『狩野家の居候』前編
雑草刈りに関しては、ちょっと自信があったりする。
俺が住んでいる雑居ビルのオーナーである爺さんは、家賃が払えないと聞くと身体で支払えと怒鳴り込んでくることがよくある。で、俺に要求される仕事の中で特に多いのが力仕事や雑用で、そこでよく庭の手入れを任されてきた。
ちなみに庭と言っても、爺さんが所有する空き賃貸の一軒家だ。連れて行かれると、カラスが鳴くまで延々と草を狩ったり掃除を任されたり、いつも腰が壊れそうになって仕方なかった。
爺さんがあまり帰ってこない最近はご無沙汰だったが、俺の草刈り技術は鈍っちゃいないはずだ。
──
……と、言いたいが、俺の集中力を鈍らせてくれる見張り役が、背後に陣取っていた。
白太さんは、
あの白太さんという白蛇は、うら若き青年の使い魔だとか聞かされたはずだけど、なるほど確かに命令に忠実だ。……ご主人からの言い付けを聞くの前に、おやつをおねだりしてたような気がするのは気のせいだ。
などと思い返していて、俺はふとおやつというワードにピンと来た。草刈りを得意とする俺だが、何も好きで身に付けたわけじゃない。誰かが代わりに始末してくれるなら、その方がずっと楽ができて俺は幸せになれるのだ。
「白太さん、どうこれ? もしゃもしゃのおやつだぞー、庭にたくさん生えてるよー?」
──雑草、おやつ、違う。白太さん、知ってる。
こんちくしょう、俺より前に誰か試しやがったな。と歯軋りしていると、下宿の中で覗いていたはずの白太さんがこっちへ身体を伸ばして、俺の眼前まで迫ってきた。
──白太さん、見張る。
これは逃れようがないな、と俺は涙を流しながらせっせと草刈りを再開させた。
******
あれから、こちらに住まう御両人が、俺が帰れるようにいろいろと尽力してくれた。山の守り神であるキンとギンの意思をもう一度繋げれば、帰るための道が開けるのではないか、というのが二人の見解だった。
ところが、広島側に居るキン曰く、俺のくしゃみに驚いたギンと連絡が取れないのだという。恐らく祀られている社の奥で引き篭もってしまったのだろうと。
「え、どうして引き篭もっちゃったの?」
「羽村さんのクシャミに驚いてしまった自分が恥ずかしいからだろうと、キンは言っているみたいですね」
いずれにせよ、顔を出すまではもう少し時間がかかる、ということらしい。その間、俺は
逆に俺は羽村さんで通してもらっている。別に下の名前が嫌いなわけではない。けど、俺が人に呼ばれる時は九割方が名字なので、よほど付き合いが長くない限り、名前で呼ばれるのはどうもしっくりこない。
二人も、俺が年上ということで気を遣ってくれたのか、それ以上理由について踏み込んで聞かれることはなかった。
それはさておき、あまり時間がかかるなら、いっそ普通に帰った方が良いのではないかとも言われた。
だが、残念ながら俺の懐には若干の余裕すらなく、帰っても万単位の額をすぐに返せる保証がない。見ず知らずの遠くに住む人間へ大金を貸すのは、本業の人でもないと難しいだろう。
その切実な事情を話すと、大家さんから「寝床を提供する対価を肉体労働などで返してくれるなら問題ない」とお許しが出た。不思議な力でお家に帰れる可能性にかけた方が、まだマシという判断だろうか。
というわけで、今の俺は怜路くんの御厚意で衣食住を与えて貰う代わりに、いろいろと雑用を仰せつかっていた。なんだか遠出した先でもやっていることがそんなに変わらないというのは、ちょっぴり悲しい。
ただ、いつまでも厄介になるわけにもいかないので、どこかで方針を変える時期は必要だ。それを考えている時、うちの事務所に入れておいた留守電に返答があった。
住まわせて貰うことになった翌日、俺が廊下の拭き掃除をしていると、怜路くんがニヤニヤとしながら俺を呼び出した。
「羽村サンに電話だぜ。ちなみに言っとくと、女の子から」
女の子から? と聞いて俺は首を傾げたが、すぐに候補が二人程上がった。
俺だけに不幸を振りまく笑う黒き悪魔でないことを祈りつつ、恐る恐る電話を取ると、相手は清子くんだった。
彼女の「二日も事務所を留守にするから心配したんですよ」「食生活荒れてませんか?」というお叱りを甘んじて受けた後、俺は超常現象的な要素を除いて状況を説明した。
すると、清子くんの方で迎えを出せそうな人を探してみるという提案が出た。清子くんのツテと言うと金持ちの同級生がいるけれども、俺を迎えに来るためだけに車出してもらうのも悪いような。
今後、ギンとの交渉次第ではすぐ帰れるかもわからないので、ひとまず数日の間だけ様子を見て、帰れないとなったらお願いするという話になった。
最後まで清子くんは、迎えに行く以外の帰るツテなんて他にあるのかな、と電話越しに唸っていた。
山の守り神様に飛ばしてもらうのを待ちます。そう素直に言えば清子くんは信じてくれそうだけど、それはそれで「神様に失礼だから迎えを探します」とか、あの真面目な性格なら言いそうだしな……いや、実際神様を利用するなんて不遜極まりないんだけど。
「羽村サンも隅に置けないねェ」
「あっはっは。お掃除、再開しまーす」
居候させて貰っている手前、怒るに怒れない俺は、下手くそな愛想笑いで家主様にお返事をした。
******
などと昨日までのことを思い返しながら草刈をしていたら、ついに腰が悲鳴を上げ始めた。これだけはあんまり言いたくないのに、口からはついつい「腰が……」という弱音が漏れ出てしまう。
流石に疲れた俺は、休憩がてら汚れるのも厭わず庭に座り込んだ。こっちはこんなクタクタだってのに、同じ居候のぽんすけは、今頃怜路くんの部屋で程よい気温で過ごしているかと思うと。
『しばらく一緒に住むだぁ? ざけんじゃねぇぞぉ! オイラがあの蛇に食われたらどうすんだよぉ! オイラを見るアイツの目……なんか怖ぇんだよぉ!』
とあまりにも哀れっぽく言うので、俺は怜路くんにお願いして預かってもらっている。頼んだ時、「ハムスターと天敵を突き合わせてストレスを与えるのは好ましくない」と、もっともらしい理由を付けて押し通してしまったが、とても良くしてもらっているようである。
それにしても、大家さんに借りばかりが増えていくのも、俺の宿命なんだなと、思わず苦笑いが浮かぶ。
「おーい羽村サン、ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いいかい?」
「はいよっと。いやはや、雑用にモテる男は辛い辛い」
などとくだらん自虐しながら下宿に戻った俺を待っていたのは、買い物用の袋を下げた美郷くんだった。
主夫スタイルの美青年と俺を突き合わせる意図が読めなかった俺が首を傾げていると、大家様から「買い物よろしく」という短い指令が下された。
拒否権のない俺がほとんど流れで了承の頷きを見せると、笑顔の美郷くんから買い物バッグを渡された。
「羽村さん、この辺りのこと詳しくないですよね? 荷物番をお願いします」
爽やかな笑顔で買い物バッグを渡された俺は、当然の采配と納得して素直に頷いた。見知らぬ土地の名も知らぬスーパーで、俺にまとまった買い物なんてさせたらどれだけ無駄に時間を浪費することか。
というか、ただでさえ私生活では菓子パンの値引きコーナーにばかり目が行く貧乏性だし、もっと言えばそのねじ曲がった買い物感覚をうら若き助手に厳しく矯正されたばかりの、買い物初心者だし。
「美郷隊長、自分の役目に不満は毛頭ございません」
「何の隊長ですか」
「ただ気になるのですが、荷物運びが必要な程の買い物が必要、ということでしょうか?」
と敬礼しながら質問する俺の肩を、後ろから怜路くんが微笑みつつ答える。
「大の大人が一人増えて、おまけによく食うハムスターがいるからなァ」
「おっと、愚問でございましたな、あははは」
墓穴を掘った俺は、とりあえず笑ってごまかそうとするが、サングラス越しに見える怜路くんの目は、どこか冷たい。
「……つーかさ、一番余計な手間がかかンねェの、もしかして白太さんじゃね?」
という怜路くんの一言に、一同の視線が背後の白蛇に向く。
──じーっ。
最も手がかからないと称された住民は、遠目から俺のことをまだじっと監視し続けていた。
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