蒼衣さんのおいしい魔法菓子・コラボ特別編

清子さんと魔法菓子・1『清子さんと白昼夢?』

 重たい頭を引きずりながら、少女が街を歩いていた。

 絶不調の中、街を歩きまわっている理由が、彼女はどうしても思い出せない。視界も歪んで見えるうえ、足元も覚束ない。そういえば自分の名前はなんだっけ、という根本的な所にまで考えが及ぶ。

 確か名前は原居はらい清子きよこ……意外と簡単に名前はでてきた。一七歳の高校二年生、両親の顔と名前も浮かんでくる。大丈夫、まだ気は確かだと、清子は自分に言い聞かせて、気持ちを宥めていく。

 とはいえこんな状態で歩いていたら、いずれ人とぶつかってしまいそうだし、車に撥ね飛ばされてしまいそうだ。事故を起こす前にどこかで休もう、清子はそう決意した。

「ベンチみたいな所はどこかな。って、あれ?」

 途端、清子の視界が突然回復した。朦朧としていた意識も急にはっきりとして、今までの体調不良が嘘のように吹っ飛んでいった。

 よく考えたら、自分がいつから体調を崩していたのか覚えがない。

 こういう時はすぐに馴染みのお医者様にかかるところだが、診てもらった記憶すらない。

 意識がはっきりとしたため、清子は現状を冷静に考えてしまう。もしかして自分は、何かすごい病気にかかってしまったのかと不安になり、清子は身を竦めた。

 そういえば、と清子は周囲を見渡す。見覚えのない、とても賑やかな商店街だった。オシャレな外装の店がたくさんあり、多くの人が行き交っている。

 確か自分の住む地元は、どこの商店街も活気がなくて、電車で都市部に行かなければこんな喧騒にはお目にかかれなかった。と、清子は一つ一つ必死に記憶を掘り起こす。

 こうして記憶を探ってみるが、正直言ってうろ覚えのような感じなので。

「あの、うちの店に何か御用が?」

「わぁぁっ!」

 背後からの声に驚き、清子は素っ頓狂な悲鳴をあげてしまった。その反応には声をかけた相手も大いに戸惑いを見せた。

「ごめんごめん。いきなり声をかけたから驚かせちゃったか。大丈夫、俺はそこの店の店長だから」

 清子を落ち着かせるためか、男性は慎重に自分の身分を明かした。いろいろあってパニック寸前だった清子は、ヘトヘトになりながらも相手の言葉を理解した。

 見れば、相手は身なりのしっかりとした男性だった。黒縁眼鏡がよく似合う青年だが、若々しい見た目以上に大人の余裕といった風格を感じる。

「大丈夫? 少しフラついてたみたいだから、もしかして熱中症かなって、心配したんだけどね」

「いいえ、大丈夫です。ただその、どうお話すればいいか」

 清子は、内心心細くてしょうがなかったため、話しかけてくれたことがありがたかった。自分や家族のこと、今の不思議な境遇についてわかってきて、まだ混乱は解けない。まだ自分は、何か忘れているのだろうかという不安はまだ拭えなかった?

「あっもしかして、職業体験の子って、君か?」

「えっ? えーっと……」

 青年は返答を持つ間も、「魔法菓子店ピロート」という看板を掲げた店の様子を気にかけていた。ピロートの店内は、ガラス越しに見てもわかるくらいの大盛況だった。イートインスペースも、店外から見る限り満席のようだ。

「本当に重ね重ね悪いんだけど、話は店の中でいい? ちょっと急いでて」

「は、はい、わかりました」

 この状況で唯一話しかけてくれた男性を、清子は信じることにした。これを逃したら、次に助けを求められる自信はない。何より警察沙汰にもしたくはなかった。




「あ、やし……オーナー!」

 中ではコック帽姿の男性が、レジ対応に追われていた。

 四人掛けの机が四席あるイートインスペースは満席で、店内も人が溢れていて非常に賑やかだ。

「お釣りまだ足りてるか?」

「なんとか、ギリギリ」

「よっしゃ、間一髪!」

 小さくガッツポーズを取ったオーナーは、なるだけ客に挨拶をしながら、慣れた歩みで会計口の中へと向かう。

 すっかり清子は入り口の横に取り残された。それに気づいたオーナーは、さりげなく手招きをして、圧倒されていた清子を導いた。

「悪いんだけど、客足が落ち着くまで少し待ってて」

 そうオーナーに言われた清子は、レジの中でさっきと同じように呆然と立ち尽くす。

 二人が必死に客を捌いていく隣で、清子は店内を見渡す。少し高い天井と、落ち着いた照明のおかげで、居心地の良い開放感ある空間を作り出していた。混雑していても、あまりざわつきが少ないのも、そのおかげかもしれない。

 数十分経って、ようやく人の流れが落ち着いてきた。清子はその一部始終を、ただ唖然とした顔で見ているしかなかった。

「ようやく一段落したね。ところで八代やしろ、彼女は一体?」

 疲れた様子のパティシエが、ようやく問い質してて、清子の背筋は自然と伸びた。

「ほら、ちょっと前に話をした職業体験の生徒だよ。そういえば名前はなんだっけ?」

「えっ、あの、原居清子です」

「そうそう、確かそんな名前だった。じゃあやっぱりうちの職業体験で間違いない。よろしく!」

 清子は苦笑いで返したが、正直心当たりのないが、今の自分は意識や記憶に怪しい部分があるので、強く否定することもできなかった。

「あれ、あの話今日だったかな?」

「まあ一日早く来ちゃいました、って話なら、むしろこっちとしては都合が良いというか」

 オーナーは困った顔で清子の方に振り返る。

「言い辛いんだけど、今日は予想外に混雑しちゃって。おかげで今も釣り銭を補充するために銀行までダッシュしてきた帰りだったんだ」

「そうだったんですか。私、邪魔してしまいました……」

「大丈夫、そこはもう全然気にしないで! それよりも、本当ならうちは、閑散期の緩い期間だからってことで職業体験の話を受けたんだけど」

 と、オーナーは事情を説明し始めた。

 ケーキ屋は夏場になると閑散期となり、客足が緩やかとなる。商売としては喜べた期間ではないが、一方で多少の余裕はできる。

 というわけで、この時期に職業体験の協力要請を受けたらしいのだが、間の悪いことに今日は珍しく客足がすごいことになっていた。

「なんか朝のワイドショーかなんかで、夏のスイーツ特集で魔法菓子が話題になって、ネットで少し騒ぎになったらしくてさ」

 と、オーナーはスマホを取り出し、やれやれと軽く振ってみせた。清子は「魔法菓子」という聞き慣れない単語に戸惑ったが、自分もスマホを持っていることを思い出し、後で調べようとスカートのポケット越しにぐっと握った。

「おかげで興味を持ったお客がたくさん来てくれて、うちとしては嬉しい悲鳴! なんだけど……」

 しかし、職業体験の場として見ると少々頭を悩ませるところだ。

 ピロートの従業員はオーナーとパティシエの二人しかいないという。今日のように想定していない多忙さに見舞われると余裕がなくなってしまう。そうなれば、清子に気を回す余力もなくなる。

 学習の場を提供している、という意図で話を受けたというオーナーとしては、せっかくの機会が台無しになりかねないのは、不本意とのことだった。

「念のために後で日程は確認するけど、どっちみち初日はいろいろ教えておきたいことがあるし、第一に少しでも良い思い出にしてもらいたいからさ」

 オーナーは、かろうじて笑顔は作りつつも頭を抱える。今はお昼時が過ぎて少し落ち着いたが、これからおやつ時になれば客足が増えることが想定された。さっきと堂々多忙さなら、客以外に気を回す余裕はないだろう。

 勉強しにきているなら尚の事、オーナーは半端な結果にしたくないのだろう、それは清子にも伝わってきた。

 ならば自分は、この人の気持ちに応えたい。そう思った時、清子は既に行動していた。

「構いません、お手伝いさせてください!」

 今の自分は、記憶がすっきりしない状態だ。職業訓練の話もあったようななかったようなで、不安定だ。

 問題を棚上げにして何かをすれば問題が起こるかもしれないが、清子は、役に立たない自分でいたくはなかった。

「いや、気を遣わなくてもいいよ?」

「足手まといになったら、追い出して頂いて構いません。お力になりたいんです!」

 強烈な申し出に、オーナーは心苦しそうな顔になり、ちらりとパティシエの方を見た。意見を求められると思っていなかったのか、穏やかな表情に少し困惑が見えたが、清子の様子を静かに確認しつつ、返事をした。

「きっと、なんとかなると思う。手伝って貰おうよ」

「ストップ、向こうでもう少し冷静に話そうか。ごめん、原居さんはちょ~っと待っててね」

 そう言って、オーナーはパティシエと肩を組んで厨房の方に下がってしまった。わざわざカウンターから離れてまで話すことだから、自分は聞いてはいけない話だろう、と清子は遠慮してカウンターの隅へと移動する。

 少し時間ができたので、清子はスマホを取り出した。今のうちに聞き慣れない言葉である魔法菓子について調べてみようと思ったからだ。

「あれ? 電波が」

 ところが、スマホの画面には圏外と表示されていた。

 このお店の周辺は電波が弱いのだろうか? そう思って店内の様子を眺めてみる。しかしイートインスペースで談笑している客は、スマホを普通にいじっていた。

 携帯が故障したのか、そうなれば修理や買い換えを考えないといけない。ため息をついていると二人が出てきたので、清子は慌ててスマホをポケットに戻す。

「お言葉に甘えさせていただきます」

 と、オーナーは頭を深く下げた。清子もそれに応じて深々とお辞儀を返す。

「でも一つ約束して欲しいんだ。もし自分だけじゃ無理だと思ったら、すぐに言って。あと、原居さんの判断でいつでも休んでくれていいから」

「は、はい。ご迷惑をかけないよう、頑張らせていただきますっ」

「まあまあ、そんな力まず、リラックスしていこう」

 釘が刺さったのように背筋を正す清子に、オーナーは苦笑いした。

「それと、ゴメン! 実習の日程表がどうも家にあるみたいで、すぐに確認できる状態じゃないんだ。実習が明日からだったら、今日の埋め合わせはしっかりするから安心してくれていい」

「そんな、お気になさらず! 私が勝手に言ってるだけで、見返りなんて別に」

「原居さんが気にしなくても、俺はブラック企業みたいな真似はしたくないからさ。ってことで、もしもの時の対応とか、手伝って貰ったお礼とかは、しっかりさせてくれ!」

「わ、わかりましたっ」

 清子はすぐに頷いた。ここまで気遣いを受けて、頑なに遠慮しようものならその方が失礼になる。

「それで決まり……そういえば自己紹介がまだだった。俺は店のオーナーのあずま八代、今日は改めてよろしくね」

「僕は天竺てんじく蒼衣あおい、この店のパティシエです。よろしくおねがいします」

「よ、よろしくおねがいします!」

 少しかしこまった挨拶とともに、清子の職場体験は始まろうとしていた。




 清子が店の奥で待っていると、蒼衣がエプロンとバンダナを手に持ってひょっこり顔を出した。

「これで大丈夫? エプロンのサイズ合うかな?」

「た、たぶん大丈夫です。ちょっと待ってくださいねっ」

「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。まだお店は落ち着いてるから」

 落ち着きのない清子に、蒼衣はにっこりと微笑みかけた。澄んだ水のように穏やかな笑顔は、少なからず清子の心を和ませる。一方、別の理由で心臓の鼓動は早くなったが。

 清子が雑念を払おうとエプロンを急いで付けている間に、蒼衣はふと口を開いた。

「そうだ。魔力アレルギーは大丈夫? あ、それ以外にもアレルギーがあれば今のうちに教えてほしいな」

「魔力、アレルギー?」

 聞き慣れない単語に、清子は思わず聞き返してしまった。

「あれっ、魔法菓子を食べたことがない?」

「魔法菓子は、はい、一度もありません」

 清子は言いづらそうに答える。勢いで手伝うと言ってしまったが、魔法菓子が何かというのを、彼女はまったく知らない。そう考えると、十中八九自分は実習生でないことが確定した気がした。

 蒼衣は少し不思議そうな顔はしつつも、答えを聞くと一度厨房に引っ込んだ。それから間もなく、ビニール包装された焼き菓子を持ってきた。

「これ、試食用なんだけど、良かったら食べてみて」 

「え、良いんですか? お仕事の前なのに」

「まだお店に出ていないんだから、気にしなくて平気だよ。それにさっき、アレルギーは確かめておこうって八代と話もしたんだ。遠慮しないで」

 理由を聞いて納得した清子は、遠慮がちに受け取った。

 初めての魔法菓子は、金色の光を放つミニフィナンシェだった。魔法菓子を見たことも聞いたこともない清子にとって、この光るフィナンシェは幻想的だった。

「半分に割ってみてくれる?」

「はい、わかりまし、わっ!」

 清子が言われた通りにすると、焼き菓子の中から金の粒が飛び出してきた。思わず声をあげてしまったことを清子は恥じたが、蒼衣はその光景を暖かく見守っていた。

「驚かせてごめん。それは金のミニフィナンシェっ、もう一つ銀のミニマドレーヌっていうのもあるんだけど、運がいいと中から粒が出てくるようにしてある」

「は、初めて見たのでビックリしてしました。でも、すごく綺麗です」

 一通り魔法菓子の仕掛けを堪能したところで、清子は香りを楽しんでからいよいよミニフィナンシェを口にする。

 すると、噛み締めるごとに清子の顔は綻んでいき、目は輝いていく。

「すっごく美味しいです! バニラの香りとバターの風味が甘くて食感も最高で。プロの人のお菓子って、やっぱり全然違いますね」

「ありがとう。そんな素直に喜んでくれると、僕も嬉しいな」

 心底嬉しそうに、蒼衣は微笑んだ。しかし、少しして一瞬だけパッと目を見開いたかと思うと、考え事をするように口元に手を当てた。

「えっと、あの」

「あ、ごめん。具合を悪くしたりしてないかな?」

「全然まったく、問題ありません。美味しいお菓子をごちそうさまでした、天竺さん」

「それは良かった、でもまだ油断はしないで。それと、僕のことは蒼衣って呼んで欲しいんだ」

 突然の申し出に清子は戸惑うが、蒼衣は名前で呼ばれるのが好きだからと、率直に理由を述べた。

「わかりました。私のことも、清子と呼んで頂けると嬉しいです」

 今の両親が付けてくれた大好きな名前で、みんなからもそう呼ばれているからと、自身も理由を説明した。蒼衣は快くそれを受け入れた。

「わかった。それじゃあ僕はそろそろ厨房に行くよ。今日は頼りにさせてもらうね、清子さん」

「あっ、はい! 頑張ります!」

 後押しする言葉を貰った清子は、俄然やる気が出てきた。自分の名前が好きな理由もすぐに思い出せたことも、活気を上昇させた。

 しかし、同時に少しだけ違和感も覚えていた。自分が要求したはずの呼び方なのに、どうしてか慣れ親しんだ感じがない。

 もしかすると、いつも呼び捨てにされていたからなのかと頭を捻る。しかし、やはりその原因にまつわることが出てこない。

『き……こく……』

 モヤがかかって不明瞭な一つの記憶。それを必死に思い出そうとするが、清子がいくら頭を小突いても全く出てこなかった。

 そんなことをしている間に、八代からの呼び出しがかかったので、清子はすぐに応じた。

 頭に浮かんだ映像に引っ掛かりを覚えつつも、今は気持ちを切り替えよう。そう頭に何度も言い聞かせた。

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