。どうして怜路はそれを黙って眺めてた!」

 ご立腹の美郷みさとくんの怒りの火の粉は、怜路くんに飛び火してしまった。当の怜路くんは、問い詰められるも、どこかキョトンとしていた。

「あー、俺が声かけた時にはもうこうなってた。文句言おうにも、あのエベレストでも踏破したみてェな顔されたら、言えねェわ」

 哀れみにも似た目を向けられたと知った俺は、少しだけ凹んだ。やはりこの世の荒波は、卵焼きと目玉焼きでは乗り越えられないようだ。

「まァ、ただでさえ可哀想なことになっちまった卵を、真っ黒な備長炭にしてねェだけご立派だ。まァ、食えなくはねェし」

 と、さりげなく一つつまみ食いした怜路くんを見て、美郷くんも俺の卵焼きを一つ頬張った。軽く噛んで味わって飲み込んだ彼の顔は、真顔だった。

「うん、すごく無難だ」

「その感想、お兄さんは一番傷つくんですよ!」

 半泣きしながらの訴えは、勿論現実を変えてはくれなかった。唯一、白太さんだけ物欲しそうにしていたが、その後食べきれなかった残り物は、白太さんが全て平らげることになった。なお、案の定白太さんは何も感想を言ってくれなかったわけだが。

 結局、食後のデザートのプリンにも完敗した俺は、敗北感で大袈裟にぶっ倒れた。それを見た怜路くんに「食べてすぐ寝ると牛になるぞォ」とからかわれたが、もう言い返す気力も失う程に心が拗ねてしまった。




 久しぶりにたらふく食べた後、狩野家の住人はそれぞれの寝床に戻っていった。俺も充てがわれた客間でさっさと眠ることにする。若者の素直すぎる言葉に傷ついた心を癒やすのは、あやはり心地よい眠りである。

 俺は実を言うと、人生においてあまり敷布団で寝た経験がない。狩野家で久方ぶりに敷布団の世話になることになったのだが、最初のうちは寝付きがあまり良くなく、少し寝不足になることもあった。

 しかし意外と自分には順応性があったようで、三日くらいであっさり慣れた。今ややんわりと家主から苦情がくる程のいびきをかけるくらい馴染み、ついにはどこからか入ってきた白太さんに、尻尾で口を塞がれるくらい熟睡できている。

 そんな中、今日は夜中に突然トイレに行きたくなって、中途半端な時間に起きてしまった。自分でも腹が立つ程にヘナチョコなあくびをしながら、俺は抜き足差し足で共用の便所で用を済ませた。

 少し冷たい水で手を洗い、もう一眠りしようと部屋へ戻ろうとした時、ふと外に何かが居る気配を感じた。

 よせばいいのに、興味本位で見てしまったのがまずかった。

 一言で表すと、それは白太さん貸し切りの魑魅魍魎バイキングだった山で見たのとはまた違うラインナップの魑魅魍魎が、白太さんに追いかけ回されている。

 夜中に出歩いて、家に近づく悪霊を食べているという話は耳にはしていたけど、踊り食いは思ったよりも衝撃的な光景だ。あー、白太さんの口から蜘蛛みたいな足がはみ出てちゃってるよ、エグいなー。

 しかしここは、怜路くんの寝ている部屋から近いのであまり大きな声は出せない。気分はさながらホラー映画でロッカーに隠れて息を殺す主人公のようだ。

 毎夜こんなことをしているのか、今日だけが特別なのか知らないが、なんとなく白太さんは喜んでいるように見えた。そりゃ食べ放題が嫌いな人間はいないし、それは使い魔とやらも同じなんだろうな。

 犬や猫だったら興奮して尻尾とか振ってそう、なんて呑気なことを考えながら眺めていると、真横から人の気配がした。見れば気配の主は、寝ぼけ眼でぼんやりとしていた美郷くんだった。

 髪を完全に解いた姿は初めてみたが、なるほど女性に間違われることがあるという話も頷ける。ただ、暗い廊下であの俯き加減はなかなかホラー度合いが高い。これが美郷くんとの初対面だったら、俺は言葉をかけられる前に、割れた皿を探して拾い集めているところだ。

「あれ、羽村さん……夜中に何してるんですか」

「トイレに起きたついでに、白太さんのディナーバイキングを拝んでおります」

「……は?」

 俺の返事に目が覚めた美郷くんは、慌てて外の様子を見てからがくりと肩を落とした。事情を聞くと、どうやら食べる量が多いと白太さんのサイズが不必要に大きくなってしまう、という不安があるらしい。

 確か、白太さんは美郷くんの身体の中で飼われているみたいな話だったことを思い出す。一体どういう原理で美郷くんの身体に戻るのかは知らないが、そら大きくなったら負担が大きくなるのは当然か。

 鉄柱でも背負わされているような顔でお手洗いにいった美郷くんを見送りながら、俺は少し考えた。

 確かに飼い主としてはしんどいかもしれないけど「でかいのは良いことだ」という言葉があるように、あの手の化け物と戦うなら、デカい方が都合が良さそうではないか、と。

 が、ぽんすけが白太さんのような使い魔だったら、と置き変えて想像したら、美郷くんの心持ちも納得できた、ような気がした。

 白太さんが戻る瞬間がどういう感覚か、俺は知らない。が、首筋からあのふとっちょハムスターが無理矢理入り込んでこようとする図を考えたら、息の根を止められかねない。

 なんて馬鹿なことを想像していると、いつの間にか戻っていた美郷くんに、俺は不思議そうな目で見られていた。

「……山で物の怪を尽く呼び集めてた時もそうですけど、羽村さんはあの光景を見ても、リアクション薄いですね」

 と、美郷くんも近くに座り込んで、白太さんのディナー風景を眺めることにした。その間、程々にするよう美郷くんは声をかけたが、白太さんは言うことを聞く気配がない。

「そうかな、結構ビビってるけど。あっ、今度は白太さんの口から馬の足が」

「普通の人は、そんな動物園のお客みたいな反応しませんよ」

 指を差して驚く俺にごもっともな突っ込みが入る。

「まあ、商売柄かな。今回はあのイノシシを助けられたけど、チャンスを与えても約束を守らない奴だっている。最初から話を聞く気がない奴も。そういう時は、自分の手でけじめを付けなきゃいけない。当然、断末魔も全部耳に入ってくる」

「……耳を閉じるとかはしないんですか?」

「実はね、気を張れば連中の声を遮断できる。だけどすごい頭が疲れるし、それに我を通しておいて、肝心要な所に目を背けちゃダメな気がして。俺だって、こう見えて覚悟は決めてるつもりですんで。あー、今はみ出てるのは女の人の髪かな」

 ゆらゆらと不気味に揺れる髪の毛が吸われていくのを眺める俺に、美郷くんはぽつりとつぶやく。

「羽村さんが、なんだかよくわからなくなってきた……」

「え、どういうこと?」

「こう言ってはなんですけど、すごいのかドジなのか」

 俺はバランスを崩したハリボテのように横転した。

 助手の清子くん《きよこ》といい、どうして俺に関わる人間は段々と遠慮がなくなってくるんだろうか。

 ──山、呼んでる。

 と、白太さんが巨大な骨の頭を投げ捨てながら声をかけてきた。

「山が呼んでるって? 何がどういうこと?」

 ──山、繋がる。羽村、待ってる。

 美郷くんに呆けた顔を向けると、彼は微笑みながら頷いた。

 何を肯定した頷きなのか俺にはわからなかったが、とりあえず理解したように頷き返すことにした。




 ******




 数日前、すったもんだあった山は、何の変哲もない空間になっていた。あれだけ迷いまくった山中は獣道がはっきりしていて、社のある所まですいすい歩けてしまう。

 というわけで、今俺達はこの山の神様である金竜蛇ことキンが住まう社へと向かっていた。

 半身であるギンの思いつきで引っ掻き回され、散々山の中を迷わされたものだ。ついでに思い返せば俺もたくさん余計なことをやらかした気がするが、そもそもやんちゃな神様のせいだし、きっと俺は悪くないはず。

 ──じーっ。

 そんな俺の邪な心を見抜いたように、白太さんはしばしば俺のことを睨みつけていた。実際は俺を見張るのが癖になってしまっただけとのことだが、何か見透かされている気がして、居心地が悪かった。

『おいアイツ……まだオイラのこと狙ってねぇんじゃねぇかぁ? お前も見張れよ羽村よぉ!』

 結局、ぽんすけと白太さんの距離は縮まらなかった。食物連鎖の大きな壁はあまりにも高すぎたようだ。




 古びた社に辿り着くと、金色に見える鱗を持つ蛇が一匹、ひょっこりと顔を出した。これが金竜蛇、神様として崇められていた存在だ。

 勝手に神として祀られた蛇に、人の思いが宿り、この世界に顕現したのだという。実際は妖怪なのか、本当に神様なのか、俺にもよくわかっていない。

 ただ、今や多くの人に忘れられ、滅びを迎えようとしている。それでもキンが出てくると周囲の空気が張り詰め、肌寒さを感じるようになった。振り返ればまたあの時のように、風景がどこか違和感のあるものに変わっていた。

「弱ってるのにこんだけできるなんてなぁ、神様っていうのはすごいもんだ」

「でも、おれ達が守ってあげなければ、彼もこの社と一緒に朽ち果ててしまうでしょう。それについては怜路と一緒に手は尽くすつもりです」

 ちなみに、俺も半身の銀竜蛇ことギンの存在を守るため、商店街に口添えする約束をしている。せっかく家に帰してもらえるのだし、これくらいは朝飯前とやってのけないとなるまい。

 さて、キンはとても無口らしく、俺達には相変わらずほとんど口を利いてくれない。しかし白太さんとは意思疎通しているのか、出会ってすぐに二匹はしばらく見つめ合っていた。神様がこじんまりとしているのに、白太さんは大柄というアンバランスな図が、なんとも言えないシュールさを醸し出している。

 ──お社、帰り道。羽村、帰る。

 白太さんの一言を待っていたかのように、小さな社の扉が開き、眩い光を放出し始めた。思わず目を覆ったが、扉の奥にはうっすらと別の風景が映っているのが見えた。たぶん俺が足を踏み入れた地元の山だろう。

「こんな小さな扉から、俺帰れるの? つっかえたりしない?」

 ──白太さん、押す。叩く。美郷、怜路、一緒に押す。

 なんかとても乱暴な目に合いそうな答えが返ってきて、二人の方へ振り返ると、怜路くんは腕の骨を鳴らしてやる気まんまんだった。美郷くんも目が笑ってないんだけど、そんなに俺は恨みを買っていただろうか。

「まァ、神様も人間が通れない道を作るような意地悪はしねェだろ。ほれ、キン様もご丁寧に扉の前で待ってくださってるじゃねェの。触ればきっと帰れるだろ」

 適当に言っているように見えるが、その言葉にはどこか真実味のようなものがあった。流石、現場で人智を超えた現象に立ち向かっている方々の言葉は違う。

 そんな俺の知らない世界で生きる方々とも、これでいよいよお別れだ。

「何から何まで本当にありがとう。崩壊寸前なうちの商店会の御老体達には、慰安旅行で広島をオススメしておこう」

「おれ、別に観光課ではないんですけど……ありがとうございます。せっかくなら旅行にでも便乗して、またいらしてください」

「あ、ああ。会費が払えれば……」

 甲斐性のないことを言って顔を逸らした俺を、二人は生暖かい目で見守った。

 ──じーっ。

「白太さん、もう羽村さんを見張らなくていいんだぞ?」

 名残惜しそうに俺を眺めてくる白太さんに少し涙腺が潤んだ。ぽんすけにとっては散々だったけど、可愛い使い魔くんだったなぁ。

 ──白太さん、見張る。次、怜路。じーっ。

「は? なんで俺? なんか変なことにハマっちまったなァ、白太さん」

 真相を知ってひっくり返りそうになるのを、俺はなんとか抑えた。

「そ、それじゃあ二人とも、お達者で」

 と腰も低く別れの言葉をかけると、二人とも改めて手を振ってくれた。ついでに白太さんの視線も取り戻した。いや、何を競ってるんだ俺は。

 社に目を戻すと、キンの目線が扉の中心を指していた。念の為にと俺はぽんすけを左手で触れておき、右手をその目線の先にある風景に伸ばした。

 その瞬間、身体が宙に浮いたような感覚がしたかと思うと、俺は一瞬で社の中に吸い込まれた。




 *****




「おっとととと!」

『うわぁぁうわぁぁ! 急になんだ羽村ぁ!』

 強風に煽られたように飛び出た先は、山の中だった。見渡すと、木々の葉が薄く開けたところから、遠くの方に見覚えのある商店街の風景が見えた。

 間違いなくここは俺の住んでいた土地だ。中途半端に発展し、道半ばで衰退して時が止まった、見慣れた寂しい町の風景である。

「ふぅ、ようやく帰れた。本当にありがとう、ギン」

 と振り返った所に、ギンの姿はなかった。朽ちた社の扉は穴だらけで、神聖的なものをまるで感じない。これが「使われなくなった百葉箱だ」と言われたら、信じてしまいそうな程にボロボロであった。

 それから何回か呼びかけたが、神様は俺の目の前に姿を表してはくれなかった。さっきまで見ていた光景が、まるで幻であったかのように。

『なぁ羽村ぁ、もう蛇なんか探してねぇで帰ろうぜぇ! あの兄ちゃんから貰った飯はとっくにみんな食っちまったんだよぉ』

 だが、ぽんすけの言葉が、あれが夢などではなかったことを証明してくれた。もしかしたら俺が白太さんや神様と話せたのは、彼等の近くに居たからなのかもしれない。

「まあ、心配しなさんな。例えお姿を拝見できなくても、頑張って約束は守るよ」

 答えの返ってこない言葉を朽ちた社にかけてから、俺は山を降りていった。

 さて、あの大家の爺さんも良いタイミングで帰ってきてくれると話が進んでいいんだけど……。

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