清子さんと魔法菓子・4『それぞれの居場所』

 清子が閉店作業を手伝っていると「結局閉店まで付き合わせちゃったな」と八代やしろが軽く頭を下げた。それは清子きよこの望むところだったので、むしろ最後まで手伝うことができたのは嬉しかった。

 しかし、いざ夜を迎えてみると突然不安が沸いてきた。結局清子を探しに来てくれる人はいない。名古屋に知り合いのいない清子が、夜をどう乗り切るかを考えると、頭が痛くなる。

 とりあえず店を閉じると、早速八代がさっき言いそびれた話がしたいと声をかけてきたので、清子はこれからの不安をひとまず忘れて、話を聞くことにした。

 喫茶コーナーのテーブルで蒼衣あおいと八代、そして清子が向き合う。まずは今日の労いの言葉をお互いにかけあった。

「さて、パッとお疲れ会でも開きたいところなんだけども、今は原居はらいさんのことの方が先」

 と言って、八代はタブレットを持ち出すと、一枚の画像を画面に表示させた。

「珍しくヨッシーが……ああ、俺の妻なんだけど、珍しく早く家に帰っててさ、丁度いいから職業体験の書類を撮って送ってもらったんだ。そしたら、こうなってた」

 画像を見てみると、そこに書いてあった名前は原居清子ではなく、「原田はらだ季夜香きよか」だった。

「この娘が本来うちにくる子だったらしい。そもそも職業体験は明日からだった」

「やっぱり、私は部外者だったんですね」

 膝の上で拳をぐっと握る清子だったが、八代は身を乗り出して肩を叩いてくれた。

「むしろこっちが謝らないといけない。おかげで俺は原居さんにしなくてもいいタダ働きをさせちまったんだから。申し訳ない」

「と、とんでもない! 私、今日は一日本当に貴重な体験をさせて頂きました」

「何か埋め合わせを、としたいんだけど、それより前に休憩中調べたことを伝えておきたい。そう、なんだけどなぁ」

 そう切り出した八代だったが、何か懸念でもあるのか、腕を組んで背もたれに寄りかかり、頭を掻いた。

「どうかしたの?」

「なんつーか、変な結論というか、馬鹿馬鹿しい結論というか……そうだな、まずはわかったことを伝えよう」

 いかんせん煮え切らない様子だったが、八代は意を決したように話し始めた。

「まず原居さんの持ってるそのスマホ、見覚えがないから真っ先に調べてみた。で、その機種名のスマホが存在しないことがわかった」

「えっ?」

「いや、それどころかメーカー自体が存在しない」

 タブレットの画面に検索結果が表示される。確かにどちらもまるで引っかからず、まったく関係のないアパートの画像が表示されていた。

「これはおかしいと思って、学生証に書いてあった住所、学校も調べてみた。そうしたら学校はどころか住所自体がこの世界に存在しない」

 画面が切り替わり、違う結果が表示される。学校名は似たような名前の施設が引っかかっているが、清子にはまるで見覚えがない外観だった。そして住所に関しては結果すら出なかった。

 目を丸くして唖然とする清子に、八代は頭をゴシゴシと掻きながら、自信なさ画に言う。

「まず、学生証も携帯も偽造した可能性を考えた」

「ぎ、偽造?」

 素っ頓狂な声をあげる清子を、八代は軽く手で制した。

「だけど原居さんにメリットがないし、騙すつもりなら俺達に身の上を明かす意図もよくわからない。大体、高校生がスマホを自力で作れるわけもない。そもそも原居さん、このタブレットのメーカーに見覚えある? 俺のスマホでもいいや」

 そう聞かれて確認してみると、タブレットもスマホも、まったく見覚えのないメーカーだった。

 コンビニの商品に見覚えがないのは、名古屋ローカルのコンビニが自社ブランドに力を入れているからではないか、と推測していた。しかし世界的に普及している電子機器となればおかしな話となる。

 自分の知っている三大携帯メーカーをあげてみたが、二人にはまったく通用しなかった。ますます持って、自分の置かれている状況が理解できなかった。

「それで、いろいろ調べながら考えていくうちに、本当に馬鹿馬鹿しい結論に辿り着いたんだけど、なんつーかさ」

「こんなに歯切れの悪い八代は珍しいね」

「言うなパティシエくん、自覚は十分にある。で、その結論なんだが……」

 蒼衣と清子が注目する中、八代はまだ躊躇いを見せつつも、はっきりと告げた。

「原居さんは、違う世界から来たんじゃないか、なんてさ」

 ピロートの店内を、妙な沈黙が支配した。

「えっ、違う世界ってどういうこと?」

 蒼衣が聞き返してきたので、八代は頭を抱えて悲鳴のような声をあげた。

「やっぱ馬鹿馬鹿しいよな……調べてたら広告が出てきてさ、消そうと思ったらそれが、異世界がなんたらっていうタイトルの漫画広告で、なんでかピンと来ちゃってさ」

 蒼衣も清子も、唖然として無言になっている。異様な空気に八代は無意識に頭を抑えてしまう。

「俺だって馬鹿馬鹿しいって思うよ? でもこの状況は、もう漫画レベルの話を持ち出さないと考えられん。原居さんが嘘を言ってるなら話は変わってくるが、俺は嘘をついてるなんて思わないし、思いたくもない」

「オーナーさん……」

 清子は、今日会ったばかりの八代がそこまで信用してくれることが、とても嬉しかった。

 本当のことを話すと決めた時、かなり躊躇いがあった。八代に嘘つきだと思われたくないというのが理由だろう。だが実際は、最初からそんな心配は不要だったのだ。

 一通り八代の話が済むと、蒼衣が頷きながら口を開いた。

「魔法にそんなスケールの大きな力はないよ。でも、魔力については未解明の部分もあるんだ。そこを飛躍させて小説や漫画のお話に使う人もいるんだって。だから僕は、あながち八代の推測は的外れじゃないかなって思った」

 自分は別世界の人間かもしれない。他人が聞けば与太話と笑われるような結論だったが、清子はそれが一番しっくりくる気がした。

 このピロートという店はとても居心地の良い店だ。店の雰囲気が良いのもそうだが、蒼衣も八代も良い人で、それが優しい空間を作り出しているのだろう。

 しかし、いくら居心地がよくても、そこが居場所になるかは別の話だ。二人も清子のことを拒絶しているわけではないが、ずっと感じていたしっくりとこない感じは拭えない。

「それに、清子さんが嘘をついてないって、僕が保証するよ」

「そ、そんな無理に庇わなくてもいいです。私は普通に見たらただの怪しい人間でしかないのは事実ですから」

 と言って、清子は顔を伏せた。昼間よりは大分いろいろ思い出せたが、まだ自分について全てがはっきりしたとは言えない。だから、本当のことを話していると断言できる立場に、自分がないことを清子は強く自覚していた。

 その反応を見た蒼衣は、少しだけ目を瞑って考えてから、微笑みながらつぶやく。

「違う世界の人なら、教えちゃってもいいかな」

「蒼衣、まさかお前」

「きっと清子さんなら、受け入れてくれると思うから」

 心配して声をかける八代を制しながら、蒼衣は席を立った。そして厨房から「銀のミニマドレーヌ」を持ってきた。試食の時にも話していたそれを、とりあえず食べて欲しいと言うので、清子は首を傾げながらも食べることにした。

 残念ながら今度は何も飛び出してこなかった。しかし、その代わりに清子は、蒼衣の長い髪に釘付けとなった。

 とても淡い光量ではあるが、蒼衣の髪がぼんやりと青い光を発していたのだ。今まで魔法菓子をいくらか体験させてもらったが、それより何よりも清子はその幻想的な光景に目を奪われた。

「僕は、自分が作った魔法菓子を人に食べてもらうとね、相手の気持ちが伝わってくる不思議な力があるんだ。読心術ほどではないけど、どう思ってくれてるかはわかるんだ。だから、清子さんがどんな気持ちを抱えていたかは、なんとなく伝わってたんだ」

 最後の言葉は、とても心苦しそうに話した。

「これは嫌でも伝わってくるから、不可抗力ではあるんだけど、勝手に君の心を探るような真似をしてしまったのは事実だから、謝らせて欲しい。本当にごめんなさい」

 まだ淡く光髪の毛を揺らしながら、蒼衣は頭を下げた。

「気にしないでください。むしろ、こんな私に打ち明けてくれて、とても光栄です。それに、とても素敵な力だと思います、蒼衣さんの不思議な力……」

 と、つぶやいた瞬間、清子は動きを止めた。前にもこんなことがどこかで会ったような記憶があったからだ。

 必死に思い出そうと歯を食い縛る清子を見て、蒼衣と八代は只ならぬ雰囲気を感じて席から咄嗟に立ち上がる。




 前にもどこかで、妙なことを口走る人に助けられた気がする。

 確信は持てなかったが、そうとしか見えなかったことを、清子は思い切って本人に問いただしてみたのだ。

 すると相手は、清子の憶測を認めた。そうだとわかった時、清子はとてもそれが素敵な力だと思った。

 相手がどんな思いでその体質を抱えてきたかは、その時の清子は考えが及ばなかった。むしろずけずけと「手伝わせて欲しい」などと申し出たのだ。今日、蒼衣と八代にしたように。

 相手は大分悩んでから、自嘲気味にこう言った。

「こんな与太話めいたことを信じられるっていうなら、せっかくだし、何か手伝ってもらおうかな」

「は、はい!  私に出来ることなら、任せてください!」

 そうして、清子はその人のことを少しずつ慕うようになったのだ。清子を渋々ながらも受け入れてくれた相手は……。

「そうだ、思い出してきた、確か、確か」

 清子はうわ言のようにつぶやきながら、自分のスマホを操作し始めた。そしてフォトデータを開き、別荘で撮った集合写真をもう一度表示させる。

 無愛想に写真に映るくたびれた男を拡大し、清子はしばらくその顔を見つめた。

「俺が仕事に出るってなった時、都合が合えば助手として付いてきて欲しいんだ」

 写真の男は、そう気恥ずかしそうに話を持ちかけてきた。必要とされた清子の答えは、決まっていた。

「仮に後悔したとしても、私はきっと羽村はむらさんと縁を切ろうなんていうことにはならないと思います」

 自分がそう答えた場面を思い出した時、モヤが全て晴れていくのを感じた。



「は、むら、さん……羽村さんだ!」

「この人のこと、思い出せたんだね!」

 蒼衣にそう聞かれて、清子は何度も頷いた。

「おじさんと呼ばれるとすごく怒って、いつもお腹を空かせてるのに我慢ばっかりして、だからよく身体を壊して、なのに変な意地を張ってばかりで……でも本当はすごく優しい人なんです」

 写真に語りかけるように言葉を投げる清子を見て、二人の顔は戸惑いから笑顔に変わっていった。清子の表情が晴れていくのが、見えていたからかもしれない。

「忘れていてごめんなさい、羽村さん」

 その時、清子のスマホのアンテナが、圏外から三本へと変わった。そして、何の前触れもなく店の真ん中に虹色の光が出現した。

「なんだこりゃ!」

 八代は、自分の店の真ん中に現れた謎の光に絶叫し、蒼衣は呆然とそれを眺めていた。

 清子もそれが何だかわからず、見ているしかできなかったが、やがて光の中から何かが聞こえてきた。

「おーい、清子―」

「きよちー、御飯だよー、出ておいでー」

「野良猫探しか、この馬鹿」

 中からは、女の子が清子を呼ぶ声が聞こえてきた。それを聞いた清子は、小さく涙を浮かべながらその名を呼ぶ。

科子しなこちゃん! 伊智子いちこちゃん!」

 しかし、相手からの返答はなかった。声が聞こえるだけで、光の中に何があるかは不明瞭だ。

 どうするか悩んでいると、スマホのアンテナが一本減ったことに気付く。それを伝えると、八代は

「もしかして、これが別世界を繋ぐ扉なんじゃないか? スマホが繋がったってことは、違う世界の電波が届いたからじゃないか?」

「すごい冷静だね、八代。僕はもう、何がなんだか」

「買い被ってくれるなパティシエくん。頭がパニクりすぎて、なんとかこの状況を過程してるだけ……ってそんなこと言ってる場合じゃないだろ!」

 と、八代は清子のスマホを指しながら叫んだ。

「アンテナが減ったってことは、またゼロになったら閉じちゃうんじゃないか? そうなったら、帰れなくなるかもしれないぞ!」

 確かに、と思って清子はおたおたし始めた。しかしどうやって帰れば良いのだろうか。スマホをかざせばいいのか、それとも飛び込んでいいのか。

「帰る前に、ちょっと待って」

 考えているうちに、蒼衣は虹色の光を避けつつ、厨房へと飛び込んでいった。さしもの八代も考えを読めなかったか、呼び戻そうと何度か声をかける。

 しかしそう間を置かず、蒼衣は店内に戻ってきた。そして、袋詰にされたクッキーを清子に手渡す。

「もう二度と会えないかもしれないと思ったら、何か思い出に持っていって貰おうと思って」

 そう笑顔で言われて、清子は気付く。もしこの光に飛び込んで元の世界に帰れたとしたら、この二人には会えなくなる可能性がある。というか、その可能性の方が高いのだ。

 そう思うと、ちゃんとお別れできないのは悲しい。そう考えた清子は、光に背を向けて二人の顔を見ると、深く頭を下げた。

「あの、今日はいろいろと、ありがとうございました。お二人のこと、忘れません」

「本当、いろいろあったけど、何はともあれ今日はこちらこそ助かった」

 八代と深く握手を交わすと、次は蒼衣が清子に手を差し出してきた。

「もし今度があるなら、お客として清子さんに来て欲しいな。そうしたら、気合を入れて歓迎するよ」

「……はい、楽しみにしています」

 目を潤ませる清子に、八代はアンテナが減っていることを慌てて教えた。名残惜しさはあるが、そろそろ出発の時だ。

「本当にお世話になりました。さようなら!」

 手を振って見送る二人に答えつつ、清子は貰った魔法菓子をしっかりと抱きしめながら、光の中に足を踏み入れていった。

 すると、光はさらに輝きを増して、清子の全身を飲みこんでいった。

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