コラボ作品

巴市の日々・コラボ特別編

『礼蔵くんと怜路さん』

 古ぼけた屋根が目印のバス停に戻った礼蔵れいぞうは、虚ろな目で立ち尽くしていた。

 さっきこのバス停に来訪した時はまだ昼で、太陽は頂点に上っていた。しかし戻ってみれば、もう陽は傾き始めた頃である。

 どうして老人とはこうも話が長いのだろうか。思えば大きなリュックを背負わされて遠出をさせられたのも老人の、祖父からの命令だった。



 礼蔵の祖父は、輸入雑貨店を営んでおり、孫である彼もよく店番をやらされている。土産物を自慢しつつ人に売るという転売のような商売なのだが、時に配送を頼まれることがある。

 祖父と縁のある人間なのだから、顔を見るついでに自分で行けよと礼蔵は思ったのだが、残念ながら旅行が趣味の祖父は既に海外行きのチケットを取っていた。

 しかも注文された品がまた厄介で、どこかの国の仏様を模したよいう木彫りの像だった。これが掌サイズならまだ良かったが、よりによってリュックサックを専有するほどのサイズだった。



 成人したての二〇歳にとって、休みとは潤沢にして貴重なものである。それを、こんな重いだけの珍品運びで強制的に潰された恨みは深い。普段から休みの大半を店番に費やされているから、尚の事苛立つ。

 ブラック企業としてSNSで晒してやろうか、と礼蔵はしばしば歯軋りする。が、ほとんどを海外で過ごすあの老人は終始高飛びしているようなものなので、よくよく考えるとまるで効果がない。

 しかしこの雑貨店自体、祖父が旅行に行く度に持って帰ってくる珍品を、なるべく損失を減らしつつ処分するために始めたものだ。余計な物が減ること自体は嬉しいので、不用品を金に変えられると思えば悪い話ではない。

 何とかポジティブに考えようとする礼蔵だったが、次のバスまで一時間半という現実を見せつけられたら、そんな脳天気なことは言えなくなってしまった。

「は? 間違ってないかこの時刻表! 人を運ぶためのバスだろ? なんなんだこの本数は!」

 周囲に人が居ないのを良いことに、礼蔵は大声で愚痴を吐き捨てた。老人の長話があと一時間ちょっと早く終わっていれば、すぐにでも帰れていたのに、と。

 都会からは遠く、しかし山に近いとも言えない。そんな微妙な立地だと、バスの本数は程々に削られる。自身が住んでいる街も都会に比べると本数は少ないが、この辺りは輪をかけて酷い。

 しかも携帯の電波状況も悪く、本数はまったく安定しない。これでは暇潰しにアプリのゲームで潰すのもストレスになりそうだと、またため息をついた。

 せめてコンビニでもないかと思って、アンテナを気にしつつ検索するが、歩いてすぐ行ける距離には一つもないという結果が出た。

 こんなことなら勉強道具を持ってくるんだったと礼蔵は独りごちる。彼の趣味は勉強である。とにかく大学で周囲と差をつけて優位に立つ。そうなることで結果として将来の生活も豊かになると信じていた。

 しかし、祖父はそれをとことん邪魔してくる。というかよくよく考えたら、あんな木彫りの像を背負っていたら、勉強道具を入れる余地もないか。

 これからどうしようと思っていると、とぼとぼと歩いてくる人の影が見えた。疲労感は見られるが、背筋は真っ直ぐとしている。こんな過疎地にも若い人が暮らしているのか、と、礼蔵は素直かつ失礼な感想を抱いた。

 そして、相手が近づくにつれて、礼蔵の背筋はゆっくりと凍りついていった。

 礼蔵が見た相手の第一印象は、ギラギラした男だった。

 薄く色の入ったサングラス、色を抜いたような明るい金髪と、整髪料で立てたワイルドなヘアースタイルは、肉食獣を彷彿とさせる。

 服装もそれに見合って、派手なオレンジのパーカーに腰穿きのカーゴパンツで、どちらもダボダボだ。

「やっと着いた……ったく、随分かかったな」

 男の独り言に、礼蔵の身体は電流が流れたように震えた。どうやらこの男の目的も、このバス停のようだ。

 彼の地元は長閑な過疎商店街ということもあって、ヤンキーの類いは居なかった。というより、居ても都会の方に出て遊び歩いているので、縁がなかったのだ。

 大学でもそういう輩とは距離を置いていたし、いわばあまり免疫ができていない。そんな彼にとって、これから予測される状況は恐怖のイメージしかなかった。

「次は……あと一時間半だァ?」

 男もまた、バスが来るまでやたら時間がかかるという事実を知ってしまったようだ。当然のように機嫌を悪くした彼は、苛立ちを吐き出すように荒くため息をついた。

 心配するな、何もしなければきっと絡まれない。無事に一時間半待っていられる。そう言い聞かせながら礼蔵は身体を強張らせる。

「よう、兄ちゃん」

「ハ、ハイィ!」

 予想外に早く絡まれて、礼蔵は情けない声をあげた。

「この辺りにコンビニとかねェかな?」

「い、いや、僕もこの辺りは初めてでございまして……スマホで調べたら近くにもないようなので」

「そうかい、どうもな。しかし参ったなァ」

 とつぶやきながら、男は煙草を一本取り出す。礼蔵は吸わないので意識していなかったが、よく見れば吸い殻入れが置いてあった。

 祖父がヘビースモーカーなので、礼蔵自身は別に嫌煙家ではない。が、二人きりの状況だと、妙に気まずい空気になることを、彼は長年の経験で知っていた。

「おっと、煙草いいかい?」

「ど、どうぞ、お気になさらず」

 とはいえ、そこは我慢すればいいことだ。一時間半は確かに長いが、一日の長さを考えれば些細な時間だ。そう考えることにしよう。

「あー……兄ちゃん、また悪いんだけど」

「ドヒッ! ……な、なんでしょう」

 また変な声が出て、礼蔵は慌てて口を抑えつつ、気を取り直して返事をする。

「火付けられるの何か持ってねェかな」

 と、男は自分のライターを見せつけながら聞いてきた。着火レバーを数回押すが、ライターは沈黙を貫いている。

「い、いやー、マッチもライターも持ってないのでございますです、はい。お役に立てず申し訳ないです、はい……」

「そうかい。ったく、これでコンビニも無いんじゃ本気で困ったなァ」

 と、男はバス停のベンチに座りながら、深く息をついた。

 喫煙者と非喫煙者が共に無言で時間を過ごすのも気まずいが、さりとてこれはこれで気が休まらない、と礼蔵は背筋を強張らせる。一服できなかった時の苛立ちは、喫煙者によって結構違う。が、少なくとも自分の祖父は機嫌を悪くすることが多かったのを思うと、礼蔵は次にどんな絡まれ方をするか、気が気ではなかった。

「ところで兄ちゃんは、何しにこんな所まで来たんだ?」

「ヒェヤ!」

「さっきから思ってたけど、返事が個性的だなアンタ」

 流石にツッコまれた礼蔵は、空咳をして気を持ち直してから答えた。

「ちょっと知り合いに、祖父の荷物を届けに。その帰りです」

「もしかして、そのリュックでわざわざ運んできたのか? 大変だねェ。おまけに爺ちゃん孝行なんて、良い孫じゃねェか」

 それほどでもないですよ、と照れたような仕草を取りつつ、礼蔵は心の中では雄叫びをあげていた。『ほとんど強制的にパシられてるだけだけどな!』と……。

「ち、ちなみにそちらはどういう。僕と同じでこの辺りの人には見えないですけど」

「ん? ああ、俺は仕事でちょっと遠出を、な」

 少しだけ言葉を濁したように答える男に、礼蔵は嫌な予感がして、彼の風貌を確かめる。

 足元を見ると、枯れ葉の欠片が茶色い土とともに付いているのが見えた。パーカーも少し土埃を被っているし、人の手が付いていないところで、激しく動き回ったのだろうか。

「結局森の奥まで行く羽目になっちまったけど、陽が落ちる前に帰ってこられたのは、不幸中の幸いだったなァ」

 森、という単語が耳に入り、礼蔵の脳裏を悪い想像が浮かぶ。凶暴な風体をした男が、森の中で激しく動く用事と言えば、すぐ思い当たるものが彼にはあった。

 幼い頃の思い出が蘇る。祖父が好きで見ていた極道映画やサスペンスでは、邪魔になった人間を殺害した後、山奥や森深くまで遺体を運んで、その後は……。

 ――これ以上掘り下げ……いや、深く考えるのはやめよう。礼蔵は誇大妄想を振り払った。しかし、他に話題がないせいか、男はまだ話を広げようとしてくる。

 ――勘弁してくれよ、余計なこと知らされて口封じとか、冗談じゃないぞ!

 この話の流れを断ち切るため、礼蔵はいろんな話題を考えた。

 ――今日は良い天気ですね、ってもう陽が落ちる時にするものじゃないだろ!

 ――好きな食べ物はなんですか? って、僕の嫌いなものが来たらどうするんだ。話題を広げる自信がまったくない!

 ――いっそ、コンビニ探してきますとか。って、この近くにコンビニないって、僕が言ったことじゃないか!

 いくら考えても、礼蔵はこの雑談の流れを変えるキッカケが思いつかない。

「あ、そういやバス停探してる途中に煙草屋あったっけ。……わざわざライター買いに戻る? いや、ここからだと流石に遠すぎる……」

 男はまだ、煙草の火種がないことを気にしているようだった。そこまでヘビースモーカーというわけではないようだが、やはり口が寂しいと気になるものなのだろおうか。

 しかし礼蔵は、その様子を見ていて、神の啓示を受けたかのように閃いた。

「そうだ、火! 火、貰いにいきませんかね!」

「……は?」

 話の脈絡もクソもなく、突発的な提案をしてきた礼蔵に、男は訝しげに首を傾けた。ただ戸惑っているだけなのに、その仕草すら礼蔵には獰猛な獣に睨まれたように見えた。

「今日の届け先、うちの爺さんの知り合いの家なんで! 事情を話せばライターくらい貸して、いや、いっそくれるかもしれないんで! 僕、ちょっと聞いてみますよ! お兄さんは、そこでゆっくり待っててください! あは、あはははは!」

 完璧だ。

 全て言い終わった礼蔵は胸中で自画自賛した。ライターを取ってくることで男の喫煙欲求を満たして機嫌を取りつつ、気まずい空間から少しでも長く離れることができる。

 また老人の長話に捕まるかもしれないリスクはあるが、もうバスが来ると言い訳すればいつでも逃げられる……はずだ。

 作戦の成功を確信した礼蔵が、軽く男の方を振り返る。男は、サングラスを少しだけずらして、礼蔵のことをじっと睨んでいた。




 こんなはずではなかったのに、と礼蔵は頭を抱えた。

「兄ちゃん、そんなに気ィ遣うなって。肝心のライター欲しがってンのは俺なのに、アンタが使いっ走りする義理もないンだからよ」

 礼蔵は、何故か後を付いてきた男と一緒に、老人の家を再訪することになっていた。

 男が義理堅いという可能性を、礼蔵はまったく考えていなかった。いつも義理も人情もない老人やアラサー男と絡んでいるせいか、常識的な対応というものを忘れていたのかもしれない。礼蔵は、頭に浮かんだ二人の人間を恨んだ。

 徒歩で一〇分ほど歩く間、男は礼蔵が持ってきた物に付いて詳しく聞きたがった。礼蔵は詳しく知らなかったので、祖父が海外で買ったり貰ったりしたものだということ、そして自慢話の中で思い出せることについて、頭から捻り出した。

「確か、南の方の小島にある小国で……買ってきたんだか貰ってきたんだか。正直、興味ないんで知らないですけど」

「……まあ、大丈夫だとは思うけどよ」

 それを聞いた男は意味深な言葉をつぶやきながら、リュックサックをしばしば気にしていた。

 老人が住む平屋に戻ってくる。突貫工事で作った小屋のような家で、台風が来たら屋根があっけなく飛んでいきそうだった。

 間を置かない再訪に、老人は心底嬉しそうな顔で歓迎した。家族がいないせいもあるのだろう。

「おう礼坊れいぼう、忘れ物でもしたか?」

「だから、クーラーみたいだからその呼び方はやめてくださいよ」

 呼び方に不服を申し立てつつ、礼蔵は後ろに立つ男も踏まえて事情を説明する。如何わしく思われるかと思ったが、警戒心はまったく示さず笑顔で挨拶しあっていた。

「そういうわけで、ちょっとライターを貸して欲しくて」

「ライター? 昔まとめ買いしたのがたくさん残っとるよ。待ってな、あんちゃん。煙草は吸えるうちに吸っとかねぇとよぉ。ガハハハハ!」

 そう言って家の中に引っ込もうとする老人に、後ろから男がヘコヘコとしながら顔を出した。

「すいませんねェ、バスを待ってる間の暇潰しがなくて。なんであと一時間半もあるんで」

「ちょ、ちょっと! ストップ!」

 礼蔵が口止めしようとしたが、老人がそれを聞いた途端、慌てて振り返った。

「なんだよ礼坊、水臭ぇな! あんな何もないバス停でどう時間潰すってんだ! まだ茶菓子はいくらでも残ってるからよ、ウチでいくらでも待ってたらエエぞ!」

 手招きしながら家の奥に引っ込んでいく。礼蔵の計画では、ライターだけ貰って戻るつもりだったのだが。

 しかし、男の方はお言葉に甘える気満々で、一応申し訳無さそうな素振りはしながら家に入り込んでいった。こうなったら、礼蔵も素直にご厚意を受けるほかなかった。

 男は軽く家の中を見回し、礼蔵が持ってきた木彫りの像に目をやった。そして、サングラスをずらして少し沈黙してから、礼蔵の肩を掴んで引っ張ってきた。

「兄ちゃん、んな何も入ってねェリュックは適当に置いておきなって」

 と、男は少し強引にリュックを取り払い、像の近くに放り投げてしまった。これで正真正銘、礼蔵は逃げ道を絶たれてしまう形となる。

「さっき話そびれたことだけどよ、昔この辺りで俺ぁな……」

 そして、お菓子を持ってきた老人による、長い長い自慢話がまた始まってしまった。

 今日は、今年で一番の厄日かもしれない、そう思いながらも礼蔵は用意された座布団に正座した。




 バスの時間が近づいてきて、礼蔵と男はようやく開放された。と言っても、男にとっては丁度いい暇潰しだったのか、老人のくだらない自慢話を盛り上げながら笑いながら会話していた。

 ライターを貰いにくるのが目的だったのに、男はドクターストップがかかっている老人の手前、煙草は吸わなかった。

「それにしても、礼蔵だから礼坊ねぇ」

 ライターで煙草に火を着けながら、男はつぶやく。

「とりあえず癪に障るし、坊や扱いなのも不服だし。あんまり呼ばれて良い気分のするあだ名じゃないですよ」

 結局老人は、何度突っ込んでも礼坊の呼び方を変えなかった。小さい頃に何度か会ったことがあって、そう呼んでいたのが理由なのだが、礼蔵は年を重ねるにつれて抵抗感が徐々に増していた。しかし悪気はないし、祖父と旧知の仲ということもあり、機嫌を損なわないよう我慢した。

「どっちかって言うと、冷蔵庫じゃねェか?」

「その呼び方だけは勘弁して頂けませんでしょうかね!」

「あ、ああ、悪かったな」

 男は何かを察して、詫びるように軽く頭を下げた。一方の礼蔵は男から顔を逸しつつ歯軋りをし、頭に浮かんできた家賃滞納者の顔を脳内で握り潰す。

「しかしお前の爺さん、とんでもねェもんをあちこちから貰ってきてるみてェだな」

「……はい?」

「長話に嫌々付き合ってでもあの家に戻ったのは、結果として正解だったっていう、こっちだけの話だよ」

 煙草を吹かしながら、男は礼蔵には理解できない話をした。さっきまでの警戒心や恐怖心はどこへやら、男を訝しげに睨んでみる。

「まっ、元の場所に帰れて良かったってことで、な」

 が、まともに答える気はないようだった。

 やがてバスが来て、煙草を押し潰して吸い殻入れに捨てると、男は先に乗っていってしまった。呆けていた礼蔵も、慌てて後を追って乗り込んだ。

 バスの中はガラガラで、老人が二、三人乗っているだけだ。礼蔵にとっては、もうジジィババァは見飽きた、と愚痴りたくなる気持ちだった。

 礼蔵が一番後ろの席に座ると、男もそれに合わせて座ってきた。一時間半、この男の様子を見てきたせいか、抵抗する気もなかった。

「そういや、人の名前イジっといて、こっちは名乗ってなかったっけ。俺は怜路りょうじ、今日はいろいろ助かったよ、礼蔵クン」

「いや、お気になさらず……僕が墓穴掘っただけ」

 バスは、古めかしいブザー音を鳴らしながら走り始めた。

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