『羽村さんと怪異の話』前編
小さな御社の中から、お地蔵様が神妙な顔つきでこっちを見ている。
この厳つい顔を拝むのはこれで何回目か。依頼先から徒歩で帰ろうと決めて、山道に入った所までは良かったと思う。山道と言ってもコンクリート整備はされていない、まさに自然の道だ。あと下には鉄道のトンネルが通っている。
これでも相当古くからある山道らしく、重機もなかった時代に人力で道を切り開いたという歴史がある山なんだそうだ。どうして知っているかというと、山道の入り口に説明を記した看板があったから。
「地図や注意書きでも書いてあるかと思ったら、歴史自慢かよ……」
などと悪態をついたのがまずかったか、俺は山道で思いっきり迷子になってしまっていた。同じ道をグルグルしているらしく、静かに佇むお地蔵様と対面するのは何度目だろうか。
道中に地蔵があるのは、山の頂上に何か神様を祀っているからとのことだ。だから年寄りなんかもよく使うと聞いていたし、入り組んでいないはずなのだけど。
「あの、どうやったらこの山から出られますでしょうか?」
と、お地蔵様に尋ねてみたが、当然返事はない。むしろ無言で俺に圧力をかけているように見えたので、すごすごとその場を離れた。
『おい
胸ポケットで寝惚けたハムスターの声がする。朝にちゃんと飯はくれてやっているというのに、ぽんすけは相変わらず口を開けば腹減ったばっかりだ。ちゃんと図書館で手にとったペットの指南書通りにあげているはずなんだけども。
「こっちだって早く帰りたいよ。流石に歩きすぎて、俺まで腹減ってきたし」
そう言いながら、俺は頭上を見渡した。こういう時は地元の奴に聞くのが一番なので、カラスや小鳥など人でも見つけやすい住民が居れば、この迷子を脱する打開策になるかもしれない。
普段は仕事のためにしか使わないこの変な能力も、道を尋ねる時は本当にありがたく感じられる。人の気配がない山の中では、地元に住む動物の土地勘が一番頼りになるし、これは動物と言葉が通じる俺の特権と言えるだろう。
もっとも、最近はスマートフォンとやらで道順が調べられるらしいから、携帯電話を持ったことがない俺にしか恩恵はない気がするが。
「……で、なんでこの山には動物の気配すらないんだろう」
そんな特権を行使したくとも、肝心の住民が居ないのでは文字通りお話にならない。
それにしても、人が頻繁に通るわけではないこの山で、鳥の声すら聞こえてこないのは流石に不気味だ。禿山ならいざしらず、周囲は草木で溢れ、斜面の下まで自然が根付いている。
もしかして俺は、山から滑り落ちて気絶して、変な夢でも見ているのかも。そう思って地面を見ると、よくしなりそうな枝があったので、思いっきり太腿を引っ叩いてみた。
「おうぅぅぅ」
膝をついて震えてしまうくらいに痛かった。
夢ではないとすると、本格的にこの状況の薄気味悪さに、変な寒気すらしてきた。自然の中で活動することに慣れていないわけじゃないが、準備してない状態なので流石に厳しいと言うしかない。
限られた天然資源で野宿、となってしまったら、胸ポケットで眠っているぽんすけが凍え死ぬ可能性とてある。季節柄、夜はそこまで冷えないとはいえ外気に晒すのは危険過ぎる。何より明かりを付ける道具がないので、日が落ちるまでに安全そうな寝床を確保する必要まで出てきたのも頭が痛い。
動物と会話できると言っても、話の通じない連中はいくらでもいる。この近くに生息しているかは知らないが、万が一ツキノワグマなんかに遭遇したら落ち着かせる自信はない。
そしてそれ以外にも、危険な動物はいくらでもいる。特に俺の会話する力の対象外だと厳しい。
「うわっと、こいつは」
例えば目の前にひょっこり出てきた白い大蛇なんかとは、一秒でも早く距離を取りたいんだけれども。
今の所、俺の能力で会話できるのは哺乳類と鳥類だけだ。爬虫類相手にはこっちの話がほぼ伝わらず、俺の耳にも片言の外国人より酷い断片的な言葉しか入らない。
昆虫はもっと深刻で、何か言っているのはわかるが、人間が処理できる言語にすらならない。
害獣駆除事務所を営む俺は、業務においてなるだけ駆除相手を説得し、人間と衝突しない生活へ導くということをしている。聞き入れない時は覚悟を決めて駆除するが、最初から会話できない相手とはそもそも交渉ができない。
俺自身の安全も守れずとても危険だからということもあって、それらを対象とした依頼は頭から断っている。そういう輩には相応のプロフェッショナルが居るものであるし。
……と、俺の仕事事情なんて振り返っている場合ではない。蛇は俺の中でもかなり危険ランクの高い生き物だ。
どうして爬虫類や昆虫と会話が通じないのか俺にはわからないが、恐らく懐く可能性の有無で分けられると俺は踏んでいる。逆に動物園のライオンとは話したことがあるので、肉食か否かというのはそんなに関係がないはずだ。
と、余計なことを考えて現実逃避しているが、今はとてもまずい状況だ。彼我の距離は数メートルくらいで、思いっきりこっちを見ているので残念ながら存在が認識されてしまったようだ。
こういう時、背中を向けて逃げるのは厳禁だ。相手が哺乳類だろうが爬虫類だろうが昆虫だろうが、ここだけは基本として変わらない。
「こっちは争うつもりはない。おとなしくお互い立ち去って終わりにしよう、ね?」
まるでデパートの受付嬢のような対応をしてみたが、白蛇はまったく退くことを考えていない。
さて、どう切り抜けようかと考えていると、白蛇は数歩先の所で止まって、俺のことをじっと見つめ始めた。
想像以上に大きな蛇だった。種類は判別できないが、昼寝に使ってる公園でいつぞや見かけた巨大アオダイショウ以上だろう。大人の太腿並の胴回りを持っている辺り、早々お目にかかれない大物なのは間違いない。
この国にもそんな巨大蛇が生息していたのか、ということにまず驚く。あるいはどっかの愛好家が誤って逃して野に放ったか、捨ててしまったのか。
白蛇は俺をじっと眺めるばかりで、何も言ってこない。やはり爬虫類に言葉は通用しにくいのか。ここは落ち着いて、興味が薄れるのを待ちながら、静かに距離を取って様子を見よう。
俺は抜き足差し足忍び足、を意識しながらそっと一歩下がってみた。
すると、白蛇はそれに合わせるように少しだけ前に進んできた。やばいと思ったが、それ以上は近づいてこないようだ。
もう一度下がってみると、相手も少し近づいてくる。しばし間を置いてからまた試してみると、また同じことの繰り返しが始まる。
このままでは拉致が開かない。行動を起こさない限りは今の所白蛇は何もしてこないようだし、何事もないうちに手を考えないと。
『おい羽村ぁ、なんで止まるんだよぉ、さっさと帰ろうぜ……』
その時、ぽんすけが胸ポケットから気まぐれに顔を出してきた。少しの間沈黙した後、明らかに身体が震え始める。
『お、おおおおおいぃ、な、なななななんでよぉ、蛇がいるんだよぉ、羽村ぁ!』
ハムスターの視力ではっきりと見えているわけではないと思うが、恐らく本能的に目の前にいる相手を察したのだろう。あまりストレスに晒したくないこともあって、多少強引にでも距離を取ろう。
そう身構えた瞬間、白蛇は一気に距離を詰めてきた。
俺は咄嗟にぽんすけを守って屈みながら、一噛みされる覚悟を決めて目を瞑った。
「…………あれ?」
しかしいくら待っても、何かされる様子はなかった。庇っているぽんすけの震えは感じるので、隙を突かれて食べられたわけでもない。
首を傾げながら振り返ると、白蛇は間近で俺のことをじっと見ていた。
──おやつ?
「……はい?」
想像外の言葉をかけられ、つい呆けた声が漏れ出る。
何か聞き間違いじゃないか? そう思ってしばらく蛇の言葉を待っていると、蛇は少し首を傾げたようにしてから尋ねる。
──おやつ?
どうやら俺の耳は正確にコイツの言葉を捉えていたらしい。おやつが欲しいということだろうか、それとも何か別のことか。
質問の意味を考えながらも何気なく蛇の赤い双眸の目線を辿ると、俺の胸ポケットをじっと見ていることに気づいた。
「コイツはおやつじゃありません! まるまる太ってて美味しそうに見えるかもしれないけど、食べ物じゃないんだ。悪いけど諦めて、な?」
問いかけをようやく理解した俺は、なるべく穏便にお断りする。果たして白蛇はわかってくれたのか、少し残念そうに俯きながら、来た道を戻っていった。
ぽんすけと顔を見合わせた後、ほっと胸を撫で下ろしたが、去り際に白蛇はつぶやいた。
──
「シロタサン、呼ばれた?」
シロタサン。さんってことは、山の名前のことだろうか。いや、でもここはシロタ
それとも、自分の名前だろうか? 動物同士で呼び合う名前は、どこか擬音っぽかったりするのが多い。ぽんすけみたいに人間の俺が命名しない限りは。
それからすると、シロタサン、とは少し変わったネーミングだ。お近づきになったら健康になれそうな響きをしてるし……と、馬鹿なことを考えてしまった。
──なにか、しらない。だれか、わからない。
独り言をつぶやきながら去っていく白蛇の身体は、さっきより少し小さく見えた。いや待て、なんで蛇が小さくなるんだよ、むしろ脱皮してデカくなっていくんだろうに。仕事疲れのせいで小さく見えるのだろうか。たまの仕事だからってそんなにクタクタになっていたのかな。
……などと凹んでいる場合じゃない。よく考えたらあの蛇、地元に住んでいる動物のはずだろうということに俺は気づく。
確かに爬虫類とは話が通じにくいけれど、何事にも例外はある。少なくとも話は聞いてくれそうな相手だし。今はとにかく薄い希望にすら縋りたい。
『なんで蛇が行っちまった方に歩いてんだよぉ! 早く逃げろよぉ!』
白蛇を追おうとする俺に気づいて、ぽんすけが抗議活動を始めた。
「お前のためにもその方がいいとは思うんだけど、鳥すら見当たらないこの状況、頼れるのはあの蛇だけだ」
『そ、そうかもしれねぇけどよぉ』
喚き立てるぽんすけの気持ちは理解しているつもりだ、。天敵にわざわざ近づくなんて、動物同士の世界なら単なる自殺行為でしかないからだ。
でも、陽の届きにくい山は、夕暮れになればすぐに暗くなってしまう。あまり時間をかけていくわけにもいかない。
「それに、万が一襲われたとしても、俺がちゃんと守ってやるつもりだしさ」
『羽村ぁ、お前ぇ……』
胸ポケットから俺を見つめるぽんすけの目が潤んでいるみたいに見えた。これがお伽噺のお姫様だったら、もうちょっと華のある一幕だったのかもしれないが、相手は、残念ながら肥えたハムスターだ。
気を取り直して白蛇の後を追うと、それに気づいた先方が振り返ってきた。かと思うとするするとこっちに近づいてくる。警戒して俺が胸ポケットを庇うと、それを見上げながらまた問いかけてきた。
──ごはん?
「言い方変えてもダメ!」
改めて拒否すると、白蛇はまた少しだけがっかりしたように俯いた。
──しらない、ついてくる。どうして? わからない。
相変わらず似たような景色を眺めながら後を追っていたら、ふいに白蛇から尋ねられた。
どうやら何も言わずに付いていったから不安に思わせてしまったのかもしれない。とりあえず自己紹介でもしてみようか。
「俺は羽村、コイツはぽんすけ。あ、おやつでもごはんでもないから」
白蛇は、俺と胸ポケットで緊張しているぽんすけを見比べてから返事をする。
──はむら、ごはん?
「……食料としての可能性を模索しないで」
どうやら余計な言葉を付け加えたのがまずかったらしい。でもしっかり拒否すると、白蛇は物欲しそうな目で見なくなった。
「えーっと君は、シロタサン、でいいのかな?」
──白太さん、みさと、いっしょ。いま、おきない、いない。
また新しい言葉がでてきて、俺は顎に手を当てる。みさと、という響き的に人っぽい名前だけど、もしかして飼い主のことなのか?
でも、言葉の通じない生き物に自分の名前を理解させる人間なんて、他にいたりするのか? 実際、名前を呼ばれているペットの犬や猫は、語感でしか認識できていない。
それをこれだけハッキリ認識しているということは、俺の爬虫類に対する見方もかなり変わってくる。通じていないのは人間側からだけで、蛇は全て理解して応じていたという可能性も出てくる。
──さっき、みさと、よんだ、いっぱい。
俺限定で世界の見識が広がりつつあった所で、シロタサンが誰か呼んだらしいことがわかった。人っぽい名前だが、携帯電話も持ってない動物が、どうやって人間を呼ぶんだって話になるんだけど。
──みさと、はなし、わかる。もうすぐ、いっしょ。
「いや、誰かを呼んでくれなくてもいいんだよ。俺達は出口を知りたいだけだから、地元のシロタサンに教えてもらおうかなと、機会を伺っていただけで」
──白太さん、ここ、ちがう。しらない、だれか、おうち。
素直にその言葉を飲み込むのだとしたら、シロタサンはこの山の在住者ではないということになる。そうなると完全に当てが外れたことになるんだけど。
ということは、シロタサンの言うみさとなる者の到着を待つしかないらしかった。
「俺に会わせてくれるの?」
──白太さん、みさと、よんだ。あと、わからない。
「……そっかー」
どうも会話がスムーズにいかないが、一言一言に関して言いたいことはそれとなくわかる。ただ、俺がわかった気になっているだけで、聞き間違いや解釈ミスがあるのではないかと、ちょくちょく不安にはなる。
だけど今は俺が解釈した通りに、シロタサンが「みさと」という誰かを呼んでくれたと信じるほかない。
そんな時、かさかさと背の低い木々の葉が揺れた音が背後から聞こえた。俺が反射的に振り返ると、そこにはシロタサンと同じ大きさの金色っぽい蛇が居た。触れたら金運が上がりそうなそれを指しつつ振り返って、俺はシロタサンに尋ねてみることにした。
「あれが、みさと?」
──みさと、シロタサン、違う。しらない、わからない。
「そうか、関係ない奴か……でも単純にあれすごい珍しいような」
金色に見える蛇というのは実際に存在する。やはり金運をあげる縁起のいい動物として見られて、テレビの報道番組がすごい勢いで追っていた記憶がある。蛇はそんな取材陣に蛇なりの罵詈雑言をあげながらさっさと逃げていたけれど。
金運はともかく、あの蛇こそ地元に住んでいる奴なんじゃないかと思った俺がもう一度視線を戻すと、金色の蛇はいなくなっていた。
「あれ、いない。見間違いかな?」
──白太さん、みた。
『オイラは見たぞ、羽村』
堂々と胸を張るぽんすけは、どうやら手柄を誇示したいらしい。シロタサンの方が先なんだし、別に張り合う必要あるか? と思いつつ宥めようとすると、また別の気配が背後からした。
今度はなんだと少し構えながら振り返ると、シロタサンはもう素早い動きでその現れた者に近づいていた。
「ようやく見つけたよ、白太さん……」
──白太さん、みさと、またいっしょ。
現れたのは驚くべきことに、俺と同じ人間であった。後頭部で長く結べるくらいの長髪をした、若い男性だった。たぶん、俺よりもいくらか年下だろう。
一見腰の低そうな男性だが、どちらかというと品の良さそうな青年と言うべきだと思う。足から腕に巻き付いていくシロタサンを受け入れる彼の姿を見ていると、まるで祭の演舞に見えるくらい、様になった美しさというものを感じた。
所作で育ちがわかる、とテレビかなにかで豪語していた輩を思い出す。昔は何を知った風に言いやがってと感じたけど、この人の振る舞いを見ていると、その意見を認めざるを得ない。
「……えっと、どちら様でしょうか」
「あー、申し遅れました。ワタクシはえーっと、こういう者でございまして」
ポケットをあちこち探してから、俺は滅多に使えない名刺をここぞとばかりに取り出した。
「害獣駆除……?」
「あ、今は仕事じゃないんで職業のところはお気になさらず。シロタサンをどうこうしようとか、そういう意図もないですから、本当」
「そ、そうですか……随分遠くから旅行にいらしたんですね」
取り繕う俺に対して、青年がおかしなことを言い始めた。確かに遠いけど電車で何駅かの距離でそんな大袈裟な。
「いやいや、この山道を越えてもう少し頑張って歩けば、すぐうちの事務所ですよ。ちょっと電車代……健康のために歩いただけですから」
と説明しても、青年は明らかに首を傾げるばかりだった。職業が職業だけに何やらすごい怪しまれている気がした俺は、今一度シロタサンに危害を加える気がないことを伝えようと考えた。
しかしそれより前に、青年が名刺を指差しながら、信じられないことを口にした。
「え、でもここ広島ですよ? 名刺と住所と全然違いますけど」
「……広島?」
──ひろしま。
シロタサンからの、頂きたくなかったお墨付きまでもらった瞬間、顔から嫌な汗がじわりと滲んできてしまった。
『ひろしまってなんだぁ? 飯かぁ! うまい飯なのかぁ!』
さらにぽんすけの追い打ちのような台詞まで聞かされると、いっそ一思いに土の上へぶっ倒れてやりたくなる。
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